第42話 幕間〔1〕ー母の述懐ー side アナベラ
「明日は、ルーナリアとアルフレートの……」
窓から外を見ると、そこにはほとんど丸の形をした月が浮かんでいた。
それは、ルーナリアの瞳と同じ色をしていた。
「今でもハッキリと覚えているわ……あの子を一目見た瞬間から、絶対に私が育てる、そう強く思ったあの日の夜の事を……」
私の決心を後押ししてくれるような、優しい明かりを届けてくれているお月様は、ルーナリアみたいだった。
あの時の自分になっていくような感覚に身を委ねると、今までの出来事が呼び起こされていった──
♢
20年前の王家転覆未遂事件の時、カーティス家が召喚した魔族を食い止めるため、王国中の貴族による総力戦が繰り広げられ、結果多くの命が失われた。
誰もが混乱の渦中にあり、結局魔族を仕留めたのが何者だったのかも分からない程、情報が錯綜していた。
私も幼いアルフレートを置いて、元近衛隊としてカーティス家捕縛の任に就いた。カーティス家の屋敷に残っていた事件の首謀者だと思われるイントゥネリー夫人を取り押さえるよう乗り込んだ時も、幼子を残して死ぬ訳にはいかないと、
魔族の召喚でかなりの魔力量を消費していたと思われるイントゥネリー夫人は、ほとんど抵抗もせずあっけなく身柄を拘束することができた。
何故か哀しみに満ちた瞳をしていた事が、今でも記憶に残っている。
捕縛した彼女を移送するように指示を出し、屋敷の中を1人で探っていた時だった。
── 何処からか、赤児の泣く声が聞こえた。
カーティス家に娘が生まれたという話は耳にしていた。
時期的に恐らく生後半年程のはずだったが、そのような赤児がいるのに何故このような事件を起こしたのだろうと、疑念を抱きながら声のする方へ向かった。
泣き声のする部屋へ入ると、ベビーベッドの中には透けるような金色の髪と黄金色の瞳をした、可愛い赤児がいた。その瞳は、踏み込む前に見上げた満月を連想させるものだった。
「あ、あ……」
赤児は覗き込んだ私を見つけると、嬉しそうに笑いながら手を伸ばした。
そっと小さい手に自分の人差し指を伸ばすと、屈託のない笑顔で握りしめてきた。
私の指を堅く握る赤児の手は、とてもとても小さくて、とてもとても柔らかかった。
「だぁっ、だぁっ…」
赤児はにこにこと笑いながら、私の指を握り込んで離さなかった。
アルフレートを出産した時の影響で、今後子どもは望めないだろうと言われていた私は、握りしめられた指を半ば呆然と見つめていた。
嬉しそうにしっかりと掴みながら、澄んだ眼差しでじっと見つめる赤児の瞳の中には、私の姿がぼんやりと映しだされていた。
絶対に、この小さな手を離したくない──
心からそう思った。
赤児をおくるみに包んで、誰にも見られないようにこっそり屋敷へと連れ帰ると、王城で陛下を補佐していたヘリオスを一時呼び戻した。
屋敷の家人に露見しないように、ヘリオスが戻ってくるまで寝ているアルフレートの寝室へ入り、その隣に同じく寝てた赤児を寝かした。
見ると、2人とも同じような髪色をしており、小さなアルフレートの隣にもっと小さな赤児が仲良く寝ている姿に、言いようのない想いが込み上げてきた。
一緒に並んでいる2人を瞳に映しながら、どうしてもこの子を自分の子として育てたいという気持ちが胸を占めていった。
大罪人であるカーティス家は、家が取り潰しになるだけでなく、一家眷属皆処刑の対象となっていた。
この赤児の上の3人の兄達も例外に漏れずその対象だったのだが、この時すでに上の兄2人は行方が知れず、何故か魔族との戦いの影響で命を失ったとの情報が入っていた。
1番下のアルフレートと同じ5歳の男の子は戦いの最中捕縛され、処刑が決定されていた。我が子と同じ年齢であった事に酷く心を痛めたけれど、カーティス家としてすでに
まだ赤児でカーティス家の影響を受けていないこの子だけは、せめてもの温情で残して欲しいと、戻ってきたヘリオスに訴えた。
話を聞いたヘリオスは大変驚き、勿論当初は反対したのだけれど、決意が揺るがない私に最終的には折れてくれ、陛下に直接話をしてくれる事になった。
そして、どう説得したのかは知らないけど、この赤児は私たちの子どもとして育てる事が決まった。
ただし、赤児にはカーティス家の娘である事を伝えないように、と言われた。
勿論、自分の子どもとして育てるつもりだった私は、その条件を了承した。
赤児をルーナリアと名付け、屋敷の者には遠縁の娘を急遽引き取る事にしたと告げた。以後、ルーナリアが養子である事を公言しないようにとも厳命したから、古参の侍女くらいしかルーナリアが養子である事を知らなかった。
また、ルーナリアがカーティスの娘だと周囲に悟られないように、外には出さずに大事に育てていった。
幸い、ルーナリアとアルフレートは似た様な髪色をしていたため、皆2人が本当の兄妹であると信じていた。
アルフレートは、突然出来た妹のルーナリアを物凄く可愛がった。その執着がたまに気になる事もあったけど、仲良く遊ぶ2人の姿を見て、心癒される穏やかな日々を過ごしていった。
ルーナリアは、カーティス家の苛烈で残虐だと言われた素養を引き継ぐ事なく、真っ直ぐ綺麗なまま成長していった。
幼い頃から聡明で何でも出来てたアルフレートは、正直子どもらしくない部分もあって、そんな息子とは違うルーナリアが、我が子でないもののとても愛おしかった。
私を見つけ覚束ない足取りのまま笑顔で駆け寄ってきた、3歳のルーナリアの姿を思い出し笑みが溢れてしまった。
黄金色の瞳をキラキラと輝かせながら私をまっすぐに見つめて、いっぱいの笑顔でおねだりしてくれたのだ。
「おかぁたま! おほん、よんで〜」
「ええ、良いわよ」
「ルゥナ、本ならお兄様が読んであげるよ」
「にぃたま〜! ありぃとう!」
その時すぐにアルフレートに横槍を入れられた事まで思い出し、思わず眉を寄せてしまった。
言葉を話し出して益々可愛くなったルーナリアを、私とアルフレートどちらが構うかで、ちょっとした取り合いになる事も暫しあった。
ルーナリアはとても優しい子で、いつも私の心の機微に敏感だった。
その優しさに助けられた事はとても多くて、屋敷の庭を凍らせたあの時も、ルーナリアが私の心を救ってくれたから今があると思っている。
だから、アルフレートが結婚したいと初めて口にした時、私たちを本当の家族だと思っているあの子を傷つけたくなかったから、猛反対した。
それに、産みの母親が死ぬことになったのは、ルーナリアから奪ったのは私であるという事実を、どうしても言いたくなかった……
それ以来アルフレートは一度も言わなかったので、てっきり諦めたのだとばかり思っていた。
構ってくる兄に徐々に距離を置くルーナリアを見ても、私自身兄が鬱陶しくて同じような経験をした事があったので、そんなものだと納得していた。
そのため、
アルフレートが、幼い頃のままずっとルーナリアを想っていたなんて。
そして、ルーナリアまでも、アルフレートの事を想っていたなんて……
息子から衝撃の事実を聞かされた時、ウィルダとの結婚は何だったのかと非常に頭を悩ませ、と同時に、過去の数々の可愛がっていた事が腑に落ちていった。
でも、ルーナリアの幸せを優先したかった私は、心を鬼にしてアルフレートに無理難題を突きつけた。
優しいルーナリアは無理をしてしまうだろうし、あんな息子と夫婦になったらいいようにされるのは目に見えていたからだ。
なのに、愛する娘の本当の気持ちを、母親の私は分かってあげられていなかったのだ……
時折落ち込みそうになると、そんな私の心をすぐに察するルーナリアは、そっと寄り添ってくれる。
2人で手を繋いで報告に来て、あの子が自分の出自の事を認知していると知った時、私は覚悟を決めた。
ルーナリアは全てを承知の上で、何一つ変わらない愛を示してくれていた。
そして、アルフレートの隣に並び立つあの子は、とてもとても幸せそうな顔をしていた。
何より、あの子が私の娘のままでいてくれるというその事実が。そして、本当の家族になれることを心の底から喜んでいるその姿が。
──とても嬉しかった。
そして思った。
お互いがお互いを求めるかのように、当たり前のように惹かれ合ったアルフレートとルーナリアの、これは運命だったのかもしれないと──
♢
「……実の親を奪った私を、ルーナリアはどう思うのか……でも……」
一度大きく震わせてしまった身体を抱きながら、固く目を閉じた。
再び夜空に浮かぶ月を瞳に映すと、大きく息を吸い込んですっと背筋を伸ばした。
そして、ルーナリアの部屋へと赴き、控えめにノックをする。
「……ルーナリア、ちょっといいかしら?」
「あ! お母様! はい、どうぞ」
私の顔を見るなり蕾がほころぶような笑顔を向けながら、部屋へと招き入れてくれた。
自分が実の娘で無いと知っていても、変わらずに私を母だと慕い続けてくれる様を見て、胸がきゅっと締め付けられてしまった。
「明日は結婚式ね。まぁ、昼からの準備だから今日は少しぐらい遅くなってもいいわよね? ちょっとお母様と昔話をしましょう?」
「ええ、嬉しいです、お母様」
にっこり笑って私の手を取ったルーナリアは、喜びを浮かべたままソファへと並んで腰を下ろした。
黄金色の瞳を僅かに揺らめかして私を見つめてくるその姿が、20年前に出逢った時と重なって見えた。
「……貴方を、この家に連れ帰った時の話よ。もうあれから、20年近くも経つのね……」
少しだけ遠くを見つめた眼差しをスッと戻すと、あの日起きた出来事の全てを、語って聞かせた──
「……私は、貴方の本当の母親を処刑する手伝いをしたの……貴方の実の母親を奪ったのは、私、なのよ……」
私の話を時折優しく相槌を打つだけで静かに聞いていたルーナリアに、最後絞り出すようにこの言葉を吐き出した。
苦しくて怖くて、この話を聞いたルーナリアがどんな反応をするのか見れなくて、顔をやや俯かせて僅かに震える己の両手を眺めた。
「……お話してくれて、ありがとうございます。…………沢山聞いて、色々ビックリする事も多くて……お母様はとても優しいです。ずっと、気に病んでいたんですね……」
ルーナリアが、ふっと小さく息を吐いた。
「……私は、薄情なのかもしれません……話を聞いても……やっぱり、私の『お母さん』はお母様なんです……お母様の娘で、本当に…本当に良かったって改めて思いました。私の命を救ってくださって、ありがとうございます」
ルーナリアは、震える私の両手を握り締めると、優しく包み込んだ。
ハッと顔を見上げると、柔らかく微笑んでいるお月様のような瞳と視線が交差した。
「今こうして幸せに生きていられるのも、全部お母様のお陰です。私、お母様の娘で、本当に幸せです……これからも、娘として末永くよろしくお願いします」
「……ルーナリア……」
「いつもいつも、ありがとうございます。お母様のこと、大好きです」
私の手をぎゅっと握りしめたルーナリアは、満面の笑みを向けてくれた。
その手は初めて出逢った時と変わらずに柔らかく、あの日、私の指を掴んで離さなかった小さな小さなルーナリアが思い出された。
「……ルーナリア……貴方は、私の大切な娘よ……」
溢れ出る涙を抑える事ができない私を、同じようにポロポロと涙をこぼした娘がそっと抱きしめてくれた。
華奢なその身体を感じながら、あの時の赤児は私を包み込んでくれる程大きくなったのだと、そう思った──
♢♢♢
「……もう、3日も経ったのに……」
酷く悩んだ末に、アルフレートの部屋のドアノブに手をかけた。
部屋の中は静まり返っていて、寝室へと続く扉に向かって足を踏み出そうかどうか苦慮し、その場で暫く立ちすくんでしまった。
結婚式の日から、ルーナリアは寝室から出てきていなかった。
食事は食べているようだったけれど、私たちとは違って体力もそこまで無く、大切な人のためなら喜んで無理をするあの子が心配で堪らなかった。
笑いながら大丈夫だと軽く言っていたヘリオスを思い出し、こめかみがピクリとしたのが自分でも分かった。
「男と女は違うのよ……これだから、男って……」
漏れ出そうになる魔力をなんとか抑え込むと、野暮だとは理解しながらも一歩を踏み出し扉の前まで来た。
ーーガチャ
簡素な服を着て部屋から出てきたアルフレートは、にこにこと満面の笑みを浮かべていた。
「あぁ、母上。おはようございます」
「アルフレート! 貴方、おはようじゃ…」
「しぃ! まだルゥナは寝てるので」
人差し指を口元に立てながら私の言葉を遮ると、中を確認をする間もない素早さでサッと扉を閉めた。自分のこめかみがピクピクと引き
「寝ている、じゃないでしょ。ルーナリアは大丈夫なの? そもそも、あれから3日目よ!?」
「……大丈夫ですよ、母上。今は休んでますから」
アルフレートの目が少しだけ泳いだのを見て、思わず凍てつく眼差しを向けてしまう。
入浴の合間にシーツを交換した侍女の話だと、破瓜の証である出血の痕跡があったという事だから、ルーナリアの純潔は守られていたと言う事になる。
我が息子ながら、まさかルーナリアにこんな無茶をするなんてと思うと、だんだんと腹の底から沸々と怒りが湧いてきた。
こめかみがピクピクと更に引き攣り、眉間には壮大な皺が寄っているのが自分でも分かった。
「……はぁ、ダメよダメよ。こんな顔したら、皺が刻まれて一気に歳を取ってしまうわ……」
己に言い聞かせるようにブツブツと呟く私を、アルフレートは綺麗な笑顔で見下ろした。
「とりあえず僕は、書簡の確認だけしてきますので……」
素晴らしく外面のいい笑顔で、素早く逃げ去っていくアルフレートの後ろ姿を見ながら、ため息を溢した。
「……あの外面の良さは、一体誰に似たのかしら……」
再び静かになった部屋の中で、閉ざされたままの寝室の扉へと目を向ける。
釘を刺されたものの、どうしても娘の様子が気になって堪らずにそっと開けた。
「……ん……あるにぃ…?」
気配を感じて起きたのか、それとも先ほどの会話で目が覚めたのか、ルーナリアがベッドの上で身じろいだ。
「……ルーナリア、大丈夫?」
「あ…! お母様でしたか!」
私だと認識した途端、慌てたようにシーツで前を隠しながら半身を起こした姿を目にし、内心かなり動揺してしまった。
ここで引き下がるわけにはいかないとグッと手を握り締め、母親としての己を意識し落ち着いた態度でゆっくりとベッドの縁へ座った。
「お母様、ごめんなさい。その、私、何もしてなくて。ずっと部屋から出ないで……」
華奢な身体を更に縮こませて恐縮するルーナリアを見て、さっき部屋の前で会った息子の笑顔が思い浮かんでムカムカしてくる。
「いいのよ。どうせアルフレートのせいでしょう。でも、さすがに3日は心配になったわ」
「えっ!? 3日も経ってたのですか!??」
ルーナリアの大きな目が驚愕で更に大きく見開かれ、その黄金色の瞳がこぼれ落ちるのではないかと心配になった。
そして、時間の間隔が無くなる程抱き潰した息子の笑顔が思い出され、こんこんと怒りが湧き起こる。
よく見ると、シーツから出ているルーナリアの身体には至る所に朱い跡がついていた。
腕や背中にこれだけあるのを見て、隠れている部分を想像してしまった私は、クラクラとしてきた頭を感じこめかみを一瞬抑えた。
「ルーナリア。あなたこれ、どうしたの……!?」
ついつい語気を荒くしてルーナリアに詰め寄ると、その細い二の腕をそっと掴んだ。
「あ、あの、アル兄様が、これは証だって……夫婦の、絆みたいだって思ったんですが……あ、あの……もしかして、ダメ、なんですか?」
私の剣幕に圧倒されたルーナリアは酷く動揺し、シーツを固く握りしめたまま今にも泣きそうな顔をした。
怯えたようなその姿を見てハッと我に返ると、微かに震えている肩を優しく撫でた。
「……いいえ。大丈夫よ。──でもね。ドレスを着て見える部分には、残したらいけないからね」
落ち着かせるように柔らかい口調を心掛けながらそう諭すと、背中に手を当ててさすった。
「そうなんですね。ありがとうございます、お母様」
安心したように張り詰めていた体の力を抜き、にっこりと笑いながら大きく頷いたルーナリアを見て、脱力感で怒りもどこかに消え去っていった。
「はぁ……とりあえず、今日は下に降りてきて夕食を一緒に食べましょうね」
「はい! お母様」
嬉しそうに笑う娘を瞳に映すと、苦笑しながら部屋から立ち去った。
孫の顔を見るのもすぐかもしれない──階段を降りながらそう思った私の口元は、笑みを刻んでいた。
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