第17話 予定外のシナリオ

西日を背にする私たちを眩しそうに見つめながら、大きく大きく手を振る人々へと手を振り返します。

魔物の襲撃を受けた彼らはこの近辺の住民で、王都へと向かっていたそうです。

感謝で溢れる人々をなんとか宥め終えた私たちは、旅を再開し東を目指します。


「……予定よりかなり時間を押してしまった……」

「このままだと、今日は宿に辿り着けそうにないですか?」


声色が若干硬いものだったので少しだけ振り返って見上げると、その表情は何かを思案するようなものになっていました。


「野宿は絶対にダメだから……しょうがない。本当は通り過ぎる予定だったけど、しかない……大丈夫。心配いらないよ、ルゥナ」

「野宿でも、大丈夫ですよ……? 多分…? 何だか、楽しそう?」


何かを決心したような顔をしたお兄様に首を傾げながらそう提案しましたが、実際の所『野宿』がどんな感じになるのか想像もつかない私の頭は、謎でいっぱいになっています。


「ははは。ルゥナは『野宿』にも興味あるんだね。でも、さすがにまだ寒くはないとはいえ朝晩は冷えるから無理だよ」


楽しそうに笑うお兄様の声を聞いて、硬さが無くなったようで良かったと安心しました。

と同時に、こんな風に笑ってくれる嬉しさで口元をほころばせながら、夜の訪れが近づいてきている方角を見つめます。


「とにかく、今から行く所では、絶対の絶対にフードを外したらダメだからね」

「……分かりました」


お兄様は私のフードに手を伸ばすと、もっとしっかりと深く被せるように念入りに引っ張ります。

その言葉と動きに何だか少しだけ不安な気持ちがよぎり、手綱を取る彼の手に自分の手を重ねました。





「何度も言うようだけど、絶対に、僕の手を離してはダメだよ」

「はい」


馬を降りて見上げたお兄様の顔は、いつもよりかなり硬いものになっていました。

言われた通り、黒毛の馬の手綱を持っている彼の空いた左手をしっかり握りしめます。


お兄様と馬と一緒に入った街は、大勢の人で賑わっていました。


すっかり日も暮れかかり薄闇に染まる空とは対照的に、まるで昼間のように煌々と輝く街。

喧騒に包まれたこの場所は、異様ともいえる活気に満ち溢れていました。

何故だか甘い果実のような匂いが辺りに充満していて、行き交う人々のほとんどが男性で、ギラついたその目元に何だか怖くなりました。


ふと見ると、1人の男性が女性と親しげに向こうから歩いてきます。

女性はかなり露出の高い服装をしていて、開いた胸元から溢れ出そうになっている豊満な乳房についつい目が釘つけになってしまいました。


「へへへ。今日もよろしくな」

「うふふふ。ちゃんとあるんでしょ? 今日はちょっといい所で食べてからにしましょうよ……」


何だか色気溢れるその女性に目を奪われて、通り過ぎる2人に見入ってしまいました。


「……ルゥナ」


握った手を強く握りしめられて、ハッと我に返ります。


「ご、ごめんなさい……」


お兄様の身体に擦り寄るように身体を近づけると、彼にだけ聞こえる小さな声で謝罪しました。

何だか、お兄様の硬い表情が腑に落ちた気がしました。

ここは、いつもの街と何かが違う──


行き交う人々を見て、それだけはハッキリと分かりました。



今日の宿を探しているお兄様の横に黙ってついていっていると、何やら前方の方から騒ぐ声が聞こえてきました。

人だかりも出来ている様で、興奮しながらその群がる中へと流れて行く人々を呆然と見つめます。


「っち……」


隣にいるお兄様から、ヒリヒリとした雰囲気が流れ出てきます。


「テメェ! 何しやがんだ!」

「それはこっちのセリフだ! この野郎っ!!」


ワッと湧いたかと思うと、人々が口々に『やれ!』だの『そこだ!』だの大騒ぎを始めます。

一気に周囲がその喧嘩の元へと行こうとして、私たちは流れに呑まれる様になってしまいました。



ーーーヒヒィィィンッッ!!!



「っ落ち着け!」


騒ぐ人々に何かされたのか、突然私たちの黒毛の馬が暴れ始めました。

手綱を引きながら馬を宥めようとしているお兄様を見て、つい手を離してしまった私は、騒ぎの元へ向かう人々の流れに巻き込まれそうになりました。


「っいたっ!」

「っ何しやがんだてめぇ!」


人を避けようとしたのですが、逆に別の人にぶつかってしまいその場で尻餅をついてしまいました。

私がぶつかった人が荒々しく紫紺のローブを掴むと、そのまま立たせるように引っ張り上げます。

その反動で、はらりと私のフードが外れてしまいました。


「……っ! へぇ、こりゃ、すげぇ上玉……」


肩を掴んだまま、その男性は不躾な眼差しでジロジロと私を見つめてきます。

ふっと辺りの喧騒が静かになったかと思ったら、周囲の人々がジッとこちらに目を向けているのに気が付きました。


───すげぇいい女だな……

───いくらで相手してくれるかな……


周りの視線と目の前の男性に恐怖を抱いた私の指先が、僅かに震えます。




「汚い手で触れるな。斬るぞ……」


ひやりとした空気が頬を優しく撫でました。

お兄様が私の肩を掴んだままの男性の首筋に、いつの間にか抜いた刃の切っ先を向けています。

全身から凍りつくような殺気を放ち、その凍てついた瞳で目の前の男性を睨みつけています。



…ピシピシッ!



僅かに剣先が凍りつき、漏れ出る冷気で辺りの温度が急激に下がっていくのを感じました。


「ひぃっ……!」


男性が慌てて私の肩から手を離すと、その場から走り去っていきました。

勢いよくお兄様の元へ駆け寄った私は、その身体を強く抱きしめます。


───あれ、晦冥(かいめい)の騎士じゃねぇか? 何でこんな所にいんだ?

───どうせ、領主様の所に遊びに来たんだろ……

───へへへ、晦冥(かいめい)の騎士様でも男ってことか?

───あの横にいる女、一晩だけでも貸してくんねぇかなぁ…


私を抱きしめるお兄様の腕が、ぎゅっと力強くなります。

気が付いたら、私たちを取り巻くように人々が周囲を囲んでいました。


「ごめんなさい……アル兄様……」


周囲から感じる視線に恐怖を抱きながら、私もお兄様に回した腕の力を強めました。


このまま抜け出すことが出来なくなるのかと思っていた矢先に、ザワザワと人垣が割れていきます。

見ると、黒塗りの馬車がその間から通ってきているようです。

人々はその馬車を見ると自ら進んで道を開けているようで、こんなにも人がいるのに難なく私たちの前へと進み出てきました。


「ようこそお越しくださいました、アルフレート様と奥方様。ジュウール様がぜひご招待したいと申しておりますので、こちらにお乗り下さいませ」


黒塗りの馬車から出てきた執事と思われる人は、恭しくお辞儀をしながら私たちを馬車へと誘いました。


「アル兄様……」

「……しょうがない。おいで、ルゥナ」


見上げたお兄様はひやりとした雰囲気を一瞬だけしまって微笑みを浮かべると、またもヒリヒリとした空気をまとわりつかせたまま私の手をとって馬車へと進んでいきます。


「その馬はこちらでキチンとお世話をさせていただきますので」


黒毛の馬を見つめていた私の視線に気が付いた執事の人が、優しく微笑みかけてくれました。


「……よろしくお願いします」


軽くお辞儀をすると、お兄様の手を取りながら馬車へと乗り込みました。


馬車の中でお兄様の隣に座ると、まだ少しだけ凍てついたままの空色の瞳を見つめます。


「本当にごめんなさい、アル兄様……」

「ルゥナは、全然悪くないよ……怖い思いをさせてしまって、ごめんね……」


その瞳の色が柔らかく溶けていくのを感じていると、お兄様が私を優しく包み込んでくれました。

彼の身体に頬を擦り寄せると、さっきまでの恐怖心が何処かに消えていきます。


「アル兄様が…アルがいたから全然大丈夫です……いつも守ってくれてありがとう……」

「……僕が絶対にルゥナを守るから、安心して……」


今からどこに向かうのかも分からない揺れる馬車の中、彼の温もりだけが私の心を暖めてくれます──

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