#2 sixth sense-⑤



 しばらく車を走らせると、ニコラスから伝えられた住所に到着した。中華街にある細い路地の一角に、鉄筋コンクリート造りの四階建ての雑居ビルがある。年季の入った建物で、白色の壁が所々錆びついたように変色していた。一階は空き店舗のようでシャッターが下りている。二階の窓には『リーチ麻雀マージャン 龍龍』の文字。

 猥雑わいざつな雰囲気の場所だった。


 ビルを見上げ、陣内は「ここだな」と呟いた。周囲を確認する。中にエレベーターはなく、二階へ行くには入り口のすぐ横にある階段をのぼる必要があるようだ。建物の裏側には、従業員用らしきドアと錆びた鉄骨階段があった。


「お前は裏口を見張れ」と、陣内は才木に指示した。


 才木の能力が発動したのは、ちょうどその瞬間だった。

 いつものように様々な映像が目に浮かんでくる。最初に見えたのは、階段をのぼり、雀荘に乗り込む陣内の姿。才木は言われた通り裏で待機している。陣内は店の中に入ると、ニコラスから送られてきた隠し撮りの顔写真を頼りに、宋の姿を捜した。奥の卓で麻雀に興じている宋を見つけ、声をかける。ちょっと話を聞かせてほしい、と。ところが、宋は反抗する。トカレフを取り出し、陣内を撃つ。

 ――そんな映像だった。


「俺も一緒に行きます」


 胸騒ぎがする。才木は陣内に提案した。


「嫌な予感がするんです。このまま二手に分かれたら、危ないんじゃないかと」


 陣内が負傷するのか、それとも抵抗された陣内が宋を撃ち殺してしまうのか――どんな結末が待っているのかまでは、才木の力では読み取ることはできない。だが、指示通りに裏口で待機していれば、なにか良からぬことが起きる。そのことだけは確かだった。自身の能力が、そう警鐘を鳴らしている。


「また第六感ってやつか」と、陣内はため息交じりに言った。

「俺の能力のこと、信じてないんですね」

「目に見えるものしか信じない性質なのよ、俺は」


陣内は才木に背を向けた。


「いいから、ここは先輩の言うことを聞いときなさい」


 どうするべきか、才木は悩んだ。たしかに、対象の逃走経路をふさいでおくことはセオリー通りだ。陣内の指示が間違っているわけではないし、先輩の命令に背くわけにもいかない。

 だが、このままでいいとも思えなかった。ビルの裏側へと向かうにつれて胸騒ぎは徐々に強まっていく。まるで、ここにいてはいけないと激しく主張しているように思えた。

 悩んだ末に、才木は自分の能力を信じることにした。途中で足を止め、駆け足で建物の正面に戻った――そのときだった。「待て!」という陣内の叫び声が響き渡った。慌ただしい足音も聞こえてくる。宋らしき男が階段を転がるように駆け下りてきて、ちょうど才木の目の前に飛び出してきた。

 男と目が合った。

 その一瞬で、相手はこちらを敵だと判断したようだ。ビルの出入り口に立ち塞がる才木に向かって、宋は拳を握り襲い掛かってきた。

 こういった場面のために研修でトレーニングを受けたし、付け焼刃ではあるが格闘術も習ってきた。まるでアメフト選手のような体型をした麻取の鬼講師に比べたら、宋は小柄で、か弱く見えた。

 才木が右足を一歩後ろに引いて攻撃を避けると、宋は勢い余ってバランスを崩した。前方によろけ、やや頭が下がったところを、才木は逃さなかった。宋の後頭部を右手で掴み、勢いよく右膝に打ち付ける。強烈な膝蹴りに軽い脳震盪のうしんとうを起こしたようで、宋は激しくふらついた。足をもつれさせながらも逃亡を試みる。才木は後ろから宋の背中を掴み、両手で強く引いた。建物の壁に押し付け、鳩尾みぞおちに一発拳を叩き込む。宋は小さく悲鳴を上げ、その場に膝をついた。その上からし掛かって宋の体をうつ伏せにし、腕を捻り上げて手錠を掛けたところで、ようやく陣内が目の前に現れた。

 あのまま裏口を見張っていたら、危うく宋を取り逃がすところだった。さすがの陣内も、今回ばかりはきまりの悪そうな表情を浮かべている。


「……言い訳していい?」

「どうぞ」

「客のおっさんに一局打たないかって誘われてさ、ちょっと迷ってたのよ。その隙にこいつが俺に気付いて、逃げちゃった」

「もう少しマシな言い訳が聞きたかったです」


 才木はため息を吐いた。


「俺の能力、これで少しは信じてもらえました?」


 陣内は無言のまま目を逸らした。

 手錠を掛けられた宋は観念したようで、不貞ふてくされた顔をしているが、抵抗は見せなかった。宋を地面に座らせたまま、陣内は尋問を始めた。辻川の顔写真を見せつけながら問う。


「この男、知ってるよな?」

「さあ」と、宋は鼻で笑った。

「知らねえなぁ」

「そんな態度取っても、良いことないよ」


 陣内は穏やかな口調で話しかけている。


「お前がこいつを恨んでいたことは知ってる。しょっ引く理由はいくらでもあるのよ。お前の家や車をあさったら、いろんなお薬が見つかるだろうしな。そしたら商売上がったりだろ? 俺らは、辻川を殺した犯人を追ってるだけだ。ここで俺らにパクられるか、洗いざらい吐いて見逃してもらうか。どっちが得か、わかるよな?」


 陣内の説得に、宋はすぐに折れた。


「……わかった、話すよ」

「ご協力どうも」

「俺は殺してない。辻川を殺ったのは俺じゃない。俺はただ、あいつの顧客名簿を盗んだだけだ」


 それから、宋は洗い浚い白状した。

 事の発端は、宋の昔馴染みの太客の発言だった。その客は唐突に「別の売人から薬を仕入れることにした」と言い出し、宋との契約を切ったそうだ。宋よりも安価で質のいい薬を売る売人に乗り換えたとのことだった。

 いつも薬の受け渡しは、客の自宅である高級マンションで行われていた。代金は前払いで、金を受け取ったら、宅配業者に扮してポストや宅配ボックスに商品を届ける、という手筈てはず。その客は仕入れ先を乗り換えてからも、同じ方法を続けていた。納得のいかない宋がマンションを見張っていたと ころ、そこへ業者になりすました辻川が現れた。

 辻川はその筋では有名な売人だった。数多くの著名な客とのつながりがあり、それを本人もベラベラと周囲にしゃべって自慢していた。自分の携帯端末にはVIP客の名前が並んでいる、と。


「あいつのせいで、俺の収入は半減した」


 縄張りを荒らされ、客をられた宋は頭にきた。馴染み客を取り返し、さらに辻川の客も奪う。それが宋の狙いだった。辻川の行きつけのバーを調べ上げ、酔っぱらった彼から携帯端末を盗み取った。

 ――辻川が殺害された夜のことだ。


「俺がやったのはそれだけだ。俺は殺してない」


 辻川の顧客には、「辻川は今、警察にマークされているから、自分が代理をしている」と嘘の説明して、自身の商品を売りつけるつもりだったらしい。


「才木、中央署に連絡しろ」


 陣内が命じる。


「殺しの重要参考人を捕まえた、ってな」


 途端に宋の顔色が変わった。


「待てよ、見逃してくれる約束じゃ――」

「麻取が売人を見逃すわけないでしょ。職務怠慢よ、それ」

「……は? 麻取?」


 宋は目を丸くし、騒ぎ出した。


「お前ら、サツじゃなかったのか! だましたな!」

「騙してない。警察だとは一言も言ってないし」


 陣内はとぼけた顔で答えた。こんな仕事をしていれば、特捜課が麻薬組織から恨みを買うのも当然だろうな、と才木は思った。


「ふざけんなよ、てめえ! ぶっ殺してやる! 覚えとけ――」

「はい、ちょっと静かにしてね」


 次の瞬間、宋は本当に静かになった。陣内が強烈な回し蹴りをお見舞いしたからだ。左足を踏み込み、勢いに乗って回転し、宋の側頭部に右のかかとを引っ掛けた。その衝撃で宋はビルの壁に頭を打ち付け、そのまま気を失ってしまった。

驚きを通り越して、才木は呆れた。


「……もっとやり方があるでしょう」

「これが手っ取り早いのよ」


 ――今までよくクビにならなかったな、この男。


 心の中で呟いたつもりだったが、陣内には「声に出てるぞ」と注意された。

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