#1 doper-④


 次に案内されたのは三階のトレーニングルーム。部屋の中には様々な器具が並んでいる。最新型の自走式ランニングマシンをはじめ、ハーフラック、スミスマシン、ベンチプレスなど、スポーツジム顔負けの品揃しなぞろえだ。奥には格闘技用のリングやサンドバッグまで設置されている。

 ちょうど一人の女性が、ベンチプレス台でトレーニングをしている最中だった。長い黒髪をひとつに結んでいる。タンクトップ姿で、き出しになった両腕は女性とは思えないほど引き締まっていた。おまけに、とんでもない重量のバーベルを軽々と上げ下げしている。見たところ負荷八十キロはゆうに超えているだろう。なんて力だ、と才木は目を見張った。


綿貫わたぬきくん」


 葛城が名前を呼ぶと、彼女は動きを止めた。片手で軽々とバーベルを置き、こちらに向き直った。


「おはようございます、課長」

「紹介するよ。今日からうちの課に配属された才木だ」


 才木が頭を下げると、彼女は「よろしく」と短く返した。あまり愛想のいいタイプではなさそうだ。


「彼女は綿貫ひかる。うちのチームの中でいちばん腕っぷしが強い」


 でしょうね、と才木は心の中で呟いた。正直なところ、男の自分でもあのバーベルを持ち上げられる自信はない。努力だけで到達するには厳しい領域にあるその筋力に、才木は驚きを抱くと同時に、先刻の葛城の言葉を思い出した。チーム全員が特殊な力を持っている――彼女の能力は、その腕っぷしの強さが関係しているのかもしれない。

 トレーニングルームの奥にはシャワー室がある、と説明された。泊まり込みの際に皆よく利用しているそうだ。一通り三階を案内してもらってから、葛城と才木は二階に移動した。

 二階はオフィスだ。ドアを開けて中へ入ると、まさに事務所らしい匂いが鼻をかすめた。


「ここが我々の職場だ」


 建物の外観は古いが、オフィス内は現代的な雰囲気だった。黒を基調としたシックな内装。壁のひとつが大きな液晶画面になっていて、それと向かい合うように、いくつかのデスクが置かれている。その中のひとつに腰かけている若い男が、こちらに気付いて顔を上げた。


「おはようございます、課長」


興味津々といった声色で、彼は尋ねた。


「あ、そっちが噂の新人くんっすか?」


葛城が頷く。


「才木だ。仲良くしてやれよ」


男は席を立ち、才木の方へ距離を詰めてきた。


「俺、柴原拓海しばはらたくみっす」

「才木優人です。よろしくお願いします」


砕けた態度の先輩に頭を下げる。自己紹介を済ませた直後、「もしかして、才木くん」柴原は才木の体に顔を寄せ、鼻をひくつかせた。


「今朝、カレー食べてきた?」


まさか初対面の人間にいきなり匂いを嗅がれるとは思わなかった。突然の奇行に戸惑いながらも、才木は首を振る。


「カレーというか、カレーパンを」

「あー、カレーパンか、そっちか」


柴原は頭を抱え、悔しそうに言った。


「俺もまだまだっすね」

「……俺、そんなに臭います?」


 しっかりと歯を磨いてきたし、口臭にも気をつけていたつもりだった。不安になっていると、葛城は首を振った。


「気にしなくていい。シバは特別鼻が利くんだ」


 そういう能力だから、と葛城は言う。要するに、人並外れた嗅覚が彼の持つ特殊な力ということだろうか。だったらなおのこと体臭に気を付けなければ、と才木は心に誓った。


「才木は、シバの後ろの席を使ってくれ」

「はい」

「うちの課にはあと二人いるんだが、一人は本部に駆り出されていて。もう一人は――」


葛城が辺りを見回す。


「シバ、あいつはどこだ?」


柴原は肩をすくめた。


「サボりっす。今は仮眠室」


 彼が指差したのは、オフィスの奥にある扉。葛城に案内され、才木は中に入った。そこは簡易ベッドが一台置かれているだけの小部屋だった。

ベッドの上で眠っている男を見て、才木は尋ねた。


「……あの、この人は?」

陣内鉄平じんないてっぺい、君の教育係だ」


 起きろ、と葛城が声をかけると、陣内と呼ばれたその男はぴくりと動いた。


「……あ、おはようございます、課長」


 悪びれる様子は一切なく、陣内は大きな欠伸をこぼした。ゆっくりと上体を起こし、顔を隠していた黒いアイマスクを外す。年齢は三十半ばくらいだろうか。髪はぼさぼさで、無精ひげを生やしている。麻薬取締官というよりドラッグの売人だと紹介された方が、まだ納得がいく小汚さだ。


 ――こんな男が、俺の教育係なのか?


 不安になってしまった。そんな才木の内心を察したようで、葛城がやんわりと注意する。


「陣内、せめて今日くらいはちゃんとしてくれ。新人が配属初日で辞めたらどうしてくれるんだ」


 すると、陣内は耳の穴を小指で穿ほじりながら答えた。

 

「繕ったってしょうがないでしょう。ありのままの俺を見てもらわないと」


 葛城は呆れ顔を浮かべたが、それ以上なにも言わなかった。代わりにため息をひとつき、気を取り直して才木を紹介する。


「今日からうちの配属になった才木だ。お前が面倒見てくれ」


 その言葉に、陣内は表情を変えた。


「えー、俺がぁ?」

「そうだ」

「嫌ですよ。俺、自分の仕事で忙しいですし」

「そういう台詞せりふは忙しそうにしてから言え。ベッドの上で言うな」


 文句を言う陣内を葛城が一蹴する。さすがに言い返せなくなり、陣内は不服そうに頬を膨らませた。

 そのとき、着信音が響いた。葛城の端末だった。懐から取り出し、電話に出る。


「はい、葛城です」


 なにか事件でもあったのだろうか。葛城の表情が引き締まった。

 しばらくして通話を切った葛城が、陣内に向かって命令じる。「陣内、ご指名だ」


「どこから?」

「警視庁から応援要請が入った。すぐに現場に向かってくれ」


陣内は「はいはい」と面倒くさそうに腰を上げた。「才木も連れていけよ」と葛城が念を押すと、あからさまに嫌そうな顔をした。


「俺ひとりで十分ですよ。それに、新人には可哀想かわいそうでしょ、配属早々の現場なんて。初日で辞めたらどうするんすか」

「特捜課の仕事がどんなものか、ありのままを見てもらわないとな」


葛城がにやりと笑う。


「そうだろ、陣内」


言いくるめられた陣内は悔し紛れに舌打ちしてから、「用意を済ませたら駐車場に来い」と才木に向かって吐き捨てた。


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