#1 doper-③



 ニュー西新宿ビルは、今すぐ改名した方がいいのではと思うほど古びた建物だった。おそらく今から四十年ほど前、昭和の末期頃に建てられたものだろう。外装は黒い煉瓦れんがタイル仕立てで一見小洒落こじゃれた雰囲気を醸し出しているが、よく見れば壁のあちこちにひびが走っている。ドアやエレベーターにも汚れが目立ち、かなり年季が入っていることが窺えた。地上四階建て、一階は駐車場で五階は屋上のようだ。

 ガコン、とやけにおお袈裟げさな音を立てるエレベーターに乗り込み、才木は二階を目指した。降りてすぐ目の前の扉には、『㈱鳥飼商事』のプレートが貼り付けてある。インターフォンの類は見当たらない。

 ノックをしようと拳を上げたところで、


「――うちの会社に何か御用ですか?」


 背後から不意を突かれた。

 振り返ると、男が立っていた。年齢は四十前後。長身で肩幅の広い、ラグビーやアメフト経験者のような恵まれた体格をしている。きっちりとネクタイを締めた背広姿ではあるが、かなりの強面こわもてで、どうにもカタギには見えなかった。もしかして鳥飼商事というのは暴力団のフロント企業なのではないかと、才木は内心青ざめた。


「あの、ここへ行くようにと、蒲生がもう部長から言われまして……」


恐々こわごわと説明すると、男は「ああ」と声をあげ、相好を崩した。


「君が才木くんか、今日からうちに配属された」


 正確には転属だが。才木は頷いた。


「はい、才木優人と申します」

「特殊捜査課、課長の葛城かつらぎです。よろしく」


首から下げた社員証には『㈱鳥飼商事 課長 葛城康介こうすけ』とあるが、彼は麻薬取締部の所属だと自称した。


「よろしくお願いします」


 ヤクザじゃなくてよかった、と安堵しながら才木は頭を下げた。麻薬取締官に強面が多いといううわさは、どうやら本当らしい。


「それじゃあ、まずは職場を案内しようか」

「お願いします」


 降りたばかりのエレベーターに乗り込み、葛城とともに四階へ向かう。

 建物のレイアウトは各フロア同様のようで、四階にも扉がひとつだけあり、プレートには『資料室』と書かれていた。「このカードキーですべての部屋に入れるから」と渡されたのは、葛城が下げているものと同じタイプの社員証だった。才木の名前が記されているが、例によって所属は『麻薬取締部』ではなく『㈱鳥飼商事』になっている。

 社員証を首から下げ、才木はひとつ目の疑問を口にした。


「この、鳥飼商事というのは?」

「まあ、情報管理の一環というか。我々は潜入捜査をする機会も多いから、大っぴらに麻薬取締官であることを名乗らない方がいいんだ」


 それで一般企業の名を借りてオフィスを構えているというわけか。身分を偽るなんて、まるで公安みたいだなと才木は思った。


「ここは証拠保管庫だ」


 葛城は入り口のセンサーに社員証をかざし、資料室のドアを開けた。彼に続き、才木も部屋に入る。中にはスチール製の棚が並んでいて、段ボールが所狭しと詰め込まれていた。箱の中身は捜査資料らしき紙の束。一見、たしかに普通の資料室のようだが、保管されているのはそれだけではなかった。白い粉末や怪しげな錠剤、明らかに違法だと思われる乾燥した植物の粉末も見られる。どうやらここに犯罪者から押収した薬物を一時的に保管しているようだ。

 部屋のさらに奥には鉄製の扉があった。開けるにはカードキーだけでなく、暗証番号も必要らしい。かなり厳重に施錠されているその小部屋を見せてもらった才木は、中の光景に思わず息をんだ。拳銃にライフル、ショットガン、防弾ベストやヘルメット――ありとあらゆる武器や武装具が並んでいる。


「これも押収物ですか?」

「いや、これはうちの私物」


葛城はその中から自動拳銃をひとつ手に取り、才木に渡した。


「これが君の銃だ。使い方は研修で習ったな?」

「はい」


 ベレッタ社の自動拳銃――その黒い塊の重みに、麻薬取締官となった実感がようやく湧いてきた。とはいえ、に落ちないこともある。麻薬取締官は拳銃の携帯が認められているが、それは危険な任務に赴く場合の話だ。

「ですが」と、才木は二つ目の疑問を投げかけた。


「今、拳銃を携帯する必要はないのでは?」

「うちは麻取の中でも、ちょっと特殊な部署でね。常日頃から携帯する規則になっているんだ」

「特殊捜査課って、普通の捜査課とどう違うんですか?」


三つ目の疑問。

訊くタイミングを逃していたが、これが最も気になっていたことだ。


「端的に言えば、常に最前線で戦う兵隊ってところだな。警察の機動隊や奇襲部隊を足して割ったようなものだと考えてもらえればいい。法律が変わってからは、麻取が麻薬絡みの事件に関して強い捜査権限を持てるようになってね。それで、より捜査に特化したこの特殊捜査課が設立されたんだよ。うちはドープ絡みの事件や、過激な麻薬組織犯罪を捜査することも多い。必然的に危険が伴うが、その分やりがいもあるだろう」


 そんな精鋭チームに、自分のような新人が名を連ねていいものだろうか。そもそもなぜ自分が選ばれたのかわからなかったが、葛城の次の言葉を聞いて、ようやくその訳を知った。


「うちのチームは、全員が特殊な力を持っている。君と同じように」


 大々的に知られてはいないが、この世の中にはある要因によって特殊な能力を得た人間が存在している。才木もその中の一人だった。能力者の存在はかなり珍しく、日本において確認されているのは今のところ百人にも満たないと言われている。研修中の面談で自分の不思議な力について打ち明けた数日後、才木はこの課への配属が決まった。


「君が面白い能力を持っているって聞いてね、ぜひともうちのチームに欲しいと思って、蒲生部長にお願いしたんだ」と言ってから、葛城は苦笑を浮かべて付け加えた。


「向こうも慢性的な人手不足だから、嫌な顔をされたよ」

「それは大変光栄ですが」


 才木は申し訳ない気持ちになった。


「自分の能力は気まぐれなので、お役に立てるかどうか……」

「ちゃんと理解しているから、そこは心配しなくていい」

「恐縮です」


 理解のある上司でよかった。能力については、自分自身も未知数なところが多い。過度な期待をされては困る。


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