#2 sixth sense-④


 ニコラスから潜入捜査の報告が届くまでの間、特捜課は駐車場の防犯カメラ映像の分析に取り掛かった。新宿中央署からの検視報告によると、死亡推定時刻は夜二十時過ぎから翌二時の間。カメラの映像から見ても、それはほぼ間違いないと言えるだろう。辻川の車が駐車場入り口のカメラに映っていたのは夜の二十時だった。

 十台ほど設置されている駐車場の防犯カメラをひとつずつ調べていくのは、なかなか根気のいる作業だ。まず最初に音を上げたのは、出入り口のカメラを担当した柴原だった。椅子にふんぞり返り、「マジで面倒くさいっすね、これ」と文句を垂れている。現場は地下一階、地上四階建ての自走式コインパーキングで、収容台数は約四百台。次から次に入れ替わる車のナンバーを数えるだけで、気が遠くなってくる。


「俺もう無理。ブルーライトがつらい」


 陣内までもが弱音を吐いた。彼は地下フロアに設置されている二台のカメラの担当で、怪しい人物が映っていないかどうかを確認する役割だった。目頭を押さえてうなったかと思えば、愛用のアイマスクを装着し、そのまま机に突っ伏してしまった。

 つい数分前にも、陣内は「ちょっと休憩」と言って煙草を吸いに出たばかりだった。才木はため息を吐いた。


「真面目にやってください」

「俺は目がいいから、お前らより疲れやすいの」


 この男に小言が効かないということを、才木も徐々に理解しつつあった。陣内を無視して自身の作業を続けることにした。


「所轄に頼んで、分析結果を横流ししてもらいましょうよ」


という柴原の提案を、綿貫が鼻で笑い飛ばす。


「あの本郷のオッサンが、そう簡単に手柄を渡すわけがないでしょ」

「たしかに、そうっすね」


 それぞれ分担して確認作業を進めていたところ、オフィスのドアが開いた。パソコンの画面と睨み合う部下たちを見渡し、葛城が「お、頑張ってるな」と満足げに頷く。

「頑張ってない人もいますけどね」と綿貫が陣内を一瞥いちべつした。上司が現れても、陣内は机に頭を預けたまま微動だにしない。


「そんなことだろうと思ってたよ」


明らかに怠けている陣内に、葛城は苦笑した。


「だが、みんな喜べ。なつめが帰ってきたぞ」


 葛城の後に続いて、若い男がオフィスに足を踏み入れた。二十代前半の、眼鏡をかけた小柄な男。彼の姿を見た途端、柴原が歓喜の声をあげた。綿貫の表情もどこかほっとしたように、やや喜色を帯びている。この棗という若者が同僚から頼りにされている存在だということは、彼らの反応を見ればわかった。


「才木、紹介しよう。彼は棗依央利いおり。うちの課の情報分析官だ」


 よろしくお願いします、と棗に頭を下げられ、才木も名乗った。

 棗は誰も座っていない奥のデスクに着いた。そこが彼の席らしい。机の上に設置されているパソコンは、他のメンバーのものと比べて凝っていた。ディスプレイの数も多い。

 キーボードを叩き、棗はさっそく作業を進めた。


「映像から取り込んだナンバーを登録者と照会してリストを作っておきます。ついでに、全映像を顔認識ソフトにかけて、前科のある人間も割り出しますね」

「もっと早く呼び戻してくれたらよかったのに」柴原が口をとがらせた。「二日も無駄にしちゃったじゃないすか」

「仕方ないだろう。本家が追ってたヤマが、今日やっと解決したんだ」


 葛城の話によると、才木を特捜課に配属させるにあたって、蒲生部長からは代わりに情報官を貸し出すという交換条件を提示されていたらしい。捜査中の事件が解決し、ようやく棗もこの課に戻ってこれたのだという。


「あとは棗に任せて、俺らは現場に出ましょう」


陣内と柴原、そして綿貫の三人が、同時に椅子から立ち上がった。


「いえ」棗が首を振る。

「目視で確認しないといけない作業は、これまで通り続けてください」


 怪しい人物が映っていないかどうか、機械では判断できない部分もある。三人は渋々といった様子で再び椅子に腰を下ろした。

 そのときだった。陣内の端末が振動した。どうやら着信のようだ。画面を一瞥した陣内は「ニコからだ」と呟き、電話に出た。



『――横浜中華街に行け、今すぐ』


 ニコラスは開口一番そう言った。端末の音声出力をスピーカーに切り替え、彼の話に耳を傾けながら、陣内は捜査車両に乗り込んだ。もちろん才木も――陣内の言葉を借りるならカルガモの赤ちゃんのように――先輩の後に続き、助手席に腰を下ろした。

 車を発進させ、横浜方面を目指しながら、陣内は「急にどうしたのよ」と訳を尋ねた。


『有益な情報が入ったんだ。そうっていう郊狼の売人が、どうも怪しいらしい。奴は辻川に馴染なじみの客を取られてねたんでたくせに、三日ほど前から急に機嫌も羽振りもよくなったって、専らのうわさだ』

「三日前といえば、ちょうど辻川が殺された日と重なりますね」

「宋が商売敵の辻川を殺して、奴の顧客を抱き込んだ可能性も考えられるな」


 ニコラスが報告を続ける。


『中華街に、「龍龍ロンロン」っていう雀荘じゃんそうがある。宋の行きつけの店で、毎週水曜は一日中そこで打ってるらしい』


 今日は水曜日だ。タイミングがいい。


「了解」と返し、陣内は内偵をねぎらった。


「お疲れさん、ニコ」


 陣内が車のエンジンをかける。デーゲームのプロ野球中継がラジオから流れた。ちょうど、佐藤という四番バッターがホームランを打ったところで、興奮した実況アナウンサーの声が車内に響き渡った。

 陣内は眉をひそめ、ラジオを消した。柴原とは打って変わって野球に興味がないのか、それとも佐藤という選手が好きではないのか、その判断はつかなかったが、わざわざ尋ねる気は起きなかった。



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