第25話 かくれんぼ

翌朝ラフレと共に起きると、そのまま着替えて手を繋ぎながら朝食に向かいました。

ラフレの小さくて暖かい身体を抱きしめて寝るのはとても気持ちよかったのですが、朝起きてお兄様が隣にいない事に正直胸の中が寂しい気持ちになりました。


「アル……! おはようございます!」


お兄様に逢えた喜びで、ついつい屋敷にいる癖で抱きつきそうになる自分を必死に抑えながら、溢れ出るいっぱいの笑顔でその隣に座ります。


「ルゥナ、おはよう。お泊まり会はどうだった?」

「はい、とっても楽しかったです」

「昨日は、ルーナリアさまにお本呼んでもらえたの〜。ルーナリアさま、お本読むのすごく上手だった!」


向かいに座ったラフレが、キラキラと輝かせた目を私に向けてくれました。


「ラフレが喜んでくれてよかった。お本を読むのは、実はアルフレート様がとてもお上手なのよ。私が小さい頃、毎晩読んでくれたの」

「え〜! そうなんだ〜! アルフレートさま、じゃあ朝ごはん終わったら、読んでください!」

「こらこら、ラフレ! アルフレート様になんてお願いを……」

「いいよ、ラフレ。ご飯をしっかり食べたらね」

「え……アルフレート様が……本……いや、それは……でも……」


ラフレに向かって優しく微笑むお兄様を、レザン先輩が目を白黒させながら見つめています。

その様子が何だかおかしくて、ついついくすりと笑ってしまいました。





朝食が終わり案内された客間の窓から、外を見上げました。

まだ小雨が降り続いているものの、そろそろ止むのではないかと思われる雲の薄さでした。


「アルに…アル、明日には出発できそうですか?」

「うん、そうだね。この調子だときっと……」


隣に並ぶお兄様は、真剣味を帯びた眼差しでジッと天を見上げていました。


「──恐らく夕方頃には止みそうですので、一晩あれば渡し船も再開できるぐらいの水かさには戻っていると思います」


本を片手にやってきたラフレと一緒に部屋へと入ってきたレザン先輩が、そう言葉を繋ぎました。


「レザン、ありがとう。さすが、アナトレー家の嫡男だ」

「いえいえ、大したことでは──」

「アルフレートさま! ラフレ、お本持ってきました!」

「あぁ、ラフレ。いいよ、一緒に座ろうか」


駆け寄ってきたラフレと一緒にソファに腰を下ろしたお兄様は、その小さい身体をひょいとお膝の上に乗せました。

久しぶりに読み聞かせするのを聞きたくて、その隣に腰を下ろすと横からラフレと一緒に本を覗き込みます。

少し狼狽えている様子のレザン先輩は、私たちの向かいのソファに静かに座りました。


お兄様がラフレをお膝の上に乗せて朗読している姿を見て、私の胸は懐かしさでいっぱいになりました。

11歳まで毎晩寝る前に本を読んでもらっていたあの時間は、本当に掛け替えのないモノでした。

途中から己を抑えながらも、本当は嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。

お兄様と私の2人きりで過ごす大切な大切な時間──


ラフレは目を輝かせながら本に見入り、お兄様の声に必死に耳を傾けています。

きっと私自身もあの頃はこんな感じだったのだろうという思いに駆られると、2人の姿が在りし日の私たちに重なって見えました。


「──これで、物語はおしまいです」

「わ〜! 面白かった〜! アルフレートさま本当に上手です! 楽しかった〜」

「ふふふ。良かった、ラフレが喜んでくれて」

「良かったわね、ラフレ。とっても楽しかったね。ふふふ」


膝の上で満面の笑みを浮かべながら本を撫でているラフレを見て、私とお兄様は顔を見合わせて笑い合いました。


「アル兄様、私も久しぶりに聞けてとても楽しかったです」


隣に座るお兄様から微かな温もりを感じて、胸がきゅっとしてしまいました。


「アルフレート様が、まさかこんなに上手だなんて……ぼ、僕はお兄ちゃんとして、まだまだだ……うっ……いや、今からでも……というか、『氷壁の冷徹』様だなんて一体誰が付けたんだ……?」


レザン先輩はどこか呆然としたまま、遠い目をしながら何かを呟いているようでした。


「……ルーナリアさまのお膝に座ってもいい?」

「ええ、もちろん! おいで、ラフレ」


上目遣いのラフレにおねだりされて、その可愛さに思わず頬を染めながら喜んで乗ってくるラフレの身体を抱きしめ、ふわふわした頭を撫でました。


「……そういえば、結局昨日聞きそびれていた、『学園祭』の話聞いてもいい? 劇って言っていたけど?」


お兄様が綺麗な笑顔で私とレザン先輩を見つめます。

撫でていた手をぴたりと止めると、ついつい目を泳がせてしまいました。


「あ、あれは……えっと……」

「あぁ、ルーナリアが入った年の学園祭で、ルーナリアのいるクラスの出し物で劇をしたんですよ。その時彼女はフェアリーの役をしたんですが、これが学園でとっても話題になりまして。まぁ、本当ルーナリアのあの可愛さといったら! 本物の妖精がいるって、学園中が大騒ぎになりまして。当時実行委員会の会長をしていた私は、色々と大変な目に遭いましたよ。あははは」

「レザン先輩、そんな大袈裟な! ……というか、そんなにご迷惑おかけしていたんですか……?」


当時を思い出してかずっと笑っているレザン先輩に、私は顔を赤くしたり青くしたりしてしまいました。


あの時の学園祭で、気が付いたら私はフェアリー役で劇に出演することになっていました。

最初は気が重かったのですが、フェリシアがクイーン役、オリエルがナイト役をしてくれたため、結局何だかんだと凄く楽しむ事が出来て、学園生活での大切な思い出のひとつになりました。

ですがやっぱり大勢の人の前で劇をしたなんて恥ずかしくて、お兄様はもちろんお母様にも内緒にしていました。


劇の内容は、妖精族の生き残りのフェアリーが、ナイトとクイーンの力を借りて自分の世界を魔物の呪いから解く、というものでした。

復活した妖精族のキングのナレーションで幕を閉じるその劇は、衣装も舞台装置もかなり凝ったため、その年の最優秀賞になったのです。


「いやぁ、ルーナリアは知らないだろうけど、君を守るためににかなりこき使われたんだから! うんうん、まぁ今でもあの時の君を覚えているからねぇ。本当の本当に妖精みたいだったよ……」

「そんな、事……」


その頃を思い出しているのか、ジッとレザン先輩に見つめられ、恥ずかしくて顔が赤くなってしまいました。

ついなんとなく視界に入ってきたレザン先輩の瞳の色がラフレと一緒のはしばみ色だと気が付いて、少しだけ見入ってしまいます。


「……そっか……僕も、見たかったな。妖精のルゥナ」


隣でぽつりと溢すお兄様の言葉でハッとして振り向くと、彼はにこにこと微笑んでいました。

ですがどこかその笑顔から昏さを感じて、気になってしょうがなくなりました。


「アル……」

「ルーナリアさまって、凄くいい匂いがする〜」


お膝の上に座っているラフレが、私の胸に顔を埋めて幸せそうな顔をしていました。

思わず小さくて柔らかくて、私よりも体温の高い身体を抱きしめると頭をよしよししました。ラフレの小さな頭が、私の胸の中で揺れています。


「……それに、お胸が柔らかくて、気持ちいい……」

「……っ!」


その言葉を耳にして、一気に顔が熱を帯びます。

レザン先輩のお母様のドレスを貸していただいているのですが、コルセットのサイズが合わなくて着用していませんでした。


「っラフレ! こら! そ、そんな事を、言ってはダメだ!」


顔を真っ赤にさせたレザン先輩が、ものすごく慌てふためきながらソファから立ち上がりました。


「あ! ラフレ、そうだ! 今度はお兄ちゃんがお本を読んであげるから、取りに行こう! ほら!」

「え〜、ラフレ、次もアルフレートさまがいい〜」


私の膝の上で渋るラフレをレザン先輩は無理矢理抱き上げると、急いで部屋から出ていきました。


「ルゥナ……」


出ていく2人の背中をどこか呆然と見送っていると、お兄様が名前を呼ぶと同時に私の手を少しだけ強く引っ張り、そのままスタスタと隣の部屋へ通じる扉へと向かっていきます。


「アル兄様? ラフレとレザン先輩はすぐに戻ってきますよ?」


お兄様に手を引かれながらついて行くのですが、頭の中は疑問でいっぱいになりました。


(勝手に入っていいのかしら? でも、何で?)


隣の部屋に入ったお兄様は、そのまま窓まで向かうとカーテンの後ろ側に2人で隠れるよう滑り込みます。

私の身体を一度強く抱き締めると、顔を覗き込んできました。

大好きな空色の瞳と間近で目があって、そして密着した身体からお兄様の体温を感じて、私の顔は赤く色付き心臓がドキドキと鼓動を速めました。


「アル、にぃさま……」


じっと私の顔を見つめるお兄様の瞳の奥深くに魅せられてしまいます。

急に彼が私の頭に手を回したかと思うと、唇を塞ぐようにキスをしました。


「…っん……んんっ……」


急な口付けに戸惑った私は、僅かに身じろぎました。

ですが、お兄様が頭をしっかりと抱え込んでいるため動く事が出来ません。


──ルーナリアさまぁ?


「……っ!!」


バタバタと駆けてくる足音がしたので、きっとレザン先輩を置いて走って戻って来たのだと思いました。

隣の部屋から、本を持って戻って来たのであろうラフレの声が聞こえてきます。

ですが、お兄様はまだ私を離してくれません。


「……っんんんっ!……ぁっ……」


お兄様に抗議するようにその身体を叩くのですが、彼は全く聞き入れてくれずに、私の唇を貪るように激しいキスを続けます。


「ルーナリアさまぁ? どこですかぁ?」


ラフレが部屋に入ってくる足音がしました。

お兄様からの予期せぬ口付けで、さっきから心臓の音がうるさいぐらいに鳴り響いてます。


(……どうしよう、見つかったら、恥ずかしいっ!!)


身体を動かしたらカーテンが揺れて見つかってしまうので、お兄様に身を任せるように身体の力を抜いています。ですが、彼はまだ私の頭を抱え込んだまま口付けを続けています。


「……あ。んふふ〜、分かった〜」


カーテンの揺れから何かを見つけたように、ラフレがゆっくりとこちらに近付いてくる気配がしました。

私の心臓は激しく脈打ち、どうしていいか分からない頭は真っ白になっていきます。

息を吸うタイミングも分からずに酸素不足になっていく頭が、別の意味でもクラクラとしていきます。


「……っ〜!」


どんどんと近付いてくる気配に合わせるかのように、お兄様が私の唇を大きく喰んできます。



ーーーバサッッッ!!!




「みぃつけた〜!!」


ラフレがカーテンを捲ると同時に、お兄様が私の身体を離しました。


「あぁ。見つかっちゃったね。よく分かったねラフレ」


お兄様がラフレと目線を合わせるように屈みながら、優しく微笑んでいます。


「分かるよ〜! だってカーテン揺れてたもん! ねぇねぇ、今度はラフレが隠れる! 2人で見つけてね! ……あれ? ルーナリアさま、なんで顔が真っ赤なの?」


無邪気な様子で私を見上げるラフレと目が合い、さっきまでのキスを思い出した耳すらも熱を帯びていきました。


「ルゥナは見つからないようにずっと息を止めてたから、苦しくなったんだよ」

 

にこにこしながらラフレに説明をするお兄様を、若干咎めるような目で見てしまいます。

ですが、さっきまで少し昏かった様子のお兄様は元気が出たようで、ホッと息を吐きました。


とても驚いてしまったけど、彼との口付けはいつもいつも甘い味がする──そんな想いと共に、まだ微かに熱を残している自身の唇にそっと触れてみました。

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