第45話 北の砦の戦い sideアルフレート
別れ際最後の、僅かに怯えた顔をした愛する人の姿が、目に焼き付いて離れない。
「……ルゥナ……」
駿足移動で流れ行く景色を視界に映しつつ、先ほどからずっとこびりついている嫌な予感に胸が苦しくなってくる。
ルシアンにルゥナを託すのは、本当に最後まで悩んでしまった。
砦へ戻したあの騎士隊員をつければ良かったのだろうが、事態は一刻を争うため、ルシアンに頼むという選択肢しか残されていなかった。
じりじりと胸の奥を焼くような思いを抱え込んだまま、愛しい人の顔を思い浮かべる。
「……っち。今砦に第一大隊しかいないのが致命的だな」
風を切りながら、臨戦状態の第三中隊へと一緒に向かっているオリエルの方を見た。
「オリエル、前面に防壁魔法を展開する。もっと速度を上げられるか?」
「っ! そ、そんな事がっ!? だ、大丈夫です!」
キッと前を見据えたオリエルに小さく頷くと、前方に防壁魔法を展開させ風魔法の速度を上げていく。
周囲の景色が、飛ぶように移り変わっていった。
暫くすると、前方から黒く蠢く塊が見え始めた。
その中に所々
薄い色合いの中に朱色が混じっているの確認すると、明らかな戦況の不利に焦る心を必死に抑えた。
「っくそ!」
顔を
ーーーピキィィィィィィイインッッ!!!
黒い塊だけに向かって魔力を解き放つと同時に、目の前に現れた魔物を魔力を込めた剣で貫く。
凍りついた魔物たちは全て粉々に砕け散って、空中へと溶けていった。
黒い塊となっていた魔物の群れがなくなり、騎士隊たちが呆然とした様子で突っ立っている姿を急ぎ確認する。
「中隊の半数しか立っていない、か……」
思ったよりも厳しい戦況に、思わず顔を曇らせてしまった。
「あ、アルフレート様……!」
剣を構えたまま、まだ狼狽えた様子で声をかけてきた騎士隊を見据える。
「負傷者は下がらせろ。サポート役は後方待機。治癒に全力を尽くせ。動けるものは魔力の残量に注意しながら僕に続け。こまめに前衛と後衛を
「「はっ!」」
残っている騎士隊に声をかけながら指示をすると、ようやく混乱から落ち着いてきたのだろう、きびきびとした様子で各自動き出し始めた。
皆の士気が上がったのを感じ、ホッと息を吐いた。
ふと見ると、近くに倒れている騎士隊の藍白の隊服の、胸元辺りが赤く染まっていた。
顔色が随分と悪いのを見て、急ぎその騎士隊の元へと向かう。肺を貫かれたのか、口からヒューヒューと喘鳴が漏れ出ていた。
「大丈夫か?」
すぐに治癒魔法を行使し、負傷した部分を治癒していく。魔力の残量を考慮し、ここで治癒に徹する訳にはいかないと思いながら、隊員の呼吸が落ち着いたの確かめると顔を上げる。
「治癒できそうにない重症者がいた場合、
すぐそこにいた青白い顔の騎士隊が小さく頷くの見ると、前方から引き続き迫りくる魔物の群れを
さっきの駿足移動の魔力展開と魔法行使から、得意属性は風だと当たりをつけていたオリエルに視線だけを送る。
「オリエル」
「は、はいっ!」
「お前は突っ込むのではなく、戦況を的確に把握して僕の補佐を行え。第一・第五中隊の戦況にも注意を払いながら、適時僕に知らせろ」
「はいっ!」
剣に魔力を込めていくと、周囲にも魔力展開を開始する。
前方から近づいてくる魔物の塊を目視すると、おおよその数を推察していき理論構築を弾き出していく。
「とりあえずこの辺り一帯の魔物を殲滅させる。上空に現れる魔物は、任せたぞ」
「はいっ!」
駿足移動の魔力展開をし、前方の魔物の大群との距離を一気に詰め懐へと飛び込んでいく。
ーーバシュッッッッッ!!!
目の前の魔物の急所を一突きすると、剣から溢れる魔力で一瞬で凍りつき、剣を抜く間に砕け散っていった。
氷のカケラが舞い落ちる中、すぐに次の魔物へ向けて駿足移動すると、構えた剣で貫く。
「凍れ」
周囲に魔力展開していた魔法行使を行い、僕を取り囲んでいた魔物の群れを一瞬で凍らせる。すぐさま前方にある蠢く黒い塊に目を向けると、再び魔力展開を開始する。
「っち!」
風の流れに乗るように駿足移動をし、ひんやりとした空気を抜けながら魔物の群れへと斬り込んでいく。
「アルフレート様っ!」
ーーーッザシュッッッッゥ!!!
上から降ってきたバラバラの肉片で、オリエルが上空の魔物を切り刻んだ事を知る。
飛んでいる相手に対しての的確な魔法行使とその威力に、思わず口の端が上がってしまった。
周囲を埋め尽くす程の魔物の中で、捉えたモノから確実に
次々に、辺りから氷のカケラが舞い散っていき、そして消えて無くなっていった。
どれくらい経っただろうか──じんわりと頭から汗が流れ出ていくのを感じながら、静かになった周りを見渡していく。ひとまずこの辺り一帯の魔物を殲滅する事が出来たのを確認すると、剣に込めた魔力を小さくしていった。
「オリエル、状況は?」
「はい! 負傷者は全員後方へと退避完了。アルフレート様が周囲を殲滅してくださったので、今は索敵を中心に行っています」
額の汗を拭い目を僅かに伏せると、軽く息を吐いた。
「……死者は…?」
どうしても苦しくなる気持ちを抑える事が出来ないまま、顔を歪ませながらオリエルに視線を向けた。
「アルフレート様のおかげで、死者は出ていません!」
「……そうか……」
顔を俯かせて大きな息を吐くと、握りしめている剣を持つ手が僅かばかり緩んだ。
「オリエル、魔力残量はどうだ?」
「まだまだいけますっ!」
剣をぐっと握り締め、鋭い目つきで僕を見つめるオリエルを頼もしく思い軽く笑いかけた。
「分かった。引き続き補佐を頼むぞ」
「はいっ!」
意気込むように更に剣を握り締め前を見据えるオリエルと共に、結界の方向を注視する。
まだ魔物の姿は確認できないが、気を緩める事なく寒々しい土地の先にある揺らめく光を見つめ続けた。
「オリエル、第一・第五の状況は分かるか?」
「第一・第五には第四が合流したようです。戦況は悪くなさそうですが、どうしても消耗戦になると厳しいかと思われます」
「だろうな……」
前方に注意を払いながらチラリと確認したオリエルの顔は、若干強張っていた。
「このままのペースで魔物の群れが侵入し続けると、正直一個大隊しかいない今の状況はかなり分が悪い、か……ルシアンが近衛隊のアウルムとプラータを返してしまったのも、タイミング的に最悪だな……」
視線を固定したまま、一瞬だけ思考の波へと潜っていく。
「──負傷者の様子はどうだ? 戦線に復帰出来そうな者は何人ぐらいだ?」
「……は、はい……! 第二のサポート支援が上手く機能してきているようなので、半数は戦線に復帰出来そうです!」
僅かに目を伏せると、瞬時に頭の中で計算を巡らせていく。隣のオリエルは、固唾を飲んで僕の言葉を待っているようだった。
「とりあえず回復の流れが上手く軌道に乗れば、ローテーションで何とか凌げるな。砦の統括が別の隊へ連絡を取り、合流するまでの辛抱、か……それまで、この人員で保たせれば………オリエル! 引き続きサポート体制を強化して負傷者の治癒にあたらせろ。回復薬の使用を惜しむな。余裕が出てきたら、索敵にも人員を割け」
「はいっ!」
僕の指示を他の騎士隊へと伝えに行ったオリエルの後ろ姿を見送ると、微かに息を吐いた。
「サポート体制は、まずまずだな……砦にいた第一大隊が精鋭部隊だったのが幸いだったな……すぐさま各自が状況を立て直せたのが大きい……にしても、オリエルの的確な情報収集能力と判断力は、頼もしいな……」
思わずこぼれ落ちる笑みを自覚しながら、薄らと湿った前髪をかき上げた。瞬間、フッと新たな気配を感じ、凍てつく眼差しでゆらゆらと光り輝く結界の先を注視する。
「……また来るのか?」
向こう側から迫り来ている魔物の数を視認し、何かがおかしいと眉を寄せる。
「これは……東の砦……?」
ルゥナが東の砦で結界を
「……北部は東部よりも、結界の破綻が少ないはず……だがこれでは、東部よりも……一気に結界の破綻が加速したと考えるより、むしろ……」
さっきから頭の中を占めている震えるほどに嫌な予感で、指の先まで冷たく凍りついていくような心地になる。
「………ルシアン……っく…!」
構えた剣を強く強く握りしめると、溢れ出る魔力で冷気が周囲にも漏れ出てきた。
思わず噛んだ唇から、血の味がした。
結界が破綻していなくても、結界を
結界を弄れる人間は──そこまで考えると、目を閉じる。最愛の人の顔が瞼の裏側に浮かび上がり、どうしようも程の想いで頭がおかしくなりそうになった。
「……ルゥナ……」
彼女を呼ぶ声を耳にすると、揺らめく結界の向こう側でその気配を濃くした魔物の群れを瞳に映した。
急ぎ飛ばした風便の行方に
「アルフレート様! また、魔物の群れが侵入してきています!」
「……オリエル、第一・第五も同じような戦況か?」
魔力を抑える事が出来ないまま確認すると、一気に顔色を悪くさせたオリエルが半歩後ろへと下がった。
「……あ……さっき、
視線を逸らしながら報告をしたオリエルを目にし、暴れそうになる己をなんとか理性で鎮めようと、一度固く目を瞑り大きく息を吐いた。
震える剣先を感じたまま、思考を巡らせていく。
このままここで僕を足止めするのが、ルシアンの目論み。騎士隊を取るか、ルゥナを取るか──様々な想いが一瞬の間に渦のように駆け抜けていった。
「……オリエル、悪い………」
スッと目を開くと、隣に並ぶ愛しい人の親友を見つめた。
僕の様子がおかしい事に気が付いたオリエルは、さっきまでの怯えはなく気遣うような眼差しを送っていた。
「……ルゥナが、危ない……」
「……っ!」
息を呑んだオリエルは、何かを思案するように目を伏せると、すぐに視線を戻した。
「……アルフレート様。お陰で大分ローテーションも軌道に乗ってきています。こっちは大丈夫ですので、ルーナリアを……」
顔色を悪くさせながら僕を見つめてそう言った瞳から、決死の覚悟が見て取れた。
剣を握りしめているオリエルに、優しく微笑みかける。
「……オリエルが死んだら、ルゥナが悲しむ。僕は、ルゥナに怒られてしまうよ……」
「……アルフレート様……」
泣きそうな顔をしているオリエルに再度笑いかけると、自分の魔力残量を考慮しながら、握りしめた剣に魔力を込めていく。
「……大丈夫。僕に考えがある。ただし、魔力をかなり消費するし、
「っ! もちろんです! 俺は何をすればいいですか!?」
瞳に煌々とした輝きを宿したオリエルは、前方から迫り来る魔物の群れをキッと見据えた。
「結界の前に行く僕を全面的にサポートして欲しい。魔物の殲滅は全てオリエルに任せる事になる。出来るか?」
「やります! やってみせます!」
「僕は魔力展開に集中する。──僕の命、オリエルお前に預けたぞ」
「はいっ!」
駿足移動を展開すると、結界側から迫り来ている魔物の群れへと一気に突入していく。結界のギリギリ前まで辿り着くと魔力展開へと集中を開始する。
周囲を魔物の肉片が次々に飛び散っている中、背中越しからオリエルの温もりが感じられた。
かなりの広範囲の魔力展開にいつも以上に時間がかかるが、焦りそうになる自分を抑えオリエルを信じて集中を続ける。
蠢く黒い塊で全てが埋め尽くされているのが分かったが、僕の前にその脅威が迫り来る事はなく、ただひたすら周囲を物凄い速さの風が吹き荒れていた。
「……オリエル、良くやった」
魔力展開を完成させると、込めた魔力でふわりと僕の髪が舞い上がった。
魔力の流す時、僅かに自分の瞳の色が濃くなったのが感じられた──
ーーーゴゴゴゴゴゴォォォォォッッッッ!!!!!!!!
周辺一帯から、ひんやりとした空気が流れ込んでくる。冷気特有の鼻を刺す匂いが、周囲に充満していた。
「こ、これは……氷の、壁……?」
「オリエル! 残っている魔物を殲滅しろ!」
「は、はいっ!!!」
ハッとしたオリエルは、風魔法の展開を広げて旋風を巻き起こしていく。
凄まじい速度で魔物の群れが薙ぎ倒されていくのを見て、思わず口元をほころばせた。
砦側から、他の騎士隊も駆けて来るのが見えた。
結界から侵入してきていた魔物をすぐさま全て殲滅し終えると、剣を鞘に収めた。
「オリエル、これで暫くは魔物の侵入がないはずだ」
「いや……マジですげー……こんな広範囲で、氷の壁って……」
オリエルはポカンと口を大きく開けながら、目の前に出来た壁を呆然と見つめていた。
結界に穴が開いていると認識した僕は、
結界自体を弄る事は出来ないが、その前に物理的に壁を作る事なら出来る。
中隊の交戦範囲から、おおよその結界の穴の位置を確認し、その前に土と氷で出来た壁を張り巡らせたのだ。
「氷は表面を覆っているだけで、中は土だぞ。その方が保ちがいいだろ」
「マジ!? それって、2属性の2重行使って事っすよね!? おまけに、こんな広範囲って……ありえね〜。マジで化物レベルだわ……」
「お前、近衛隊目指しているんだろ? なら、このぐらいして貰わないとな。さっきの風魔法の行使も良かったぞ」
にこやかに笑いかけると、オリエルはげんなりしているような顔を見せた。
「ウゲー。アルフレート様の部下になると、こうやって叩き込まれていくのか……」
「後は頼んだぞ、オリエル」
雰囲気を戻した僕に、オリエルも真剣な眼差しを返した。
「はいっ! 任せてください、アルフレート様っ!」
大きく頷くと、最大出力の駿足移動を展開し、一気に戦場から離脱していった。
飛ぶように去っていく景色の中、空から優しい月明かりが僕を照らしている事に気が付く。
「ルゥナと別れたのは、夕方だった……ルゥナ……」
視界の片隅にある月の姿を拠り所に、焦りで判断を誤らないようにと自らに何度も言い聞かせる。月の位置から別れてからの時間をおおよそ計算し、グッと両手を握りしめた。
「……落ち着け……浮遊魔法の理論展開が不得意だったはずのルシアンが、遠くまで連れて行けるはずがない……おそらく……」
森を抜け開けた場所に飛び出ると、視界の左手に街の明かりが薄らとだけ確認できた。砦の南西に位置する街に潜伏出来る訳がないと確信していたため、そのまま西に向けて移動を続ける。
どういう目的であれ、ルゥナを攫うのなら気絶させて意識を無くしている事は間違いなかった。そんな人間を馬に乗せたまま、人里離れた場所にある砦から長距離移動する時間はなかったはずだ。
──潜伏するのなら、この辺りになることは間違いない。
頭の中で北部の地図を開いていくと、目指すべき場所について絞り込んでいく。
北部の山の麓に数多くある鉱山は、その多くが砦のほぼ水平線に位置している。自然結界に近い場所にあたるため、北部の騎士隊は鉱山の警護も担っているのだが、ここ最近の魔物の増加の影響で現在ほとんどの鉱山が閉まっていた。
以前北部へ赴いた際に確認した全鉱山の状況と、そして閉まっている鉱山の位置と現在の位置を照らし合わせていく。
「……鉱山にある鉱夫用の小屋……あそこしか、ない」
前方に防壁魔法を出現させ風の抵抗を無くし駿足移動の風魔法を最大出力にすると、導き出した場所へと向かっていく。
あっという間に過ぎ去っていく景色の中、柔らかな月明かりだけが変わらずにあった。
「あれはっ……! ……っくっ! 間違いないっ!!」
暗闇の中、前に見える小さな小屋から僅かな灯りが漏れ出ているのを目にすると、震える手を抑えながら一気に速度を上げ扉を蹴破った。
「……!」
ボロボロに切り刻まれた服を
僕は、目の前が真っ赤になった───
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