【序章・二〇二云年】 第三話 『月丘和輝という男』
月丘和輝……三四歳。現日本国情報省三等諜報正である。
彼は表の履歴と裏の履歴を持つ男であった。
表の履歴における前職は、なんてことのないただのサラリーマン。『イツツジ・ハスマイヤー保険株式会社』の、優秀な保険調査員という事になっている。
だが、彼には裏の履歴がある……言ってみればこれが彼の本当の履歴なのだが、これがまた相当変わったというか、ドラマティックというか……
ドラマティックといえば、かのファーストコンタクターである柏木真人の履歴も今となれば相当に爆裂した履歴経歴となってしまっているわけだが、月丘の経歴もこれまたすごいもので、ある意味、イゼイラ人のよく言う『なるべくしてなった因果の繋がり』とも言うべき過去と言っても良かった。
それは、やはりこの情報省という場に集う因果の流れにあったというか、確かに何かのシナリオの如く、なるべくしてなったというか、そういう縁の糸に繋がったような、そんなストーリーを持っていたのが彼でもあった……
……今から一二年前。まだヤルバーンが飛来する以前の話。
時は民政党政権時代。月丘は都内有名私立大学卒業後……国内での就職に失敗した。
折しもこの時代、株価も信じられない程の低迷を極め、更には東日本大震災の復興も、時の政権の無能さが相まってままならず、震災によるエネルギー問題に、関東・東北地方に集中した原材料製造インフラの被災による一時的に枯渇した産業原材料不足の問題。そして国会のねじれ。
そんな時代、有名大学を卒業したとはいえ、成績が特別優秀だったとかそういうわけでもなく、そんな『ただの大学卒業生』であった月丘に、希望する大手正社員としての就職先などそうそうあるはずもなかった。
だが彼にも特技があった。それは語学。元々英語が非常に堪能であった彼は、国内がダメなら海外でという事で、国外に就職先を求めて渡米した。外国でどこまで生きていけるか試してみようと思ったという次第。それでうまいこといけば、何とか頑張ってアメリカに住み着いてしまえばいいし、ダメなら日本にかえってくればいいと、半ば開きなおっての渡米だった。所謂バックパッカーレベルの生活で、不法就労まがいの、数々のアルバイトをこなしながら自然と様々なスキルを身につけていくようになっていく月丘。
彼が米国に住んでいた頃は、外国で何かを目指して働く者にありがちな、かなり自由な生活を送っていたわけで、正直貧しいのは貧しかったのだが、とりあえず食うには困らなかったのでそれなりに充実した生活を送れてはいた。
仕事の内容といえば、『数々のバイト』といえば聞こえばいいが、週雇いレベルの仕事を転々と渡り歩くといったところ。所謂あまり日の当たらない方面のヤバ目な仕事も、それまでに培った裏表いろんな人物のツテで紹介されて、日々の仕事をこなしていく……そんな中、銃の使い方も覚えた。一応商用・観光ビザは持っていたので、彼は不法滞在しているというわけではない。従って銃を購入することもできたわけで、彼が米国において人生初で持った銃は、店員に勧められ、彼自身が別段率先して選んで買ったというわけではない拳銃、『ワルサーP99コンパクトモデル』
と、そんな生活をしている内に、元々運動神経もよく、そして持ち前の語学能力の高さ、物腰のやわらかい月丘は、完全な不法就労状態ではあるが、いつの間にやら身につけた様々なスキルのおかげで人並みの生活を送れるような収入は稼げるようになり、更にはそのような生活を送っている内に、なんとなく覚えてしまったスペイン語にポルトガル語、イタリア語のおかげで、いろんな社会の人物から仕事のお声がかかるようになり、いつの間にか『便利屋カズキ』というあだ名がつくような、街ではちょっとした有名人になっていく。
そんな折、月丘の『便利屋カズキ』としての不法就労状態が米国移民局の監視網に引っかかり、街にいられない状態になってしまう。
しかしまあ、この米国でいろんな世界に人脈コネができたわけで、ここが潮時かといったところもあり、日本へ帰国しようと思った矢先、どうにも本格的に移民局が月丘を拘束前提のターゲットにし始めたようで、米国からの脱出が困難になってしまった。
月丘はそれまでに培ったコネを使って、なんとか移民局の追跡を逃れられないかといろんな知人に相談したところ、彼を一番買ってくれていた、どちらかというとあまり表の世界には出てこれない知人の紹介で、南米ペルーに本拠地を置く警備会社、『ハンティングドッグ警備株式会社、通称HDガード』に正社員として入社することになってしまった。
このHDガードも月丘の語学能力と、何でも屋としてのスキルに『日本人』即ち日本で活動できるという点と、その能力を高く買ってくれたようで、彼のような人材を探していたのだという話。
この会社のコネを使ったちょとした工作作戦のおかげで米国での就労ビザを取得することができた月丘は、移民局の追跡も何とか逃れることができたわけで、なんだかんだで得体の知れない企業とはいえ、結果的にこの会社へ就職できてしまったという事で、ここで働くためにペルーへ飛ぶこととなった。
だが……
『警備会社』なんていうから、『柏木系』の偏った知識など全くない月丘は、ここを日本の警備会社の感覚でいたわけであるからして、ペルーの本社へ出社した彼は、この会社の実態を知って当然『なんじゃこりゃ』となるわけで……まさか民間軍事会社、所謂『PMC』企業だなんて思わなかったものだから、どうするのと相成った次第。
しかもこの会社、PMC、即ち政府の許可を得て軍隊の活動をサポートする所謂きちんとした『PMC』などではなく、南米各国に蔓延る共産ゲリラやシンジケートなどを掃討する軍事作戦をそのまま請け負うような国際法で禁止されている『傭兵まがい』な仕事も普通に請け負っているような企業だったわけで、彼はかなり……というか相当狼狽したのだという。
ただ、そんな会社なので、雇われている連中は所謂兵隊上がりの連中ばっかというわけで、オツムのレベルも相当ナニなのもいるわけであるが、銃を持たしたら皆顔つきが変わるようなそんなのばっかりでもあるわけで、月丘レベルの語学能力と、いろんなスキルを持ち、かつ日本人というどっちかというとインテリ的な存在も、この会社創設以来相当変わった人材であったらしく、月丘はこの会社でも瞬く間に『変な日本人』として有名人になってしまう。
『ああ、なんてこった』と思った月丘だが、はっきりいってギャラは良かった。いかんせん日本人らしい丁寧なスキルで仕事をこなすものだから、あっちこっちの部門から引っ張りだこの彼なわけで、この会社内でも知らずの内に頭角を表していく存在になっていく。
更に、月丘が最も素人であった『軍事教練』レベルのスキルも、いろんな『仕事』をこなす内に自然と身に着けていくことができた……
そして世界中を飛び回ることになる月丘……勿論彼は訓練を受けたとは言え、生粋の軍人レベルの戦闘能力はないわけで、その主な仕事は当地の雇い主との折衝に通訳、そして彼特有の人脈と語学能力を利用した情報収集、即ち『スパイ』であった。
そんな忙しい日々を送る最中、彼がこの仕事を初めて一年半ほど経った頃に起こった、この地球社会を揺るがす一大事件が、かの……
【ヤルバーン飛来事件】
であった……
* *
一ヶ月半ぶりの自宅。ひとっ風呂浴びてビール片手に白木から貰った『月丘和輝』の履歴書類を読む柏木真人。
姫ちゃん今日はもうおねむである。連合防衛総省本部にある柏木宅でも、ゼルルーム設備でこういった一家団欒な状況は作れるのではあるが、やっぱりリアルな情況にはかなわない。どれだけ精密に仮想造成させてもそこは人の感覚でわかるものである。
『フウ、良いオフロでした』
フェルが風呂から上がってきた。頭にタオルを巻く典型的な地球人女性のお姿。一〇年もこの地球に住んでいれば、彼女もすっかり地球人女性化してしまうわけで、それを思うと今でもやっぱり少し噴いてしまう柏木長官。ま、これも良きかなという奴である。
フェルがテーブル対面に座ると、柏木が彼女にグラスを出し、ビールを一杯ついでやる。
「あいどうぞ、フェル」
『アリガトです、マサトサン……ゴキュゴキュ……ぷはー! オフロあがりの一杯は最高デスね!』
「はは、それは結構なことですな」
昨今フェルさんもお風呂上がりに一杯だけビール飲む習慣をつけたりしている。これもストレス発散方法の一つである。いかんせんナノマシンのおかげで酔わないわけで、結論から言うと普通の清涼飲料飲んでいるのと変わらないわけである。
『で、マサトサン。それが情報省の……ソウチョウタイ部門の人員データですか?』
「うん。その中の実働部隊メンバーのね、個人データだよ。フェルも見る?」
『ア、ハイです。私も顧問サンですからね。どれどれ……』
まずはプリルの書面に目を通すフェル。フムフムと文字を目で追い、
『このケラー・プリルという方は、パウル艦長の妹サンなのですか』
「ああ。なんでもパウル艦長が直々に引っ張ってきたらしい。彼女の妹らしくというかって感じでね、防衛総省で技術士官やってたそうだ。出向扱いだそうだよ。腕はお姉さん譲りで、相当なものという話」
『ナルホドナルホド……で、次はこのケラー・ツキオカという方ですね……』
同じくフェルは書類をツラツラと読む……と、段々と『ムムム』な表情になっていく。
『コレは……』
「どうだスゴイだろ。そりゃあの香港で、ショーン・コネリーかロジャー・ムーアかみたいな事やらかせるよ……」
『ソウですね……で、この方をケラー・レイコがスカウトなさったわけですよネ? でもなぜにケラー・レイコが?』
「それもそこに書いてあるあの時……ほら、ウイグル自治区で地球統一ナントカだのと、トルキスタンのイスラム過激派が結託してどーのこーのとかいうテロ事件、あっただろ」
『エエ、覚えているデスよ。確か結局のところ当時のチャイナ国に巣食ってたチキュウの「ガーグ」連中が仕組んだ茶番劇でしたよネ? ……で、結局それが失敗して、あの「いすらーむ」というシュウキョウのテロリストが結局蔓延ってしまったという事件の……』
「そうそうそれ。その月丘君は……あの茶番劇のPMC連中の中に混ざってたんだそうなんだよ」
『エッ……! 本当ですカ!?』
「白木が言うには、あの事件の後の話で、色々関係してくるという事らしいんだけどね、その件はこの書類に書いていないんだけど、白木から色々聞いたよ……」
白木が柏木に話したという内容。
かの時、所謂柏木達が『茶番劇』と言っていたあの戦闘に月丘が参加していたという話。
現在では、なぜにあんなPMCが、トルキスタンイスラム聖戦同盟などという過激派組織とつるんでいたかというその理由は『ガーグ勢力に近い中国軍部の仕掛けた張政権失脚のための工作活動』という事はもうわかっているのではあるが、当然PMCであるからして、その作戦がどこから来たかといえば、そのスポンサーは言わずもがなである。スポンサーの命に従うのがPMCであるからして、月丘はその時、聖戦同盟との仲介役をやっていたそうである。
だがその頃、丁度時に有名なイスラムテロリストの当時本命と言われていた、SISがまだ存在していない頃の、有力テロ組織一派がウイグルに侵攻。交渉などする間もなく、問答無用で工作活動を行っていた月丘達HDガードの部隊と戦闘になった……その時、月丘は何らかの理由で撤退しそこなったそうで、最小限の被害を優先したHDガードは、撤退しそこなった月丘を放置して退却。即ち、彼はHDガードに見捨てられたわけである。
ただ、月丘はその事を根に持ってはいないという。なぜなら契約書にそう書かれていたからだ。撤退しそこなっても救助を期待できないことがあるということである。基本南米くんだりで設立された非合法と合法の狭間にあるようなPMCだ。そんなものだと月丘は言っていたという話。
ただ、なぜ撤退し損なったのかは覚えていないという……
白木から聞いたそんな話をグビとビールを飲み干しながらフェルに話す柏木。彼もしばし書類を再度眺めて、そこに貼り付けてある月丘の写真を見る……
昨日の張との会談もあっての事で、この月丘の履歴である。何か因縁めいた物を感じる柏木。
その書類を読み進めていく内に、まだまだコレ濃い内容がワンサと書かれているわけで……
フェルと柏木は、お互い顔を見合わせて、
「こりゃ、イゼイラ人の言う『因果』の考え方……正しいなこりゃ」
などと、そんな言葉も吐きたくなるという感じであったりする。
『……ケラー・ツキオカはなぜ覚えていないと言うのですカ?』
「はは、敵の砲撃食らって気を失って、そこんとこだけ記憶が飛んでるといってるそうだけど……ま、ウソだな」
『ウフフ、そうですね』
そこんところは話したくないという事なのだろう。
「フェル、まだ聞きたい?」
『ハイです。なかなか興味深いお話ですカラ』
そう、月丘の過去とは、即ち柏木とフェルの活躍が『表の世界での物語』だとすれば、彼の物語はその『裏の世界の物語』に近いからだ。
あの時、同時進行で行われていた重大事件の別の場所での出来事。しかもそれが柏木達が知り得ることのできない状況の情報も含めれば、それは貴重極まりない話にもなる。
確かに……この月丘という男、麗子や白木が好きそうな雰囲気の男ではある……
* *
フェルは柏木の隣に席を変え、白木からもらった書類に目を通す。
この月丘という男を麗子が目をつけた理由がよく分かる調査データが沢山書いてあった。
引き続き柏木の解説を聞きながら、ペラペラと写真付きの書類に目を通すフェル。
「で、フェル……ここの部分」
『ハイです。これは……』
「ああ、この時はアレだよ、例の『ドーラ・ヴァズラー事件』の頃だ」
『ハイハイ、そうでした! って、まさか!?』
「うん……彼はあの事件の事を知っているんだよ……」
あの日本とヤルバーン州としてはあくまで『共同演習』で『無かったこと』になっている『ドーラ・ヴァズラー事件』
なぜ月丘があの事件を知っているのか? これもやはり彼の数奇な運命のなせる物語というしかなかった。
HDガードに置いてきぼりにされた月丘は、結局その存在はないものとされ、結果、所謂『解雇』されたわけである。HDガードからすれば、月丘があとはどうなろうが知ったことではないという話であろう。これをブラック企業というなかれ。PMCの請け負う仕事事態がブラックなのだからそれもある意味仕方が無い。そういうものだという覚悟が無ければできゃしないのがこの仕事だ。
だが……後に行方不明として処理されていた彼は、しばらくその消息を絶った後、次にその姿を表したのは『イラク』であり、所謂かのオペレーションWTFCでも有志軍に協力したイスラム武装勢力、所謂『使徒派』といわれる民兵組織の中に彼はいたのである……
* *
「どぉりゃあっ!」
『ナンノ!』
白い道着を着た二人。一人は日本人。相手の襟を握って腰を引き、また押し返し、懐に入ろうとスキを伺う。
その相手は青白い肌に綺麗な鱗模様、ダストール人である。
「スキあり!」
日本人は右足をダストール人の股ぐらに入れて跳ね上げようとするが……
『アマイ!』
スカっと透かし技を食らってそのままドスンと……
「うわぁっ! あちっ!」
「一本! シエの勝ちだな。月丘ぁ、お前、格闘技の方は、イマイチだなぁ」
「はぁ……多川さん。カンベンしてくださいよ。シエさんが強すぎるんですよ……って、柔道ですよ、コレ。はぁ〜……」
「むはは、そこは同意だ。ウチの嫁さんは何やらしてもうまいこと習得するからなぁ。剣道だって、今じゃ俺の勝率の方が下がってきちまってるし」
『マ、ソコノトコロハ私モ「特務総括軍団出身」ノ意地モアル。フハハ、ダガ、今日ノ組手ハヨカッタゾ、ツキオカ』
「は、恐縮です……って、でも嘉納治五郎さんも、異星人が柔道やるって、流石に思わなかっただろうなぁ、ははは」
……さて、ここは特危自衛隊の本拠地。所謂ティエルクマスカ星間共和連合・防衛総省太陽系軍管区司令部でもある、福島県特危自衛隊・双葉基地である。そこの道場であったりするわけで、総諜対の定期訓練を特危自衛隊さんの協力の下やってたりするという次第。
情報省の実働部隊員には、警察員資格に基づく武器の使用が許可されているわけであるが、SIFに見られる特殊部隊系組織や、総諜対員のような諜報員系の要員は、時によっては先の『改造エスパーダⅢ』のような機動兵器の使用も許可されるため、この特危自衛隊での定期訓練が義務付けられているわけである。
という事で、多川が審判になって、シエと組手をやっていた月丘。だが、月丘も甚だ無謀というもの。マスタースレーブ型機動兵器の達人シエさん相手に格闘戦を挑むなど、いくら彼でもといったところだ。
なんせシエもここ自衛隊に一〇年もいりゃあ自衛隊徒手格闘の一つや二つ、彼女ほどならすぐにマスターしようというものである。シエさん特に剣道と柔道が得意というお話。
「やはり餅は餅屋ということですねぇ。星が違っても、強いお方は強いという事で。ね、多川将補」
「そういうことだよなぁ……でもアレだろシエ、大見一佐にまだ勝ったことないんだろ?」
『ウウ……ソレヲ言ワナイデクレ、ダーリン。ナゼカアイツニダケハ勝テナイノダ。ウマイ具合ニ躱サレル』
「え? 躱されるって……んじゃ負けたわけじゃないんだ、シエ将補」
『ソウナノダ、ツキオカ……アイツハスグニ逃ゲ出スカラナァ』
(もしかしたら、あの『撃墜マーク』の噂、本当だったのか)と思う月丘。彼もこの世界に入って、シエらと知り合い、その噂を知った。かの大見一佐が逃げ出すというのであるから、そうなのか? と。って、「旦那いるんだろシエさん」と思う彼……やっぱり変わった人らだと思う次第。
と、三人してそんな雑談やってると……
『ふにゃらホレハレ……アア、もう降参でしゅ〜』
乱れた道着来たプリルちゃんが、フニャフニャになって月丘のもとへ。向こうで士官クラスの自衛官に相当揉まれたらしい。
「ははは! プリちゃん、コテンパンにのされたのか?」
と腹抱えて笑う月丘。するとプリルの顔が『 3 』となり、
『ア〜、カズキサンひどいです! 私は一応技術士官ですよっ。実働部隊の人たちみたいな筋肉ヤローじゃないんですからねっ!』
プリルも訓練に参加していたり。彼女も総諜対の一員である。となればこれも義務という事。だが彼女の言うとおり、技術士官にゃこの訓練、ちときついのは確かだったりする。
プリルに飲み物渡す月丘。ニコニコでそれを受け取るプリル。二人して畳に座り込んで休憩中。
「シエ、話には聞いていたが、本当にあの二人、仲がいいな……付き合ってんのか?」
と多川がシエの耳元で囁く。
『イヤ、ソウイウワケデハナイラシイノダガ……ダーリンハ、彼ノ個人資料データヲ見タコトハアルノカ?』
「まあ、俺もシエも一応安保調査委員会のメンバーだしな。そこはね。で、なんでも総諜対のメンバーで特別飛び抜けてすごいスタッフって事も聞いてるしな」
『ウン……』
ということで、今日の訓練は終了。月丘達も毎度のこととはいえ、体中ギシギシになってロッカールームへといったところである。シャワー浴びて着替えのあと、月丘達はそのまま帰宅という次第。さすがにこの状態で情報省に戻れというのは酷な話である。
彼らと別れた後、基地の食堂でちょっとくつろぎつつ、話をするシエと多川。
シエは昨今お気に入りのいちご大福をハイクァーンで作って、お茶と一緒にモグモグと。
彼女もフェル同様、やっぱ一〇年もいれば、日本人化が進行して、すっかりそこいらの日本人主婦と化してるところも無きにしもあらず。ちなみにお二人の息子、暁君は、今、ヤルバーンの幼児教育施設である。所謂ティ連版の幼稚園と小学校を足したような施設にいる。
で、そこにやってくるは妻帯者としての先輩、大見健・陸上科一等特佐。
「おお、大見」
「お疲れ様です、多川将補、シエ将補」
パシと腰曲げて敬礼の大見。よくよく考えたら、多川もシエも大見も偉くなったものである。
シエと多川はこれでまだ旭龍乗ってるんだから、大したものだという話。
「まあ座れよ、大見」
「は。で、今日はアレですか? 総諜対の……」
『ソウダ。定期訓練ノナ。デ、私ガ仕上ゲニ、揉ンデヤッタ。ムハハ』
「うわ……月丘君ですか?」
『ア、ナンダオオミ、ソノ「うわ」トイウノハ……』
「あ、いえいえいえいえ」
なぜに大見が「うわ」と言うか……総諜対のメンバーで実働部隊は相応の人数いるわけだが、シエはその中でも月丘のことを取り分け気に入っている。それもやはり彼のパーソナルデータを見たというところからきているワケであるが……
大見もコーヒーなんぞを持ってきて、雑談に混ざる。その月丘の事についての話である。
実は、月丘という男。この特危自衛隊内でも幹部自衛官クラスの間では、結構有名人なのである。というのも、やはりその経歴に由来するところという話。特に多川とシエは、彼の調査報告書を読んで、この二人も彼との『因果』を感じずにはいられなかったという事だそうな。
その件について、三人はしばし話をする……
……月丘自らの証言と、情報省及び警視庁公安部の調査報告によると、彼がPMC『ハンティングドッグ警備(HDガード)』を行方不明処理にされ、解雇された後に再び記録上に出てくる場所は、先の通りイラクであった。
なぜに次にそのイラクにやってきたか。月丘はよく覚えていないというが、本当のところはわからない。
いや、情報省や、公安の能力を持ってすれば、ある程度彼らのパイプを駆使するとわかりそうなものなのだろうが、どうも実際の話、彼自身の記憶の曖昧さも、彼自身が事実を隠している部分と、本当に記憶が定かでない部分が両方あるのは事実なようで、そんなところも相まって彼がなぜにイラクにいたかは、まだ色々不明なところもあるようなのだ。
それはともかく、彼がイラクにいたのは事実である。
……時はかの『ドーラ・ヴァズラー』事件の頃より少し前の話。
某一神教系の新しい宗派『使徒派』……これはティ連ーヤルバーンの人々を、神の御使いとして崇める人々である。まあ確かにティ連人の科学力を見ていると、何もないところから、モノをポンポン出したりと、マジシャンみたいなことを普通にやってるわけであるからして、そう思われても仕方のないところはある。
それに容姿にしても、イゼイラ人は『幸せの青い鳥』がそのままヒューマノイド型になったような感じであるし、ダストール人は、『太古の昔、恐竜が滅びてなかったら?』みたいなところであるし、ディスカール人は、まるっきりアレだし、確かに使徒派と呼ばれる人々がそう思ってしまうのも、仕方のないところではあるっちゃあアル。
ただ、この人々はこの宗教の元来ある宗派『スンナ派』『シーア派』からは目の敵にされている異端宗派……というか、異教徒に近い扱いを受けているので、各イスラム系国家からはかなり冷遇されているのも事実といった、そんな人々であった。
月丘は、あのウィグル自治区で行方を絶ってから、どういうわけかこの『使徒派』のとある武装集団の世話になっていた。この『使徒派』は、ティ連人が何故か日本人と仲がいいのは良く知っていたため、月丘も拘束されてオレンジ色の囚人服着せられてということもなく、どうも武器も扱えるプロであると理解したこの人々は、彼に武器と衣服に食事を与え、自分達へ協力することを条件に、仲間へ迎えいれてくれたのだという。
特に丁度この時期、イスラムテロリストにも変化が見られるようになり、第二次湾岸戦争でギッタギタにされ、更には首魁を強襲暗殺されたかのテロリストや神学校グループ系列の組織はなりを潜め、次に台頭してきたのは、かの宗教国家を騙る見境のない犯罪者集団『SIS』であり、他のテロリストとも戦闘を繰り広げ、各イスラム国家の部族も民兵組織を強化して対抗しなければならない事態に発展していたのだった。
『使徒派』も例外ではなく、しかも新宗派であるため、SISから異端のレッテルを貼られて特に攻撃の対象になってしまっており、各部族間で互いに兵のやりくりを行うなど、毎日が緊迫した状態となっていたのだった。
月丘は言ってみればそんな使徒派の人々からすれば、かなり良い拾い物の人材であるわけで、外国語は堪能で、武器の扱いにも長けて、近代PMCの戦術も知っていると良いことづくめの人材であったわけで、事実この組織からも相当に信頼されていたという。
「で、私も月丘君の面接をしましたけど……驚いたのは、あの『対ドーラ・ヴァズラー』作戦時に、多川さんとシエさんが、あのドーラ・ヴァズラーをイラクへ引きずり降ろした時、丁度あの地域でSISと使徒派の民兵組織が戦闘を行っていたわけですが……」
大見がVMCモニターを立ち上げて、当時の記録を眺めながら多川とシエに話す。
「そうそう、確かシエが『私は大天使様だ!』とかいって、大見得切った時だったな」
『ダーリン、私ハ「創造主ノ御使イ」ト言ッタダケダ。大天使ナドトハ言ッテナイゾ』
「いやシエ、その「創造主の御使いさん」てのはこの地球じゃ天使様というわけでして、ハイ……」
「はは、いやまあそれなんですけど、丁度あの事件の時、月丘君は、お二人の戦ってた脚下で、一緒になって、ゼル奴隷化されてしまったSISの連中と戦ってたそうなんですよ……」
するとシエと多川は「えっ!?」という顔をする。
「マジか! 大見」
『マチガイナイノダロウナ?』
「はい。お二人はご存じなかったですか?」
「あ、ああ。その使徒派武装勢力に拾われたのは知っていたが……」
『アア、マサカアノ時、知ラヌ事トハイエ、共闘シテイタナンテ……』
そう、この点は月丘の個人データの中でも、機密事項にされていた項目であった。月丘が総諜対に入ってから、第一種情報開示がなされた事項でもある。即ち幹部クラスは知っていい情報という事である。
なぜ機密扱いにされていたか、それは、あの『無かったこと』になっているドーラ・ヴァズラー事件を『日本人』が知ってしまったからである。だが、それならば『ティ連の演習』で誤魔化し押し通したあの事件、そのままイラクにいる月丘の存在のみ、なぜに機密にされたのかというと……
「……ああ、それで当時の麗子嬢が……」と多川。
『ナルホド……フム、ヤツモ運ガイイナ……』とシエ
その後の話に納得する諸氏であった……
* *
双葉基地シャワールームでシャワーを浴びる月丘。『ゆ』と書かれた立派な風呂もあるのだが、まあ今日はシャワーだけでもいいかという事で、風呂はキャンセル。
シャーと浴びていると……
『カズキさぁ~ん』
と、更衣室の入り口あたりからプリルの声がする。
「は~い! なに? プリちゃん」
『丁度いい機会ですから、体の方、診ときましょうよぉ』
「ええ~? 別に今ここじゃなくてもいいでしょ~」
『またそうやってサボろうとするんですから、ダメですよー、私ここで待ってますからね!』
「はいはいわかりましたぁ~」
と、シャワーを浴び終わり、パンツにズボン履いて、上半身裸。バスタオルで頭ガシガシやりながら脱衣所に行くと、プリルが長椅子にチョコンと座って待っていた。
「うわっ! プリちゃん、ここ男性用ですよっ!」
『別にいいじゃないですか、どうせ私達しかいないんですし。ハイ、体診せてくださいね』
そう言うと、プリルは月丘の体を観察し始める……
『この傷跡、ティ連の医療技術ならすぐに消せるのに……』
月丘の背中には、丁度肩甲骨あたりに掌ぐらいの大きさの大きな傷跡がある。プリルはそれを撫でてそんなことを言う。
「はは、ま、これも私の思い出でもあるし、戒めでもあるしね。別にいいよ」
『そうですか〜、で、こっちの方はもうかなり自然に見えてきましたね!』
プリルは月丘の左腕を取ると、上腕部のあたりをマジマジと眺める……すると、言われないと気づかないぐらいに目立たない、一筋のラインのようなものが腕を一周していた。
プリルは検査機器を月丘に当てると、
『フムフム、ナノマシンと体との相性も問題ないですね。もう大丈夫かな?』
「でしょ? ということで定期検診は以後もう終わりということで」
『ダメです! 医療システムのOKが出るまでちゃんと診ないと、拒絶反応とか出ないとも限らないんですからねっ!』
「ハイハイ。って、プリちゃんいつも思うけど、技術士官なのにすごいね、医者みたいな事もするなんてさ」
『チキュウ語の「さいばねてぃくす」分野は、医療分野もありますけど、軍事分野でもありますからね。モノによっては、私達のような、「技術者」分野のお仕事にもなりまスから……ハイ検査おしまい!』
ビシと背中を叩くプリル「あだ!」と痛がる月丘。
『んじゃ、私もオフロ入ってこよーっと…………カズキサン?』
「ん?」
『覗いたら……コロしますよ……』
手をピラピラ降って、『ハイハイ』というジェスチャーをする月丘。
『アー、なんですかその態度はっ! こういう時にフリュの言う「コロしますよ」というのはですねっ! 本当はあーしてほしいとか、こーしてほしいとか……』
解説したら意味ないじゃんと頭抱える彼。本当に仲のいい相棒同士である……
プリルはオフロセットをPVMCGで仮想造成させて女湯へ行く。なぜか洗面器にはアヒルの玩具が入ってたり。さて、ここから月丘は四〇分ほど待ち時間となる。いかんせんプリルの風呂は長い。定期訓練でプリルの風呂上がり待ちはもう毎度のことなので、慣れたものではあるが。
自販機でアイスカフェオレでも買って、グビとやりながらVMCモニターを開いてネットサーフィンなんぞをしつつ、プリルの風呂上がりを待つが……シャツの上から覗くうっすらと上腕部を囲む……傷跡……
鏡を見ると、背中の傷跡が裾や襟から少し覗く……それを見ると思い出すのは…………
* *
……かの『はぐれドーラ』事件の際。
シンシエコンビの駆る『XAFV-Type15・試製多目的機動兵器「旭龍」』が、機械化怪物と化したドーラ・ヴァズラーを地上へ引きずり降ろそうという作戦を遂行してた直前ぐらいの頃……月丘はイラクとシリア国境付近の街、タッル・アファル近郊の、使徒派部族の町への救援へ急行している真最中であった。
当時、肥大化してきた後にイスラムテロリスト史上最悪とまで言われることになる『SIS・サラフ・イスラーム国』を名乗るテロ集団が、その勢力を拡大させるために、タッル・アファルに攻撃を仕掛けようと、これまでにない大部隊をもって進撃してきたのであった。
その侵攻ルート上にあるのが『使徒派』の部族集落であったのだが、その集落が攻撃を受けていると月丘達の仲間に連絡が入り、救援の為にありったけの兵員と武器弾薬を伴ってその集落へ援軍に駆けつけた。
その救援部隊の長の名前が、『ムスタファ・モルセン』という名の男であった。
……そう、あのSISを掃討するための国際的軍事作戦。ヤルバーン州が初めて地球世界の軍隊と共闘した事件、『オペレーションWTFC』の時、シャルリ達と共に戦ったイスラム義勇軍の司令官だった男だ……
当時そのムスタファの副官をやっていたのが、その腕を買われた月丘だったのである。
月丘やムスタファからすれば、当時はSISの攻勢から仲間と共闘するための戦いになるはずだったわけだが、シエ達がドーラ・ヴァズラーをイラクのかの場所に叩き落としたのが因果の始まりである。
SISのアホ共が次々とドーラ・ヴァズラーにゼル端子を打ち込まれ、ゼル奴隷化していくのをまざまざと見せつけられた月丘達。流石にあの時は、その地獄絵図に一体ナニが起こっているのか理解できなかったと後に話している。
しかもSISの連中だけではない。使徒派の仲間もゼル奴隷化していき、配線の化物のようなホラー映画的な存在が次々出てくる状況に、流石の月丘も一神教教義にある『黙示録』を本気で信じそうになったそうなのだが、その後、シエの放った『大天使様発言』で、ようやく事が飲み込めたという……つまり、日本にいる異星人連中が、何かと戦っているのだということが何となく理解できたという話。
そりゃそうだ。月丘も柏木のような趣味はないにしても、かの『怪獣王対メカ怪獣王』程度の映画なら見たことはあるし、その手のアニメも何かの機会にこれまた見たことはある。大学時代の学園祭で、そんなコスプレしていた連中も知っている。シンシエコンビの旭龍、そのデザインを見た瞬間、彼もそのあたりは「ナルホド」と理解はできた。そこは月丘も日本人だ。それなりの知識素養は持っている。神のみを信じ、蒙昧となる使徒派の民兵とは違うわけではあったのだが……
残念ながら悲劇はそこで起こった。
月丘もドーラ・ヴァズラーの眷属となったSIS連中や、仲間達と戦闘している最中、彼もゼル端子に食われたのだ!
左腕を侵食され、自分の意志が効かなくなり、味方を攻撃しようとする体……
『これはマズイ』と直感した月丘は、おののくムスタファや味方に、自分から遠ざかるように叫びつつ、流石にもう観念したのか、自分のおぞましい姿に絶望し、自決を決意。手榴弾を侵食された手に持たせ……爆発させた……
左腕は上腕部から吹き飛び、左半身を手榴弾の破片が襲う……恐らく普通なら即死の状況だっただろう。
だが、運命とは皮肉なものである。ゼル侵食されて耐久度が上がっていた体の状態が幸いしたのか……何と彼は一命を『とりあえず』は取り留めた……
* *
……液晶モニターに映る映像。
右下にタイムスケジュールがチラチラを数字を刻む。
カメラを持つ撮影者の一人称映像。プルプルと手ブレさせながらの映像は、決してプロの画というわけではないようだ。
そこには、まず数秒ほど、白い明朝体で書かれたこんなタイトルが数秒映る。
【日・ヤ防衛演習・乙案件被害者】
足元からなめるように上半身へカメラの映像は流れていく。
誰か人の体のようだが、もうそれは包帯でぐるぐる巻きにされた映像だ……上半身が映ると……腕のない血まみれの体。顔はもうろうとした表情。口をポカンと開けて、目だけが動き、カメラ目線となる……が、すぐに視線をそらす。
そう……そこに映るは無残な姿となった月丘の映像だった。
何とか一命を取り留めたのはよかったものの、こんなイラクの辺鄙でクッソ暑い場所である。医療設備なんざハナからろくに期待できないわけであるからして、月丘もせいぜいその町の病院のような場所で、止血を何とかしてもらい、医療知識のある使徒派部族の誰かに、なんとか息だけはさせてもらえる程度の、だがそのままではあと何日もつかわからない状態での……手当もそれ以上できないような、そんな状態でただ寝かされているだけであった……
するとカメラは上へパンし、別の人物を写す……ムスタファである。
彼はアラブ訛の英語で、誰かと話している……
「……というわけなのだ日本人。彼はあの悪魔のような化物から、我々を守るために身をなげうって自爆しようとした勇気ある神の戦士だ。だが、もうこの状態では……だから頼む。彼を祖国へ連れ帰ってやってくれないだろうか……日本へ返してやってくれ……」
カメラはムスタファと会話する相手へレンズを向ける……イスラム女性特有の被り物、ヘッドスカーフである『ヘジャブ』を巻いた女性が映った……その顔は……五辻麗子であった……
ムスタファと話す麗子。彼女も英語は堪能である。
「では、この男が貴方達のいう『化物』とかいうものに取り憑かれた日本人というのですね?」
「ああ、そうだ。正直我々ではこれ以上手の施しようがない。このままほっておけば、もう間もなく彼も神の元へ召されるだろう……だが、彼は我々の神を崇めていない。だから、彼の神のいる場所へ返してやりたい」
コクコク頷く麗子。
すると次に麗子は日本語で彼女の側近に話しかける。
「あなた、この男性は非常に貴重な人物です。あのドーラとやらのゼルナントカとかいうものを体験した被験者になりますからね。我が社の全力をもって、助けなさい。場合によってはヤルバーン医療局の助けを借りられるようにお願いなさい……それとあなたはすぐに彼の素性を洗うように。このような場所に、使徒派とはいえ、イスラム民兵と行動を共にしている時点で普通ではありません……それとあなた。ここにいる民兵の方々にお金をすぐに用意して差し上げなさい。彼の存在を他国に知られてはなりません……そうですね、口止め料です。幾ら? うーん……米ドルで二〇〇万ドルもあれば充分でしょう。それだけあれば、この町の人々すべてにそれなりのお金が行き渡ります……あとは……」
と言ったところで映像はプチュンと切れる。というか切った……
「ふぅ……もう何年前の映像かしら? 懐かしい映像。私も若かったですわね。オホホホ」
手の甲を口に当てて笑うは、白木麗子夫人。白木家のソファーでワイン片手に当時特定機密であった映像を観ていた。
「いやー、この事件は当時俺も全然知らなかったからなぁ。新見さんも後から知ったって驚いてたからな……って麗子さ、これって確か……ティ連の調印艦隊が来た頃のだよな、時期的に」
「ええ、そうでございますわよ崇雄。私と、側近の一部しか知らない映像です。当時のイツツジグループの、超企業秘密でございますわね」
「おいおいおい、え? じゃあ当時の二藤部総理や、三島先生も知らなかったのか?」
「いえ、二藤部様と三島様にはお話しておりました。当時から情報省構想のお話は、社としても伺っておりましたので、その時が来た時のための人材として、お教えしていましたの」
「なるほどねぇ……でもおめー、今だからそんなこと言えるけど、当時なら結構問題だったぞぅ……」
「何をおっしゃられまして? 結果、情報省で大活躍の月丘さんでござんしょ? なら我が社の初期投資も大成功という事ではございませんか」
「ハイハイ。まぁもう結果良ければでいいよ。かなわんねぇ、って、他にもこんな奴ら囲ってるんじゃねーだろうな、麗子」
「まさか。本当に彼はめっけもんだったのですよ……」
そう、麗子が言うには、この月丘を拾ったのは本当にたまたまだったという話。
ドーラ・ヴァズラー事件の後、機を見計らったマリヘイルらティ連調印艦隊が直後に電光石火で太陽系に到着し、日本は銀河連合への加盟を果たした。
その後一ヶ月半ほど彼らはこの地球へ滞在するのだが、丁度その頃、イツツジグループの石油開発部門に緊急の要件という事で極秘の連絡が入ったという話なのだそうな。
イツツジグループはイラクの石油油田開発で、当時の使徒派部族らの支配地域で、油田開発に伴う町の活性化事業に取り組んでいた。無論事は友好的に進んでいたわけで、使徒派の民兵はイツツジグループ傘下の建設会社や、地元の建設会社などの護衛として協力してくれていたわけで、麗子もそちらの方には強力なコネをもっていたのであった。
そのコネで、このような重症の日本人が一人いると麗子の元に連絡が入り、調印艦隊の異星人さん歓待で真っ盛りな日本を後にして、麗子はイラクへ飛んでいたのであった。そこで彼女が出会ったのが月丘であったという次第。
だが、あまりにも重症も重症。かろうじて点滴漬けで生きている状態だった彼は、当然当時の最新地球医学でも、助けられるには助けられたが、もう一生ベッドの上での生活レベルだったところを、これも因果か、ヤルバーンがこの地球にいてくれたおかげで、ヴェルデオを通してヤルバーン医療局で治療という幸運な機会に恵まれたのである。
だが、それでも彼のズタボロな体と心を何とかするにはティ連の医学でも相当の日数を有した。
ティ連サイバネティック技術で、何と月丘は左腕部を再生させることができ、他、もう痛みに痛みまくった体を完全回復させることにも成功した。無論、体を再生させたとはいえ、感染症などの対応も必要なので、彼はナノマシンを体に常駐させられて、病気とは無縁の肉体となり、何年かの日数を有しはしたが完全復活。
その後、麗子から彼が海外にいる間の日本国内でどんなことが起こっていたか……その詳細のレクチャーを受け、今後作られる予定の『情報省』実働要員としてスカウト。しばしディスカール共和国に飛ばされて、本格的なティ連型軍事教練を受け、帰国後、とりあえず『イツツジ・ハスマイヤー保険』に入社して、あまりに浮世離れした生活から毒を抜き出すために、一般的な日本人の生活を体験させて現在の『銀河連合日本』の生活に慣れされた後、情報省に入省させた……
これが月丘和輝という男の履歴である……
即ち彼も、二〇一云年の混沌とした時代からどこかに引っ掛けた因果の糸をたぐりよせて生きていけば、何とも柏木や白木、そして大見達とは違った裏街道を見てきた、ある意味貴重に過ぎる人材なのである。
情報省入省時には、以前の物腰柔らかな紳士でイケメンさんの月丘にすっかり戻っていたわけであるが、その時に語った彼の経歴履歴は麗子の投資に見合ったものであり、また日本の国益にも十分寄与するものでもあったわけで、そんなストーリーを持った人材が、『彼』なのである。
……ちなみにプリルちゃんと知り合ったのは、彼がディスカール共和国に無謀にも飛ばされた時、右も左も天も地もわからない彼に、サイバネティック医療面のケアと、その生活をサポートしてくれたのが彼女であり、その頃からの親しい付き合いであったりするわけである。
無論、当時は情報省設立のための特定機密の一つだった彼だが、情報省が出来た今、もちろん柏木や白木に大見達他のメンバーも、月丘がどんな人間かというのはもう知るところである。
彼のストーリーを語ると、その奥深いところまで捌けばこの程度の話ではないというから、驚きである。
確かに、別のベクトルで柏木よりも凄まじい体験をしてきたのが彼であって、そのあたりはやはり流石としかいいようのないところはある。
柏木にしても、フェルにしても、シエにしても、多川にしても、そして久留米にしても……
彼らは表の世界の真っ当な軍人、いや、自衛官である。だが、月丘はPMCで、アラブ民兵であった男だ。そのスキルは今のティ連軍や、特危自衛隊にはないものである。そういう点でいえば、やはり彼も二〇二云年の時代、この日本、そして政府にとって重要な人材になるべくしてここまで来た人材であるのは、確かであった……
* *
という事で、またとある日。
情報省に毎度のごとく出勤登庁してくる月丘。確かに世は、かのヒトガタが放ったドーラ・コアデータの危機をまだ知らない。これはパニックを恐れてまだ情報公開していない訳なのだが、現状のヤルバーン中央システムが抽出するネガティブ情報クラスであれば、ヤルバーン州軍や自治局、日本の情報省レベルでまだ対応は可能である。だが。此度香港の一件に、先の横田基地の一件。ああいった地球での外国事案が発生してしまうと、ここはおいそれと現状の対応方針だけを維持しておくというわけにはいかなくなる。
月丘は今日、そういった案件で『総諜対』への呼び出しを受けた。
ということで、朝の挨拶とともに、いつもの扉をガチャリと開ける……
「おはようございますぅ……っと?」
月丘は自分の部署なのになぜか他人行儀で腰かがめて入室する……なぜなら、ここ最近受付係にはメイラ少佐の陰謀、いや、こだわりで適当にヤルバーン有名婦女子が座らされている。なので総諜対事案の仕事で呼び出される時は、まずこの受付嬢がどちらさんかという心の準備が必要という次第。
「あ、おはようございます! えっと……月丘さんですね?」
あれ? と思う月丘。今日は彼の見知った人物ではない女性が座っていた。ってかマトモである。
まあ確かに先日のニーラさんも月丘はお初だったが、有名人であるのは変わりなかった。けど、今日は……
「あ、はい……と、貴方は?」
「はい、初めまして。私は五日前からこちらでアルバイトすることになりました大見美加と申します」
「え? 大見美加さん? 大見って……あ、特危陸上科、大見一佐の!」
「はい、娘です。よろしくお願いいたします。月丘さんの事は父から色々と伺っておりますので」
「あ、いやいや、それは初めまして……はぁ、やっとこれでここの受付さんも落ち着くのかなぁ……」
とはいえ彼女は『アルバイト』と言った。聞けばイゼイラ科学院に留学中という話。近々科学院を卒業して、『ヤルバーン州科学局上級科学院』に研究員、即ち地球で言うところの大学院生として入校するそうなので、地球に帰ってきているという話。なので常駐ではないそうなのでまだまだ油断はできない。
だが……受付にプルルと内線がかかってくると……
「はい、総諜対です……はい、わかりました繋いでください……Bonjour. Oh oui ... oui ..., chef de l'équipe est maintenant qu'il y ait maintenant capturer, plus tard oui ... s'il vous plaît contactez-nous, je suis désolé ...」
口をあんぐり開ける月丘。なんとフランス語である。月丘も外国語は得意だが、残念な事にフランス語は射程外だ。こりゃ大した人材だと思う彼。もうここで雇えよと……ってフランス語ってどこからの電話なんだと。後から聞けば、フランス大使館の駐在武官からという話。もう彼女でいいやんみたいな……
大したもんだと思っていると、奥の執務室の扉が開き、これまた顔を覗かせるは白木局長で総諜対班長。
「おう月丘、おはようさん」
「あ、おはようございます班長」
「どした、腕組んで嬉しそうな顔して」
「いや〜、大見美加さん、絵になってますねぇ……班長の紹介ですか?」
「まあな。ま、美加ちゃんも今後はこっちで研究員として働くって話だから、ま、ヤルバーン州にいりゃ銭金の心配はいらねーけど、日本国内はまだな、それで先立つもん補給させてやらんとって奴だ」
「なるほど。で、メイラ少佐の『許可』は得たのですか? むはは」
そう、そこは重要なところ。
「あのフランス語で一発OKだよ。美加ちゃん、イゼイラ語も話せるからな」
「おお、すごいですね」
「はは、まあな……さて、仕事の話だ。入れよ」
ということで、執務室に入室。すると、更に白木の机の前に……月丘の知った顔が座っていた。
お互い知った顔ではあるが、会うのは初めてになる。
その人物は月丘の顔を見るや、スックと立ち上がって、頭を下げる。月丘も少々驚いた顔。ちょっと訝しがった表情で、礼を返すと、白木がその人物を紹介する。
「月丘、こいつが別名『銀河級突撃……』」
「おいおい白木、そこは省け、な」
「省くのか? あー、まぁいいや。で、こいつがウチの顧問やってもらってるティ連防衛総省長官閣下様の、『柏木真人』だ、ま、よろしくやってくれや、で、二人共まぁ座って……」
天下の柏木長官閣下を、そこら辺のダチみたいに紹介する白木。
「え? ええええ! って、班長、柏木閣下をそんな友達みたいに……」
おいおいと手を振る柏木。月丘はまさかの大物に恐縮しまくりである。
「え? なんだよ。柏木は俺の友人だぞ。高校時代からの腐れ縁だ」
「そうなんですか!」
「おう、ま、そんなんでコイツも畏まった奴じゃないから、そこら辺は適当にな」
「は、はぁ……」
すると握手の手を差し出す柏木。
「よろしく、月丘君……君のことは色々白木からも聞いているよ。その……経歴の方もね」
「!……」
「お互い浅からぬ因縁がありそうだ。よろしくやっていこうよ」
「あ、はい。こちらこそ宜しくお願い申し上げます」
互いに握り返す手は、そんな表と裏が重なり合った、不思議な縁の感触である。
互いにかの時の、自分達の境遇を話す時はあるのだろうか? そこはまだわからないが……
なんとも不思議な感覚になる月丘。
「ま、双方自己紹介もすんだところで、仕事の話だが……月丘、お前二日後に米国へ飛んでくれ」
「米国ですか? 了解です。で、任務の内容は?」
「コイツの通訳という『名目』でな……ちょっと探って欲しい物がある」
「通訳?」
白木が話すには、柏木は二日後に米国大統領と会談する予定になっているのだという。ただ、この会談は極秘会談という事らしく、閣僚級云々とかそういった物ではなく、柏木はお忍びで渡米するという事だそうだ。
「はあ……了解ですが、通訳だけなら私よりも優秀な方がいらっしゃるでしょうに。その諜報任務だけでもよろしいのでは……」
「まあそうなんだが、月丘には柏木の仕事っちゅーのもどういうものか見てほしくてな。そこのところもある」
「なるほど」
「で、ま、柏木の通訳の仕事の後が本番だ……米国にある『ブンデス・インダストリー』という企業を探ってもらいたい」
「『ブンデス・インダストリー』? 確かそれは……ドイツ重工業グループ企業の……」
「ああ、その米国法人だ。先のフェルフェリア大臣と、ジョスター国務長官の会談、知ってるよな?」
「ええ。」
「その時に取り交わした覚書で、米国がドーラ・コア対応の件を議会で承認させるまで、水面下でウチとヤルバーン州と米国とで協力体制を取ることになったんだが、そのCIA筋の情報でな……ブンデス社が、来週『画期的な機械制御システム』っちゅーモンを発表するらしんだが、事前情報で仕入れたデータを見ると、ちょっと過ぎた技術みたいな代物でな……」
白木の話では、CIAのヒューミント情報。即ちブンデスのような企業で飼っている情報源の話では、相当な万能系の機械制御システムなのだという話。
ブンデス社は重工業メーカーなので、この一〇年後ではロボット分野にも力を入れている。兵器開発も行っているわけで、主に戦闘車両には定評のあるあるメーカーであったが、米国とロシアが『機動戦車』の開発に成功したせいで、かなり技術的に出遅れてしまったところがあり、その分野での挽回も急務だといったところ。
「では……ヤルバーン州システムのネガティブコードというわけではないのですね?」
「おう、まあ最近は一〇年前と違って、連合日本とヤルバーン州の技術がなんでも無敵っつーわけにはいかなくなってる現状もあるからな。ロシアの発明した『転送信号阻害装置』の件もそうだし、この機動戦車の性能も日進月歩で向上してるしな。それに、今や米国の『レナード・ニモイ級』宇宙駆逐艦みないなのもある」
相応にティ連技術に対抗する手段も出てきているという事である。
なるほどなと頷く月丘。
「では、今回はCIAと共同作戦ということですか」
「おう、ま、向こうさんへの報酬は……ま、新見次官らがキチンと考えてるから、遠慮なくやってくれや」
「了解です。ということはプリちゃんにも話しておかないと……」
「プリ子はその件で、今ヤル研に行ってるよ。なんでも発注してた新しい装備の受取だってさ」
その言葉に柏木と月丘は口元波線で同じような反応をする……そして互いに顔を見合わせる。
「あ、長官……もしかして貴方も……」
「月丘君も、ヤル研行った?」
「はぁ、一度ですが……私には少々理解を超えた所というか……私の相棒のディスカール子さんは、大はしゃぎでしたが……」
わかるわかると頷く柏木。まだその世界への関心が薄い月丘は救われていると。ってか、理解できてしまったら、暗黒面ならぬ、ヤル研面へ引き摺りこまれていくのである。
「はは、ま、ヤル研は今日も元気に通常営業中だ。で……月丘」
「あ、はい」
少々眦を鋭くし、長方形メガネをクイと上げる白木。
「ちょっとおめーに知らせとかなきゃならない情報もあってな……」
「?」
「今回のブンデス社調査の件なんだが……向こうは向こうで色々察しているところもあるようでな……」
「? こちらの動きを掴んでいるということですか?」
「俺達の動きというより、CIAの方だな……ドイツ連邦情報局の方はCIAに協力しているみたいだが、ブンデスの扱ってるモノが例のものなら、ドイツも国益を考えるだろ、なので迂闊に信用もできん」
「でしょうね。で、それが私に知らせたい情報なんですか?」
「いや……」
というと白木はシー歯で一呼吸すると、なんとなく言いにくそうな顔をしながら……
「今回、ブンデスの連中は警備を外部委託したようでな」
「……」
「その警備会社……ハンティングドッグだそうだ……」
「!!」
その言葉を聞いて、戦慄する月丘であった……
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