第19話 押される背中
「よし、これで完成ね。ほら、貴方の大好きな『お兄様』がお待ちだろうから急ぎましょう」
「ありがとうございました」
私に向かって綺麗なウィンクをするリーフデさんに、にっこりと微笑みかけました。美容関係のエキスパートなのか職業柄なのか、お化粧の仕方もなんだかちょっと違う気がしました。
ついつい鏡の前に立って、まじまじとそこに映る姿を見つめてしまいます。
「ふふふ、我ながらかなりの出来だわ! さ、行きましょう」
「はい」
部屋を出ると私たちを待っていたのか、ジュウール様が扉の横に立っていました。
「あら、ジュウール様。いかがですか?」
リーフデさんがジュウール様に出来栄えを見せるように軽く私の背中を押します。
促されるまま、静かに佇むこの屋敷の主の前へと向かいました。
「ふむ。なかなか……」
ジュウール様はその瞳をスッと細めると、僅かに品定めをするかのように上から下へと目線を動かします。
その視線に、心なしか心臓の鼓動が速くなりました。
「リーフデ、良くやった。アルフレート様も満足されるだろう。先に行っておけ」
「かしこまりました」
冷たい眼差しでリーフデさんを追い払うように手を払ったジュウール様ですが、彼女は全く気にしていないように微笑むと先に歩いていきました。
残された私は若干居た堪れない気持ちになりつつ、ジュウール様と向かいあいました。彼は相変わらず蛇のような鋭い眼差しで、ジッと私を見つめています。
「あ、あの、このような素敵なドレスを用意していただいて、ありがとうございます」
落ち着かない気持ちになるものの、とりあえずお礼を言わねばと思った私は丁寧にお辞儀をしました。
「……ルーナリアは、アルフレート様を愛しているのか?」
唐突に尋ねられてしまい、驚きで僅かに目を見張りました。まさかこんな質問をされるとは夢にも思っていなくて、つい言葉を失ってしまいます。
それにジュウール様の口から愛という言葉が出る事が、なんだか不思議な気がしてしまいました。
ですがちゃんと答えなければと、鋭く細められたその瞳をひたと見つめます。
「はい、愛しております」
「──それは、仮に実の兄だとしてもか?」
表情を全く変えず、鋭い目つきだけが更に細められました。
「……はい。ジュウール様。私は15歳の時まで、アルフレート様が実の兄だと思っておりました。……それでも、ずっとずっと、愛していたのです……」
頭がおかしい事は十分に理解しているし、さっきリーフデさんに素敵だと言って貰えてとても嬉しかった。
こんな自分を、自分だと認め受け入れる。これこそが、私なのだから。
例え他の人が、蔑んだとしても──そんな想いのまま、僅かに揺れる瞳を自覚しながらも、私を見据えるジュウール様の琥珀色の瞳に応えました。
「……そうか……」
私の言葉を聞いた瞬間、ジュウール様は今まで見たこともないような優しい微笑みを浮かべました。
「……ジュウール様?」
「幸せになりなさい、ルーナリア。──さあ、アルフレート様がお待ちだ。こちらへ」
さっき浮かべた笑みはないものの、口元を柔らかくほころばせたまま、案内するために手を差し出してくれます。
少しだけ疑問に思いつつも、その手を取ると愛する人の元へと向かいました。
ジュウール様の心中は分からないものの、私の手を持つ温もりからは、応援してくれているような暖かさが感じられました。
(……ジュウール様、ありがとうございます)
何となく言葉にしない方がいい気がしたので心の中でお礼を言うと、その手を優しく握り返しました。
「お待たせしました、アル」
手を取られながら部屋に入ったせいか、お兄様は一瞬ジュウール様に向けてスッと目を細めました。
ですが、隣に並ぶ私の姿を見た瞬間その目を大きく見開くと、凝視したままぴたりと固まりました。
お兄様は淡墨色の光沢のある生地で仕立てられた衣装を着ており、いつもサラサラと流している薄い金髪を今日は半分ほど撫でつけるようにアップにしています。
いつも見慣れているお兄様とはまた違う素敵な雰囲気に、私の胸はドキドキしてしまいました。
「……アル兄様、とっても素敵ですね」
ついつい見惚れてしまった私は、若干頬を染めながらはにかむような笑顔を浮かべました。
「……ルゥナ……」
私を見つめ続けるお兄様の瞳がなんだかゆらゆらと揺れて艶かしい雰囲気を纏っているのに気が付いて、少しだけ落ち着かない気持ちになります。
リーフデさんが選んでくれたのは、全身を覆う漆黒のドレスでした。
所々光り輝くように細工をされた漆黒の糸が混じり合い、全ての部分が丁寧に編み込まれた総レースのドレスは、どれ程の手間がかかったのかを想像するだけで気が遠くなるような衣装でした。
胸元から足首までは光沢のある漆黒の生地が重ねられているのですが、残りの部分はレースから透ける素肌がのぞくようになっています。
「あ、あの……やっぱり似合わないですか?」
名前を呼んだ後ジッと私を見続けて何も言わないお兄様に、狼狽えてしまいました。
漆黒のドレスなんてまだ子どもっぽい私には似合わなかったのかと、心配になってきます。
「うふふ。いいでしょ。この子、真っ白もいいけど、真っ黒も似合う本当素晴らしい逸材ね。大丈夫、ルーナリア。『お兄様』は、貴方に見惚れてるだけだから」
お兄様の横に来たリーフデさんが、にんまりとしながらお兄様を見上げました。
「……ルゥナ、言葉を失うぐらい、凄く凄く綺麗だ……」
熱い眼差しのまま
「あ、ありがとう、ございます……」
照れてしまってしょうがない私の顔が真っ赤に染まっていき、ついつい少しだけ顔を伏せてしまいます。
「さて。軽く食事をしてから、是非お二人には私の
「ありがとございます、ジュウール様」
「あぁ、ありがとうござい……っ! っルゥナ! それっ!」
お兄様の大きな声が聞こえたので振り返ると、驚愕で見開かれた瞳と視線が交差しました。
「……あ……背中、ですか?」
空色の瞳の先に自分の背中があるのを感じて、まだ固まったままのお兄様を見上げました。
ドレスの背中から腰の部分には漆黒の生地がなく、レースに覆われた素肌が透けています。
つまり、このドレスはコルセットを着用しなくてもいい、画期的で素晴らしい物なのです。
「……ダメ。これで人前出るんでしょ……絶対にダメだ……」
見開かれた瞳を細めると、冷ややかな眼差しでドレスを見つめるお兄様の周囲から、ひやりとしたものが漂い始めました。
「はいはい。ルーナリアの愛しの『お兄様』は、本当独占欲強いわねー。仮面もするから大丈夫よ。それに、この子は貴方の事が大好きで堪らないんだから。その好きな人に着飾った姿を見せたい女心を分かってあげないと」
リーフデさんがやれやれと言わんばかりに肩をすくめると、お兄様の腕をバシバシと叩きました。
(……リーフデさんの言う通り、愛しい人に綺麗って言ってもらえたら、嬉しい……)
彼がどうしても嫌ならまた着替えをお願いしようと思いながら、おずおずと見上げます。
「アル…あの、仮面をつけるけど、やっぱりダメ、ですか?」
「……あぁ、ごめんねルゥナ……大丈夫。──絶対、僕の傍から離れたらダメだよ」
私の言葉を聞くや否や冷ややかな瞳を柔らかくしたお兄様が、優しく微笑みながら頬にそっと触れると、私の手を握りしめました。
彼と手を繋ぎながら、ニヤニヤとした笑みを浮かべるリーフデさんの後をついていきます。
「私の
案内された部屋にはすでに夕食が準備されていたようで、テーブルの上には湯気が漂い辺りには食欲を刺激する匂いが充満していました。
マッシュポテトがついたデミグラスソースのハンバーグと、チーズの練り込まれたパンが用意されており、ソースの香ばしい匂いにお腹が空いていた事に気が付きます。
「いただきます〜!」
美味しそうなご飯を前にして、ついつい弾む心を抑えることが出来ませんでした。
「このハンバーグ、すごく美味しいです……お肉がふわふわしている……」
「本当だ。ソースも濃厚だし、これは美味しい……」
「アル兄様、このパンも凄く美味しいです!」
「ルゥナは、チーズ好きだもんね。王都にも美味しいお店があるって聞いたから、帰ったら一緒に買いに行こうね」
「うん! 嬉しい!」
はしゃぐ私を見てお兄様もにこにこと微笑みながら、パンを食べています。
「はいはいー。本当仲がよろしい事でー。ご馳走様でしたー」
「? リーフデさんは召し上がっていませんよね?」
「でたー! この子本当に天然ね……この逸材、勿体無いわ……王国一の売れっ子になるのは間違いない」
うんうんと唸っているリーフデさんの言葉を聞いたお兄様が、瞳を険しくさせました。
「さて、召し上がりましたら、お二人にはこの『仮面』を付けて参加していただきます。要は仮面舞踏会のようなものですから、そこまで緊張されずに」
ジュウール様が差し出してくれた仮面を、ドキドキしながら付けてみます。
私は目元のみを隠す赤色のコロンビーナタイプの仮面で、隣のお兄様は口元以外の部分が全て覆われているハーフタイプの白い仮面でした。
「ここでは本名を名乗る事もしなくても良いですので、今夜はアルフレート様は『ナイト』で、ルーナリアは『プリンセス』と呼ぶようにいたしましょう」
ジュウール様も仮面を頭から被ると、私たちを案内するように屋敷の更に奥へと進んでいきます。
途中外に通じている回廊を歩いていると、煌々と光り輝く別棟の建物が見えてきました。
隣に並ぶお兄様をチラリと見上げます。
仮面のせいでその表情は分かりませんが、口元は引き締まっているようで硬さが見て取れました。
(さっきのジュウール様、そんなに悪い人じゃなさそうだった……)
腰に回された手に、そっと自身の手を重ねます。
「ルゥナ、どうかした?」
「何だか、ドキドキしますね。それに……アル兄様、とっても素敵です」
ヒールを履いているので、ほんの少しだけつま先立ちをして耳元にこそっと囁くと、にっこりと笑みを浮かべました。
お兄様の口元がほころんでいくのが見えると、更に笑顔になってしまいます。
身を寄せ合いながら回廊から見上げた夜空には、まだ月が浮かんでいないようでした──
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