第38話 静かなる墓標 sideアルフレート

暫くの間肩を震わせていたエメットが、目元を拭うと伏せていた顔を上げた。


「……はぁ、大変失礼をしました。歳をとると涙脆くなってしまって……ルーナリア様はダネシュティ家に引き取られ、内密に育てられていたのですね。ダネシュティ家も、よくもまぁ、そんな無茶な事をしたものです」

「……お母様が、アナベラお母様が私を助けてくださったんです。お母様は、とても素敵な方です……」


半ば呆れるような顔しながら柔らかく笑うエメットに、ルゥナは嬉しそうな笑顔を見せた。

ルゥナが屋敷に来た日の事を今でもハッキリと覚えている僕は、母上の当時のその判断に改めて尊敬の念を抱いた。


「それで、今はルーナリア様の伴侶にアルフレート様がなられたと言う事ですね」

「あぁ。僕はルゥナを一目見た瞬間から、彼女に逢う為に産まれてきたのだと思っていたからね。絶対結婚するんだとずっと思っていた」

「そうですか……」


僕の言葉でルゥナは頬を赤く染めるが、エメットは僅かに目を伏せた。


「──それで、僕たちは今、結界修復のための旅をしているんだ」

「っ! な、なんとっ! では、では、『闇』を司るカーティスの本来の意義を、役目を……! ルーナリア様が継承してくださって、いるのですね……これで、この世界は救われる………イントゥネリー様も、さぞかし喜んでいらっしゃるでしょう……それこそが、の方の本懐でしたので……」


驚愕で大きく目を見開いたエメットは、もう隠すこともなくその目から涙を溢れさせた。

ルゥナはそっと席を立つと、優しくエメットの肩を撫でた。


「……結界は、破綻したりしません……王家とも協力出来ています。もう何も、心配はありません、エメットさん……私が、カーティスの役目を引き継ぐ事が出来ましたから……」

「な…なんと……うぅっ……イントゥネリー様……っぅ……ぁぁあああっ……!」


エメットははばかる事なく身体を大きく震わせながら号泣した。

涙を流すエメットの背中を撫で続ける彼女の在り方の美しさに胸を打たれた僕は、愛しい人の姿を微笑みながら見つめた。


「恐らく、イントゥネリー夫人の結界再構築の闇魔法は、西部と南部の部分では成功したのだろう。道理で魔物の侵入が、場所によって頻度が異なっていたはずだ」


先ほどの話を聞いて心当たりがあった僕はエメットに説明をした。

もしかしたら、王国の食糧庫とも言える穀倉地帯がある西部と、海という人にとって不利な状況にある南部の結界を優先させたのかもしれない。

イントゥネリー夫人はとても聡明な方だと言っていたから、この予想はほぼほぼ当たっているはずだ。


「そう…だったの、ですか……北東部に位置するここでは、最近は特に魔物の侵入がかなり頻繁でした。騎士隊の方の活躍もあって街の人々はまだ気にしてはいませんでしたが、結界の事実を知っている私は怖くて怖くて仕方がありませんでした……近い将来、この王国は魔物に蹂躙されてしまう……それなのにイントゥネリー様のなさった事は無駄だったのかと、虚しい日々を送っていたのです……」


少し落ち着いた様子のエメットは、涙を拭いながら溢すように呟いた。

事実を知っていながらも、どうする事も出来ずにただ破滅へと向かう王国を1人静かに見ているだけ。

そして王国の為に命をかけた主人は、ただ悪名だけを轟かせ悪様に言われその結果は無駄骨だった。

それはなんて残酷な事なのだろうかと、想像するだけで胸の内が苦しくなっていった。


「ふぅ……ありがとうございます、ルーナリア様……あなたは、本当にカーティスの血筋を色濃く引かれたお方ですね。その芯のある強さと優しさは、イントゥネリー様に通じておりますよ」


エメットはどこかすっきりした様子でルゥナに笑いかけると、席へ戻るように促した。


「さて。あの墓の前でルーナリア様とお会いした事こそ、まさしくイントゥネリー様のお導きでしょう……あそこには、イントゥネリー様と、アウローラ様の遺灰が埋葬されています……」

「そんな……そう、だったのですか……」


ルゥナは哀しそうな瞳で、さっきまでいた墓標のある方向へと視線を送った。


「処刑されたイントゥネリー様とアウローラ様のご遺体は焼かれ、後には遺灰のみが残されました。私は処理をする民に混じって、こっそりとその遺灰を回収したのです……もう、どちらがどちらとも分かりませんでしたが……当時はルーナリア様もその遺灰に交じっていると思っていました……アルバ様もザリアー様もへオース様も、魔族の討伐に行かれたままご遺体も残っていない状況だと聞いております……その頃は王国中が酷く混乱しておりましたしね……きっと魔族を討ち取ったのは、アルバ様たちだと私は思っております……」


目頭を押さえたエメットは、泣くのを我慢するように一瞬顔を歪ませた。


「惨劇で取り潰しとなったカーティス家は、全ての物が処分されました。今はもう、イントゥネリー様の姿を写した物だけでなく、何一つ残っておりません……」


ルゥナにイントゥネリー夫人の面影を見たのだと思われるエメットの目は、懐かしそうに細められていた。


「遺灰を持ったままここに移り住んだ私は、こっそりと墓場に埋葬したのです。今はもう、カーティスを知る者は私ただ1人となりました……」

「……エメットさん……」

「毎日その墓標の前で王国の安寧を願っていたのですが……まさか、そこで……ルーナリア様とお会いするなんて……まさに奇跡としか言いようがありません……」


エメットは身体を一度大きく震わせると、遺灰が埋まっている墓場のある方へ視線を向けた。

ルゥナは何かに呼ばれるようにここに辿り着いた。それはまさに、イントゥネリー夫人の導きとしか言いようのないものだった。

隣に座るルゥナの様子を確認すると、どこかぼんやりとしたままエメットと同じ方向を見つめていた。


「……ルゥナ……大丈夫?」


気遣わしげにルゥナの顔を覗き込むと、ハッとした様子で僕の目を見つめ返した。


「アル兄様……大丈夫です……そうですね、色々とまだ混乱はしていますが……」


僅かに伏せたその瞳を縁取る金色の睫毛が、ふるふると揺れていた。

少しばかり硬直して血の気が引いて冷たくなった頬を、温めるようにてのひらで包み込んでいく。


「アル兄様……」

「ルゥナ……墓参りに、行こうか」

「……はい……」


ルゥナはゆらゆらと瞳を揺らしながら、温かみの戻った頬を緩ませて柔らかく微笑んだ。

一度彼女の小さな頭をそっと撫でると、手を差し伸べた。

一片の躊躇ちゅうちょも無く僕の手を嬉しそうに握り締めるその手に、愛おしさを込めながら優しく握り返した。


「……ご案内いたしましょう……」


僕たちは手を繋ぎながら、エメットの後を静かについていった。




頬にあたる風はまだ強いけれども、晴れ渡る空で満ちた空気はとても澄んだ匂いがした。

既に日暮れも近いようで、西の空が綺麗な茜色に色付いている。


恐らくエメットが毎日手入れをしていると思われる墓場は、見事なまでに綺麗に整備されていた。

そのためどこか静謐せいひつな雰囲気が辺りに漂っていて、清々しさを感じさせた。


「……エメットは、脚を悪くしたのか?」


彼の少しだけ庇うような歩き方が気になって、ついつい尋ねてしまった。

ルゥナはやはり気が付いておらず、驚いた様子で僅かに目を見開いていた。


「ははは、さすがアルフレート様ですね。日常生活には全く支障がない範囲なのですが、よくお分かりで。これは産まれつきですので、お気にされずに」

「そうだったのか。すまないな」


どこか切なそうな顔をしたエメットに小さく頷くと、彼の今までの人生を思ってやるせない思いに駆られた。


エメットが案内してくれた墓標は何も記されておらず、ただ可憐な山茶花さざんかが供えられていた。


「……ここです。こちらに、イントゥネリー様と、アウローラ様が眠っておられます。私は家に戻っておりますので、ぜひゆっくりとお話しされてください」


ルゥナは示された墓標の前に立つと、一度きゅっと目を瞑った。

睫毛を震わせながらゆっくりと瞼を開くと、綺麗な眼差しで墓標を見つめる。


「……初めまして、イントゥネリー様。初めまして、では無いかもしれませんが……私にとっては、赤ちゃんの時の記憶が無いので、こんなご挨拶になって申し訳ありません。……今日、私をここに導いてくださったのは、イントゥネリー様だったんですね……」


ふっと軽く息を吐くと、一瞬僅かに目を伏せた。


「……そのおかげで、エメットさんに色々教えて貰い、カーティス家は何者だったのが、自分が何者なのか知る事が出来ました。それは、本当に本当に嬉しい事でした。ありがとうございました……アウローラお兄様も、一緒にいらっしゃるとの事で……私は、こうして大きくなって元気で生きています。結界の修復も問題ありません。カーティスの名は残りませんが、その本来の役目を取り戻す事が出来ました。……ですから、どうか安らかに眠ってください……」


ルゥナは揺れる瞳のまま、ジッと墓標を見つめている。


「……私を産んでくれて、ありがとうございます。……イントゥネリーお母様……」


僅かに震える手で両手を握りしめると、ルゥナは祈るようにそっと優しく囁いた。

その瞳からは、綺麗な涙が溢れ出ていた。


「……イントゥネリー夫人。僕も、ルゥナを産んでくれた事を心から感謝しています。本当にありがとうございました。貴方のおかげで、僕はルゥナに出逢う事が出来た……僕と同じ歳のアウローラも安心して欲しい。僕はずっとルゥナの『兄』だったから……君の想いは受け取っているよ。──ルゥナは、僕が幸せにするから、どうか皆様安らかに眠ってください」


墓標の前で、死者への冥福を祈り、静かに瞼を閉じた。

その遺体がどこに眠っているかも分からない、ルゥナの実父アルバ様と2人の兄達にも、安らかな眠りを心から願った。


目を開き隣にいるルゥナを見ると、その瞳からは益々涙がぽろぽろとこぼれ落ちていた。

涙で濡らしている頬を、夕陽の光が優しく照らし出していて、あふれる涙がキラキラと輝いていた。


「…アル兄様……ありがとう……」


泣きながら笑う、ルゥナの小さい頭を掻き抱くように引き寄せると、華奢な身体を強く抱きしめた。

彼女はその小さい身体を、僕の腕の中で震わせた。


黄昏時の山の端はまるでルゥナの瞳のような黄金色で輝いており、深い深い天色をした空には黄昏月がその姿を現していた──

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