第10話 すれ違い sideアルフレート

ほとんど眠れずに過ごした身体のまま、重い足取りでオルカの妹の部屋へと向かっていく。

ルゥナの容態については、看病に携われるあの女と直接話せばいいと無責任な兄に言われたのだ。


「ルゥナの様子は?」

「まぁ、アルフレート様。おはようございます。わざわざ訪ねてくださったのですね。嬉しいですわ」


にこやかな笑みを浮かべると、昨日と同じように猫撫で声で媚びるように擦り寄ってきた。

一定の距離を保つようにスッとその身をかわした僕を見て、何度か目を瞬いた女だったが、再び笑顔を向けてきた。


「ルーナリア様の容体をお伝えしますから、ご一緒にこちらでお茶でもどうぞ」

「……」


思わず舌打ちしそうになった己を鎮めるように、唇を固く引き結んだ。

ルゥナの様子はこの女からしか聞く事ができないと必死に自分を抑えながら、目の前の女についていく。


「そういえば、ルーナリアさんって屋敷からほとんど出た事がないんですって? ずっと縛られて生きてきて、可哀想……ルーナリアさんも、すごく辛かったみたいですわ」


頬に手を当てながら心底憐れむように遠い目をした女を見て、一瞬歩みを止めてしまった。

ルゥナからはそんな話聞いた事もないし、彼女自身そんな風に思っていないのは分かってるつもりだ。

だが、女に指摘された事は常に僕自身が感じている後ろめたさでもあったため、吐き出したいような自己嫌悪に陥る。


自分の顔がかげってしまうのを止めることが出来ないまま、案内された席へと腰を下ろした。

女が侍女にお茶の準備を指示すると、待ち構えていたかのように静かに手際よく整えられていく。

目の前に温かな香りが広がると、女は手を振って人払をした。

始終にこにことしている女だが、昨日の夕食の態度で完全に敵認識をしたので、相手の目を見ないようにしながら距離を取り直した。そして、冷たい表情を浮かべる。


出されたお茶には口を付けないように注意を払い、バレないように飲むフリをした。

だがのんびりとした様子でお茶を飲んでいるだけで、一向に話を切り出そうとしない女の姿に、苛立たしさを抑えられなくなった。


「で。ルゥナの容体は?」

「ええ、熱もだいぶ下がっているようでしたわ。朝も少しだけスープを召し上がったようで、容体は悪くなさそうですわ」

「……そうか……」


それを聞いた僕は安堵で胸を撫で下ろし、つい緩んでしまう表情を実感しながら、目を軽く伏せてふっとため息を吐いた。


「……アルフレート様っ……! そんな優しそうなお顔もされるのですね。とっても素敵ですわね……」


目の前の女がうっとりとした眼差しで僕を見つめてきた。

こうした目に何度も覚えがあり、頭が痛くなってきそうな思いを抑えるように軽く目を瞑る。

脚を組むと、再び冷たい表情と冷ややかな眼差しを浮かべた。


「ルゥナの部屋を教えろ」


感情を一切のせない声で、僕に目を奪われたままの女を鋭く見つめた。

さっきから胸くそが悪くて仕方がなくて、我慢の限界が近づいてきている。


「アルフレート様の、そうしたお声も、とっても素敵ですわね」


甘ったるしい響きをした声でそう言うと、ゆっくりと僕の方へ近寄ってくる。

隣の椅子に座ると、頬を染め潤んだ瞳で見つめてきた。


「それでですね、もし寂しいようでしたら、私がお慰めを……」


媚びるような目つきで僕を見ながら、組んだ脚に乗せていた手にそっとその手を重ねてきた。


「触るな」


その手をサッと払い除けると、少し驚いているような顔をしている目の前の女を睨みつけた。

沸々と湧いてくる怒りが抑えられなくなり、溢れ出した魔力の影響で目の前のお茶が凍りついているのが見てとれた。

いつまでもこんな茶番に付き合ってられないと思い、席を立ち部屋から出ようとした。


「で、ですが…アルフレート様、お待ちになってください……!」

「貴様ごときが、僕の名を気安く呼ぶな」


追い縋ろうとする女を凍てつくような眼差しで見据えると、ついつい漏れ出た殺気を放ってしまう。


「…っひぃ!!」


恐怖に顔を引きらせ全身を震わせている女を尻目に、部屋から立ち去った。

時間を無駄にしてしまったと激しく後悔の念に駆られ、歩いていた侍女を捕まえルゥナの部屋を吐かせた。

最初からこうするべきだったと反省しながら、さっきの女と同じようにガクガクと震えた侍女の横を通り過ぎた。



教えられた部屋に入ると、何重にも重なるレースが閉められた天蓋てんがい付きベッドから人の気配がした。


「ルゥナっ!」

「……アルにいさま?」


一日ぶりにルゥナの声を聞いた僕は、胸が締め付けされるような嬉しさでベッドに駆け寄った。


「ルゥナ、大丈夫?」

「ダメ!! 来ないでアル兄様……!」


レースを開けようとした手が、ルゥナのその言葉でぴたりと止まった。


「……ルゥナ……」

「私は、だいじょうぶです……だから、来ないで。お願い………」


苦しそうな声を聞いてすぐにでも駆け寄りたい衝動に駆られたのだが、ルゥナからの厳しい拒絶を聞いて一歩も動けなくなった。


「……アルにいさま。ごめんなさい……私が治ったら、たくさん、お話ししてください……はぁ…だから……私がいなくても、我慢されなくても……ふぅ…いいので…………」

「……分かった……」


レースの向こうにいるルゥナがとても疲れているのを感じ、それ以上何も言えないままその場から引き下がった。


静寂に包まれた部屋の中で椅子に腰を下ろすと、組んだ己の脚に乗せている手に視線を落とす。

たった一目でいいから姿が見たくて堪らない僕を、ルゥナは拒絶した。

そうした事実と、彼女を屋敷に閉じ込めていたという事実に、張り裂けそうになる心を抑えるように、一度両手を強く握り込んだ。


「……ルゥナは、もしかしたら我慢していたのだろうか……屋敷に閉じ込めていた事が、本当は……」


ぽつりと溢しながら、開いた掌を見つめ続けた。

そんな事はないとは分かっていても、彼女の笑顔が見れないことが酷く気持ちを沈ませた。

己の手が暗さでぼんやりとしか見えなくなった事で、日も暮れてしまったのだと気が付いた。


オルカに準備してもらった酒を注いだグラスを片手にバルコニーに立つと、夜空には十三夜月が浮かんでいて、昨日見れなかった心が少しだけ満たされた気持ちになった──





「す、すげぇ……」


騎士隊員が呆然とした視線を向けているのを横目で確認すると、昨晩の悪夢を振り払うかのように最後の魔物を叩き斬った。

粉々に砕け散ったのを視界に映しながら剣を鞘へと収めると、浮遊魔法を解除し船へと降り立つ。

騒めく騎士隊に背を向けると、凍らせていた水面の魔法を解除し再びさざなみ立つ海を晴れない気持ちのまま見つめた。


「……桁が違うな、俺らと……」

「水面凍らすって……てか、浮遊するって……」


囁き交わされる声を耳にし、不安定な船だけに頼って殲滅の任についている騎士隊に危機感を覚えた。

せめて風魔法をもっと上手く行使出来るようにオルカに進言せねばと、心に留め置いておく。


屋敷にいても逢えないし、これ以上あの変な女と関わってしまって下手にルゥナに害が及んでもいけないと思い騎士隊の任に加わったが、頭の中に巡らせた想いは無くならなかった。


「……一目だけでも……」


僕の呟きは、海が響かせている穏やかな波の音の中に掻き消えていった。


夕闇の中メリーディエス家の屋敷へと戻ると、ルゥナの部屋へそっと入っていった。

天蓋ベッドのレースが頼りなく微かに揺れているのを視界に映しながら、ゆっくりと歩を進めていく。


「……ルゥナ?」

「…っアル兄様!? なんで……来ちゃダメって言いましたよね!?」


強い口調でそう言い放たれ、心臓が激しく波打った。

僕に対して怒ったようになるルゥナを初めて目にし、動揺で狼狽えそうになる自分を必死に抑えた。

だけど突き放されたような気持ちになり、苦しくなる胸の内を隠すことが出来なくなった。


「……ルゥナの顔が見たい。一瞬でいいから、顔を見せて欲しい」


祈るように囁くと、レースの端にそっと手を伸ばす。

何重にも重なっているレースが僕を遮断しているように感じ、思わず顔を歪めてしまった。


「っ……ダメです! 絶対にダメです!!」

「なんで! 僕はルゥナの顔が見たいだけなのに!」


優しいルゥナから大声でハッキリと拒絶され、失意のあまりつい声を荒げてしまった。


「……だって……アル兄様が……っぅ……ぅう……」


レース越しから漏れ出る泣き声を耳にした途端、ハッと息を呑み我に返った。

その涙が己のせいだという事実に、心臓が凍りついていくような心地になり、一気に血の気が引いていく。


「……ごめんね、ルゥナ……」


微かに震える指先を隠すように握りしめると、部屋のバルコニーへと駆けて行き風魔法を行使して外に飛び出した。



逃げ去るように飛行した僕は、屋敷の近くの岬に降り立つと、昼間とは違う色をした海を半ば放心状態で見下ろした。

夜の海は吸い込まれる程の、深い闇の色をしていた。


その闇の一部分が、雲の割れ目から差す光でスッと色付いた。

それは、夜空に浮かぶ淡月を映し出したものだった。

雲間から除いているのは明日には満月となるであろう待宵の月で、柔らかな輝きをそっと届けてくれていた。


限りなく優しくてどこか切ないその月の光とルゥナの姿が重なった。

その瞬間、ハッと気が付いた。


「……僕が、本当に求めることは………顔が見たいんじゃ、ない……」


包み込んでくれるような光の源を、目を細めながら見つめた。

一度固く目を瞑り、愚かな自分を悔いた。


「……明日、ルゥナにちゃんと謝ろう。そして、気持ちを話そう……」


決意を込めた囁きは、海と光が鳴り渡らせる音に混じっていった。





足音をさせないように廊下を歩いていくと、静かにドアノブへと手をかけた。

侍女を通してルゥナの容体を確認した所、三日熱は完全に良くなっているようで、熱もなく今日から逢ってもいいとの事だった。

一度軽く息を吐くとそっと部屋へと入って行き、ベッドから少し離れた位置で佇んだ。


「……ルゥナ……もう、そっちに行っても大丈夫?」

「っアル兄様……! もう三日経ったから大丈夫と言われたので、いいと思います……」


ゆっくりと近づくと、レース越しにうっすらと見える影に向かって微かに震える手を伸ばす。

揺れる布地をめくると、そこには僕の最愛の人が半身を起こして出迎えてくれていた。

熱っぽさはないものの、僅かに痩せた姿を目にし、切なさで胸が締め付けられていった。

ベッドの縁に腰を下ろすと、そっとルゥナの手を握った。


「昨日は、本当にごめんね、ルゥナ……僕は、自分のエゴを押し付けていた……僕の望みは、ルゥナとずっと一緒にいる事なんだ……ただそれだけのはずだったのに……あんなこと言って、ごめんね……」


ルゥナは僅かに目を見開くと、その瞳を涙で滲ませながら僕に微笑みかけた。


「アル兄様……私も、ずっとずっと、アル兄様と一緒にいたいです。私の望みも、同じだから……アル兄様の私を想ってくれる心が、本当に嬉しい……いつもいつも、ありがとうございます」

「ルゥナ!……僕こそ、いつもありがとう……愛してる……」


そっと抱きしめその柔らかな存在を全身で感じると、魂が震えるほどの喜びに包まれた。

きっと優しい彼女に、どこか甘えていたのかもしれない。

もっともっと、ルゥナの事を考えるようにしようと思いながら、狂おしいほどに愛おしい彼女と身体を寄せ合った。


僕の腕に包まれていた華奢な身体が少し身じろぎしたので、手を緩め愛する人の美しい顔を見つめた。

少しばかり気まずそうな、でもどこか覚悟を決めたような目をしたルゥナと視線が絡み合った。


「あ、あの……アル兄様……私、男性についてよく知らなくて…ごめんなさい……もしアル兄様が我慢出来ないようでしたら、私には言って欲しいんです。そうしたら、私も不安が減ると思うので」

「………何のこと?」


彼女が一体何の事を言っているのか全く理解できなくて、一瞬思考が止まってしまった。

目を何度も瞬くと、真っ直ぐに僕を見つめるその黄金色の瞳をひたと見つめる。

僕に問われたルゥナは、何故か僅かに顔を曇らせると瞳を揺らした。


「え? ……えっと、ですから……その……愛人で欲を発散させる必要があるのでしたら、せめて相談していただきたいなぁって……」

「……」


──激しい怒りが波のように、全身に広がった。


「アル兄様! ベッドが凍ってきてます……!」


僕に縋り付きながら慌てふためいているルゥナの頭を優しく撫でた。

無防備に身体をくっ付けてくる彼女が可愛くて堪らなかったが、溢れ出る魔力を抑えることはしなかった。


ルゥナに変な事を吹き込んだのは、あの女に違いない──

そう確信すると、もはや自分を抑制せずに遠慮なく魔力を解き放つ。


「別にいいんじゃない、凍れば? ルゥナは今日は僕と同じベッドで寝ればいいだけだから。それと、愛人なんて絶対に作るわけないからね」


ベッドどころか部屋中が凍りついているのを横目に、ルゥナに向かってにこりと笑いかけるとその身体を強く抱きしめた。


僕は、ルゥナとずっと一緒に生きていたいだけだから……

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