第26話 無邪気な誘い

新たな本を持って戻ってきたラフレと、今度はかくれんぼをしようとしていた時です──


「アルフレート様! いらっしゃいますか!?」


どこか焦った様子のアナトレー公が、バタバタと部屋へ入ってきました。


「アナトレー公、どうされました?」


ラフレと繋いでいた手を優しく離して私へと委ねると、まとう雰囲気を変えたお兄様が少しだけ厳しい顔付きでアナトレー公の元へと向かいます。


「それが、雨が小雨になってきたので砦へ風便を飛ばしてみたのですが、砦周辺の結界に魔物が大量に発生したようで……! 近衛隊から来られている2人は、南北の方向へと各々隊を率いて出られているらしくて──」

「すぐに僕の隊服と剣の準備をお願いします。最速の飛行魔法を行使するので、20分もあれば着くでしょう。風便で砦の統括へ連絡をお願いします。他に状況は分かりますか?」


お兄様は今着ている上着を脱ぎながら、アナトレー公へ指示をしたり情報を聞き取ったりとしています。


「ルゥナ、ちょっと待っててね」


ふわりと私に向かって微笑むと、あっという間にアナトレー公と一緒に部屋を出て行きました。

その後を慌てた様子でついて行くレザン先輩の背中を見送りながら、思わず繋いでいるラフレの手をぎゅっと握りしめてしまいました。

お兄様へ見送りの言葉をかける事もできなかった自分自身が、とても嫌になります。


(アル兄様、ご無事で……)





その晩の夕食時間になっても戻らないお兄様の事が気がかりな私は、せっかくの食事もあまり喉を通りませんでした。

結局、あの後残されたラフレと一緒に本を読んだりかくれんぼをしたのですが、どうしても彼の事が気になってしまって、顔がかげってしまうのが自分でも感じられました。

ラフレもレザン先輩も私の事を気遣わしげな目で見つめているのが余計に申し訳なく思ってしまいながらも、揺れる心を抑えきれませんでした。



コンコンッーー



「ルーナリア! ちょっといいかな?」

「ルーナリアさま〜」


夕食後、早々に部屋へと辞していた私の元へレザン先輩がラフレを伴って入ってきました。


「どうされましたか? レザン先輩」

「東の砦から風便が来たよ! 安心して、アルフレート様は後少し事後処理をしたら帰ってくるそうだよ」


その言葉を聞いて、安堵のあまり自分の瞳が揺れるのが分かりました。

身体中の力が抜けていくような感じで、ほうっと大きな息を吐いてしまいます。


「……良かった………」

「良かったね、ルーナリアさま!」


ラフレが私の手を握りしめて、にっこりと笑ってくれました。


「夕食もあまり食べてなかっただろうから……ルーナリアがそんなんだと、戻ってきたアルフレート様は心配してしまうよ」


そう言うとレザン先輩は後ろに控えていた侍女へとサッと手を振りました。

すると、部屋のテーブルに軽食とワインが次々に並べられていきます。


「さ、ここで夜食とでもいこうか」

「わ〜い!」


3人で椅子に腰を下ろすと、早速レザン先輩が私のグラスにワインを注いでくれました。


「あ、あの、レザン先輩……」

「これはりんごから出来たスパークリングワインで、凄く飲みやすいんだ。度数もそんなに高くないし、ルーナリア凄く緊張していただろうから、ちょっとリラックスしたらいいよ」

「ありがとう、ございます……」


レザン先輩に注がれたワインを一口飲みます。甘くてスッキリしていて、本当に飲みやすくてビックリしてしまいました。


「お兄さま〜! ラフレも飲みたい〜!」

「ラフレは、まだまだこっちで十分だよ。もっと大きくなってからだ。ほらこれで我慢我慢」


レザン先輩にりんごジュースを注がれるのを、少しだけ不満そうな目で見つめるラフレが可愛くて、ついつい笑みが溢れ落ちました。


「ルーナリアさま、笑った〜! 良かった。……また、お膝に座ってもいいですか?」

「ええ、いいですよ、ラフレ。……心配かけて、ごめんね」

「ううん〜! 笑ってくれて良かった〜!」


屈託のない笑顔を向けてくれるラフレが可愛くて、膝に座るその身体をぎゅっと抱きしめました。

そのまま3人で暫く話をしながら、楽しく夜食を食べていきます。

膝にいるラフレの口に食べ物を運ぶのですが、小さい口が『あーん』と開ける仕草はとてもとても可愛らしくて、私の頬が緩みっぱなしになってしまいました。


食べるのに飽きた様子のラフレが、膝の上で身体の向きを少し変えると、解いた私の髪へと手を伸ばしました。

子どもの小さな手の動きに合わせて、金色がゆらゆらと弄られ揺られています。


「ルーナリアさまの髪の毛、ふわふわしてて凄く気持ちいい……」

「ふふふ、ラフレの髪の毛も、凄くふわふわしていて、気持ちがいいよ。ふふふ」


ちょっと酔ってきたのか、身体が少しだけ熱を持っている中、ラフレの頭を撫でていきます。


「……ねぇ、ルーナリアさま。このまま我が家にいませんか? ルーナリアさまがお兄さまと結婚したら、ずっとここにいるでしょ?」

「ラフレっ! なんて事を! ルーナリアは、アルフレート様と結婚されているんだぞ!」


無邪気な目で私を見上げるラフレに、血相を変えたレザン先輩が咎めるような眼差しを送りました。

苦々しい顔をしている自分の兄に向かって、ラフレは頬を膨らませます。


「だってぇ……アルフレートさまだったら、すぐに次の奥さん見つけられそうだもん……でもお兄さまはのんびりしてるから、私が見つけてあげないとなかなか結婚出来なさそうだし!」

「すまない、ルーナリア……全く、子どもだからって言っていい事と悪い事があるぞ、ラフレ」

「いいえ、気にされないでください。──ラフレは、とってもお兄ちゃん想いなのね。でもごめんね。私はアルフレート様の事が本当の本当に大好きだから、それは出来ないの」


柔らかな髪を梳くように撫でながら、はしばみ色の瞳を見つめました。

一瞬その瞳を揺らしたラフレは、私の胸に小さな頭を埋めます。


(ラフレには、お母さんがいない……きっと、寂しいのね……)


その背中を優しく優しくさすっていると、いつの間にかラフレは寝てしまったようでした。


「……全く……本当にすまない、ルーナリア」

「全然大丈夫です、レザン先輩。ふふふ、ラフレは、とっても可愛いですね」


レザン先輩は私の膝の上からラフレを抱えあげると、そっとソファに下ろしました。


「さて、そろそろ部屋に戻るよ。ルーナリアは、きっとアルフレート様のお戻りを待つんだろ?」

「ええ…軽食このままにしていただいてもいいですか? アルにぃ…アルが戻ってきた時に食べられるので」

「あぁ、構わないよ」


レザン先輩とラフレを見送ろうと椅子から立ち上げると、ふわりと身体が揺れるのが分かりました。


「……っおっと! 大丈夫かい?」

「……すみません、レザン先輩……」


思った以上に酔いが回っていたようで、気がついたらレザン先輩に身体を支えてもらっていました。

足元がおぼつかなくて、ついついレザン先輩の身体に縋りついてしまいます。


「っ! ルーナリア、歩けるかい? ……ちょっと失礼……」


レザン先輩は私の身体を軽々と抱き上げると、そのまま部屋の奥へと進んでいきます。


「とりあえず、ベッドに横になった方がいいかなこれは。飲ませすぎたみたいで、悪かった」

「ごめんなさい、レザン先輩……」


少しぼんやりとする思考のまま、私を抱きかかえてくれるレザン先輩を見上げました。

その頬が僅かばかり赤く色付いているので、レザン先輩もお酒を飲んでいただろうかと覚束ない記憶を探ります。



ーーガチャ



部屋の扉が開く音がしたので、立ち止まったレザン先輩と共に音のした方を見ました。


「……ルゥナ…?」


そこには、私の愛しいお兄様が立ちすくんでいました。

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