第11話 南部の砦
『ずっと、一緒にいたい』
彼が私と同じ心でいてくれた事を知って、どうしようもない程の喜びで胸を震わせました。
そして、いつもいつも、私の事を大切に想ってくれている……
お兄様の腕の中に包まれその温もりを感じていると、みるみる間に気持ちが晴れやかなものになっていきました。
身体だけじゃなくて心も元気になったようで、休んでしまった分をしっかり取り戻さないと、と意気込むように顔を上げます。
「アル兄様……私、体調もすっかり良くなりましたから、大丈夫です。結界調査に行かないといけませんよね?」
「……大丈夫、ルゥナ? 動ける?」
「はい! ……あの、ですが、ここでは着替えも出来ませんし……そ、それに、あ、あの、あと……謝らないといけません……!」
彼の腕の中で呑気にしていた私は、凍りついた部屋を見渡してハッとすると、慌てて腕を引っ張りアクーラ様の元へと訪ねる事にします。
「……別に謝罪しなくても、いいでしょ……」
「え!? それはいけませんよ、アル兄様……! 行きましょう!」
少しだけ凍てついた眼差しの彼の手を握りしめると、すぐに雰囲気が柔らかくなるのが分かりました。
久々に手を繋いで歩く道すがら、愛しい人の存在を近くに感じて、私の胸は泣きたくなるくらいの切なさに締め付けられました。
最初に連れて行かれたアクーラ様の部屋へと伺うと、何故か隣にいるお兄様を見るなり顔色を悪くさせました。
側にいた侍女も何故か顔を青ざめさせると、パッと俯いてしまいました。
「あ、あのアクーラ様。実は──」
「あぁ、あの部屋は僕のちょっとした
お兄様がそれはそれは綺麗な笑顔を向けた途端、アクーラ様は一瞬頬を染めたかと思うと再び血の気を無くしていきます。
「全然! 全然問題ありませんわ! き、気にされなくて、大丈夫ですわ!」
何度も何度も頷くアクーラ様に合わせて、隣の侍女もカクカクと小さく首を振っています。
「アクーラ様、それでですね、着替えをさせて頂こうかと──」
「すぐに! すぐにここで着替えていただいたらいいですから! あ…だ、大丈夫です……何も、しませんわ……」
何故か隣のお兄様を見ながら小刻みに震えるアクーラ様に、思わず首を傾げてしまいました。
「……別に、ルゥナの着替えはここじゃなくてもいいでしょ……」
ひんやりとした雰囲気を漂わせるお兄様に驚きつつも、その腕を優しく撫でます。
「アルに…アル、大丈夫ですから。なるべく早く出発したほうがいいんですよね? すぐに支度を終えるので待っていてください」
「……分かったよ、ルゥナ。すぐに来てね」
小さく息を吐いたお兄様はにこりと微笑むと、部屋から出ていきました。
着替えを終えると侍女たちがお茶を準備をしてくれていたようで、その気持ちを無下に出来なくていただくことにしました。
(早々に切り上げて、アル兄様のところに行かなきゃ……)
さっきと違って落ち着いた様子のアクーラ様は、お茶で喉を潤わすと大きな息を吐きました。
私も香りを楽しみながら一口飲むと、先日と違うその美味しさにほぅっと感嘆の吐息を洩らしてしまいました。
朝食で出た柔らかく煮込んだショートパスタ入りスープもとても美味しく食べれた事を思い出し、健康の大切さをしみじみと実感してしまいます。
ついつい自分の考えに没頭していたようで、目の前に座って私の方を窺うように見ていたアクーラ様の存在を思い出してハッとしました。
「あ、アクーラ様、部屋の件は本当に申し訳ありませんでした」
「いいのよ! いいの! 全然気にしないでくださいね!」
アクーラ様が深々と頭を下げた私の方へ、少しだけ髪を振り乱しながら駆け寄ってきました。
隣の席に座ると、若干青白い顔で優しい笑みを浮かべながら私の手を取ります。
「あと、ごめんなさいね、ルーナリアさん。私、なんか気を悪くさせる事言っちゃたかもしれないわ。悪気があったわけじゃないのよ! ……それにしても、あんな男の奥さんなんて、よくやってるわね」
最後の言葉を言う時に若干その顔が引き
「え? あ、あの、アクーラ様、あんな男って……?」
「だって、顔がいいだけじゃないあの男。いくらあれだけ顔が良くても、性格があんなんじゃ……ルーナリアさん、怖くないの?」
心底憐れむような眼差しを送ってくるアクーラ様を、まじまじと見つめてしまいました。
いつも女性にモテているお兄様を『あんな男』と呼んだことに、驚きを隠しきれません。
この3日間で一体何起こったのだろうと、疑問で頭がいっぱいになります。
「……えっと……怖いと思った事はないですね?」
「えーー!! だって、凄い怖くって、あんなの女性に向けるなんて、紳士じゃないわ!!」
さっきまでの震えがなくなり、頬を膨らませながらお兄様の文句を言っているアクーラ様に戸惑うばかりです。
そもそも優しいお兄様が女性に対してそんな風にするということは、よっぽどの事があったという事です。
「あとね、三日熱の事だけど。あれ実は違うの。ごめんねちょっと嘘ついちゃった。本当はルーナリアさん、ただの疲労だって」
「え!??」
怒っていたアクーラ様が、悪びれる様子もなく突然にこやかな笑みを浮かべました。
さらりと言われたその言葉に、驚きのあまりお茶を持ったまま固まってしまいます。
「あ!! でも絶対にあの男には言わないで! お願い! 言ったら私、殺されちゃうもん!!」
拝み倒すような勢いで身を乗り出すアクーラ様を呆然としながら見つめます。
全身の力が抜けてしまい、少し音を立てながらカップを置いてしまいました。
「良かった……じゃあアル兄様には、絶対に病気をうつしてないんだ……」
安堵の言葉と共に、大きな吐息が溢れ出ました。
目を僅かに伏せると、この3日間で1番気がかりだった事が解消された喜びで胸に手を当てます。
「……ルーナリアさんって……そんなにあの人が好きなの?」
「はい、私ずっとずっと大好きでしたから。……変だって分かっているんですけど、私にはあの人しかいないので」
どこか呆然とした様子で私を見つめるアクーラ様に、にっこりと微笑みました。
「彼に万一の事があったら、私は生きていけないと思います」
「……そっかぁ。うん、でもなんか、羨ましいかも……私も、それだけ好きな人がいたらなぁ……」
寂しそうな顔をしたアクーラ様が素直に溢した言葉は嬉しかったのですが、何だか彼女を見ていると悲しい気持ちになりました。
騙されたのかもしれませんが、怒りも湧いてきませんでした。
「アクーラ様、美味しいお茶をご馳走様でした。もう行きますね」
どこか切なさを漂わせたままの優しそうな顔をしたアクーラ様に笑顔を向けると、そのまま部屋を辞しました。
「南部の砦は屋敷から近いし、調査が終わったら一度戻ってこいよアルフレート。今日こそルーナリアと一緒に晩餐だ。ご馳走を準備して待ってるぞ」
「ありがとうございます」
「……分かった……」
人の良さそうな笑顔で屋敷の外まで見送りに来てくれたオルカ様に微笑みを返しながら手を振ると、砦に向けて出発しました。
まだどこか固い様子のお兄様でしたが、一緒に馬に乗っていると段々と雰囲気が柔らかくなっていくのを感じます。
その心の内を推し量るように、フードで隠れた顔を覗かせながら身を寄せました。
「アルに…アル、大丈夫ですか?」
「あぁ。ごめん、ルゥナに気を遣わせてしまった。どうもあの女が嫌すぎて……はぁ……晩餐……」
端正な顔を歪ませ、嫌悪を含んだ口調でため息を溢すお兄様の瞳をじっと見つめます。
初めて見るその姿に心が囚われそうになったのですが、前を向くと手綱を握る手を優しく撫でていきます。
首にふわりと重さを感じたと思った瞬間、耳元に熱い吐息が入ってきました。
「……やっぱり、ルゥナがいないと僕はダメだ……」
「……私も……」
馴染んだ香りに鼻先をくすぐられると、それだけで胸が高鳴ってしまいました。この3日間寂しかった心を埋めてくれるような温もりを、感じとります。
包み込む彼の腕に身を寄せると、すっかり私の空間になったこの場所を噛み締めるように静かに目を瞑りました。
丘を下って海沿いの道を進んで行くと、大きな白磁色の砦が姿を現しました。
海に面している砦に、何艘もの船が停泊しているのが見えます。
「とりあえず、船を一艘借りて沖合の結界に行こう」
「分かりました、アル兄様」
お兄様は地面に降り立つと、ふるりと身体を震わせている馬を近くの騎士隊の人に預けました。
「ここの統括とは昨日話をしている。近衛隊のアルフレートが来たと伝えて欲しい」
「っは、はい! か、か、晦冥(かいめい)の騎士様にお会いできて光栄です!」
若い騎士隊の人は慌てたように走り去って行きました。
失礼にならないようにフードを外すと、魔法局の調査を強調するように紫紺のローブを整えました。
外套を脱いで漆黒の隊服姿になったお兄様は、慣れた足取りで砦の内部を目指していきます。
───わ! 晦冥(かいめい)の騎士様だ!
───初めて見たよ俺。紫紺のローブって魔法局だろ? すげー美人……
───お前、声かけてみろよ!
───何かあるのかな……
内部に入っていくと、歩みを進めるごとに周囲が騒然としていきます。
色々な目線を感じた私は、緊張で顔が少し強張ってしまいました。
「あ、あの! アルフレート様! 昨日の任で一緒になったローレンって言います! 昨日の戦い、す、凄かったです!」
1人の男性が飛び出してきたかと思うと、興奮で顔を上気させながらお兄様の前に立ちました。
ローレンさんの顔をじっと見つめたお兄様は、記憶を探るように一瞬目を伏せました。
「あぁ……確か第一小隊にいた?」
「覚えててくれたんですか!? お、俺、凄い感動して……!」
「ローレン、すげーなお前。『氷壁の冷徹』様の前に出るなんて……」
横から表れた別の男性が口にした『氷壁の冷徹』という言葉を耳にした途端、お兄様がひんやりとした雰囲気を
「その名は……」
「アルフレート様! どうすればもっと効率的に殲滅できるのですか!?」
横槍を入れた男性を押し退けたローレンさんは、お兄様へと身を乗り出すように尋ねました。その勢いに面食らった様子で何度か目を瞬くと、真面目な顔を向けます。
「まずは風魔法を行使できる者を、1人は小隊に入れておくこと。オルカにも進言したが、風魔法の浮遊理論展開について、もっと学ぶべきだと思う。あとはサポートで水魔法系が得意なものを配置して、魔物の殲滅時に前衛と後衛で上手く
「な、なるほど……」
熱心にメモを取っているローレンさんに、お兄様は色々とアドバイスをしていきます。
その様子を見て、周囲にどんどんと騎士隊の人が集まってきました。
「あ! あの、私ですが、その浮遊理論展開でどうしても分からない所があって……」
「あ、俺も教えて欲しいっす!!」
気が付けば熱気に囲まれていたお兄様は、若干困ったような顔をしつつも丁寧に質問に答えていきます。
いつも私に見せる甘い顔とは違うお仕事モードの彼が見れて、何だか嬉しくなってきました。
(こうしたアル兄様も、かっこいいな〜)
ついつい隣にいる愛しい人を、眩しさで目を細めるように見てしまいました。
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