第46話 狂い咲く心

「ルゥナっ!!!」


扉を蹴破って入ってたお兄様が、目を見開いたかと思った次の瞬間、私とルシアン様の間に入って来ていました。


「あ……」


全身が何か暖かいものに包まれ身体から痛みが引いていきます。

お兄様が治癒魔法を行使してくれたのだと、切っていたはずの口元に手を当ててそう気が付きました。

私の足首についた鎖が繰り返し何度も何度も燃え続けていて、間違いなくこれも火魔法を行使して焼き切ろうとしてくれているのだと分かりました。


更には私の周囲にいつの間にか防壁魔法も展開していて、あの一瞬の間にどれだけの魔法行使をしたのかと思い、言葉を失ってしまいます。


見上げると、お兄様が凍りついた剣先をピタリとルシアン様の首元へあてていました。


「へぇ、さすがアルフレート。こんなにすぐにここに来るなんて、本当すげぇわ。やっぱお前は違うよなぁ」

「っ! ルシアンっ! 貴様っ……!!」


首に当たっている剣先に怯みもせずにニヤニヤした笑みを浮かべているルシアン様に、お兄様は凍てつく瞳のまま刺すような視線を送っています。

ですが、その顔には苦しさも含まれていました。


(…… もし私が、フェリシアやオリエルに裏切られたら……それは、言葉には表せないぐらい、悲しい……)


やり切れない思いに、胸がぎゅっと締め付けられます。


「おまけになになにぃ? 治癒して、防壁魔法展開して、火魔法で焼き切ろうとして、風魔法で瞬時に移動して、氷の剣? 5重に魔法行使って、マジで凄すぎ。……やっぱ、お前も兄上と同じ天才だよなぁ」

「…………僕は、天才なんかじゃ、ない……」


昏い瞳で侮蔑するような笑みを向けられながらも、お兄様はどこか哀しみを湛えた眼差しを返しました。

構えたままの剣先が、僅かに震えています。


「あぁっ! 出た出た!! そーやって、結局俺みたいな凡人を馬鹿にしてんだよねぇ。兄上だってそうだ。俺を馬鹿にしてんのさ。ま、父上もそぅなんだけどさぁ。ほぉんと、皆してよってたかって俺を馬鹿にしやがって……俺を……っくそ……だから、結局、いつも俺は除け者で……いつも…」

「……ルシアン……何で、こんな……」


顔を伏せたルシアン様は、そのまま何かをずっと呟いているようでした。

その様子を悲痛そうな面持ちのままで暫く見つめたお兄様は、剣先を下げると私の元へと駆け寄りました。


「っルゥナっ!!」


お兄様の空色の瞳は今にも泣きそうな程揺らいでいて、私の頬に触れるその手は酷く震えています。

顔色は真っ青を通り越して怖いほど白く透き通り、よく見ると髪は汗で濡れ隊服も土埃にまみれ、とても無理をしたんだとすぐに分かりました。


「アル……大丈夫。もう治癒してくれたから、どこも痛くない……来てくれて、ありがとう……」


思わず溢れ落ちそうになる涙を堪えながら、頬に触れてくれる愛しい人の手に自分の手を重ねると、にっこりと微笑みました。

身体中を震わせたお兄様は、一粒だけ涙を零すと、片手で私を強く抱きしめます。


「ルゥナっ……遅くなって、本当にごめん……」

「ううん……大丈夫。遅くなんて、ないよ。来てくれて、本当にありがとう……」


彼の背中に回した腕に力を込めて全身でその温もりを感じた途端、私もポロポロと涙を溢してしまいました。

庇うように私を抱き寄せたお兄様が、まだ項垂れたままブツブツと何かを呟き続けているルシアン様へと目を向けます。

その狂気じみた姿を見た途端、私の背中にぞくりと悪寒が走り、彼の身体に少しだけ縋るように身を寄せてしまいました。


「ルゥナ、とりあえずこれ着て……」

「……うん。ありがとう……」


ルシアン様の状態を確認しながら、手早く漆黒の隊服の上着を脱いで差し出してくれたので、急いで袖を通していきます。

ずっと様子のおかしい第二王子に目が離せないまま着替えを終えると、広げてくれているお兄様の左腕の中へ飛び込みました。

大きく息を吐きながら私の身体を抱き寄せたお兄様は、憂いを含んだ表情で顔を伏せたままのルシアン様を見つめます。


「……ルシアン、何故、ルゥナを……こんな事を……」

「……ルシアン様、ノアプティアって私を呼びましたよね? あれは、どういう意味なのですか?」

「ノアプティア? ……誰だ……僕も知らない……」


その名を出した瞬間、俯いていたルシアン様の身体がびくりと反応しました。

怪訝そうな表情をしているお兄様と一瞬瞳が交差したのですが、すぐに私たちは視線を戻します。


「……はは。ははははは。そんなに自分のもんだってアピールすんなよ、アルフレート。身体にもあんなに痕残しやがって、マジで独占欲丸出しだなぁ。お前真面目だからか、やる事もすげぇなぁ、はははは。マジ徹底してるわ。ま、そこも兄上に似てて、すっげ腹立つんだけどなぁ。天才さんはいいよなぁ、本当。はははは」


くつくつとおかしそうに笑いながら、狂気を孕んだ目をした第二王子がゆっくりと顔を上げました。

その目にゾッとしていると、身体に回された腕の力が強くなります。


「はははは。そんなに知りたいならさぁ。教えてやるよ。そこのルーナリアは、カーティスの娘。本来の名前はノアプティア。──俺の結婚相手だ」

「っ……!」


私を抱くその手がピクリと震え、息を呑むのが分かりました。

呼吸するのを忘れそうなほどの驚きで、ぴたりと私を差し示ししているルシアン様をただ呆然と見返します。

その顔は酷く哀しそうで、今にも泣きそうなほど辛そうでした。


「俺の憧れのイントゥネリー様は、娘が産まれたら俺の嫁にしてくれるって約束してくれてた。ノアプティアが産まれた時、俺はすぐに会いに行った。予定通り本当に女の子で、俺は震えるほど喜んだ。金色の髪をふわふわさせて、まだ産まれたてのプティアは、顔がくしゃくしゃで……」


その時の事を思い出しているのか、ルシアン様は遠くを見つめながら微笑んでいます。


「でも、ちっこい手で俺の指を握りしめてくれてんだ……今でもハッキリと覚えてる……」


切なそうな顔でそう溢すと、自分の手をジッと見つめました。


「……それからも、俺は何度かプティアに会いに行った。といっても、俺は王族でプティアはカーティス家の娘だ。表立って行けるはずもなく、いつもお忍びだった……でも、それも最初は出来たけどすぐにダメだと言われ行けなくなった……」

「……ルシアン……」


「ははは。アルフレート。お前より先に、俺は会ってたんだよ! 闇魔法を行使できるのはカーティスの血筋の者だけだ。王城でルーナリアが防壁魔法にしたのを見た俺は、すぐに分かった。おまけにその髪色だ。プティアに間違いないってすぐに分かった。……なのに、なのに俺のプティアを、横から奪いやがって!!!」

「…………ルゥナは、プティアではない。プティアは『カーティスの惨劇』により、処刑された」


お兄様は凍てつく眼差しをルシアン様に向けていますが、私を抱きしめている指は僅かに震えていました。


「っ!! 俺と約束してくれたあの人が、王家転覆なんてするはずないんだっ! それに、プティアは死んでないっ!! ……死んだってのは、嘘だった……そう、父上も、兄上も、俺にプティアは処刑されたって……そう言ってたのに……ははは………くそっ! 俺が侍女を脅してプティアを必死こいて探している間に、お前はプティアを自分のもんにしやがって……! お前もあいつらと一緒だ! あいつら、俺のこと馬鹿にしてんのさ……そうやって、俺のこと笑ってるのさ……ははは。くそっ! 俺のこと馬鹿にしやがって!! ……どうせ俺は……プティアが生きていた事すら教えられず………いつもいつも……」


笑ったと思えば悲しんだり、かといえば怒ったりする正気を疑うような姿に、ぶるりと身体を震わせてしまいました。

お兄様の身体にぴたりと身を寄せ、彼の温もりを感じながら一度ぎゅっと目を瞑ります。


例え私がノアプティアなのだとしても、今の私はルーナリアであり、お兄様のルゥナ。

カーティス家が惨劇を起こし、皆死んでしまった事も変えられない事実。


時を戻す事は出来ない……


──これが、織りなされた、私の運命だから。


(……でも、ルシアン様もまた、狂った歯車の犠牲者なのかも知れない……王族とカーティスの間の長きに渡る亀裂の……)


静かに目を開き、目の前で立ち尽くしている第二王子を瞳に映します。


「……ルシアン……僕は……お前を馬鹿にした事なんて、ただの一度もない……」


空色の瞳に深い哀しみを湛えたまま、狂気に満ちたルシアン様へそっと言葉を送りました。

幼い頃から仲良くしてきていた彼にとっては本当に辛い事実で、胸を抉るような悲しみが伝わってきます。


「はぁぁ。真面目なアルフレートは、仲良しの俺が実はこんなんだって知って、酷く傷付いてるんだ。本当、いつもいつもお優しいねぇ……」


紺碧の瞳は虚なまま、ただただ昏い目で私たちを見据えました。

一瞬固く目を閉じまつ毛を震わせたお兄様がスッと瞼を開くと、どこまでも澄んだ空色の瞳が現れます。


「悪いがルシアン。時は戻らない。それに、ルゥナは僕の伴侶だ。例えお前がノアプティアを必要としていたとしても、僕はルーナリアを渡すわけにはいかない。──ルゥナとも、約束しているから」


凪のように凛と佇むお兄様を、深淵の闇に堕ちたような瞳のルシアン様がぼんやりと見つめました。


「ルシアン様。産まれた時はノアプティアだったとしても、今はルーナリアです。ルシアン様のプティアは、もう何処にもいないんです……」

「………あ、そう……そっかぁ。まぁ、そーだよねー。俺、何やってんだろ。あぁ、そうだ……俺は、何にも悪くない……悪いのは、皆の方だ……そうだよ……」


ぐったりと俯いたルシアン様の陰から、ぽとりと一粒の雫が落ちるのが見えました。


「……ははは………ならさぁ……──皆で仲良く、ここで終わらせようぜぇ」


そう言ってパッと顔を上げたその頬が、雨のように濡れているのが分かりました。

大きく両手を広げたルシアン様の周囲から、辺りを包み込むほどの眩い光が発せられていきます。


「っルゥナっ……!」



光の洪水が、全てを呑み込んでいきます──


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