#2 sixth sense-⑦
犯人にメッセージを送るという撒き餌は棗に任せ、才木と陣内はセダンに乗り込んだ。
辻川が殺された立体駐車場はすでに現場検証と清掃を終えたようで、これまで通りの姿に戻っていた。約束の時刻は九時。場所は事件現場の地下ではなく、四階を指定した。これは犯人を簡単に逃走させないためであり、陣内の提案だった。地下フロアは出口に近い。二階だと飛び降りることも可能な高さである。だから念のため、最上階を選んだ。
車は四階のフロアの隅に
「本当に来るんでしょうか」と才木は首を捻った。
「また嫌な予感がする?」と、陣内が横目で
雀荘での一件もあり、少しは才木の能力を信じる気になったのかもしれない。
「いえ、特には」
「なら、このまま張り込むぞ」
陣内は座席を思い切り倒し、寝そべった。張り込む気があるようには見えない姿勢だ。無精ひげの生えた顎を
才木は肩をすくめた。
「
相変わらず、陣内はだらしない。身なりに気を遣わないタイプのようだ。今日はネクタイすら締めていなかった。シャツは皺が目立つし、煙草の臭いも染みついている。例の如くスーツの上着は羽織っておらず、ショルダーホルスターとベレッタが
才木の小言に、陣内は尤もらしい言い訳をした。
「こっちの方が、麻取だって疑われなくていいじゃん」
陣内が煙草を取り出そうとしたところで、才木はふと気付いた。彼の薬指にシルバーの指輪が光っている。結婚指輪だろうか。これには少し驚いた。
「陣内さんって、結婚してるんですか」
「まあね」
「奥さん、さぞいい人なんでしょうね」
皮肉のつもりだった。こんないい加減でだらしのない男に付き合ってやれるなんて、どれだけ心の広い女性なんだろうと。
「まあね」と、陣内は顔色ひとつ変えずに答えた。
「いい女だったよ」
――いい女だった。
過去形の意味を想像せざるを得ない。すでに離婚し、
気が削がれたと言わんばかりに陣内は煙草を引っ込めた。気まずい雰囲気だった。自分がそう感じているだけかもしれない。話題を変えなければと模索していたところ、人影が視界に飛び込んできた。ジャージ姿で、黒いキャップを被った男。まるで待ち合わせをしているかのように辺りを見回しては、腕時計を確認している。
「あいつだな」と、陣内が呟く。
「ですね」
「俺が行く」
「ひとりで大丈夫ですか。相手は銃を持ってるかもしれませんよ」
事件の凶器はまだ見つかっていない。あの男が犯人だとしたら、拳銃を所持している可能性もある。
「お前がいたら逆に足手まといなのよ」
陣内が車を降りる前に、才木は
「今度は殺さないでくださいね。あくまでも、ただの参考人なんですから」
「はいはい」と、陣内は面倒くさそうに答えた。
「わかってるっての」
嫌な予感を覚えたのは、陣内がドアに手を掛けた直後のことだった。能力が働いたようだ。モノクロの映像が見える。――麻取だ、と声をかける陣内に、男が発砲する。銃弾は陣内に当たらない。避けたからだ。弾が切れた男は焦り、逃げ出す。だが、今度は出入口に張り込んでいた才木に気付き、逃げ場がないことを悟る。陣内は銃を抜き、構える。男は陣内から逃げるように駐車場の端へと向かう。そのまま塀を乗り越え、飛び降りる。逃亡するつもりなのか、自殺を図るつもりなのか。男の行動には迷いがなかった。男の体はそのまま落下し、コンクリートに叩きつけられ、絶命する。
――嫌なイメージだった。
陣内に伝えようとしたが、すでに遅かった。陣内はとっくに車を降り、ちょうど男に声をかけようとしているところだ。
どうにかしなければ、と思った。このままでは、あの男が転落死してしまうかもしれない。少なくとも、才木の能力はそう忠告している。
才木はすぐさま運転席に移動し、エンジンをかけた。
アクセルを踏み込み、駐車場の外へと急ぐ。スロープを降りると、猛烈な勢いでゲートバーを突き破り、建物に沿って停車した。映像の中で男が落下したのは、ちょうどこの辺りのはずだ。
不意に銃声が聞こえてきたので、才木は慌てて車を降りた。
その瞬間、上空から人が降ってきた。
大きな音がした。金属が
男は激痛に
遠くに、陣内の姿が見えた。誰かに電話をかけながらこちらに向かって走っている。救急車を呼んだようだ。電話を切り、陣内は目を丸めた。
「よくわかったな、ここに落ちてくるって」
「正直、賭けでした」
映像で見た通りの結果になったおかげで、犯人の命を助けることができた。
改めて男の顔を見て、
「陣内さん、この人って――」
才木は仰天した。
誰もが知っている顔だった。
「ああ」陣内も少し驚いた表情を見せた。
「佐藤だ」
佐藤俊也――プロ野球選手だ。先日、一試合で四本のホームランを打ったことで話題になっていた。柴原からも話を聞いている。野球に詳しくない才木でも知っているほどのスター選手だ。
佐藤は辻川の顧客だった。つまり、彼はドープを常用していたのだ。
彼のファンである柴原の顔が浮かび、才木は失望を覚えた。
「あの試合でも、ドープを使っていたんですね」
プロ野球の試合において、ドーピング検査の頻度は二か月に一回、被検査者はランダムで選ばれる。これは平成から今の時代まで変わっていない。中には一度も検査を受けないまま引退する選手もいるほどの、ルーズな制度だ。
「どうして、薬なんかに手を出したんですか」
実力も才能もキャリアもある選手だったはずだ。そんな恵まれた人物が、麻薬に手を染めるなんて、信じられなかった。
責める才木を、「……どうして?」佐藤は見上げるようにして睨みつけてきた。
「話したところで、お前には理解できないだろ。俺らみたいな人間の気持ちが」
体の痛みに顔を
「いつクビになってもおかしくない。結果を残し続けなければ生き残れない。力が衰えたら、食っていけないんだよ。だからって、他の道に進むわけにもいかない。俺らの重圧がどんなものか、想像もつかないだろ。お前らみたいな、定年まで仕事が保障されてる公務員には――」
「……うるせえなぁ」
不意に、陣内が言葉を遮った。
「俺ら? 勝手に主語をデカくすんなよ。この世のスポーツ選手は全員薬に手を出してズルしてんのか。違うだろ」
佐藤の胸倉を掴むと、陣内は珍しく語気を強めた。
「お前、なんだよ。全部お前のせいなの。ドーピングに頼ってんのは、重圧に負けたからじゃねえ。自分の弱さに負けたからだ。みんな戦ってるのに、お前は楽な方に逃げた。それだけのことだろ」
陣内の剣幕に、佐藤は圧倒されていた。
また暴行されてはたまらない。才木は慌てて割って入った。
「陣内さん、もうその辺にしときましょう」
「自分で選んだ道で、泣きごと言ってんじゃねぇよ」
そう吐き捨てると、陣内は掴んでいた手を離した。
「……ヒットが打てないお前と、ヤク中のお前。ファンが見たくなかったのは、どっちの姿なんだろうな」
佐藤は顔を歪めている。陣内の容赦ない言葉が
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