#2 sixth sense-①



「――才木さいきくん、何日もつと思います?」


 最初に言い出したのは、柴原しばはらだった。

 今朝の特捜課のオフィスは、昨日配属されたばかりの新人取締官の話題で盛り上がっている。

「どうだろうね」コーヒーメーカーのボタンを押しながら、綿貫わたぬきが返した。


「前回の子は四十四日で辞めたけど」

「賭ける?」


陣内じんないも雑談に加わる。


「今度の新人が四十五日以上続くかどうか。俺は辞める方に千円」

「私も辞める方に」

「俺も」

「それじゃ賭けにならねえよ」

「……そういう話は、せめて俺のいないところでやってもらえませんか?」


 デスクの上に千円札を積み重ねていく先輩たちをにらみつけながら、才木は口を開いた。朝っぱらから自分をダシにして盛り上がっている姿は気分がいいものとはいえない。新手の嫌がらせだろうかと疑ってしまう。


「お前は? どっちに賭ける?」と、陣内が尋ねた。

「……え? 俺も賭けるんですか?」

「おう」


 すでに辞めたくなっていることは否めない。配属早々に銃で撃たれて負傷。二日目には賭けの対象にされている。こんな同僚たちとこんな危険な仕事を続けていけるかどうか、正直なところ自信はなかった。

 だからといって、このまま見くびられたままでいるのもしゃくである。才木は財布の中から万札を取り出し、デスクの上にたたきつけた。


「辞めない方に」

「うわ!」と、柴原が目を丸める。

「一万円!」

「大きく出たね」


万札をつかみ、陣内が声を弾ませる。


「よっしゃ、この金で今夜パーッと飲み行こうぜ」

「まだ辞めてないんですけど!」


 声を張りあげた直後、オフィスのドアが開いた。現れたのは課長の葛城かつらぎだった。


「公僕が職務中に賭け事とは、感心しないな」

「課長もどうです? 今ならひとり二千五百円のもうけになりますよ」

「だから辞めませんって!」

「新人を変な遊びに巻き込むなよ、陣内」


 葛城は苦笑をこぼした。


「それと、お前またカウンセリングをサボっただろ。先生が怒ってたぞ」


 陣内は露骨に面倒くさそうな顔をした。


「別に平気ですって。ジャンキーひとり殺したくらいじゃ、病みませんよ」

「それは専門家が判断することだ。現場で人の命を奪ったら、必ずカウンセリングを受ける。規則は守れ」


 陣内は「はいはい、明日行きます」と気のない返事をすると、だるそうに椅子から立ち上がった。猫背で歩きながら、オフィスのドアへと向かう。外出するようだ。才木は慌てて後を追いかけた。


「どこに行くんですか」

「便所だよ、便所」


 うっとうしい、と言わんばかりの顔で陣内が答えた。


「そんなにつきまとうなっての。お前はカルガモの赤ちゃんか」


 しっし、とてのひらで追い払うと、陣内はそのまま才木を置いて出ていった。

 目の前で扉をぴしゃりと閉められ、数秒置いてから、才木ははっと気付いた。トイレはオフィスの中にある。うそかれたことを察し、すぐさまドアを開けたが、すでに廊下に陣内の姿はなかった。まんまとかれたようだ。

 あのおっさんめ、と内心腹を立てていると、「ただのサボりだから」椅子をくるりと回転させ、マグカップを片手に綿貫が振り返った。


「ほっといていいよ」

「陣内さんって、いつもあんな感じなんですか?」

「だいたい居眠りしてるか、ふらっとどっか行っちゃうね」


 そうそう、と柴原が椅子の背にもたれかかりながらうなずく。


「どうせまたパチンコでしょ」

「公務員が昼間っからパチンコって……」


 話を聞いただけで頭が痛くなってくる。


「税金泥棒のお手本みたいな人ですね」


 わからなかった。課長はどうしてあんな男を自分の教育係に指名したのだろうか。

 教育が必要なのは、むしろ陣内の方ではないか。

 納得のいかない気分のまま、才木はデスクに戻った。


「一試合で四本って、すげえなぁ」


 不意に、柴原が興奮気味に言った。彼は備え付けのテレビでニュース番組を眺めていた。何のことかと思ったが、どうやらプロ野球の話らしい。昨夜の試合で、ある選手が四本ものホームランを打ったという。喜色をにじませながら、キャスターが原稿を読み上げている。


「柴原さん、野球好きなんですか?」


 尋ねると、柴原は目を輝かせた。


「俺、野球部だったから。小中高ずっと野球やってた」


 四番でエースだった、と自慢されたが、野球に疎い才木にはいまいちそのすごさが伝わらなかった。


「俺さ、この選手のファンなんだ。知ってる? 佐藤さとう俊也しゅんや

「名前は聞いたことあります。有名ですよね」

「そう、すごい選手なんだよ。ベテランになっても全然衰えない。子どもの頃に球場でサインもらってから、ずっと応援してんだ」


 その番組では、全国各地のニュースが報じられていた。爆破予告がただの悪戯いたずらと判明した、マンションの六階から転落した子どもが車の屋根の上に落ちて助かった、高校生が川で溺れている犬を助けた――明るい話題といえば数えるほどしかなかった。その他は犯罪の報道ばかりだ。昨日だけでも、日本中で様々な凶悪事件が起こっていた。殺人、暴行、強盗――ずらりと並ぶ見出しを眺めているだけで気が滅入めいってくる。本日のメイントピックは渋谷で起こった集団テロ事件のようだ。

 才木はテレビから目をらし、パソコンと向かい合った。

 しばらくして、


『――次です。昨夜、都内に住む浪人生の男が、通行人に切りかかる事件が発生しました』


 聞こえてきたその一言に、才木は思わず顔を上げた。再びテレビを見遣みやる。薬物中毒者が三名殺害、というようなテロップが表示されている。才木の初めての現場となった、あの事件だ。


『犯人はその後、捜査員によって射殺されました』


 キャスターが淡々とした口調で告げた。

 テレビを見つめていると、


「――才木、少し話せるか?」


 と、葛城が声をかけてきた。親指で扉を指している。場所を変えて面談しよう、ということらしい。了承の返事をして、才木は彼の後に続いた。

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