#1 doper-⑤



 一階の駐車場には様々な車が並んでいた。その中のセダン二台とワゴン一台は特捜課の所有物らしい。陣内はセダンに乗り込んだ。才木が助手席に座るや否や、もたもたするなと言わんばかりにアクセルを踏む。急に車が発進し、才木は慌ててドアを閉めた。

 運転席に座る陣内は見るからに不機嫌そうだった。新人のお守を押し付けられたことが余程気に食わないらしく、心なしか口数が少なくなったように感じる。――といっても先程会ったばかりなので、彼が普段どれだけおしゃべりな人間なのかは知らないのだが、さすがにちょっとはコミュニケーションを取ってくれてもいいだろうにと才木は思った。陣内は先程からずっとむすっとしていて、急いでいるせいか苛立いらだちのせいか運転も荒い。アクセルを踏み込み、高速道路で次から次に前の車を抜き去っていく先輩に、才木は生きた心地がしなかった。

 これから現場に向かうと言われただけで、場所はどこなのか、どんな事件が起こったのかは一切教えてもらえなかった。前情報なしに事件現場に赴くわけにはいかない。

 我慢できず、あの、と才木は口を開いた。


「どんな事件なんですか?」

「通り魔」

「被害は?」

「死傷者は今のところ三人。犯人は人質を取って、コンビニに立て籠もり中」

「どうして通り魔事件に、麻取が?」


 陣内は前を向いたまま眉間にしわを寄せた。


「質問が多いなぁ。ガキみたいに何でも訊いてくんな」

「わからないことは何でも陣内さんに訊けって、課長に言われてますので」

「……勘弁してくれ」


苛々した声色で吐き捨て、陣内はぼさぼさの頭をきむしった。


「特捜課が呼ばれるってことはな、犯人はドープ中毒者かもしれないってこと」

 

 面倒くさそうに答えてから、横目で才木をにらむ。


「……まさか、『ドープって何ですか?』とか言わねえよな?」

「それはさすがに知ってます。研修で習いましたから」

「へえ」


小馬鹿にしたような声色で陣内が言う。


「説明してみ?」

「ドープというのは、海外から流入した新種のドラッグのことで、元は医療用や軍事用に開発された麻薬の一種です。脳の働きを急激に活性化させ、その名の通りドーピングしたかのように一時的に運動能力や精神力、感性などを高める作用を持っています」


 現存のどの薬物にも分類できない、突如現れたまったく新しいタイプの麻薬――それがドープである。その効力は人並外れていて、アメリカではドープ一錠を服用した一般人がプロの格闘家を病院送りにした事例もあるという。


「今回の犯人は」陣内が話を戻した。


「取り押さえようとした三人の警官を、軽々とけちまったらしい。だから、ドープをキメてる可能性が高い」


 成人男性三人の制止を振り切るほどの力。ドープを服用すれば、それが容易に手に入ってしまう。

 この薬はドラッグ特有の全能感や多幸感を高める効果も持ち合わせているため、依存性も強い。高価で希少な代物にもかかわらず、闇市場での流通が最初に確認された2020年以降、常習者は年々増え続けていた。


「それじゃ、問題」研修の成果を試すかのように、陣内が質問を投げかける。


「ドープの最大の特徴は?」


 ドープの特徴はドーピング的な作用だけではない。他の薬物では考えられない特異な効果を持ち合わせている。


「ごくまれなケースですが、ドープを服用すると、個人の体質によっては眠っていた力が覚醒し、特殊な能力が使えるようになります」


 ドープ中毒者のうちの約1パーセントに能力が発現した、という海外の研究結果も存在している。それゆえに、快楽ではなく、特殊な力を求めてドープを服用する者も少なくなかった。


「ドープによって能力が覚醒したやつのことを、当局は何と呼んでいる?」


「ドーパー」答えてから、さらに付け加える。


「厳密には、先天性ドーパーと後天性ドーパーとに分けられます。前者はドープ中毒者もしくはドーパーの近親者を持ち、能力が遺伝した者のことで、珍しいタイプ。後者はドープを服用して能力に目覚めた者のことで、近年は乱用者の急増に伴い増加傾向にあります」


 才木の回答は陣内を満足させたようだ。彼はそれ以上なにも言わなかった。

 今度は才木が質問する。


「特捜課の人間は、全員がドーパーなんですよね?」

「まあね」


 ドープは主に人間の五感や運動神経を最大限に高めると言われており、人それぞれ受ける影響は違う。綿貫のように超人的なまでに筋力が強化されることもあれば、柴原のように動物並みの嗅覚を覚醒させることもある。才木のように第六感に働きかけることは、中でも特に稀だった。


「今回の犯人も、ドーパーなのでしょうか?」

「さあ、犯人に訊いて」


と、陣内は投げやりに返した。


「ドープを服用して一時的なドーピング状態になっているのか、ドーパーとして能力が覚醒しているのかはわからん。まあ、いずれにしろ警察の手には負えないから、同じドーパーである特捜課の出番ってわけ」


 陣内が運転する捜査車両は高速道路を降り、国道に入った。片側一車線の道路。しばらく進んだところで、交差点が見えてきた。


「うちに配属されたってことは、お前もそうなんだろ?」


 陣内が尋ねた。

 特捜課は能力者――つまり、ドーパーの集まりだと葛城は言っていた。そこに呼ばれた自分も例外ではない。


「はい」

「先天性だよな?」

「もちろんです」


 当然、才木は一度も薬物を使ったことはない。それでもドープの能力を有している理由は、薬物中毒者の母親にある。


「お前、どんな能力持ってんの?」


 陣内がウィンカーを出した瞬間、タイミングよく才木の能力が発動した。今日はこれで二度目だ。映像が、強制的に頭の中に流れ込んでくる。ハンドルを切り、左折する陣内。その先に見える車の長い列。事故車両と交通整備をする警察官――ザッピングのように次から次へと切り替わる、モノクロの光景。


「――直進してください」


 無意識のうちに、才木はそう口にしていた。


「あ?」

「いいから、このまま真っすぐ進んでください」

「なに言ってんだ。ここ左折した方が近道だぞ」

「たぶん、渋滞に引っかかります」


「はあ?」と陣内が声をあげたのとハンドルを左に切ったのは、ほぼ同時だった。曲がった先、その数十メートル向こうまで車が長蛇の列を成している。やはり接触事故があったようで、警察車両も出張っていた。陣内は「マジかよ」と呟くと、強引にUターンして元のルートに戻った。


「……お前の能力って、道路交通情報を先読みできんの? 厚労省うちじゃなくて、国土交通省入ればよかったのに」

「違いますよ」


そんな突飛な能力、聞いたことがない。才木は首を振った。


「うまく説明できないんですが、第六感というか、虫の知らせというか、そういうものが映像として見えるって感じで」


「……虫の知らせ、ねぇ」と、陣内は半信半疑の反応を見せた。


「その話が本当なら、うらやましい能力だな。お前をカジノに連れて行きてえわ」


 冗談なのか本気なのかわからない一言だったが、才木は本気と捉えて返すことにした。


「自由に能力を操れるわけじゃないんで、俺を連れて行っても役に立ちませんよ」

「宝くじだったら当てられんじゃね?」


――この男、ギャンブルが好きなのか?


 先輩のパーソナリティが少しずつつかめてきたような気がする。勤務態度は不真面目。面倒くさがり屋。見た目に無頓着。おまけに賭博癖有りの可能性大。これでよく麻薬取締官が務まるな、とつくづく思う。


「無理です。未来予知とは違うんで」

「渋滞は読めるのに?」

「さっきは、左折しようとする直前で嫌な予感がしたんです。俺にわかるのは、『左折すると良くないことが起こる』ってことだけで。その原因を脳が勝手に推測した映像が見えてる、ってだけなんです。左折した先で渋滞に巻き込まれるのか、もしくは自分が事故に遭うのか、人をいてしまうのか、正しい結末までは保証できない。今回はたまたま当たりましたけど、結局は、ただの勘に過ぎません」


へえ、と陣内はたいして興味もなさそうな声色で返した。


「面倒くせえ能力」


その言葉には同意するが、そういう陣内はどういう力を持っているのだろうか。まだ聞いていなかった。

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