第3話 王都へ ①

「やっぱりダメね……」

「はい、胸がちょっと苦しいですお母様……あと、ウエストはベルトで縛らないと緩いです」

「しょうがないわ。さすがに、アルフレートの子どもの頃の服じゃ無理があったわね」


鏡越しに目があったお母様と顔を見合わせると、一緒に苦笑してしまいました。

その瞳には今はもう怒りがない事が見えて、密かに安堵で胸を撫で下ろします。


昨晩帰宅後、王命を受け結界の調査へ赴くことになった事をお母様に伝えた時は、本当に大変な事になりました。

お父様のいない中必死でお母様を宥め続け、何とか何とか説得する事が出来たのです。


綺麗な笑顔を浮かべながら、まるでピクニックへ行くかのような気軽さでお兄様に向かって王城への乗り込みの誘いをした時は、さすがのお兄様も宥めていました。

お母様はやはり絶対に怒らせてはいけないと、あの時固く誓いました。


「やっぱり、騎士隊の隊服を借りたら?」

「と、とんでもないです! 万が一騎士に間違われたら、大変な事になります!」

「そうかしら? 別に何とでもなりそうだけど。はぁ、私の近衛隊時代の隊服は無理って言うし……」

「そ、れだけは、本当に、絶対の絶対に! 無理です、お母様……!」


納得していないような表情で私を見つめるお母様に向かって、必死になって手を振って断ります。



結界調査の旅に出るにあたって、昨夜お兄様と少しだけ打ち合わせをしました。

その時話になったのが、今回の移動は基本的に馬になるという事でした。

魔物の侵入が懸念される結界領域周辺は人が住まない王国の僻地にあたるため、移動手段が馬しかないのです。

結界を守護する砦の近くの街までは馬車が通っているものの、それだと回り道をしたりで時間がかかるらしく、雨の時のみ馬車を使用する事になりました。


そのため、ドレスだと動きにくい事、そしていかにも貴婦人とした格好では目立つし危ないという事もあって、男装しようと思ったのです。


「とりあえず、シャツは大きめにして袖を捲ればいけるから、あとはズボンと上着ね。はぁ。準備に時間もっとかけてもいいんじゃない?」

「旅程だけでも結構な時間がかかるみたいですし、なるべく早く行った方がいいと思いますので」

「じゃあ──」



コンコンーー



「ルゥナ、大丈夫?」

「あら、アルフレート。早いわね」


着替えている私に遠慮しつつ、旅の準備を終えたと思われる隊服を着たお兄様が部屋に入ってきました。

鏡の前に立つ私を見て、目をぱちくりさせています。


「あれ、懐かしいね。これ僕が子どもの時に着ていた服? ……ルゥナが可愛い……」

「ダメよ。この服じゃあルーナリアの胸がきつくて……やっぱり男の子の服だから……」


お兄様はその言葉を聞くと、微笑みながらも私の胸元をじっと見つめてきました。

ちょっと恥ずかしくて、頬が僅かに赤くなってしまいました。


「ジロジロ見ないのっ! 全く……」


お母様が呆れたような顔でお兄様の背中を軽く叩きましたが、しれっとした様子で私に少し真剣な目を向けます。


「とりあえず服は王都で調達だね。あそこなら色々取り揃えている店があるから大丈夫だと思う。あとは現地で調達するって事で。ルゥナ、ワンピースに着替えたらローブを羽織って。──王都へ出発だ」

「分かりました」


部屋を出て行くお兄様を見送ると、急いでワンピースへと着替えその上に紫紺のローブを羽織ります。


『結界の調査』を行うことを決して人々に知られてはいけないため、今回の旅は『晦冥(かいめい)の騎士』に護衛をされた『魔法局の魔物研究員』という建前で動く事にしました。

また、身分が一目で分かり色々便宜も図れるので、お兄様は漆黒の隊服で、私は旅装の上から紫紺のローブを羽織っての旅という事になったのです。


着替えを終えると、やや足早で玄関で待つお兄様の元へ向かいます。


「……アル兄様! お待たせしました!」

「いいよ、そんなに急がないで。じゃあ、行こうか」


出る前に挨拶しようと振り返ると、今にも泣きそうな顔をしたお母様が私を見つめていました。


「……ルーナリア、絶対に、無理しちゃダメよ」


優しく包み込んでくれる抱擁に少しだけ瞳を揺らしながら、私もそのしなやかな身体をぎゅっと抱きしめます。


「お母様、ありがとうございます……アル兄様が一緒だから、大丈夫です」

「それが心配なのよ……! アルフレート!! ルーナリアに無理させたら、絶対に許さないからね」


お母様のとても冷たそうな声色が耳元から聞こえると共に、ほんの少しだけ足元がひんやりとしていきます。


「大丈夫ですよ母上。僕がルゥナに無理をさすわけがないじゃないですか」

「……不安しかないわ……いい? ルーナリア。ちゃんとアルフレートに、嫌なものは嫌って言わないとダメよ?」


抱きしめていた身体を離すと、お母様がとても心配そうな顔つきで私の顔を覗き込みました。

何がそこまで不安なのかは分からないものの、安心させるようにとにっこりと微笑みかけます。


「大丈夫です、お母様。アル兄様は、いつもいつも私のお願いは、絶対きいてくださいますから」

「……はぁ。そうね……そうなのよね……まぁそうね……」


疲れたようにぐったりとした眼差しで遠い所を見つめるその顔を見て、歳を取ってしまわれないかと少しだけ心配になりました。


「では、母上行ってきます」

「お母様、お身体には気をつけてくださいね。風便でお手紙届けますから」

「ルーナリア……貴方こそ本当に身体に気を付けてね……」


最後はお母様の手をぎゅっと握り締めると、私に向かって差し伸べるお兄様の手をとって、玄関の扉を開けてくれている執事のメートルやマーラに笑顔で挨拶をしました。

外に出ると、眩しさで少しだけ目を細めながら、暫くはお別れとなる屋敷の周囲を見回します。


(……不安もあるけど、アルがいるなら大丈夫……)


一瞬、彼の手を強く握り締めます。


「ルゥナ?」

「ううん、何でもないですよ」


私へと視線を送る彼に微笑みかけると、我が家の馬車へと乗り込みました。




ルシアン様に言われた事がきっかけでカーティス家について調べてみようと決心したのですが、実際は思うように調査は進んでいません。

本に記載されていることはどれも、既に知っている事ばかりでした。


結婚式の前夜、お母様からダネシュティ家に引き取られる事になった経緯を教えてもらって本当に嬉しかったのですが、それ以上の事は聞けませんでした。

自分自身をとても責めているようだったお母様。

私にとっては世界でただ1人アナベラお母様だけだから、これ以上傷付いて欲しくなかったのです。


この旅でカーティスについて何か分かれば。

闇属性について何か知ることができれば。


王命を受けたのも巡り合わせなのかもしれない──


そんな事を思いながら、去りゆく屋敷を馬車の窓から眺めました。

隣に座る彼の温もりを感じながら、まずは体力のない私が迷惑をかけないようにしなければいけないと、小さく意気込みます。





往来を行き来する沢山の人々と、行き交う馬車。

所狭しと並んでいる様々なお店。そして、そこかしこから聞こえてくる活気のある声。

降り立った王都の中心地はとてもとても賑やかで、その迫力に圧倒されてしまいました。


お兄様と手を繋ぎながら街並みをどこかに向かって歩んで行くのですが、ついつい湧き上がる好奇心を抑えきれず辺りをキョロキョロと見回してしまいます。

目に入るもの全てが新鮮で、何度も何度も足が止まりそうになりました。



───あれ、晦冥(かいめい)の騎士様だ……

───晦冥(かいめい)の騎士様の隣、凄い美人だな……

───かっけー!!!



少し慣れてきた足取りで歩いていると、通りを歩く多くの人々が私たちを見ている事にふと気が付きます。

チラチラとこちらをうかがう何人かの人とたまに目が合ったりして、ソワソワと落ち着かない気分になりました。

隣を歩くお兄様をチラリと見上げると、慣れているのか涼しい顔をしていました。


「あ、そうか……アル兄様は……」

「ん? どうしたの、ルゥナ」


納得したように1人呟く私を、お兄様が不思議そうな顔をしながら見ていました。


「あ、いえ! さすがアル兄様は『晦冥(かいめい)の騎士』様だな〜って! 王国民の憧れですもんね! 目立って当然ですよね。ふふふ」


皆から羨望の的である人と一緒に歩ける事が誇らしくて、思わず頬を緩ませながら弾んだ声をあげました。


「……僕だけじゃなくて、ルゥナも凄く目立っているからね。……やっぱり、フード被せた方がいいな……」

「え? そうですか?」


私の顔を少しだけじっと見た後、僅かにヒヤリとした雰囲気をまとわせたお兄様が周囲をチラリと見回しました。


「ごめん、ルゥナ。ちょっと早いけどしっかりついてきて」

「はい! 分かりました!」


握りしめた手を少しだけ強く掴むと、若干足早に通りを歩き始めます。

貴族の令嬢がこうして街をウロウロするのはあまりない事だから、目立たないように早く着替えた方がいいのだと気が付きハッとしました。

お兄様の歩幅に合わせるように、一所懸命足を動かして早歩きをします。


(どこに行くのかな……アル兄様と一緒なら、どこでもいいな……)


周囲の騒めきを聞きながら、街の景色を瞳に映しながら、初めての王都を彼と一緒に歩いている──


王命による旅だとは分かっているはずなのに、その事実に高鳴る胸を抑えることが出来ません。

隣を歩くお兄様に少しだけ寄り添うようにすると、繋いだ手をぎゅっと握りしめました。

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