第31話 結界の修復

その日からお兄様は、明け方頃に戻ってきて仮眠を数時間とるとまた出撃する、という状態になりました。


部屋から出られない事を申し訳ないと謝られたのですが、のんびりしている私が砦を1人でウロウロしているのは危険だと自分でも分かっています。

なので、大人しくずっと部屋に篭っていました。


私は初日以降きちんと睡眠を取るようにして、戻ってきたお兄様のお世話をしたり起こしたりする事に集中しました。

疲れ切った様子の彼でしたが、仮眠の時は必ず私を抱きしめて眠りにつきました。

寝息が聞こえてくるとその腕の中から少しだけ抜け出し、頭を撫でたりサラサラの髪を少し弄ったりしながら、寝顔を愛しい気持ちでじっと見つめます。

時々、悪戯するようにその柔らかい唇にキスをしました。

そうした時、お兄様の顔に涙が落ちないように注意をしながら……






「今日で、4日目……」


読んでいる本から顔をあげ、窓の外へと視線を向けます。

空は青々と澄んでいて、せめてこの数日雨が降らなくて良かったとホッと息を吐きます。



ーーガチャっ!


「ルゥナ」

「アル兄様!?」


お兄様が初めて昼間に戻って来たことに驚きながらも、急いで本を閉じ扉へと駆け寄りました。


「ルシアンが到着した。ルゥナ、結界へ行こう。すぐに準備できる?」

「わ、分かりました! 大丈夫です、すぐに出れます!」


興奮のためか空色の瞳がいつもより濃くなっているものの、私を見ると少しだけその顔にかげりを浮かべた彼に大きく頷くと、慌てて準備をします。

基本的に旅装のまま過ごしていたので、紫紺のローブを羽織るとやや駆け足でお兄様の隣に並んで出発しました。




「やほ〜ルーナリアちゃん、久々! 元気してた?」


鹿毛の馬の前で待機していたルシアン様がにこやかな笑みを浮かべながら、こちらを振り向きました。

の事を思い出した私は、一瞬言葉に詰まってしまいましたが、揺れる心をなんとか抑え込みます。


「…ルシアン様、お久しぶりです。お陰様で元気で過ごしております。はるばる来ていただいて、ありがとうございます」

「わー相変わらず真面目だねぇ。そんなに畏まらなくていいよ。はぁ。俺は馬飛ばしてきたから、体ガタガタ……」


戯けたような調子で肩をすくめるルシアン様の様子を見て、僅かに身体の強張りが無くなりました。


「遅いぞルシアン。もっと飛ばして来れただろ?」

「おいおいアルフレート、そちゃ無茶振りだろ! これでもかなり頑張ったぞ俺!?」

「お前ならもっと出来たはずだ。お陰で僕はここ数日睡眠不足だ」


お兄様とルシアン様が笑い合いながら話をしているのを、少しだけ呆然としながら見つめてしまいました。

ルシアン様の様子を見て、の事は何だったのだろうと、心の中で首を傾げます。


「ルーナリアちゃん〜! 君のお兄様が酷い! って、そっか。もう旦那様なのか」

「ルシアン、煩いぞ。ルゥナに近づくな。お前みたいなのを相手にするのは慣れていないからな」


私の方へ近づいてくるルシアン様の服を引っ張ると、そのままお兄様が私の前に立ちました。


「はいはい〜。相変わらず仲がいい事で。──さて、じゃあ結界に行きますか!」


あっけらかんとしているルシアン様の様子を見て、今度は心の中ではなく本当に首を傾げてしまいました。


(ルシアン様って……思った事を言っているだけの、人?)




最初の時と同じように、途中まで馬で行き結界の近くになると徒歩に切り替えます。


「2個中隊を後方で待機させているから、何かあったらすぐに火魔法を打ち上げアラートする事。ルゥナも出来るでしょ?」

「はい! それなら出来ます!」

「俺は火魔法は苦手だから、防壁すっから後よろしく」


ルシアン様はヒラヒラと手を振りながら、怯む事なく颯爽と結界に向けて歩いて行きます。

堂々とした様子にさすが王族だと思いながら、やや足速にその後をついて行きました。


「……ルシアンも戦えるだろう? 火魔法以外は使えるじゃないか」

「あー。お前がこの中で1番強いだろ。俺はどっちかと言うと、攻撃より支援が得意だし。と言うわけで、アルフレートに任せた! 俺の事は心配すんな! 絶対の防壁魔法ですぐに逃げるから」

「……はぁ、了解」


やれやれといった感じでため息を吐くお兄様を、ニヤニヤした様子でルシアン様が見つめました。

優しくて真面目なお兄様が何だかいいように利用されている感じがして、ついついムッとしてしまいます。


(ダメダメ、相手は王族で、私とアル兄様は臣下なんだし、当然だ……)


ついついお兄様とルシアン様の仲の良さから、勘違いをしてしまいそうになった自分を慌てて諌めます。

気合を入れ直して、結界の方向へと目を向けました。

王族のルシアン様が危険な場所に来ている事になりますが、私の存在を表立たせる訳にはいかないのでこうして3人のみで結界へと来ています。


王族として光属性を持ち、防壁魔法を得意としているようなルシアン様は魔物にあっても問題がないのか、その姿からは全く緊張が感じられませんでした。


「ここが先日ルゥナが箇所だ。ルシアン、何か見えるか?」

「う〜ん? 光があって、ちょっと糸が見えるけど……?」


ルシアン様の言葉を聞いた私は、密かに驚きの眼差しを向けました。

やっぱり私には、7色の色が、はっきりと見えるからです。


抜刀した状態のまま何かを一瞬思案したお兄様が、ルシアン様をひたと見据えました。


「……なるほど……とりあえず、ルシアン。やってみてくれ」

「オッケー」


ルシアン様は結界の前に立つと、そっと光の帯の中へと手を差し伸ばしました。

途端に結界が僅かに輝き始めます。

ルシアン様はどこか陶酔した様子で結界を見つめ、光の中へ手を入れたまま佇んでいます。

輝きが収まり、伸ばしていたその手をゆっくりと下ろしました。


「これ、めちゃやすかった! これなら、しっかり!」


ルシアン様は顔に喜びを浮かべながら、自身の手を見つめています。

見ると、ルシアン様が後の結界は、南部で見たような規則正しい綺麗な織物のような状態になっていました。


「アル兄様、南部で見た結界と同じ状態になりました!」

「……やはり、そうだったのか……ルシアン、これなら恐らく『結界の破綻』は免れる。……ルゥナ……まだ、結界が絡まっている場所がある?」


私にそう尋ねてきたお兄様の顔色は何故か少し悪く、気遣わしげな眼差しを湛えています。


「……はい、えっと。恐らく、王国の東側の結界は、全面的に絡んでいる場所がありそう、です……遠い向こう側は見えませんが……その、結界を見つめていると、何だか気がして……」


「お! なら、ルーナリアちゃんがバンバンいって、俺がばいいじゃん! よろしくねぇルーナリアちゃん」


「……ルゥナ、絶対に無理しないように……」

「アルフレートは過保護だな!」


お兄様はその顔に少しだけかげりを浮かべたまま、私に微笑みかけました。


「大丈夫です、アル」


にこりと笑顔を返すと、結界へ向けて手を伸ばしていきます。

今回は一部分だけでなく、結界の全体をいく事になります。

目を瞑ると、結界の状態を感じるようにその全体へとゆっくりとしていきます。

結界の中へと入り込むように──


「……っ!」


隣にいるお兄様が僅かに息を呑むのが分かりました。

彼が気になったため一瞬集中を欠いてしまったのですが、またもゆっくりと入り込んでいきます。


(まずは……結界の北側から……)


自分を中心とした、結界の北側に向けて、徐々にもつれをいきます。

絡まった色がゆっくりといくのを感じました。

ですが、ある時点でが止まります。


(……これ、多分北の砦にある結界との境部分かな……ここまでしか、ダメか……)


結局私が東部で出来るのは、正方形に近い形をした王国の、北側と交わる部分まででした。


目を開き、伸ばしていた手を下ろしました。


「……ふぅ……」

「ルゥナ? 大丈夫?」


私を支えるようにお兄様が腰に手を回してくれます。


「ありがとうございます、アル兄様……ルシアン様、とりあえずここから北側部分はみたのですが、いただけますか?」

「オッケーオッケー。やってみるからちょっと退いて」


結界から引こうとした瞬間、身体がぐらりと傾きます。


「ルゥナっ!」


倒れそうになった私をお兄様が支えてくれましたが、まだクラクラと眩暈が続いていて、その身体に縋り付いてしまいます。


「アルにい、さま……ごめんなさい……大丈夫、ちょっと、めまいが……」

「ルゥナっ……無理したらダメだ……」

「──終わったぞ! ん? ルーナリアちゃん、どした?」

「ルシアン、今日はもうここまでだ。ルゥナを一度砦で休ませる」


顔色を悪くさせたお兄様が固い声でそう言うと、軽く肩をすくませたルシアン様は小さく頷きました。


「ごめん、なさい……」

「ルゥナ……」

「とりあえず、南側はルーアリアちゃんの体調次第って事で。俺も砦で休ませてもらうわぁ。あーしんど」


私を抱きかかえたお兄様が火魔法を打ち上げアラートすると、繋いでいる鹿毛の馬の方へと向かって結界から離れていきます。

まだ少しだけ眩暈がする私は、彼の温もりを感じてホッと息を吐きました。

ですがこんな自分が本当に情けなくて、顔を俯かせたまま揺れる瞳を必死に抑えました。

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