#2 sixth sense-③



 本郷はワゴン車のドアをスライドさせ、開けっ広げにした。後部座席には段ボール箱がいくつか置かれている。中身は袋詰めにされた白い粉や、乾燥させて細かく砕いたハーブ。様々な形の錠剤でいっぱいだ。どうやら、辻川の職業は麻薬の売人らしい。


「まさにヤクの移動販売だな」


 陣内はタブレット端末を取り出し、箱の中にある商品を次々に写真におさめていく。


「コカインにヘロイン、MDMAに覚醒剤。小物の売人とは思えないほど品揃しなぞろえがいい。おまけに、ドープらしき代物まである」


手袋をした手で掴み取り、陣内はそれをじっくりと眺めた。


「……錠剤か。このタイプを扱ってるのは、中南米のカルテルか中華系マフィアだが」

「組織が商品を卸し、それを辻川が客に売りさばいていたんでしょうね。ここが取引場所として使われていたとしたら、辻川がわざわざ監視カメラの死角を狙って駐車していたことも理解できます」


 箱の中には、マネークリップでまとめられた札束も入っていた。おそらく麻薬の売上金だろう。ざっと見て数十万はありそうだ。

 それを見て、「犯人の目的は何なんでしょうか」と、才木は首を捻った。


「研修で習いました。近年、麻薬の売人が殺される事件は、強盗目的であることが最も多いと。我を忘れた薬物中毒者が麻薬欲しさに売人を襲い、現金や商品を奪うこともあるため、現場は荒らされているケースがほとんどだって」

「まあ、そうね」

「ですが、この車の中は整然としています。大量の札束や希少なドープがあるのに、すべて見過ごされている。ということは、犯人の狙いは金でも商品でもなく、縄張り争いや組織絡みの報復行為、もしくは個人的な恨みなどによる犯行の線が強いのでは」

「どうせ、どこかの組織と縄張りでめて、見せしめに殺された、ってところだろう」


 本郷がそう言うと、「それにしては、ずいぶんな素人を寄こしましたね」陣内が鼻で笑った。


「五発も撃って、そのうち二発も急所を外してる。俺が組織の人間だったら、こんな下手くそは雇わないな」


 才木も、今回ばかりは陣内の意見に賛成だった。


「犯人は最初から辻川を殺すつもりではなく、突発的に犯行に及んだのかもしれません」


 言い争っているうちに激高し、衝動的に引き金を引いた。そして、慌てて逃げ去った。――自分に過去をる能力はないが、現場の状況からしてそう考えるのが妥当だと思えた。

 気を悪くしたようで、本郷は見るからに表情を曇らせていた。


「……俺、なにかまずいこと言いました?」


心配になり、陣内に耳打ちする。

陣内はにやにやと笑いながら、小声で返した。


「ヤクの売人ひとり殺されただけの事件に手間を取られたくない、ってのが捜査課の本音なのよ。組織間の抗争だったら、組織犯罪対策課に丸投げできるだろ? だけど、売人個人の問題となったら話は別だ。辻川の家族から恋人、友人知人を徹底的に洗わないといけなくなる」

「そんな……」


要するに、本郷はこの事件を軽く扱っているということだ。あきれてしまう。


「被害者が売人とはいえ、殺人は殺人です。手を抜いていいわけじゃないのに」

「目に浮かぶねえ、多忙極まる警察が仕事を押し付け合う姿が」


しばらくして、「鑑識の報告書は、あとで課長さん宛てに送っておく」本郷はそれだけ言い残し、規制線の外へと出ていった。



 一通りの現場検証を終え、才木と陣内は一度オフィスに戻った。課長をはじめ、特捜課の人間は全員出払っているようで、部屋の中は無人だった。陣内と二人きりの空間に若干の居心地の悪さを覚えながら、昼食を済ませる。今日もコンビニのパンだ。出勤途中に買っておいた。

 陣内は隣の席でカップ麺を平らげている。ずるずると麺をすする音に混じって、「――変だと思わねえ?」という陣内の声が聞こえてきた。

 唐突な言葉に、「なにがですか」と才木は眉間にしわを寄せた。


「被害者の所持品。財布と鍵と煙草だけって」

「身軽な方がいいんじゃないですか。売人なんですし」

「顧客と連絡取るとき、どうすんのよ」

「……あ」


陣内の意図に、才木はようやく気付いた。


「お前の第六感ってやつ、ちょっと鈍いんじゃないの?」


 陣内の嫌味に返す言葉がなかった。どうしてすぐに思い至らなかったのだろう。被害者は、誰もが必ず身に着けているだろうものを所持していなかった。――携帯端末だ。今時、ありえないことである。特に辻川のような犯罪者であれば、プリペイド式で足のつかない端末の一台や二台、常に持ち歩いているものだろう。


「犯人が持ち去った、ということでしょうか?」


陣内は「さあなぁ」と気のない返事を寄こした。


「お前の能力で、そこんとこどうにか推理できない?」

「無理ですよ。自由に操れるわけじゃないんですから」


 いずれにしろ、中央署からの報告書や検視結果が上がってくるまでは、なにも動けない。

しばらくして、「――よし、出前でも取るか」と、陣内が唐突に言い出した。


「さっきカップ麺食べてませんでした?」

「出前っていうのは隠語だよ、隠語」


 さっぱり意味がわからなかったが、親切に説明してくれる気はないようだ。きょとんとしている才木を後目しりめに、さっそく陣内は連絡を入れた。電話の相手に、「ちょっと出前頼みたいんだけど」などと話しかけている。

 オフィスのドアをノックする音が聞こえてきたのは、その十数分後のことだった。来たか、とつぶやき、陣内が扉を開けた。


「お待たせしました」


 と中に入ってきたのは、赤い帽子にポロシャツ姿の若者だ。いかにもピザ屋の配達員という装いをしているが、その正体はどうやらただのバイトではないらしい。


「こいつは山田やまだニコラス」と、陣内が紹介した。

特捜課うちで雇ってるエスだ」

「エス……スパイのことですか?」

「そ」


 本名か偽名なのかわからない名前のその男は目深に被った帽子を脱ぎ、「どーも」と笑顔で挨拶した。小麦色の肌に、切れ長な一重の瞳。アジア系のようにも中南米系のようにも見える。混血の移民といった風貌だ。


「ニコは民間の内偵だ。いつもは売人や客になりすまして、アンダーグラウンドな現場を出入りしてる。麻薬取引に関する情報を集めて、麻取に提供してくれんのよ」


と陣内は説明した。

たしかに、金髪頭で右耳には大量のピアスという柄の悪い雰囲気は、裏社会に溶け込むには十分過ぎるくらいだが、彼の見てくれは単なる役作りというわけでもないらしい。自身の経歴について、ニコラスは開けっ広げに説明してくれた。


「仕入れたモリーにケタミン混ぜて売り捌いてたら、嵩増かさまししてることが客にバレちまってさぁ。そいつが逆恨みして、俺のこと麻取にタレ込みやがったんだ。三年前ここの課長さんにパクられたときに、一緒に働かないかって誘われて、それ以来ずっと麻取の犬やってる」

「まあ、別に珍しい話じゃない。売人をスパイとして仲間に引き込むってのは、麻取の常套じょうとう手段だからな」


 陣内がニコラスを呼び出したのは、事件の手掛かりを探るためである。自己紹介が済んだところで、


「この男、知ってる?」


 タブレット端末を取り出し、ニコラスに画面を向けた。殺人現場に転がる死体の顔写真を見るや否や、彼は「あー、辻川だろ。知ってる知ってる」と頷いた。


「こいつ、ティグレスの売人なんだよ」

「ティグレス?」才木は尋ねた。

「ロス・ティグレス。中南米系カルテルが数年前に日本に送り込んできた犯罪部隊だ。かなり過激で武闘派なタチで、市街戦が大好きでさぁ。街中で派手にドンパチやってるのは、だいたいこいつらの仕業」


 ニコラスは才木のデスクの上に腰を下ろし、話を続けた。


「この界隈かいわいじゃ有名だぜ。誰もがこいつの後釜を狙ってるからなぁ」

「後釜? そんなに儲けてたの?」

「辻川は大口の顧客ばかりを抱えてたらしい。政界財界の大物とか、芸能人とか、スポーツ選手とか、とにかく客の羽振りがいいんだ。だから、奴の顧客名簿を狙ってる連中は大勢いた」


 辻川を殺した犯人の狙いが顧客の情報目当てだったとしたら、携帯端末が紛失していることの説明はつく。


「特に怪しい奴はいるか?」

「そうだなぁ」と、ニコラスが首を捻る。

郊狼ジャオランかな。辻川は最近、横浜のVIP客にも手を広げていたから、連中に目を付けられてたし」

「ジャオラン?」

「郊狼ってのは、主に横浜を縄張りにしてる中華系マフィアのことで――」そこで言葉を区切ると、ニコラスは陣内に笑いかけた。「この新人、なんも知らねえのな」

「昨日入ったばっかのひよっこなのよ」


陣内も一笑し、告げる。


「ニコ、悪いけど郊狼周辺を探ってみてくれない? 辻川殺害に関係しそうな情報があったら、すぐ連絡して」

「オーケイ」と短く返して帽子を被り直すと、ピザ屋に扮したスパイは軽い足取りでオフィスを出ていった。



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