第22話 別れとチョコレート
目覚めるとすでに外はかなりの明るさで、慌てて飛び起きます。
「おはよう。ルゥナ」
「あ、アル兄様……もうかなり遅い時間ですよね」
「うん、昼前だけど、多分まだ誰も起きてない、かな?」
耳を澄ますと、屋敷は静まり返っていて人の気配も感じられませんでした。
旅装を整え終わる頃にやってきた侍女の方から、昨晩の催しが明け方近くまで続いていた事を聞き、驚きながら部屋を辞します。
玄関へ行くと、ジュウール様とリーフデさんが静かに佇んでいました。
「アルフレート様とルーナリア様には楽しんで貰えたようで何よりです」
「色々ともてなしてくれて、感謝します」
「ジュウール様、ありがとうございました」
「そうそう、昨日の
ジュウール様は蛇のような目をスッと細めると、心底楽しそうにニヤリとした笑みを浮かべました。
「そんな事してないですよ」
「存じておりますよ。我々も決して手心を加えた訳ではありませんしね。本当にお二人には驚かされました。ははははは。本当、素晴らしい。はははは」
ジュウール様が声を上げて笑っている姿を、隣に立つリーフデさんが愛おしそうに見つめていました。
「チップを換金したものですが──」
「お金ならいりません。魔物の侵入で困っている領地の民に使ってあげて下さい」
どこからかスッと現れた執事さんの持っている大きな袋をお兄様は
「……これは……さすがアルフレート様……では、せめて昨晩ルーナリアが着たドレスだけは、贈らさせていただきたい」
ジュウール様は僅かに目を開いて驚愕をその顔に浮かべると、とても優しそうな笑みを微かに溢しました。
お兄様は一瞬
「……じゃあ、それは遠慮なく貰っておきます。王都の屋敷に送っていただけると助かります」
「では、そのように手配させていただきます。王都へ行った際には、ぜひよろしくお願いします。また我が領地にもお二人で遊びに来て下さい」
ニヤリとした笑みを浮かべながら誘いの言葉を述べたジュウール様に、お兄様は返事を渋るように少しだけ苦い顔をしました。
「ねーねー、ルーナリアは、お金いらないの? それで宝石とか買って貰えばいいんじゃない?」
急に話を振ってきたリーフデさんが、手を口元にあてながらニマニマした笑みで私を見ています。
「え? 魔物の侵入で困っている民のために使うのは、とてもいい事だと思うのですが? 宝石……? お母様にいつも貸してもらっているから、必要、かな……?」
「わー。でたでたー。何この、ど天然。あなたには『お兄様』がいれば何もいらないってやつ?」
「そうですね! 私はアル兄様と一緒に居られれば、それだけで十分ですね」
にっこりとした笑みをリーフデさんに向けると、何故か少しだけ目を細めて私を静かに見つめます。
その琥珀色の瞳には、僅かに涙が滲んでいるような気がしました。
「ルゥナ……僕も、ルゥナと一緒に居られればそれで十分だよ」
私の言葉を聞いたお兄様が、後ろからぎゅっと抱きしめてくれました。
「はいはいー。本当、ご馳走様って感じよね。……っあ! なによ!
何故か背中からひやりとしたものを感じて、火照った顔が少し冷まされます。
「では、また機会がありましたら。お二人とも道中お気をつけください」
「世話になりました、ジュウール伯。東部の砦の状況についても、分かり次第風便で連絡しましょう」
「それは非常に助かります」
お兄様はお仕事モードの顔に切り替わると、ジュウール様と風便のルートについての話をし始めました。
いつの間にか色々情報を交換していたようで、2人はすっかり同志という雰囲気になっています。
「バイバーイ、ルーナリア元気でね!」
「リーフデさんも、お元気で」
小さくて柔らかいその手をぎゅっと握りしめると、心からの笑顔を送りました。
リーフデさんは一瞬僅かに顔を歪ませると、にっこりと笑みを浮かべ私の手を優しく握り返してくれました。
「幸せにね、ルーナリア」
「リーフデさんも、幸せでいて下さいね」
黒毛の馬に乗った私たちを、いつまでもいつまでも、2人は見送ってくれました。
♢♢♢
思わぬ寄り道でしたが、思いがけない暖かさをいただいた私の胸は、ぽかぽかとした気持ちでいっぱいになりました。
ジュウール様の情報から、東部の結界が思った以上に良くない事を知ったお兄様は、その顔が僅かに
ですが東部の砦まではそこまで遠くないようなので、焦らずに行こうと優しいお兄様は私を気遣ってくれます。
数日ほど内陸部の山間の道を進んでいると、すっかり紅葉の季節へと変化したようで、街道から見える森には色とりどりの世界が広がっています。
「綺麗〜」
赤や橙色や、黄色に色付く鮮やかな森。
澄み渡る青空と対照的なその色合いですが、綺麗に調和したそれらは、より一層の美しさを醸し出しています。
さわさわと頬に優しくあたる風から香る、森の爽やかな空気を胸いっぱいに吸い込みました。
「この辺りは山間部だから、すっかり紅葉の時期になったね。気持ちいい季節だ……。ちょうど良いから、ここで昼食を取って休憩にしようか」
「はい!」
街道からちょっと外れた場所に来ると、馬から降りてフードを外しました。
黒毛の馬を繋ぐと、馬も草を食んで昼食にしているようです。お兄様が土魔法で石の器を作ると、水魔法でそこに水を溜めます。
黒毛の馬はよく分かっているのか、その水をゆっくりと飲んでいます。
私とお兄様は、魔法で作成した簡単な木の椅子に腰を下ろすと、これまた魔法で作成した木のテーブルの上に昼食を並べていきます。
「凄い〜! ありがとうございます!………アル兄様って、本当に完璧ですよね……すごいなぁ」
すっかり整えられた昼食を見つめながら、ついつい頭の中の声が漏れ出るように呟いてしまいました。
この旅でお兄様の才能の素晴らしさに打ち震える事しかしていないと思い、尊敬の目を向けます。
「ははは。そうかな? 褒めてくれてありがとう。でも、そんな事ないけどね。僕もまだまだだし」
少しだけ頬を染めながらはにかむような笑顔を浮かべた彼を見ると、ドキンと心臓の鼓動が跳ねてしまいました。
「…ほら、ルゥナ。食べようか。ルゥナは、トマトとレタスの方だよね」
「そうです! うわ〜美味しそう〜……いただきます!」
途中の街で寄って買ったハンバーガーを、一口齧ります。
「うぅぅぅ……美味しい〜……肉厚のハンバーグから、肉汁が溢れ出てますアル兄様……」
「ふふふ。ルゥナのやつは、確かチーズが2種類入っていたんだよね?」
「そうなんです! チーズ好きの私はすぐにこれって思っちゃいました。もうサイコーです〜……あ、アル兄様一口どうぞ」
「ありがとう……ん、これは美味しいね!」
僅かに目を見開いたお兄様は、私の差し出したハンバーガーをマジマジと見つめています。
「ルゥナ、僕のも美味しいよ。エビカツとタルタルソースの相性が抜群」
「それ悩んでたの! アル兄様に一口もらおうと思ってて。わーい」
今度は私に差し出してくれるお兄様の方を、ぱくりと一口食べました。
「……うわぁぁぁ〜。エビが、超絶美味しい〜……」
「分かる分かる。いい具合にエビのプリプリ感が残ってるのがサイコー。もう一口食べる?」
「うん!」
食べさせあうと、何だか楽しくなって2人で笑い合いました。
風に吹かれ、時折ひらひらと舞う色付いた葉っぱを瞳に映しながら、心地よい昼食の時間を過ごします。
「……ふわ〜。お腹いっぱい……ちょっと大き過ぎたかも……」
「じゃあ、残りは貰ってもいい?」
「どうぞ」
お兄様の口元へ私の残りを持っていくと、ペロリと一気に食べてしまいました。
「ご馳走様でした。……んんん〜〜〜!」
思いっきり伸びをして身体を解すと、空を見上げました。
雲一つない晴天で、すっきりとした空気が辺りに満ちています。
まだ休憩する時間はあるかなと思いながら立ち上がると、周囲を少しだけウロウロしたくなりました。
「アル兄様、ちょっとだけ散歩してもいいですか?」
「僕から見える範囲でね」
優しく微笑むお兄様ににっこり笑いかけると、少しだけ小走りしながら森を散策していきます。
(わ……落ち葉が沢山……っ!)
かさ…… かさ…… かさ……
踏むたびに落ち葉がカサリと音を立てていきました。
その音と感触が楽しくて堪らなくなった私は、次々に落ち葉を踏み歩いていきます。
かさり…… かさ…… かさ…… かさり………
(楽しい〜……!)
足元を見つめながら、次々に歩みを進めていきます。
ガサっ…
ふと、自分の足元からではない音が混じり、視線を上げました。
そこには、灰色の野うさぎがいました。
(あっ! うさぎ! 初めて見る!!!)
本では見たことあるうさぎに初めて会えて、ぴたりと身体の動きを止めてじっと見つめました。
うさぎも私に気が付いたのか、鼻をヒクヒクとさせながらジッとこちらの様子を探っています。
「あ……いっちゃた……」
一瞬の間に、野うさぎは姿を隠し走り去ってしまいました。
「ルゥナ? どうしたの?」
「あ、アル兄様。さっきあそこに、野うさぎがいました。可愛かったけど、すぐにいなくなっちゃった……」
去った後を、未練がましくじっと見つめてしまいます。
「あと、さっきから飛んだり跳ねたりしてたけど、ルゥナは何をしていたの?」
「あ! あれは、落ち葉を踏んでいて……」
自分の子どもっぽい仕草をずっと見られていたのだと思うと、恥ずかしさで顔が赤くなりました。
「ははは。ルゥナは、本当に可愛いよね……そんな風になんでも楽しめて、純粋に感じる事が出来るルゥナを、愛しく思うよ」
僅かに細めたその空色の瞳の眼差しに、ドキドキと心臓の鼓動が速くなります。
「ルゥナは、この世界が大好きなんだよね」
「はい! 私、この世界がとっても大好きです」
照れ臭さを隠すように、にっこりと笑顔を向けると、色付く森を見渡しました。
命に満ち溢れ鮮やかな輝きを放つこの世界は、とてもとても美しくて、とてもとても大切なものだと感じます。
「……そんなルゥナは、本当に輝くほどに綺麗だよ……」
お兄様が柔らかく包み込んでくれました。
「あ……ルゥナ、しぃ…」
何かを見上げたお兄様が、人差し指を立てて静かにするように示しました。
コクリと頷くと、自分の口を手で塞ぎます。
そっとお兄様が私の身体を抱き抱えると、ふわりと身体が軽くなるのを感じました。
木魔法を行使したのか、浮遊と同時に目の前の木がサワサワと成長していき、私たちの前に木の目隠しが出来ました。
「(ほら、あそこ見てごらん)」
お兄様が私の耳元にこっそりと囁きました。
木の目隠しの間から示された場所を見てみると、樹の上に何だか黒っぽい木で出来た塊がありました。
塊をジッと見ていると、シマリスがひょっこりと顔を覗かせます。
「(……っっ!!)」
リスも初めて見た私は、興奮で顔が上気するのを自覚しながら、ついつい抱き上げてくれているお兄様の服をぎゅうぎゅうに掴んではしゃいでしまいました。
巣から2匹目も顔を出すと、一緒に出てきて忙しなく動き回っています。
「(今から冬ごもりの時期だから、食料を集めて運んでいるんだろうね)」
その言葉に何度も頷きながら、ちょこまかと走り回るシマリスを目で追い続けます。
その内2匹は地面に降りていったので、お兄様も地上へと私を降ろしてくれました。
「アル兄様! ありがとうございました!」
「ルゥナが喜んでくれて良かった」
まだ興奮冷めやらぬまま、お兄様に向かって満面の笑みを浮かべます。
「あ、そうだ。目を瞑って、ルゥナ。それに、口を開けて」
「? はい」
何かを思い出したような顔をしたお兄様の言われた通りに、目を閉じると口を軽く開けました。
「……これ……?」
何かを入れられた私は、目を閉じたままそれを
口の中でとろんと溶けて、甘くて甘くて、でもほんの僅かに苦味も感じるそれは、あっという間に口の中へ溶け込んでいきました。
パチリと目を開くと、今日の澄み渡る青空のようなお兄様の瞳と目があいました。
「アル兄様、これって、チョコレート?」
「正解! さっき、ルゥナがハンバーガー見ている間に見つけて買っておいたんだ」
「わぁ……」
高級品で珍しく、なかなか食べられないチョコレートの感触を思い出すように、唇をぺろりと舐めました。
「まだあるから。はい」
「やった〜! 嬉しい〜!」
お兄様の差し出す指ごと食べそうな勢いで、パクリと口に含みました。
うっとりとした笑みを浮かべながら、溶けゆく時間をしっかりと味わいます。
「幸せ〜〜」
「ふふふ。可愛い……」
「アル兄様も食べて下さいね?」
「ありがとう。……ん、甘いね」
お兄様が自分の口へチョコレートを放り込むのを、にこにこしながら見つめてしまいました。
「これ、最後だね。はい、ルゥナ」
「ありがとうございます」
最後のカケラを口に入れてもらって、大切に大切に噛み締めるようにその味を堪能します。
「ルゥナ」
見上げたお兄様の瞳と視線があったと思ったら、そっと唇を塞がれました。
「ん……」
その柔らかさを感じながら、互いに喰むようなキスをします。
混じりあった吐息から、微かに同じ香りがしました。
「ふふ。チョコレートの味がするキスだ」
そっと離れたお兄様が、ふんわりとした笑顔を浮かべながら、チロリと舌で唇を舐めとりました。
(甘い、甘いキス……)
少しだけ潤んだ瞳で見上げた愛しい人と、くすくすと笑い合いながらその身体を抱きしめました。
いつもいつも、私を想ってくれるその心を嬉しく感じながら……
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