第2部

第1話 王命 ①

晩餐室に入るとお兄様へ少しだけ冷ややかな目を向けたお母様の顔は、式の途中抜け出した後に屋敷へと戻った時と同じものでした。

すぐさま私へ笑顔を向けたのですが、それもあの時と同じで本当に嬉しそうなものでした。

指先でそっと涙を拭った仕草を思い出して、心がじんわりと温かくなります。


「今日は久しぶりの3人での夕食ね! さ、いただきましょう」

「はい!」


ずっと屋敷にいなかったお兄様と一緒に、家族の夕食のひと時を思う存分楽しみます。


「貴方たち2人とも、1週間は休みなんでしょ? 明日からどうするの?」


上機嫌なお母様の言葉を聞いて、隣に座るお兄様をうかがうように見上げます。


(……フェリシアもオリエルも、式の後すぐに任務で北部の結界領域の砦に行った……アル兄様も……)


大切な親友たちの無事を心から祈りながらも、気がかりなことで頭がいっぱいになりました。


「……アルにぃ……アルは、無理して休んでいないですか?」

「全然無理してないから! 大丈夫だよ、ルゥナ。大体、新婚なんだから……絶対に邪魔はさせない……」


囁くように呟かれた最後の言葉は、とても重々しい響きを含んでいました。凍てつくような眼差しで王城の方を睨んだお兄様の周囲から、僅かに冷気が流れ出てきます。


「そうそう、ルーナリア。ちゃんと休みをもらっているんだから、気にしなくていいのよ」

「はい、お母様」


ふっと雰囲気を戻したお兄様が、食事を終えた食器を下げてもらいながら私の方を向きました。


「じゃあ、明日は王都へ出かけてみようか? ルゥナは、どこか行きたい所とかある?」

「そうですね……いつも馬車の窓から見るだけの王都の街に何があるんだろう……」


食後のお茶を飲みながら、記憶にある街並みを思い描いていきます。


「劇場に行ってみたらいいんじゃないの? ──あら、ヘリオス、今日は早かったのね」

「ただいま、アナベラ。アルフレートもルーナリアも揃っているね。ちょうどよかった」


少しだけ疲れた様子で帰宅したお父様は、手に持っていた一通の書簡を私の前へと置きました。


「……お父様、これは……?」

「うーーん。とりあえず、読んでみなさい」

「……これって、国王陛下の御璽ぎょじ……?」


恐る恐る開いてみると、そこには明らかに国王陛下直筆だと思われる滑らかな文字で、たった一文が綴られていました。


『ルーナリア・ダネシュティは、今すぐ王城へ来るように』


この場の空気が、凍りつきました──


読み終えると同時にサッと奪い取ったお兄様の瞳は鋭く凍てついていて、ひんやりとした空気が周囲に漂い始めました。


「ルゥナは行く必要ないでしょ。僕が代わりに行ってくる」


みるみる間に手に持つ手紙がピキピキと音を立てて凍りついていきます。


「そうね。結婚したばかりのルーナリアをこんな時間に呼び出すなんて、陛下といえども母としてそれはちょっと許し難いものがあるわね」


お兄様がその氷の塊を放り投げたと思ったら、お母様が足で踏みつけて粉々に砕いてしまいました。

お母様の瞳もとてもとても凍てついていて、表情をピクリともさせていません。

急激に部屋の温度が下がってきているようで、まだ冬でもないのに寒さで肌が粟立ってきました。

ここまで怒るお母様を見た事がなくて、このままでは屋敷が凍りついてしまうと思い、なんとか宥めなくてはと必死になります。


「あ、あの、お母様、どうか落ち着いてください。アル兄様も……陛下自らの呼び出しですから、やっぱり参らないわけには──」

「ヘリオス! なんでこんな手紙持って帰るのよ!」


お母様がお父様に向かって、凄まじい威圧を放ちました。

さっきまでその存在を小さくしていたお父様が、ますます影を薄くしていきます。


(で、でも……お父様もさすがにお断りは……)


お母様の無茶振りに心の中で答えながらその側へと駆け寄ると、両手を握りしめました。


「お母様、私のために怒ってくださってありがとうございます。でも、大丈夫です。きっと結婚の件で何かお話があるのかもしれませんし……アル兄様も一緒に行ってくださいますし」


微笑みながらお母様の手を優しく撫でていると、その瞳がさっきよりも和らいでくるのが分かりました。

綺麗な笑顔を浮かべながらもその瞳は凍てついたままのお兄様が隣にやってくると、私の腰に手を回しました。


「ルゥナは留守番していればいいよ。僕1人で行けばいいんだし」

「アルにぃ…アル、結婚は2人の話ですから、私も一緒に行きたいんです。私たちはもう夫婦ですもんね」


にっこり笑って見上げたお兄様は、一瞬大きく目を見開くと深々と息を吐きました。


「……しょうがない、か……ルゥナ、絶対に僕の傍から離れたらダメだからね」

「……はぁ。アルフレートがいるなら、まぁそうね……ルーナリア、絶対に無理しちゃダメだからね」


真剣な眼差しのお兄様とお母様に挟まれながら、何度も頷きを返します。


「じゃあ、アルフレート、ルーナリア。もう馬車を準備させているからすぐに行こう」


優しく微笑むお父様を、お母様とお兄様が若干凍てついた眼差しで見据えました。

ひんやりとした空気が漂う前に、お母様を優しく抱きしめます。


「お母様、すぐに戻りますね」

「ルーナリア……」


にっこりと微笑んで手を振ると、お兄様の手を握りしめます。


「アル、行きましょう」

「……ルゥナ……」


少しだけ顔を歪めせたお兄様に笑顔を向けると、その手をぎゅっとしました。

存在を小さくしているお父様の背中を見ながら、何とか陛下の勅命に応じる事が出来て少しだけホッと息を吐きました。

内心の緊張を悟られないように自分の感情を必死に抑え、馬車へと向かう足取りと表情に気を付けます。


(国王陛下が、私に直接お話しする事といえば、きっと……)





火魔法具ルーチェが煌々と照らしている王城の廊下を、奥へ奥へと進んでいきます。

静寂に包まれた中で、どこか寒々しさを感じさせる私たちの足音だけが、微かに響き渡っていました。

お父様もお兄様も王族の専用エリアについてよく知っているようで、複雑な道なのにその歩みに迷いがありません。

漆黒の隊服を身に纏った近衛隊の人が、お兄様に軽く会釈をしています。


(これが……護衛の任務なんだ……この先には、本当に王族の方がいる……)


重い足取りが小刻みに弾き出すその音を聞きながら、デビュタントの時と祝賀会で挨拶した陛下の顔を思い浮かべました。


(……優しそうな顔をされていた方だったけど……)


用件が全く記載されていなかった書簡を思い出し、じわじわと心に染みのようなものが広がってくる気持ちになってしまいました。


隣を歩くお兄様を静かにうかがうと、じっと前を見つめるその顔からは隠せない内心の怒りと静かな決意が見えました。


(アル兄様……私の命に関わる事ならば、例え国王陛下相手でもきっと……)


一瞬、その手を握りしめました。


「……っ!」


ハッとしながら私を見つめる彼の、怒りのせいで少し青みが増した空色の瞳と視線が重なります。


(大丈夫……私は、決めたんだから……)


カーティス家について何を言われようとも、私がその血筋に連なる事は変えられない。この身に大罪人の血が流れているという事実を、受け止めなければいけない──自分の決心を伝えるように、安心させるように、にっこりと微笑みを向けます。


澄んだ瞳を見つめると、少しだけその怒りが和らいだように感じました。

私を守ろうとするかのようにぴたりと隣に身を寄せたお兄様は、歩みに合わせてゆっくりと歩いてくれます。

今は繋ぐことの出来ないこの手を寂しく感じながらも、しっかりと前を見据え決意を示すように両手をぎゅっと固く握りしめました。



暫く行くと、突き当たりに漆黒の色をした扉が見えました。

先を歩いていたお父様がその前に立っていた近衛隊の人に何やら話をすると、入って行きました。

お兄様とその近衛隊の人が軽く頷き合うと、どこかへ立ち去っていきます。

ドキドキと震えそうになる心を必死に抑えながら、部屋へと一歩踏み出しました。


小さいながらも高価そうな調度品が使用されている部屋の中には、国王陛下とステファン様の姿ありませんでした。

ステファン様はにこにこと優しそうな笑みを浮かべながらこちらを見ています。


(……良かった……ルシアン様はいない……いくら正論とはいえ、さすがにこんな所で同じような事を言われたら、受け止めてはいても……アル兄様にも何も話していないし……)


以降一度もお会いしていない第二王子の姿がないことに、気付かれないように息を吐きました。

ルシアン様と仲の良いお兄様をチラリとだけ見上げると、無表情でじっと前を見つめていました。


「……ルーナリアか……」

「はい。王命を受けまして、ルーナリア・ダネシュティここに参りました」


陛下に忠誠を誓う臣下であることを見せるため、淑女の礼ではなく跪いて国王陛下に挨拶をしました。

隣で同じように挨拶をしているお兄様から、ヒリヒリとした雰囲気が漂ってきています。


「……ダネシュティ公、すまんな。嫌な役目を引き受けたようだな」

「お心遣い痛み入ります陛下」


お父様が陛下ににっこりと微笑みかけると、場の空気が少しだけ和みました。


「ルーナリア、久しぶりだね。元気にしてた? 夜なのに急な呼び出しでごめんね……って、このぐらいにしよっか」


国王陛下の方をチラリと見たステファン様は、にこりと微笑むとその存在を少しだけ薄くしました。


「……楽にしなさい。皆ここにかけるように」


少しだけ優しそうな眼差しをしている陛下に頭を下げると、そっと腰を下ろしました。

隣に座るお兄様が凍てつく眼差しで王族の2人を見据えているので、ハラハラしながら彼の様子をチラリとうかがいます。


静まり返った部屋の中、これから何を言われるのだろうと緊張の面持ちのまま、目の前に座る国王陛下を見つめました。

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