第32話 襲来

砦に戻る頃には眩暈も治って歩けるようになっていたのですが、お兄様が絶対に私を下ろしてくれませんでした。

羞恥で赤くなってしまった私の顔を隠すようにフードを被せてくれると、抱きかかえられたまま連れて行かれます。


部屋へ戻ると、壊れ物を扱うようにそっとベッドへと寝かされました。


「アル兄様……眩暈もないし、大丈夫ですよ?」

「ダメ。まだ顔色が良くない。今日はもう、このままベッドで休んでて」

「ありがとう、アル……」


私の頭を優しく撫でてくれるその感触に僅かに目を細めると、心配そうな顔をしたお兄様に向かって微笑みを向けます。

彼の手が与えてくれる温もりで心が満たされていく気持ちになり、自然と口元がほころんでしまいました。


暫くじっと私の顔を見つめていたお兄様でしたが、そっと唇を確かめるようなキスをしてくれると立ち上がりました。


「……ごめん、ルゥナ。ちょっとルシアンとフューラー統括に話だけしてくるから。ここで休んでてね」

「はい、いってらっしゃい」


最後までその瞳に憂いを帯びたまま、悩ましそうな表情で私を見つめるお兄様に向かって手を振ると、彼は渋々といった様子で部屋から出て行きました。



寝返りをうつと、窓から差し込む夕暮れの光が目に飛び込んできました。


(結界の修復が、出来る……)


その光の先にあるさっきまでいた場所に思いを馳せると、静かに目を閉じました。

自分が行った結界へのを、繰り返し頭の中でイメージします。

何をどうすればいいのか。あの時の感覚をじっくりと思い浮かべながら、一つ一つを事細かく感じていきます。


そして、産まれて初めて、自分の中にある闇属性の力と向き合います。


(次は絶対、アル兄様に、心配や迷惑をかけたりしない……)





髪をしっかり後ろで括った自分を確かめると、鏡の前で一度大きく頷きます。


「……ルゥナ、本当に大丈夫?」

「はい! 昨日はゆっくりしたし、すぐに寝ちゃいましたし、全然大丈夫です! 朝ご飯も食べてすっごく元気です! もう出発しますよね?」


鏡越しに目があったお兄様へくるりと向き直ると、傍へと駆け寄りながら勢いよく返事をしました。

かなりの疲労が溜まっていたお兄様と一緒に入浴を済ませベッドに潜り込むと、気が付いたら朝を迎えていたのです。


「うん。本当に、本当に無理しないでね……」

「大丈夫です、アル兄様!」


まだ心配そうにしているお兄様に向かってにっこりと微笑むと、紫紺のローブを羽織って部屋を出ます。


「アル……昨晩は魔物の侵入は大丈夫だったんですか?」

「うん。北側部分を修復できたせいか、昨日は問題なかったそうだ。おかげで僕も久しぶりにゆっくり休めたよ」

「ふふふ。良かった。アル兄様、すごく疲れてたし」

「……うん、ルゥナの、おかげだよ……だけど、本当に無理しないで……」


見上げたお兄様は、どこか切なそうな表情をしていました。


「心配してくれてありがとうございます。でも、本当に大丈夫ですよ。あ! 鹿毛の馬が待っていますよ! さ、アル兄様、結界に向けて出発しましょう!」

「……うん」


浮かない表情のままのお兄様の手をぐいぐい引っ張ると、馬に乗せてもらいます。

『結界修復』の結果が目に見えて分かったため、嬉しくて堪らない気持ちでいっぱいでした。


(……これで、この世界は大丈夫だ……!)




今日も念のため、2個中隊を後方で待機させている状態で、私たち3人は昨日と同じように結界へと向かいました。

いつも変わらず同じように光り輝いている結界の前に立つと、決意を胸に両手をぎゅっと握りしめました。


「……ルゥナ……大丈夫?」

「はい、昨日と同じようにやってみるので……!」

「じゃあ、ルーナリアちゃん、とっととよろしくねぇ。俺の出番になったら呼んで」


大きく伸びをしたルシアン様は、結界の周辺を少しブラつくのかのんびりと歩き始めました。


「……ルシアン、あまり遠くに行くな」

「はいはい。アルフレートは相変わらず真面目だねぇ。昨日北部側の結界修復が出来て魔物の侵入もグッと減ったみたいだし、問題は無いでしょ。あ、大丈夫大丈夫。そんなに遠くには行かないって」


睨むお兄様に向かって笑いながら手を振ると、ルシアン様は少しばかり離れて行きました。

剣を片手に持った彼は、庇うように私の隣にぴたりと佇みます。


「……じゃあ、始めますね、アル……」


意識を集中するために、最初から目を閉じて結界に向けて手を伸ばしました。

昨日頭の中で思い描いたように、自分の感性を拡げていきます。

結界を構築している、全属性への。南側へ意識を向けていくと、やはり南部の結界との結合点までしか伸ばせませんでした。


(全ての、属性を、いく……)


昨晩の自分のイメージと今感じていることを結合させていくと、拡げた感性で知覚した部分にし、どんどんといきます。

闇属性の魔法行使が何なのか理論は理解していない私ですが、感覚でを掴んでいきます。


「ふぅ……」


上手にのを感じた私は、手を下ろして目を開けました。

差し伸ばしていた自分のてのひらを、僅かばかりぼうっと見つめます。

昨日と違って眩暈もありませんでしたが、かなりの魔力量を消費してしまったのが感じられました。


「……ルゥナ、大丈夫? どこか変な所はない? 眩暈は?」


見上げると、空色の瞳をほんの少しだけ揺らしたお兄様が、じっと私を見つめていました。


「大丈夫です、アル。上手くいきました。後はルシアン様に──」

「ルゥナ。すぐに下がって」


凍てつくような眼差しで真っ直ぐ前を見つめながら、お兄様は私を守るようにして一歩前に進みました。

彼の持つ剣が瞬く間に凍りついていき、頬にひんやりとした冷気があたります。

お兄様はサッと手を振ると、私に向かって防壁魔法を展開していきます。


「わ、分かりました」


震えそうになる身体をなんとか抑えながら、急いで砦の方向へと向かって走って行きます。

チラリと後ろを振り返ると、さっき私が結界の向こう側に、沢山の魔物がいるのが見えました。


(アル兄様!)


お兄様の推測では、結界をしまった場合、そこは一時的に穴が空いた状態になります。

つまり、結界の向こう側に見える沢山の魔物が一気に侵入してくるという事です。


お兄様が火魔法を打ち上げアラートして、後方へ待機している中隊へと連絡を取りました。

彼の事が心配で堪らない私は、途中で立ち止まると振り返ってその漆黒の姿を遠くから見つめました。


お兄様は、自ら結界の向こう側へと進んで行きます。


「僕がここを食い止めるから、ルシアンはすぐに結界を結べ」

「アルフレート、大丈夫か!?」


結界の前まで来ていたルシアン様が、若干青ざめた顔をしながらお兄様へ問うような視線を向けています。


「大丈夫だ。とにかく、結界の内側に来させるわけには行かないから、僕が囮になる」


結界の外側へと消えていくお兄様を見て、見開いたままの瞳からポロポロと涙が溢れ落ちました。

向こう側には信じられないくらい沢山の魔物たちがいるのが、私の目からもはっきりと見えます。

お兄様が入った瞬間に、一気にその魔物たちが襲いかかっていきました。


凄い速度で動く漆黒の影を中心に、氷のカケラが舞い散ります。

ですが、その影に向かってどんどんと魔物たちが押し寄せ、漆黒の姿が徐々に見えなくなっていきます。


「アル、にいさま……嫌だ……」


涙を流しながら、お兄様の作った防壁魔法にしていきます。

防壁魔法は向こう側からの攻撃を弾きますが、こちらからの攻撃も出来ません。

ゆっくりとすると、防壁魔法にし魔法の展開をました。


防壁魔法を解除した私は、お兄様のいる方向へと全速力で駆けて行きます。


「アルフレートっ!!!」


結界の前で右手を差し伸ばしているルシアン様が、焦ったような声をあげました。

向こう側で大きな鳥のような魔物が何匹も、上空からお兄様に襲いかかろうとするのが見えました。


彼のいる結界の外側へ向かって手を伸ばすと、最大限の魔力を込めていきます。


(絶対に、アル兄様を死なせない……!)



ーーッゴオオォォォォォォオオッッッ!!!



一瞬、物凄い熱気が頬を撫でていきました。


漆黒のお兄様を中心として、魔物の消し炭の跡がゆらゆらと揺らめきながら立ち込めています。

剣を構えたまま、驚愕で目を見開いて私を凝視している彼の姿が瞳に映りました。



(……あ………)


「ルゥナっ!!!」


酷く真っ青で今にも泣きそうな顔をしたお兄様が、私へと手を伸ばしています。


(アル、にいさま……)


愛しい人の名前を口に出せないまま、薄れゆく意識で身体が傾き、目の前が真っ暗になりました──

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