第8話 ルゥナの患い
そよそよと窓から流れ込む風が、何だか少し辛く感じてしまいます。
連れて行かれた部屋で貸していただいたドレスを侍女に着替えさせてもらうと、そのままお茶会になりました。
しっかりしないといけないのに、少しだけぼんやりとしたまま会話をしてしまいます。
「──そうそう、ルーナリアさんって、ちゃんと貴族令嬢だったのかしら?」
向かいに座るアクーラ様が、少し首を傾げながら優しそうな眼差しのまま唐突に尋ねてきました。
久しぶりのドレスのせいなのか、スカートがスースーする違和感とコルセットの苦しさがとても窮屈で、しんどく感じてしまいます。
「……はい。遠縁の子だった私をダネシュティ公爵家が引き取ってくださり、育てていただいたのです」
にこりと微笑みながらお茶を口に含んだのですが、何故か美味しく感じませんでした。
アクーラ様は22歳だそうで、私が歳が下だと分かると少しだけ砕けた感じでお話をするようになりました。
「まぁぁ。それで、本当の兄ではないアルフレート様と結婚されたのですか? 凄いですね! でも、私もお兄様がいらっしゃるけど、いくら本当の兄ではないと言っても、ずっと一緒に暮らしていたのでしょう? ……それって、ちょっと……ルーナリアさんって変わっていますね」
「そうですね。本当、私は変わっているかもしれないですね」
優しい笑顔のアクーラ様に、にっこりと笑みを返しました。
ルシアン様にも言われた通り、私の頭がちょっとおかしいのはしょうがない事だと受け止めています。
それに、ずっとずっとお兄様を愛しているのは、変えようのない事実だから──
「……そう。でも、あんな格好で旅をするなんてびっくりして。だから私、本当に貴族令嬢なのかしら?って思って聞いてしまったの。ごめんなさいね」
アクーラ様は悪びれた感じの無い様子で私に笑いかけました。
ぼんやりしたまま、柔らかく微笑んでいる彼女を見つめてしまいます。
ぼうっとしていたら失礼になるのに、何だか頭がふわふわしてしっかりできません。
「……男性的な格好はおかしいですか? 騎士隊や近衛隊の女性の隊服も、男性に近いですよね?」
頭が回っていないせいかアクーラ様が何を言いたいのかよく分からなくて、キョトンとした顔で首を傾げてしまいました。
「……ルーナリアさんは、魔法局で働いているものね……──私は、女性は家庭に入るべきだと思って、学園を卒業したらすぐ領地に帰ってきたのですわ。……まぁ、結婚は、私が気に入った男性がなかなかいなくって………そうそう! ルーナリアさんは王都のすぐ近くにお住まいでしょう? 王都にある『ガーデンパレス』には行かれたのかしら? それに、今話題の歌劇『フィローの恋』はもう観られまして?」
ずっと優しそうな顔をしているのですが、その表情は暗くなったり明るくなったりしています。
そんな風にくるくる変わる表情を見て、可愛い人なのだなと感じました。
「アクーラ様、それが私屋敷から出た事がなくて……アクーラ様は凄いですね。私よりよくご存知で」
私の言葉を聞いたアクーラ様の目が、もの凄く大きく見開かれました。
その瞳を見ながら、まるでこぼれ落ちてしまいそうだと、そんな取り止めのない事に思いを馳せてしまいます。
「まぁぁぁ。そうでしたの、ルーナリア様……それは、お辛い生活をされていたのですね。本当お可哀想……」
「あ。あの、それは誤解です……! 私は家族皆に、ちゃんと愛されていますので……」
勘違いをさせてはお父様やお母様、お兄様までが悪者になってしまうと慌てふためいた私は、持っていたカップをすぐに置いて軽く身体を動かしました。
(あ……)
その瞬間、頭がグラリと揺れ、思わず机に突っ伏してしまいます。
「あら! ルーナリアさん、大丈夫!?」
「……ごめんなさい、アクーラ様……なんだか、頭が……」
少し慌てたアクーラ様が侍女を呼んでいるのを、クラクラする頭のままぼうっと眺めます。
侍女に連れられてふわふわした足取りのまま何処かの部屋へと向かいますが、離れているお兄様に心配をかけてしまうと思うと、申し訳なくて胸がきゅっと苦しくなりました。
「すぐに医者を手配しますから、休んでいてね」
「アクーラ様、ありがとうございます……」
連れて行かれた部屋で軽めの夜着に着替えさせてもらうと、
傍にお水を置いてくれた侍女に視線で感謝の意を表すと、何重にもなっているレースが静かに閉じられました。
私だけになった空間の中で、ベッドの天蓋をぼうっとしたまま見上げます。
変な病気だったらいけないので、こうした隔離部屋をすぐに手配してくれたアクーラ様の手際の良さに、感謝してもしきれませんでした。
「ルーナリアさん、大丈夫? ちょうどお母様の問診でお医者様が来ていたからすぐに診てもらえるわよ。貴方運がいいわね」
「アクーラ様、何から何まで、本当にありがとうございます……」
レース越しのアクーラ様の影が薄くなっていくのを、とろんとした目で見つめました。
暫くウトウトしていたようで、人の声で意識が覚醒します。
レースを開けて来てくれたお医者様に、おでこを触られたり脈をとられたりと診察を受けました。
「ふむ……これは……」
「先生! こっちでまずは私が話を聞きますから!」
アクーラ様がレース越しにお医者様を手招きしたようで、また私だけの空間になりました。
レースの外で話をしているのですが全然聞き取れないまま、2人の影をぼんやりとしたままベッドから眺めます。
ーーッシャ……
「アクーラ様……」
レースを開けて入ってきたアクーラ様は、とても優しそうな顔をしていました。
「ルーナリアさん、大変よ。『三日熱』だったみたい」
「……『三日熱』? ……病気、ですか?」
何の病気か必死に記憶を洗い出しますが、ふわふわする頭のせいか思い出せませんでした。
「あら、知らないの? これは三日間熱が出る病気で、熱がひいたら問題ないの。でもねここからが重要でね。この病気は男性が罹ったらとても大変な事になるの! 子種がなくなったり、下手したら死んでしまう事があるのよ! 1度罹ればもうならなくて、大抵は皆子どもの頃にしているのだけれど……あ、私は小さい頃にもう罹っているから、こうして会っても大丈夫なのよ」
その説明を聞いて、とてつもない不安感に襲われました。お兄様がそんな病気に罹ったと聞いた事がないからです。
(どうしよう。どうしよう。アル兄様にうつしてないよね……)
お兄様にうつしていたらと思うと、恐怖で涙が滲んできました。
「あらあら、ルーナリアさん、そんな泣きそうな顔をして。大丈夫よ! アルフレート様には私がちゃんと伝えておくから! ……絶対に、今はアルフレート様と会っちゃダメよ」
「……はい。よろしくお願いします……」
お兄様が大丈夫かどうか、それだけが心配で心配で、泣きそうになる自分を必死に抑えます。
「……そうそう……侍女から聞いたのだけれど、アルフレート様って、凄いのね」
「……何がですか?」
アクーラ様はにっこりと私に微笑みました。
確かにお兄様はとても凄い人なのですが、何が言いたいのか分からなくて思考が停止してしまいます。
「……貴方の身体、痕だらけだって聞いたわよ」
まるで悪い事を指摘するかのようにそっと私に囁きました。
その言葉がお兄様との夫婦の絆の痕の事だと分かった瞬間、羞恥心でみるみる顔が赤くなり、ベッドにあるキルトケットで思わず顔を隠してしまいました。
「ふふふ。それって、毎日していたって事でしょう?」
優しい穏やかそうな顔をしながら聞いてくるアクーラ様に、なんて答えたらいいのか分からなくて、ひたすらに戸惑うことしか出来ません。
お兄様との夫婦の時間がとても大切で大事な時間だと思っているので、突然にこんな話をされる事に抵抗を感じてしまい困惑の眼差しで見つめてしまいます。
「あら、やっぱりね……ほら。だから、アルフレート様って凄い
「……え?」
『辛い』とは一体どういう事なのか分からないまま、ケットをぎゅっと握りしめました。
「ルーナリアさんって、本当に何も知らないのね? 2歳しか変わらないのに、何だか幼い子どもみたいだわ」
その言葉があまりにも図星で、無知な自分を本当に情けなく感じてしまいました。
身体のしんどさもあって、何だか無性にこのまま酷く泣きたい気持ちに駆られます。
「教えてあげるわね。男性って女性よりも
「……はい」
側室というものが世継ぎのためにも迎える女性だとは何となく知っていますが、愛人というものが一体何なのかははっきりとは知りません。ただ、言葉は聞いた事があります。
アクーラ様の言葉に、
「愛人はそれを解消する相手って事ね。つまり男性って、好きでも何でもない女を、処理するために抱けたりするのよ。世の中には、それを仕事にしている女性だっているのよ」
相槌も打てないほどのショックで、ケットを握りしめたまま固まってしまいました。
お兄様と繋がる時間がとても大事なものだと思っていたのですが、男性側はそうでもないという事実が胸に重くのしかかります。
「あら、そんなにショックを受けなくてもいいじゃない。女だって楽しんでいる人もいるのだから。──だから、もしアルフレート様が
アクーラ様は笑顔でそう言うと、レースを閉めて去っていきました。
揺れるレースを眺めながら、さっき聞いた事が目まぐるしく頭の中を駆け巡ります。
(……アル兄様は、私じゃなくてもいいのかな……)
そう思うと、抑えきれない悲しみでボロボロと涙が溢れていきます。
ウィルダ様と結婚したお兄様は、つまり夫婦関係もしていたという事です。
お兄様と繋がる喜びを知った私は、他の誰ともあんな事をしたいとは思いませんが、アクーラ様の話だと男性は女性とは違うようです。
とても心が痛んで、胸が押しつぶされそうになりました。
でも……
私の望みは、お兄様と一緒にいる事だから。
傍にいてくれて、傍にいていいのなら。
だから、彼がそうしたいのならば……
(……知らないのは悲しいから……だから、アル兄様の口から、愛人が欲しいならそうだって、ちゃんと言ってもらいたい……)
決意を込めるように、滲んだ視界のまま天蓋ベッドの天井を見上げました。
私は、一緒に生きてくれるのならば、それだけでいいから──
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