第33話 トラウマ
震える瞼を感じながら、ゆっくりと目を開きます。
(ここは……)
朦朧とした意識の中、自分の記憶を探っていきます。
(確か、結界で……)
その途端一気に意識を失う前の出来事が蘇った私は、パチリと覚醒しました。
「ルゥナ……」
声のする方を見ると、酷く悲痛そうな顔をしたお兄様が私を覗き込んでいました。
ベッドの下に座り込んでいる彼の手が、私の手を強く強く握りしめています。
「アル、にいさま……? 良かった……無事で……」
「良くないよ……ルゥナ……全然、良くない……」
お兄様は私の手を顔に寄せると、抱え込むようにしながら俯きました。
「アル兄様? どうしたんですか? あ、結界修復は上手くいきましたか? ルシアン様もご無事ですか?」
彼の様子がおかしいと思い、半身を起こすと俯いたままのお兄様の肩をそっと撫でます。
私の手が触れた途端ピクリと身体を反応させたお兄様が、暫くすると小刻みに震え始めました。
「アル兄様……? 大丈夫ですか? どうして……」
尋常ではない様子に酷く狼狽えながら、私の手を握りしめるその手を取りました。
深く息を吐いてゆっくりと上げた顔は酷く辛そうで、空色の瞳は大きく揺らめいていました。
「アル兄様………隣に、来て?」
床に座り込んだままのお兄様を引っ張り上げるようにすると、一緒にベッドの縁に腰を下ろしました。
繋いだ手をぎゅっと握りしめると、その身体に身を寄せます。
「アル兄様……ごめんなさい。心配かけました……魔力切れしちゃいましたけど、もう大丈夫です」
「大丈夫じゃないよ! 何であんな無茶を! ……っ! ごめん……そんなつもりじゃ……」
大声で怒鳴ってしまった後、酷く傷付いた表情を浮かべたお兄様は、顔を隠すように俯きました。
繋いでいるその手は、僅かに震えていました。
彼の手を両手で握りしめると、胸の中へ掻き抱く様に包み込みます。
「アル兄様……私たち、夫婦です。私、アル兄様の、アルの想いをもっと知りたいです。……話して、くれませんか?」
その言葉を聞いたお兄様は、パッと顔をあげて私を見つめました。顔色は青白く、苦悩を映し出しているかのように睫毛が震えています。
「…………怯えているんだ…………」
ぽつりと、彼はそう溢しました。
「僕は……僕は、ルゥナを喪ったら、生きていけない……」
目に映るお兄様の空色の瞳が揺れたかと思ったら、涙がつぅっと流れ落ちました。
それはまるで、晴れた空から降ってくる雨の雫のようでした。
「……アル兄様……」
「
ふるふると金色を睫毛を震わすと、硬く閉じた眦からぽろりと一雫の涙がこぼれ落ちます。
私が
お兄様の言葉で、私は彼への愛を思い出して生きる事が出来ました。でも、あの件が愛しい人をこんなにも深く苦しめていた事を、今になってやっと知ったのです。
お兄様は、いつもいつも私に優しく、そして強くあろうとしてくれている──
「私、そんなにアル兄様を傷付けていたんですね……ごめんなさい……」
「っ! ルゥナは、悪くない………」
涙でキラキラと輝くその瞳を、じっと見つめました。
それはまるで、全てを浄化してくれる天気雨のような美しさを湛えていました。
握りしめていた手を離すと、お兄様の膝の上に跨って濡れたままの頬を優しく撫でます。
「もう絶対に、アル兄様の前から消えてなくなったりしません。ずっとずっと、傍にいます。一緒に生きていこうって言ってくれたから……だからもう2度と、あんな事にはなりません」
にっこりと微笑みかけると、膝を立ててお兄様の頭を強く優しく掻き抱きました。
想いを込めて。
泣かないで欲しいから。
もう、怯えなくてもいいから。
「ごめんなさい、アル……凄く凄く辛い想いをさせてしまって……私、あの時消えて無くなりたいって思っていたんです。よく覚えていなかったけど、今なら分かります……無意識に闇属性を自分自身に使用してしまって、
私の身体を抱きしめるお兄様の頭が、一度小さく震えました。
結界を修復出来て、自分の役目がはっきりと分かりました。
カーティス家の真相は分かりませんが、闇属性については知ることが出来ました。
王命を受けた時、結界の修復のためには私自身の命を捧げてもしょうがないという想いを持っていました。
お兄様の住むこの世界を守りたかったから……
鋭い彼は、無意識の内に私のこうした想いを拾っていたのかも知れません。
でも、この身を犠牲にしなくても、ちゃんとこの世界を守っていける。
だから私は、愛しい人と愛しいこの世界と共に、ずっと生きていける。
心からそう思えるようになれた喜びで、強く強く愛しい人を抱きしめました。
「ずっと、ずっと一緒に生きていこう、アル……」
「……っ! ルゥナ……」
お兄様は強く強く私の身体をぎゅうっと抱きしめると、胸の中で震えました。
彼の頭を包み込んでいた腕の力をそっと緩めると、その涙を優しく拭いました。
綺麗に澄んだ、大好きな空色の瞳を見つめます。
溢れる彼への想いで胸がいっぱいになった私は、頬を撫でながら微笑みました。
愛おしくて愛おしくて堪らない人……
いつも私にたくさんキスをしてくれるその柔らかい唇に、そっと自身の唇を重ねました。
優しく、何度も何度も、愛しむようにその唇を喰んでいきます。
「……愛してます。アル……」
重ねた唇をゆっくり離し、まだ揺れている瞳を映しながら、そっと愛を囁きました。
「……ありがとう……ルゥナ……絶対に、絶対に、離さないから……ずっとずっと、一緒に生きていこう……! 愛してる、ルゥナ……」
お兄様は震える声のまま、私の身体を抱き寄せました。
彼の背中に腕を回し愛しい人の温もりを感じると、嬉しさと切なさと愛おしさで心がいっぱいになりました。
「……僕は、ルゥナがいないと、どうしようもない……こんな泣いて、情けない……」
耳元から、まだ少しだけ濡れたような声色が聞こえてきました。
お兄様だって人間なのだから、弱い部分があって当然です。
こうして私の前で涙を流した彼は、きっと私だから泣いてくれている──
「私は、アル兄様の泣ける場所が私で、とても嬉しく思います……私も、アルを守りたいんです……いつも一緒に、いたいから。私だって、アル兄様がいないと、どうしようもないから……」
今日魔物に襲われるお兄様を見て、愛しいこの人を喪ったらという恐怖しかありませんでした。
──私も、愛する人を支えて生きていきたい。
「……ルゥナ……」
抱きしめていた腕を緩めると、まだ揺れる瞳のままのお兄様がふわりと微笑みながら、私の頬を優しく撫でてくれました。
「ありがとう……ルゥナの、心が嬉しい……僕はいつも、ルゥナに支えられて生きているよ……」
「嬉しい……支えあって、一緒に生きていこうね、アル」
「あぁ。ずっとずっと一緒だよ、ルゥナ。……でも、あまり無茶はしないでね。ルゥナはあまり体力ないんだし。ふふ」
「ふふふ。分かってます。そこはちゃんと気を付けます」
お互いにくすくすと笑い合うと、心がぽかぽかと暖かい気持ちで満たされていきました。
お互い支えあいながら生きていく。
ずっとずっと、この人と共に在れる。
それは、魂を震わせるほどの喜びだから……
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