#2 sixth sense-②


 ビルの屋上で、びたベンチに並んで腰を下ろした。今日も晴れていて、日差しが心地いい。差し出された缶コーヒーを受け取り、タブに爪を引っ掛けたところで、「腕の具合はどうだ?」と、葛城が尋ねた。


「問題ありません。かすっただけなので」

「配属初日から大変だったな」

「ええ、まあ」

「どうだ、陣内とはやっていけそうか?」


 はい、とは言えなかった。


「どうでしょうかね」才木は苦笑した。


「負傷した後輩を置いてひとりで帰ってしまうような人と、うまくやっていけるかどうかと言われたら、正直自信ないです」


 本音を言えば、今すぐ教育係を代えてほしいところだ。


「そりゃそうだ。とんだ洗礼だったな」


 葛城は声をあげて笑った。笑いごとではないのだが、と才木は心の中で呟く。


「まあ、陣内も根は悪いやつじゃないんだ。最初に過酷な場面を経験させてやろうっていう、あいつなりの親心なんだろう」


 それは買いかぶりすぎではないだろうか、と才木は心の中で首をひねった。昨日の言動はどう好意的に捉えても、新人を育てようという先輩の態度ではなかった。


「新人に通り魔の相手をさせるなんて、信じられません。今回は運が良かっただけで、下手したら人質が死んでいた」


 昨日を振り返るだけでぞっとしてしまう。興奮もあり、昨夜はあまり眠れなかった。


「そうはならない自信があったから、陣内はお前に行かせたんだ。あいつは不真面目だが、仕事ぶりは申し分ない。射撃の腕もいいしな」


 射撃――その言葉に、才木は思い出した。


「……あの人、銃弾をけてました」


 犯人から陣内までの距離は二メートルもなかった。すぐ目の前で発砲されても、弾は陣内に当たらなかった。ほんの一瞬のことではっきりとは見えなかったが、弾丸を避けたとしか考えられない。


「あれが陣内さんの能力なんですか?」


そうだ、と葛城は頷く。


「あいつはな、目がいいんだ」

「ドープの影響が視力に出ている、ということですか?」

「そう。あいつはな、スコープなしで遠方の対象を狙撃できるほどの、超人的な視力を持っている。射撃の腕前はチーム随一だ。おまけに、集中すれば銃弾のような素早い動体でも見切ることができるから、戦闘にもけているんだ。その評判は他の捜査機関の間でもお墨付きでな、昨日のように人手不足の警視庁に駆り出されることも少なくない。まあ、外注の傭兵ようへいとして体よく使われているだけとも言えるが」

「慣れてるんですね、ああいう事件に」


 犯人を射殺しても、陣内は顔色ひとつ変えていなかった。むしろ、恐ろしいほどに冷静に引き金を引いていた。ただ害虫を一匹駆除しただけ、そんな表情だった。今まで何人殺してきたのだろうか。


「君もそのうち慣れるさ」


 果たしてそれは良いことなのだろうか。才木は心の中で首を捻った。

 陣内に限ったことではないが、昨今の日本は凶悪犯を躊躇ためらいなく射殺するようになった。先刻の報道番組は渋谷の商業施設に立て籠もった集団テロの話題で持ち切りだったが、銃の乱射により死傷者は二十五名にも上り、実行犯三名は即座に射殺されたという。

 たった三人が犠牲になった通り魔事件については、あまり触れられていなかった。些細ささいなことだと言わんばかりの扱いだった。薬物中毒者が事件を起こすことに対して、世間が慣れきってしまっていた。それだけ、今の日本は麻薬に毒されている。


――陣内の言う通り、いちいち中毒者に同情している場合ではないのだろうか。


 危険を伴う任務に、一筋縄ではいかない不真面目な先輩。幸先がいいとは言えないスタートも相まって、これからやっていけるかどうか、自信を喪失しかけている自分がいる。

 そのとき、葛城の端末に着信があった。なにか事件があったようで、電話に出た葛城の顔つきが締まった。話を終えてから、彼は才木に命じた。


「薬物絡みの殺人があった。陣内を呼び戻せ」



 葛城によると、新宿中央署の管轄内で殺人事件が発生したとのことだった。どこへ遊びに行っていたのかは知らないが、陣内はすぐに呼び出しに応じ、オフィスに戻ってきた。殺人現場は、ここから然程さほど遠くはない位置にある立体駐車場。陣内と才木はすぐに現場へと向かった。

 覆面の捜査車両の助手席に乗り込むと、


「銃は持ってるな?」と、運転席の陣内が声をかけてきた。


昨日支給されたベレッタは、今も脇のホルスターの中にしまってある。才木は頷いた。


「はい」

「常に携帯しとけよ」

「ただの現場検証なのに、どうして拳銃が必要なんですか?」


すると、陣内は露骨にため息を吐いた。


「俺ら特捜課は前線に出ることが多いから、犯罪組織の恨みを買いやすいのよ。前に、休暇中の取締官が家族と公園で遊んでたところをマフィアの下っ端に襲われて、家族全員殺されるって事件があった。取締官はもちろん、一緒にいた四歳の娘にもライフル弾が五発ぶち込まれてた。それ以来、俺らは常に拳銃を携帯する決まりになったの」


 言葉がなかった。麻薬を扱う組織には海外から流れ込んできたものが多く、過激で冷酷な性格を持ち合わせている。取り締まりの腹いせに捜査員と家族を皆殺しにすることなど、十分にあり得る話だった。


「必ず身に着けとけ。非番の日もな」

「はい」


 頷くしかない。今、こうして移動している瞬間でさえ危険が付きまとうのだということを、才木は肝に銘じた。

 そうこうしているうちに、現場に到着した。立体駐車場の地下フロア――その一角に規制線が敷かれている。黄色いテープで囲まれた先には、一台の白いワゴン車があった。ちょうど中央署が現場検証中のようだ。数字やアルファベットが記された黒い札が至る所に置かれていて、鑑識がせわしなく写真を撮っている。まるで刑事ドラマのワンシーンのような光景を前に、自然と緊張が高まる。


「麻取か」


 中年の刑事が、陣内に気付いて声をかけてきた。


「どうも、本郷ほんごうさん」と、陣内が頭を下げている。顔見知りらしい。

本郷と呼ばれたその男は、新宿中央署の強行犯係の係長だと名乗った。中央署は犯罪件数の上昇に伴い令和になってから新設された所轄で、その土地柄、薬物絡みの事件を扱うことが多い。麻取と顔を合わせる機会も少なくないのだろう。

 鑑識が作業を終えるのを見届けてから、陣内はテープをくぐり、現場に足を踏み入れた。才木もそれに倣う。

 本郷はワゴン車のそばに転がっている死体を顎で差した。


「銃殺だ。正面から撃たれてる」


 この国における銃殺事件は、今や別段珍しいものではなくなった。年号が変わって以降、経済の低迷による失業率の上昇や不法入国者の激増などによって治安が急激に悪化し、ドラッグと同様、武器の密輸や密造も急増している。


「三発は胸に当たって、もう一発は腕、もう一発はあそこだ」


 本郷が背後の壁を指差した。打ちっ放しのコンクリートに小さな穴が空いている。辺りに弾や薬莢やっきょうは見当たらない。すでに鑑識が回収したようだ。


「凶器は見つかってない。犯人が持ち去ったようだ。防犯カメラの映像を解析しているところなんだが、ここはちょうどカメラの死角になってるから、期待はできんだろうな」


 死体となった男は、年齢二十代から三十代。頭には黒いキャップ。パーカーにジーンズ姿。あおけに倒れ、胸から血を流している。


「被害者は辻川つじかわ克之かつゆき。財布の中の身分証から氏名が判明した。覚醒剤所持の前科があって、三年前に出所してる」

「財布の他に所持品は?」

「身に着けていたのは、自宅と車の鍵。それから、煙草たばこくらいだな。どれも上着のポケットに入ってた」


そう答えてから、「見てもらいたいものがある」


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