第16話 晦冥の騎士

街道に沿って馬に揺られながら移動していきます。

手綱の操作もかなり慣れてきて、風景を見る余裕も出てきました。


「ルゥナ、上手になったね。順調に進んでいるから、この調子だと日暮れ前には次の街につけるかな。無理はせずに、疲れたらすぐに言ってね」

「えへへ、ありがとう……この子とっても素直ないい子だから、私に合わせてくれているんです。まだまだ大丈夫なので、このままいきますね」


褒められたのが照れくさくて少しだけ俯きながら、再び黒毛の馬の呼吸に呼応するようにしていきます。

そよそよと優しく吹く風が、私の熱った頬を冷ましてくれているかのようです。



──た、た、助けてくれーーーー!!! 誰かーーーーー!!!!



穏やかな景色を切り裂く叫び声に、周りの色が一気に失われました。


「ルゥナ」


(わ……)


気が付くと、地面に降り立ってお兄様の腕の中にいました。


(……これって、風魔法を応用した浮遊魔法とか……!?)


向こうの方から再び上がった悲鳴を耳にし、少しだけ指先が震えてしまいます。


「絶対、ここから動かないで」


見上げたお兄様は硬い表情のままサッと私に向かって手を振ると、防壁魔法をかけました。そのまま外套がいとうを放り投げると、いつの間にか抜いていた剣を片手に声のする方を凍てつく眼差しで見つめます。

風魔法を行使したのか、一瞬でその姿が消え、気がついた時にはかなり遠くへ行っていました。


「ど、どうしよう……」


その場に残された黒毛の馬をチラリと見ます。

脱いだ外套を拾い上げ手綱を持つと、お兄様が向かって行った方へ視線を送りました。


「……防壁魔法は、相手からの攻撃を防げるけど、こっちの攻撃も出来ない……そもそも火魔法しか行使出来ない私が役に立てることなんてほとんど無い、よね……でも……アル兄様……」


手綱を握り締めると俯いていた顔を上げて、慎重な足取りで進めていきます。

ゆっくりと周囲をうかがいながら近づいて行くと、街道を少し外れた所に数台の馬車が集まっているのが見えました。


「っっ!!!」


大きく息を呑みます。

その上には、どうみても鳥とは思えない程の大きさをした、異形のモノが何匹も襲うように飛んでいたのです。


(ま、魔物だっ……!!!)


お兄様の外套を固く握りしめたまま、その場で固まってしまいました。黒毛の馬も緊張しているのか、ピタリと動きをとめて耳だけ張り詰めると、身体を硬直させます。


「ぎゃーーーー!!!!」


すぐそこで悲鳴が上がり、身体がビクンと大きく反応してしまいました。

見ると、1人の男性が魔物に覆われてその鍵爪で空中へと連れ去られようとしています。


(どうしよう、どうしよう……!!! た、助けないと……!)


全身から流れ出る冷や汗を感じ、震える両手で外套をぎゅっとしながら、ガクガクとする脚で一歩を踏み出そうとした時です──



ーーーッッザシュュッッッッ!!



地面から物凄い速さで現れた漆黒の影が、魔物の身体を一気に貫きました。

その反動で空中に放り出された男性の身体が、途中でピタリと止まり浮遊します。


(アル兄様っ!!!)


刺された魔物はそのまま氷漬けになり、剣を抜かれて地面に落ちていく途中で粉々に砕け散りました。

風と一体化になった漆黒の影が、そのままの勢いで次々に魔物に斬りつけて凍らせていきます。

敵だと認識したのか、空中に浮遊する魔物が一斉にその影に襲いにかかり、ハッと息を呑みました。


「アル兄様っ!!」



ーーーッピキィィィィィンッッ!!!



次の瞬間、襲いかかっていた全ての魔物が凍りつき、地面へと落ちていきます。

漆黒の姿をしたお兄様を中心に、粉々に砕け散った氷のカケラが舞い散っていきました。

金色の髪を揺らめかせながら、上空を軽く見つめたままお兄様は剣を鞘に収めます。

周囲に舞うカケラのせいでキラキラと輝いて見えるその姿に、思わず見惚れてしまいました。


(凄い……あっという間だった……)


お兄様の戦闘を初めて間近で見た私は、その強さに圧倒されました。

彼が私の方を見て、一瞬驚いた顔をしたと思った次の瞬間すぐ間近にいました。

遅れてふわりと、頬に風が当たります。


「ルゥナ、あそこから動いてきたでしょ」

「ご、ご、ごめんなさい………アルにいさま……」


凍てつくその空色の瞳から、かなり怒らせてしまった事を悟って酷く狼狽うろたえてしまいました。

揺れる瞳を抑えながら、お兄様の顔を見上げます。


「……本当に、ごめんなさい……」

「……はぁ…もう絶対に、ダメだからね」


その瞳にもう怒りがない事が分かった私は、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。


「心配かけて、本当にごめんなさい、アル兄様……」

「いいよ、もう」


ふわりと笑いながら私の頭を優しく撫でて防壁魔法を解除すると、スッと雰囲気を変えて襲撃を受けた馬車の方へと目を向けました。


「もう魔物はいないから、ルゥナもついてきて。外套持ってきてくれてありがとう。あ、馬はここに繋いでおこう」


黒毛の馬を木に繋ぎそこに外套を掛けると、やや足早に馬車の方へと並んで向かいました。

魔物に襲われて空中に浮かんだままの男性の浮遊魔法を、お兄様が解除していきます。


「あ、あ、あ、ありがとうございました……!!」


叫んでいたと思われる男性は、まだ震える全身を抑えながら、青白い顔で地面に座り込んだまま兄様を見上げました。

お兄様はその男性の視線に合わせるようにしゃがみ込むと、真剣な表情で震える身体を落ち着かせるようにそっと肩に触れました。


「怪我人や他の人は?」

「あ、あ、馬車の中に……」

「あなたも怪我をしている。見せて」


男性の腕を取ると、お兄様が治癒魔法を行使してその怪我を治していきます。


「す、すごいっ!! 晦冥(かいめい)の騎士様……本当に、ありがとう、ございます……っうう……!」


一瞬で怪我が治った男性はその場でうずくまると、泣き始めました。

若干困ったような顔をしたお兄様を見て、蹲る男性の側へ行くとその背中を優しく撫でました。

変に怖がらせてはいけないので、自分のフードを外します。


「アル兄様、馬車の方をお願いします」

「あぁ、ルゥナ、ここは頼んだよ」


僅かに困ったような笑顔を浮かべたお兄様は、そのまま馬車の方へと向かって行きました。

馬車の中に人が大勢いたのか、『晦冥(かいめい)の騎士様』だと騒ぐ声がここまで聞こえてきます。


「あ……あの……」

「落ち着かれましたか?」


泣き止んだ男性が、ゆっくりと身体を起こします。その顔色を確かめるように覗き込みながら尋ねました。


「っ! は、はい……その、ありがとう、ございました……」


まだ若そうな男性は顔を赤くさせ目をウロウロと泳がせると、そろそろと立ち上がりました。

私も一緒に立ち上がると、お兄様のいる馬車の方へと向かいます。


「アル兄様?」


馬車の中を覗き込むと、数人の人に涙ながらに拝まれて固まっているお兄様の姿がありました。


「あぁ、ルゥナ。良かった。お礼をしたいと言って聞かないから……」

「晦冥(かいめい)の騎士様! 本当にありがとうございます! このお礼はいくら払えばいいでしょうか……何でしたら、この小麦ももらってください!」


私の姿を見た途端、お兄様がほっと息を吐きました。

晦冥(かいめい)の騎士様の足元へとひれ伏している人々のその態度に、私も少しだけ尻込みをしてしまいました。

ですが困り果てているお兄様に助け船を出そうと、人々を見回します。


「あ、あの、皆様、そんなお礼は本当にいいですので……それよりも、大丈夫ですか? 今からどこにいかれる予定でしたか?」

「晦冥(かいめい)の騎士様、この方は……?」

「妻だ」

「なんとっ!! うぅっ! 女神様かと思いました……!」

「こんな方たちと出会えて……まさに奇跡ですっ! 神さま、ありがとうございます……!」

「……えっと……皆さん、落ち着いてください……馬車は、動かせますか?」

「馬は大丈夫だった。問題があるとすれば……」


湧き上がる人々を横目に馬車の外へと飛び出してきたお兄様と一緒に、確認をしていきます。


「馬車の車軸が折れている、か……」

「え? 本当ですか? あ、折れてる……もうダメでしょうか……」


お兄様に助け出された先ほどの若い男性が私たちの側に来ると、がっくりと肩を落としながら折れた車軸を見つめました。


「しょうがないです……この馬車はここで捨てるしかありません……」

「いや、このぐらいなら、とりあえずの応急処置でいけると思う」

「本当ですか!? 晦冥(かいめい)の騎士様、本当に、何から何までありがとうございます!」 


お兄様は周囲にある木の枝を切り取って魔法を行使して形を変えていき、車軸の代わりにしていきます。

闇属性以外全ての属性が使用できるお兄様の凄さを改めて実感した私は、心からの崇拝の念を抱きながらその動作一つ一つを見つめてしまいました。


(アル兄様は、本当に、凄い……)


同時に、自分が本当に役に立たない事も感じてしまい、周囲に気付かれないように軽く項垂れます。


(せめて、治癒魔法が使えたら、良かったのに…… 貴族は、魔法を行使出来ない民を守るべくして力を与えられたのに、その義務も果たせない……)


晦冥(かいめい)の騎士であるお兄様と何も出来ない自分との差に、そっと息を溢しました。

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