第12話 道しるべ

「僕たちは調査に来ているから、これ以上は時間をかけられない。どうしても分からない事は、オルカに言うように」


いつまで経っても引くことのない人の群れを見て、お兄様はピシャリと宣言して皆を解散させます。



───あ〜やっぱ晦冥(かいめい)の騎士様はすげぇな〜

───なんか、昨日と雰囲気違うくね? あんま怖くなかった……

───すごい勉強になったね!……もっと、頑張ろうっと



口々に色々な事を言いながら立ち去って行く騎士隊の人たちの顔は、生き生きとしていました。

まだ必死にメモを取っている人たちをちらほら見かけると、何だか誇らしい気持ちで口元が緩んでしまいました。


「ローレン。船を一艘借りるぞ。案内を頼む」

「はいっ!」


嬉しそうな顔をしたローレンさんが砦の説明も兼ねた案内をしてくれて、頷いたり感心したりしているとあっという間に船着場に到着しました。

風魔法と水魔法の魔法具が付いてあり、起動させるとその魔力で動く船に2人で乗り込んでいきます。

慣れた手つきで船を操作するお兄様の様子を見ていたら、静かに船が動いていくのが分かりました。

南にある結界に向けて進んでいく船の上から、初めて近くで見る海に心が奪われた私は、目が釘付けになってしまいます。


「……わ〜……すごい、大きい……でも、船って、ちょっと……」


初めて乗る船は馬よりも結構ゆらゆらと揺れるので、なるべく遠くを見つめるようにしました。

船を操作しているお兄様が、後部に座る私を気遣うように振り返ります。


「ルゥナ、大丈夫? 海は波があるから、結構揺れるでしょ」

「な、波!? この動いているのが、波なんですね!」


その言葉に驚き船から水面を覗き込むと、ゆらゆらと勝手に揺らいでいる様子が視界に飛び込みました。


「不思議ですね〜……今はスピードがあるから、ダメかぁ……」


海に触ってみたい衝動を抑えながら、その揺れる水面みなもに視線が囚われて離れません。


「ははは。ルゥナはやっぱり可愛い。今度ゆっくり海を見よう」

「いいんですか!?」

「そのぐらいあってもいいでしょ」

「ありがとうアル兄様! 嬉しい!」


はしゃぐ心のままに笑みを浮かべると、今はまだ手の届かないどこまでも続く深い蒼色を見渡します。


(もっと、この世界を見て、感じてみたい……)




なびいていく風に吹かれながら南に進んでいくと、キラキラと輝く淡い色が目に映りました。

船のスピードが徐々にゆっくりになるのを感じて、座席から立ち上がります。


「アル兄様……あれは……」

「あれが、結界だよ」


船首に立つお兄様の横に並ぶと、目の前に広がる光の帯みたいな物に引き寄せられるように一歩近づきました。

海の上に突然現れているその帯は、東西にずっと連なり続けていて私からはその果てが見えません。


「……あの先には東の結界があって、そこと交わっているのですね……」


東の方へと続いていく光の先へ思いを馳せながら、自分達の世界の果てがこんな所にある不思議な気持ちで胸が熱くなりました。

お兄様が船を上手く操作しながら、結界のギリギリまで寄せていきます。


「この結界を越えたら、そこはだ。絶対に出ないようにしてね、ルゥナ」

「……はい、分かりました」


その言葉にゴクリと喉を鳴らすと、月蝕事件の時に遭遇した魔物の姿がフッと頭によぎりました。

魔物を見たのは学園の実習の時と事件の時だけで、臆してしまい少しだけ及び腰になってしまいました。

この世界が、こうして皆の手によって守ってもらっているからこそ成り立っているのだと、この身を持って改めて実感されます。



最大限まで近づいて瞳に映した光り輝く結界は、7色の色で織りなす織物のような造りをしていました。

ゆらゆらと揺れながら、複雑に規則正しく絡み合って創られたそれらは、壮大な一つの構造物として圧倒的な美しさで私を魅了します。


「……これ……すごく綺麗……」

「そうだね。光り輝く結界は、とても綺麗だ」

「はい。7色の糸で編んだ織物のようですね。きっと7色あるのは、基本属性からきているんですね」


神秘的な様子に感動で胸をいっぱいにさせながら隣に並ぶお兄様を見上げると、その目が大きく見開かれていました。


「……ルゥナ…織物ってなんの事?」

「え? 結界がまるでいますよね?」

「……僕には、。単なる、輝く光がそこにあるとしか思えない……」

「え……!?」


口元を手で覆いながら思案顔で結界を見つめるお兄様を、言葉を失ったまま見つめてしまいます。


「……ルゥナ。結界に、触れてもらってもいい?」

「や、やってみます」


真剣な眼差しを向けるお兄様に身体を少しだけ固くしながら頷くと、恐る恐る手を伸ばしその光の帯に触れてみます。


(……何にも、ない……?)


とぷんと何の抵抗もなく私を受け入れてくれた、結界の柔らかい光と優しさに触れると、何だか不思議な感覚になっていきました。

それは、私が世界に感覚とほんの少しだけ似ていました。


「……っ! もういいよ。大丈夫、ルゥナ」


少し焦った様子のお兄様が、手を伸ばす私を後ろから優しく引っ張ると、そのままぎゅっと腕の中へ抱き込みました。

私もその身体へ腕を回すと、ゆらゆらと揺れる船の中暫く互いの温もりを分け合います。


「……とにかく、ルゥナには結界がのように見えた。触っても何も起こらなかった」

「そうですね……」

「南部の結界の様子をよく覚えておいて。次は東部へ行こう。さ、魔物が出たらいけないから、もう帰ろう」


最後の言葉と共に身体を離したお兄様の瞳と交差したと思ったら、唇に柔らかな感触があたります。

突然キスされた事に驚きながら、船を操作しにいった彼の背中を赤く色付く頬のまま見つめてしまいました。





「どうだった? 魔法局の調査は順調だったかい?」

「はい、おかげ様で調査の手応えはありました」


夕食の席で優しそうな笑みを浮かべるオルカ様に、にこりと微笑みを返しました。

オルカ様は『魔法局の魔物調査』という表向きの事を言っているですが、本来は『結界の調査』です。嘘をついている事に少しだけ胸が痛んだのですが、決して言ってはいけない事なので自分の心をしっかりと抑え込みます。


「それは良かった。にしてもアルフレート、何だか砦の騎士隊からの質問が、夕方からすごく届いているんだが……」

「砦の領主の仕事だろ。頑張れ、オルカ」


お兄様がとても綺麗な笑顔を浮かべながら激励を送ったのですが、オルカ様は暗い顔で頭を抱え込みました。


「……はぁ。俺、魔法理論はあまり得意じゃないんだよ……」

「オルカ様、頑張ってくださいね。今日の晩餐でこんなご馳走出していただいて……本当にありがとうございます。さすが南部に位置するメリーディエス家ですね」

「そうそう、新鮮な魚介類を贅沢に使ってて、本当感謝するよオルカ」

「そうか、ふたりが喜んでくれて良かったよ。我が家の料理人が腕を振るったからな。──今日のメニューは、オマール海老のビスク、タコのカルパッチョ、シーフードのアヒージョ、スズキのポワレ、だ」


少し元気を取り戻した様子のオルカ様は、並んでいる料理の解説をしてくれます。


「本当に、美味しそうです〜……んん〜お魚、美味しい〜!」


体調もすっかり良くなって、こんなに美味しいご飯が食べられることをとても嬉しく思いながら、今度はぱくりとカルパッチョを口に入れました。


体調がすぐれないアクーラ様はお部屋で食べているそうで、この場にはいらっしゃいません。

本当に申し訳ないのですが、お兄様が嫌な思いをせずに済んで良かったと思ってしまいました。

とても大切な人に、触れて欲しく無かったので……



食事が終わって席を立とうとした私たちに、オルカ様が手をあげてニヤリと笑いかけました。


「今日こそどうだアルフレート、一杯やらないか?」

「遠慮しておくよオルカ。明日は朝早く出立する予定だしな。それよりも、早く騎士隊からの質問に答えた方がいいんじゃないか?」


綺麗な笑顔を浮かべたお兄様の言葉を聞いたオルカ様の顔が、一気に浮かない表情へと変わります。


「……ま、そうだな……あの本どこしまったっけな……」

「じゃあオルカ、お休み。ご馳走様」

「オルカ様、本当にご馳走になってありがとうございました。お休みなさい」

「あ、あぁ、お休み……」


まだ少しだけ沈痛な面持ちをしたオルカ様に丁寧にお辞儀をすると、お兄様と手を繋いで部屋を辞しました。

凍りついてしまったため、今晩はお兄様と一緒に過ごす事になるのですが、部屋に着くなり私の手を優しく引っ張ると窓の方へと向かって行きます。


「アル兄様?」

「ふふふ。ルゥナ、ちょっと抜け出そう」


何だか悪巧みをしている子どものような顔をしたお兄様が、流れるような動作で私を抱き上げました。

そのままバルコニーからふわりと浮遊して飛び出すと、どこかへと飛行をしていきます。

首元にぎゅっとしがみつきながら、全身で感じる温もりに速まる胸の鼓動を抑えられませんでした。


「アルに…アル、どこへ行くのですか?」

「ルゥナに、見せたい物があって……」


ふわりとした笑顔を間近で見て、私の頬は赤く染まってしまいました。

とても大事そうに抱え込んでくれる彼の身体に、火照ったままの顔を隠すように身を埋めると、微かな呼吸を感じることが出来ました。



暫く飛行して辿り着いた先は、屋敷の近くの岬でした。

そっと降ろしてくれたお兄様の手を取ると、足元から吹き上げる風がなびいている岬の上に立ちました。

目の前には、昼間とは違って吸い込まれる程の深い深い闇色をした海が広がっています。


その中に、一筋の白金の色がスッと伸びていました。


満月の明かりが海に反射して、まるで光の道が出来ているような幻想的な景色が目に映ります。

私たちの足元まで届いているキラキラと輝く月の道は、これから進んでいく先を正しく導いてくれているようにも感じました。


「綺麗……」


遠く響くさざ波の音に、私の呟きが溶け込んでいきます。


「うん、凄く綺麗だね……今日は満月だと思ったから、やっぱり来て良かった。これを、ルゥナに見せたかった」

「……嬉しい……本当に、ありがとう。アル……」


隣に並ぶお兄様を見上げると、月明かりに照らされた空色の澄んだ瞳が優しく輝いていました。

きっと私の瞳も彼のように柔らかな月光を浴びているのだろうと思いながら、互いに吸い寄せられるようにそっと唇を重ね合わせます。


微かに交じり合う吐息を心地よく感じていると、ゆっくりと触れ合った熱が離れていくのが分かりました。

目を開くと、唇に微かに残った温もりをくれた人がジッと私を見つめていました。


「私、こうしてアル兄様と…アルと一緒にいる事が出来るだけで、幸せです……」

「僕も、ルゥナと一緒にいる事が出来て幸せだよ」


愛しい人に微笑みかけると、彼はとてもとても幸せそうな笑顔を返してくれました。


お互いが同じ想いを抱く事が出来る。

それは、何よりも幸せなことで……


柔らかくて優しい月明かりのように、この愛しい人をずっと照らしていきたい──

そう想って、寄せ合うその身体をぎゅっと抱きしめました。

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