第18話 巡り合い
黒塗りの馬車が通されたのは、漆黒の色をした大きな大きな屋敷でした。
私とお兄様は執事の人に案内されるまま、お屋敷の中へと通されていきます。
「ようこそおいで下さいました。アルフレート・ダネシュティ様。そして、奥方のルーナリア様。私はここの領主をしております、ジュウール・ジョカトーレと申します」
漆黒の調度品で統一された部屋の中にいた男性が、優雅にお辞儀をしました。
濃い金色の髪を撫で付けた領主のジュウール様は顔を上げると、切長の目をスッと細めながら私たちを見つめました。
その面立ちは何処か爬虫類の蛇を彷彿とさせ、美しい顔立ちのはずなのに得も言われぬ怖さが感じられます。
また、私たちの関係も私の名前も知っていて、何だか物恐ろしい気持ちになってきました。
「ジョカトーレ伯、わざわざありがとうございます。ですが、僕たちは先を急ぐ身。ご挨拶だけしたらすぐに東部の砦へと向かいたいと思っております」
「アルフレート様、私のことはどうぞジュウールとお呼びください。もう夜も遅くなります。今晩はぜひ我が屋敷に泊まり、疲れを癒してください。しかし、貴方様が
隣にいるお兄様は目を細めると、少しだけ厳しい眼差しでジュウール伯を見つめました。
「妻は『魔法局の魔物調査』を行っていまして。その為に砦に向かうのです」
「……成る程……最近、東部は魔物の侵入の増加に頭を悩ませております。アルフレート様のお陰で、なんとか我が領地も安泰な暮らしを営むことが出来ております。今日も我が領地の民を救っていただいた様で、本当にありがとうございました」
ジュウール様のその言葉に、僅かにお兄様の目が見開かれました。
今日の出来事をすでに把握している目の前の人に、私も驚きで目を見張ります。
「……東部では、飛行タイプの魔物も侵入しているのですか? 内陸部のこの辺りまで侵入している事に、正直驚いたのですが……」
僅かに雰囲気を変えたお兄様が、真剣な眼差しをジュウール様に向けました。
「あぁ……やはり飛行タイプでしたか……ここ最近、東部の結界はどうにも
ジュウール様の顔は随分と憂いを含んでいて、最初の挨拶とは違ったその雰囲気に若干気が抜けてしまいます。
(思ったより、怖い人じゃないのかも……?)
チラリと見上げたお兄様はその顔を曇らせ、何かを思案しているようでした。
「立ち話も何ですね。ちょうど今晩は、私の
「はい、ジュウール様」
ジュウール様が扉の方へと声をかけると、そこからよく似た濃い金色の髪の、私よりも小柄で可愛らしい外見をした女性が入ってきました。
「ルーナリア様の支度を頼んだ。アルフレート様、もう少しあちらで私との話に付き合っていただけますか?」
隣にいるお兄様が私をじっと見つめます。一瞬揺れた瞳を隠すように瞼を閉じると、目を開けた次の瞬間には落ち着いた空色をジュウール様へと戻しました。
「……ジュウール様、申し訳ないが──」
「大丈夫よ! 別にこの子を取って食ったりしないから。私みたいなか弱い女が、魔法を行使出来る貴族様に叶う訳ないでしょ」
「……」
豪華なドレスの裾をひるがえしながら駆け寄ってきたリーフデ様は、物怖じもせずにお兄様の腕をバシバシと叩きました。
その外見とは裏腹な振る舞いに、お兄様は毒気が抜かれたような顔をしながら、胸元までしかないリーフデ様を見下ろしています。
何だかその言い方がほんの少しだけお母様に似ていて、一気に気が緩んでしまいました。
「アル兄様…アル、私は大丈夫ですよ。何だか大変そうですので、今日のこともありますしお話してきてください」
「……分かった。大丈夫だとは思うけど……」
「すぐに戻って来ますね」
にっこりと微笑みかける私に、お兄様もふわりと笑顔を返してくれました。
「はいはいー。そんなに見つめ合わなくてもすぐにまた逢えますよー。さ、行きましょう。こっちよ」
「……はい!」
呆れた顔をして私たちの間に割って入るリーフデ様が本当におかしくて、溢れる笑みを抑えることが出来ずにその後へとついていきます。
(何だか、自分の屋敷に戻ったみたい……)
足取りが軽やかになるのを自覚しながら、屋敷の奥へと進んでいきました。
「さ、今日は
「ありがとうございます、リーフデ様」
手を引っ張られながら、たくさんの衣装が並ぶクローゼットの前へと連れて行かれました。
お礼を言った私を、リーフデ様がまじまじとした様子で眺めてきます。
「……あなた、貴族、よね? すごー。外見も綺麗だけど、中身も、素直ないい子なのねー」
穴が開くほど見られながらそんな言葉をかけられて、何だか恥ずかしくなって頬が染まってしまいました。
「うわー。どれだけ無垢なのー。すごい可愛いーーー!」
「あ、あの、リーフデ、さま……」
頬をぺたぺたと触ってくるその感触に、戸惑いながら琥珀色の瞳を見つめ返しました。
「しかも、瞳の色が黄金! ううん〜。これは腕が鳴るわ!! あ、私は貴族じゃなくてただの平民だから、『様』なんてつけなくていいから」
「え? そうなんですか? ……じゃあジュウール様とは?」
少しだけ首を傾げながら、疑問の眼差しを目の前にいる可愛らしい女性に向けます。
どう見ても侍女の身分には不釣り合いな豪華なドレスを身に纏っているのに、私の支度を手伝えるという発言には謎しかありませんでした。
「私は、ジュウール様の愛人よ」
にっこりとした笑みを浮かべながら発した衝撃の言葉に、固まってしまいました。
愛人といえば、この間アクーラ様に教えていただいた、男性の処理をする方のはずです。
どう言っていいのか分からない私は、思いっきり
「あ、愛人、ですか……?」
「そうよー? 私、ジュウール様のお気に入りで屋敷にずっと居させてもらっているのよ。……これは、内緒の話ね。多分私、亡くなったジュウール様のお姉様に似ているのよ」
最後の部分は本当に秘密のお話なのか、私の耳元へこそっと囁くように言いました。
「でも、お陰様でこんなにいい暮らしが出来ているからね! 娼館にいるより全然マシだわ」
「しょ、娼館……? え……?」
さっきから話についていけなくて、若干パニック状態になったままリーフデさんに助けを求めるような視線を送りました。
「え!? あなた、娼館も知らないの? うわー。どんだけ純粋なの。娼館って男が欲を発散させる場所の事ね。私はそこで働いていたの」
頭を殴られたような衝撃が私を襲いました。
アクーラ様が言っていた
「……やっぱり、男性は、そうやって処理をしないと、ダメなんですね……」
何だかついつい気落ちしたような思いで、目を伏せてしまいました。
月の障りの関係でここ最近お兄様と身体を繋げるのを控えてもらっていて、彼も処理したくなるのではないかと暗い気持ちになってしまいます。
「ん? あなたの旦那さんなら、大丈夫なんじゃない? というか、さっき『お兄様』って言ってなかった?」
「あ、はい。実は私は引き取って貰った『遠縁の子』で、結婚するまではアルフレート様は私の『お兄様』だったんです」
「へー! じゃああなた、自分の『お兄様』と結婚したの? ……もしかして、好きな人だった?」
リーフデさんが少しだけ意地悪そうな、ニヤリとした笑みを浮かべました。
「はい。ずっとずっと、好きな人でした」
「……ふぅん、いい顔するじゃない。──好きな人がいるって、いいわよね……好きな人を一途に思う気持ちって、素敵だと思う」
一瞬少しだけ寂しそうな顔をすると、私に向かってにっこりと微笑みました。
その表情が少しだけ気になりましたが、リーフデさんの言葉にどこか救われた気にもなりました。
「いいわね、そんな人と結婚できて。じゃあ大丈夫でしょ。あの『お兄様』もあなたの事とても大切に思ってそうだし」
「……でも、男性は、やっぱり
私の雰囲気が変わったのを察したリーフデさんが、衣装を選ぶべく物色していたその手を止めてさぐるような眼差しを向けてきます。
「何で? 別に世の男性全てが、って訳じゃないと思うけど?」
「……アル兄様は、私が初めての結婚では……ないので……」
思わず目を伏せながら、消えいるような声で呟きました。
今まで誰にも言わなかった心の内を少しだけリーフデさんに明かしてしまったことに、少しだけ戸惑ってしまいます。
「……びっくりだわ。あなた、案外苦労しているのね。そっかー。でも、あの『お兄様』の様子じゃあ、かなりの訳有りっぽいけどね。──そんなに思うなら、聞いてみたら?」
顔を上げると、あっさりとした顔でそう発言したリーフデさんと視線が重なります。
「夫婦になったんでしょ? なら、気になることは何でも言ってみないと。そうそう、あなた初心そうだから知識もなさそうね。夫を満足させれば妻にもっともっと夢中になるから、そんな事気にしなくても良くなるんじゃない?」
「満足、ですか……?」
にこにこと微笑みながらまたドレスを物色し出したリーフデさんを、ぼんやりとしたまま見つめました。
自分に知識がないことは十二分に理解しているので、どうすればお兄様を満足させる事が出来るかなんてちっとも分からず途方に暮れてしまいます。
「例えばねー。女が上になって喜ばせるってのもあるのよ」
そんな私の様子を察知したようなリーフデさんが、再び手を止めるとにやにやとした笑みを浮かべながら助言をしてくれました。
「うえ…ですか?」
「そうそう、要は馬に乗るのと一緒だから、今度してみたらいいわよー」
「あ、ありがとうございます……!」
頭の中で必死にイメージをしながらも、教えてくれたリーフデさんに向かって拝みながら身を乗り出します。
「……やば。この子、純粋なだけでなくド天然だわ……いやー、こんな逸材なかなかいないわねー。売れっ子になるのは間違いないけど、そんな事言ったら殺されそう……」
「やっぱり、リーフデさんはよくご存知なんですね……すごい……」
「いやいや、元娼婦捕まえて凄いって……あなた、こんな仕事している私を軽蔑しないの?」
キョトンとした目でリーフデさんを見つめてしまいました。
(……軽蔑されるとすれば、実の兄だと知っていても尚、あの人の事を愛していた私の方……それに、仕事とはいえ好きでもない人とああして身体を繋げる事は、むしろそれこそ辛い事じゃあ……)
何だか切なくなってしまい、ついつい言葉が溢れてしまいます。
「大変な、仕事だと思います……」
それを聞いたリーフデさんはハッと目を見張ると、ちょっとだけその瞳を揺らしました。
「……あなたは、とっても綺麗な人ね……さ、こうなったら、腕に寄りをかけるわよー!」
手を大きく振り上げると、張り切って再びドレスを物色し始めました。
「そうだわ!! ジュウール様がとっておきのがあるから、それを使っていいって言ってたわ!」
手を叩いたと思ったら、リーフデさんは何やら奥の方に行ってゴソゴソとすると、ドレスを片手に戻ってきました。
「ふふふ〜。これなら完璧ね」
「……大丈夫でしょうか?」
「リーフデさんの目に狂いはない!」
私に衣装をあてながらキラキラと輝くリーフデさんの琥珀色の瞳の眼差しを見ると、何となく勇気を貰った気持ちになりました。
(後で、アル兄様とちゃんとお話ししてみよう……)
決意を胸に秘めながら、紫紺のローブを脱ぐと衣装へと着替えはじめます。
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