#1 doper-⑦
予想もしない陣内の言葉に、才木は「え?」と口を開けたまま固まってしまった。
「
たしかに研修は受けた。薬物中毒者と心を通わせるためにはどうすればいいか、そのノウハウは習った。だからといって、配属初日の新人にこんな場面を任せようなんて正気の沙汰ではない。なにを考えているのだろうか、この男は。
「ほら、行ってこい」と、陣内は
陣内の無責任さに
「こういうのは、場数を踏んでいる人間の方が適任ではないでしょうか」
「自分はやりたくないから、俺にやれって? いやいや、それは虫が良すぎるでしょ」
才木はむっとした。
「新人に任せていい状況ではないと言ってるんです」
「まあまあ、誰でも最初は初めてだからさ。こういうときに経験積んどかねえとな。もっと大変な現場なんて、これからいくらでもあるんだし」
――これ以上に大変な現場があるというのか。
「なあ」と陣内は戸倉に声をかけた。
「こいつに説得やらせていい? どうせ誰がやっても同じだろうし」
止めてくれ、という才木の願いは届かなかった。陣内の言葉に、戸倉は渋々頷いた。
「万が一のことがあったときは、
「おう」陣内は胸を張って頷く。
「責任は、うちの課長が取る」
「そこは格好よく、俺が取る、って言えよ」
「やだよ、俺クビになりたくねえもん」
俺だって嫌だ、と思った。
初日からしくじって左遷、なんてこともあり得る。むしろ、陣内はそれが狙いなのではなかろうか、と邪推してしまった。新人を厄介払いするために、この状況を利用しているのでは。だとしたら底意地が悪いどころの話ではない。非常識にも程がある。
どうするべきか――一瞬、才木は躊躇った。その顔を見て、陣内が「やめとく?」と挑発的に言う。ここで自分が説得に動かなければ、確実に犯人は射殺されてしまうだろう。更生の機会を与えられることなく、裁判にかけられることもなく、自分が犯したことの重大さを知る前に鉛の弾を浴びて処刑されてしまうのだ。それでいいとは、才木には思えなかった。
ふと、嫌な予感がした。これは能力のせいだ。いつものように、ザッピング状態の映像が頭に浮かぶ。――警察の特殊部隊が到着する。それに気付いた犯人がパニックになり、銃を乱射。人質を射殺する。そんな映像だった。SITの到着がいつになるのかはわからないが、事は一刻を争うことに変わりない。悠長に悩んでいる暇はなかった。
才木は覚悟を決めた。
「やります」
意を決して店の中へと向かう。自動ドアが開いた瞬間、レジの前にいる犯人がぎょっとした表情を浮かべ、人質ごとこちらに向き直った。極力刺激しないように、刺激しないように、と才木は
「吉岡さん、はじめまして。僕は才木といいます。警察じゃないから安心して」
一歩ずつゆっくりと歩み寄る才木に、犯人は「来るな」と大声で拒絶した。リボルバーの銃口を人質の頭から離し、才木へと向ける。
才木はすぐに動きを止めた。店に入って三、四歩――コーヒーサービス付近で立ち止まる。
「わかった、これ以上は近付かないから、落ち着いて」才木は両手を上げた。
「あなたを助けにきた。薬のせいで苦しんで――」
最後まで言わせてもらえなかった。
「知ってるぞ! お前もあいつらの仲間なんだろ!」と男が怒鳴り散らす。
「いや、ちが――」
「俺の体の中に盗聴器仕込んだのも、お前らの仕業だって知ってるぞ!」
男は
――駄目だ、話が通じない。
どうせ誰がやっても同じ、という投げやりとも取れる陣内の言葉を思い出した。その通りだと今更になって気付く。症状が酷く、そもそも会話が成立しないのだから、交渉なんて無理な話なのだ。
「お前らの電波妨害のせいで、俺は受験に落ちたんだ! 殺してやる! お前ら全員殺してやる!」
殺してやる、と何度も叫びながら、犯人が引き金を引いた。リボルバーから銃弾が飛び出す。背後の自動ドアに直撃し、ガラスの砕ける音が響いた。
犯人が撃鉄を弄っている間に、才木は動いた。冷凍食品とインスタント食品の棚の間に、転がるようにして身を滑り込ませる。次の弾は才木の左腕に当たった。シャツの袖が赤く
標的を見失い、一瞬だけ犯人の動きが止まった。才木はすぐに棚の間から飛び出し、レジの前にいる犯人に距離を詰めた。拳銃を握る相手の掌を掴み、人質の店員に向かって「逃げろ!」と叫ぶ。犯人は腕にしがみつく才木を勢いよく振り払った。才木の体は
店員は腰を抜かしているようで、床を
五十キロはあるだろう成人女性の体が宙を舞う。
なんて怪力だ――初めて
だが、驚いている場合ではない。飛んできた女性の体を、才木は両手を広げて受け止めた。下敷きになり、身を
「大丈夫ですか」
返事はない。才木の声は届いていなかった。なにが起こったのか、理解が追い付いていないようだ。
「逃げて、早く!」
店員に向かって声を張りあげるも、彼女は恐怖で動けずにいた。
犯人が拳銃を拾い、再び構えた。
「死ね!」
醜い形相で叫び、犯人が引き金に指をかける。確実に当たる距離だ。才木はとっさに女性に覆いかぶさり、盾になった。
配属初日に殉職なんて、洒落にならない。
才木が強く目をつぶった、そのときだった。割れた店の自動ドアが開き、緊迫した状況にそぐわない暢気な入店音が鳴り響いた。
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