第7話 海の街
お兄様に包まれた温もりを感じながら、幸せな気持ちで目覚めていきました。
その胸元へとそっと擦り寄ると、もう少しだけ、とついつい
「……ルゥナ、起きた?」
「アルにいさま……おはようございます……」
起きないといけないとは分かっているのですが、ついつい甘えるようにお兄様を抱きしめながら擦り寄ってしまいました。
「……これは不味い……今からしちゃうと、出発出来ない……ルゥナ、ごめん、起きて?」
少しだけ必死の形相をしたお兄様の顔を半分開いた眼差しで見上げていると、彼は擦り寄る私の身体を優しく引き離しながら起こす様にさすってきました。
「……ん……ごめんなさい。もう起きます……」
まだ少しぼうっとする中、目を擦りながら半身を起こすと、大き目のシャツがずるりと腰まで全てずり落ちてしまいました。
「……っ! ルゥナ、ほら、着替えよう……」
慌てた感じのお兄様が急いで私の着替えを準備してくれるのを、半分寝ぼけた状態で見つめます。
元々ちょっと朝が弱い所もあるのですが、今日はいつも以上に起きれなくてまだ頭がしゃんとしません。
(やっぱり、旅って疲れるものなんだなぁ……)
どこかふわふわした感じで起き上がったのですが、いつまで経ってもお兄様に世話をされる子どもみたいで情けなくなってしまいました。
「アルにぃ…アル、ありがとうございます。ごめんなさい、私全然動けなくて……」
「ルゥナが謝ることなんてないから。悪いのは陛下だから。ったく、大体、僕たち新婚なわけで、朝だってゆっくり色々したいのに……絶対に、この借りは返してもらう……」
何だか最後の方のお兄様の雰囲気がすごい事になっていて、少しだけ周囲が肌寒くなってきました。
「アル、朝食を食べたら出発ですね。朝ご飯何だろうなぁ、楽しみ」
お兄様の冷気のお陰で目が覚めて頭がはっきりしてきた私は、にっこりと微笑みかけました。
豪勢な宿の朝食も、部屋で取れるようになっていました。
今朝のメニューは、とうもろこしのスープにサラダ。ふわふわの白パンにベーコンエッグ、搾りたてのオレンジジュースです。
「んん。このベーコンエッグの卵、程よくとろとろで凄く美味しいですね! アル兄様、パンにはどのジャムをつけますか?」
「ふふ。一所懸命に食べるルゥナ、可愛いね。じゃあ僕のはマーマレードで」
朝食を夢中になって堪能する姿をジッと見られて気恥ずかしい気持ちになりながら、お兄様のパンにマーマレードジャムを塗っていきます。
美味しいご飯を食べる事が本当に大好きなのですが、こうして大事な人と食べるからもっと美味しく感じるのだと思いながら、手についたマーマレードをぺろりと舐めました。
♢♢♢
お兄様と馬に揺られながら、南部の結界を目指す旅を続けます。
途中宿に泊まり一緒に過ごす時間は、特別なものでした。彼と繋がる時間は、この世界で私たち2人しか知らない、私たちの記憶にしか残らない時間です。誰も関わることのないこの世でふたりっきりのこの時間は、とてもとても大切なものです。
24時間ずっと一緒にいられる事は、本当に何ものにも代えがたい……
結界の破綻を防がなければいけないという、重大な責を背負っているにも関わらず、ついつい目の前の幸福に酔いしれそうになる自分がいました。
でも、今この瞬間は楽しみたい。
もしカーティス家のせいで結界が破綻しているのなら、この命に替えてもそれを防がないといけないという覚悟はしているから。
お兄様を悲しませる事になると分かっていても、今度は私が彼を守りたいから──
「うわっ〜〜〜!!」
峠を越えると、目の前いっぱいに蒼い色が広がっていました。
断崖にそびえ立つ美しい建物群が広がる街並みの向こうに、果てしなく遠いところまで続いている蒼。
その色は深く色付き、所々で色彩が異なっています。
「あれが、海というものなんですね! アル兄様!」
身を乗り出しながら、目の前に広がる大きな海に見入ります。
風が吹いているのか水面が常に細波立っていて、岸には白い泡が打ち寄せていました。
「そうだよ、あれが海だよ。ふふふ、はしゃぐルゥナは、本当に可愛いね……」
身体がふわっと暖かくなり包み込まれるのを感じながら、ただただ目の前に広がる景色を目に映していきます。
岸に近づくと海はその色を変えているようで、蒼から翠へと変化しているその色合いの不思議さに見惚れました。
興奮で頬が上気して体温までいつもより高くなっているのも分かり、本当に子どもみたいだと少し思ったのですが、ついついときめく胸を抑える事が出来ませんでした。
「海、綺麗ですね〜……」
「うん。海は全てを包み込むような深さがあるし、ずっと見ていても飽きないよね……さて。とりあえず、南部の砦を支援しているメリーディエス家の嫡男は学園時代の同級生だから、一度挨拶をして『魔物調査』についての概要を説明して協力を得ようと思う」
「はい、分かりました」
うっとりと海を見つめているようだったお兄様が、口調を改めてこれからの予定や街並みを説明してくれます。
お兄様の同級生にお会いするのはルシアン様以来で、緊張からか返事が少し固くなってしまいました。
心なしさっきから身体が少し熱いような気もして、微かに首を傾げます。
(……疲れが溜まってきたのかな……)
♢
「アルフレート! 久しぶりだな!」
「オルカ、久しぶりだな」
海を一望できる丘の上に建っている大きなお屋敷を訪ねると、そこがメリーディエス家でした。
お兄様の同級生のオルカ様は薄い蒼色の髪をした優しそうな風貌の方で、今も久しぶりに会えた事を心から喜んでいるように感じました。
失礼のないようにフードを外し、挨拶をするためにお兄様の隣に立ちます。
「馬はこっちに預けておけ。どうだ、近衛隊の仕事は? ……と、あれ? 隣にいるのは……?」
「あぁ。僕の妻だ」
「初めましてオルカ様。ルーナリアと申します。本日はこのような訪問で大変失礼します」
「妻……? 君は確か2年以上前に離縁したはずじゃあ?」
「……ルゥナとは、先日結婚したばかりだ」
オルカ様は不思議そうな顔で私たち2人を交互に見るのですが、お兄様は僅かにひやりとした雰囲気を覗かせて、機嫌の悪さを感じ内心ハラハラしてしまいました。
「……もしかして、『燎火(りょうか)の天使』って君のこと?」
「? ……えっと、私が、何でしょうか?」
オルカ様にマジマジと見られて何だか落ち着かない気持ちになりました。
よくわからない事を言われた私の頭は少し混乱してしまい、戸惑いながら曖昧な微笑みを浮かべてしまいます。
隣にいるお兄様は益々機嫌が悪くなっているようで、ひんやりとした雰囲気が周囲に広がっていきました。
「まぁ、こんな所で立ち話も何だから、入ってくれ。とりあえず色々話も聞きたいし、ゆっくりして欲しい。あぁ、ルーナリア夫人は着替えを準備させよう」
「オルカ様ありがとございます。…あ、あの、私でしたら、名前で呼んでいただいて大丈夫ですので……」
お兄様の妻として『夫人』と呼ばれる事にまだ慣れていなくて、若干しどろもどろになってしまいました。
少しだけ赤く染まってしまった頬を隠すように手を当てます。
「分かった。ルーナリア、妹がいるからぜひ仲良くしてやって欲しい。後で紹介しよう」
「はい、こちらこそぜひ仲良くさせていただきたいです」
爽やかな笑みを浮かべるオルカ様ににっこりを微笑みを返しながらも、内心は動揺してしまいました。
(い、妹さん……何歳かしら……私なんかと仲良くしてくれるかしら……)
屋敷の中へと進んでいくオルカ様の背中を見つめながら、心臓がバクバクと鳴り響きました。
「……ルゥナ……」
小さく私にだけ聴こえるような声が耳へと入った瞬間、そっとお兄様が頭を撫でてくれました。
その温もりを感じ、ふわっと気持ちが楽になったような気がしました。
『アル兄様、ありがとうございます』
隣にいる愛しい人を見上げると、声には出さずに口の形で判るようにこっそり伝えました。
愛おしそうな顔をしながら小さく頷くお兄様の顔を見て、頬を緩めせながら私も小さく頷き返します。
「オルカお兄様!!」
「あぁ、アクーラちょうど良かった。アルフレート、ルーナリア、紹介しよう。俺の妹のアクーラだ」
階段から軽やかな足取りで降りてきた女性の肩を、オルカ様が優しく抱き寄せました。
アクーラ様はオルカ様と同じ髪色をした、これまた同じくとても優しそうな風貌をした方でした。
2人ともすっきりとした美しい顔立ちをしているため、見目麗しい兄妹が一緒に並ぶ姿はまさに圧巻の一言です。
「初めまして、アクーラと申します。……アルフレート様ですよね? お噂はかねがね伺っておりますわ」
アクーラ様は優雅なお辞儀をすると、お兄様に向かってにっこりと満面の笑みを浮かべました。
ですが彼は興味ないような視線を向けて
「えっと……」
「アクーラ様、ルーナリアと申します。どうぞよろしくお願いします」
「ルーナリア様ですね。こちらこそ仲良くしてくださいね」
私たちを交互に見つめていたアクーラ様は、丁寧にお辞儀をした私に向けて優しい笑顔を向けてくれました。
「早速女同士一緒にお茶でもいかがですか? ……まずは、その格好をどうにかしましょう。私のドレスを貸して差し上げますわ」
やんわりと私の手を掴んだかと思ったら、そのまま屋敷の奥へと引っ張っていきます。
いきなりの事で内心かなり驚きながら、隣に佇むお兄様のパッと確認しました。明らかに彼の機嫌が悪くなっているようで、少しだけ場の温度がひやりとしたものになっていて焦ってしまいます。
(アル兄様に心配かけちゃ、ダメだ……)
「アルに…アル、私はアクーラ様にお茶をいただいていますので、オルカ様とゆっくりお話ししてください」
一瞬だけ彼の腕を撫でながら笑顔を浮かべると、急かすアクーラ様に手を引かれるまま進んでいきます。
心配をかけまいと、離れていくお兄様ににこやかに手を振りました。
ですが、この怒涛の展開のせいなのか、歩く足が何だか若干フラフラしたように感じてしまいました。
(アクーラ様に不愉快な思いをさせてはいけないから、気を引き締めないと……)
私の方をチラリと見てきたアクーラ様に、仲良くなりたいという気持ちを込めながら、にこりと微笑みを向けました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます