第39話 第二王子との出会い

昼間はうだるような暑さも、日が沈むと幾分か和らぎをみせます。


「今日はだいぶ暑かったんじゃない?」

「はい、建物の中はいいんですが、やっぱり外はすごい熱気でした。我が家に帰ってくるとホッとしちゃいます。お母様が氷魔法得意で良かったです」


レモン水を口に含むと、そのさっぱりとした味わいに涼しさを感じて、思わず息を吐いてしまいました。

お母様と2人きりの夕食がすっかり当たり前の景色になってしまうぐらい、お父様もお兄様も屋敷に帰ってこなくなりました。


「ふふふ。氷魔法はアルフレートも得意だから、夏の暑い日は便利よね」

「もう、お母様ったら。ふふふ」

「そうそう、聞いちゃったわよ〜。いつかの食堂で、皆の前で結婚の申込されたんでしょ?」

「えっ!?」


ニヤリとどこか人の悪い笑みを浮かべたお母様は、トマトのサラダを一口食べました。

何故知っているのか分からなくて、固まってしまいます。


「……あら? そんなに驚かなくても。マリウス、でしょ? はぁ、全く。馬鹿なことをしたものね。東部の騎士隊に転属だって聞いたけど、ま、鍛え直すのにちょうどいいわね」


そのまま食事を続けるお母様でしたが、その話を初めて聞いた私の動きは止まったままでした。

あれからラウターテ先輩も騙すような事もしてこないし、声をかけてくる人もいなくなりました。


(アル兄様……無茶してないと、いいんだけど……)


あの食堂での昼食の後すぐに北部の結界領域へと赴いたお兄様のことを想い、胸がきゅっとなってしまいます。


「……でも、アルフレートもずっと結界領域に行ったままだし……月に一度しか帰ってきてないなんて……来月には、王家の条件もクリアできるのに……」

「……そう、ですね……」


私もお母様も、その顔に憂いを乗せてしまいます。


本来先月あるはずだった国王陛下の祝賀会の中止が発表された時、異例の事態に王国中に衝撃が走り抜けました。

それから、王国民の間には見えないかげりが僅かに漂い続けています。

王国はどうなっているのか。そしてどうなるのか。

皆口にはしないものの、拭い去れない何かがじわじわと蝕んできているのを感じていました。


「ま、暗くなっちゃダメね! ルーナリアのドレスもそろそろ仕上がりそうだから、今度の休みは一緒に見ましょうね」

「はい、お母様!」


お互いに微笑み合うと、雰囲気を一変させるように結婚式の話題へと話を続けます。



バルコニーへと出ると、涼しい夜風が頬を優しく撫でました。

すぐに明けてしまう夏の夜空に浮かぶ月は、どこか儚さを感じさせます。


「アル兄様……どうか、ご無事で……無事に、戻ってきてください……」


今夜もまた、遠くにいるあの人を想って。少しでも、私の想いが届くように──



♢♢♢



「ルゥナ!」

「アル兄様!」


久しぶりにお兄様に逢えた喜びから、王城内であるにも関わらず思わず駆け寄ってしまいました。

私を抱きしめようとしているのか手を広げていたのですが、廊下にはまだ人が大勢いるのでお兄様の一歩手前で止まります。

差し出した腕を引っ込めた後、少し寂しそうにしたその表情に心が揺れましたが、我慢してもらおうと心を鬼にします。

ふと彼の後ろに人がいるのを発見し、やっぱり抱きつきにいかなくて良かったと、ホッと息を吐きました。


「アル兄様、この方は……」

「あぁ、ルシアンだ。ルシアン、『妹』のルゥナだ」


お兄様が第二王子殿下を一般人のように紹介されたので、クラクラと眩暈がしてきました。

初めてお会いするルシアン様は、一度拝見したステファン第一王子と同じこがね色の髪に、紺碧の瞳を持つ端正な顔立ちをされた方でした。


(す、すごい……全体的に薄い色合いのアル兄様と、濃い色合いのルシアン様が並ばれたら……こ、これは伝説の卒業パーティーだったはずだわ……)


明媚で秀麗で艶美で、とにかく言葉に表せない2人の並び立つ姿に、一瞬息を呑んでしまいました。

すぐにハッとして意識を取り戻すと、王族相手に失礼がないようにと、普段よりも丁寧に慎重にお辞儀をします。


「……初めまして、ルシアン殿下。ルーナリアと申します。以後お見知りおきくださいませ」

「すげー可愛いねぇ。俺もルゥナって呼んでいい?」


にこにこしながら私を見つめるルシアン様は、以前お兄様が仰っていたように、かなりざっくばらんな性格をしている方のようだと思いました。

とっつきにくい感じの方ではないことに、少し安堵します。


「……申し訳ありません、ルシアン様。私の事を『ルゥナ』と呼んでいいのは、この世でアル兄様だけなんです」


王族相手に震えるほどドキドキとする中、ルシアン様の目を見つめハッキリとお断りをしました。

これは、私とお兄様の昔からの大切な約束だと思い、グッと手を握り締めます。


「うわー。すげー。お前の妹すげーな。めちゃ兄ちゃん好きじゃん」

「……ルゥナは本当の妹ではない。お前も知っているだろう」


拒否の言葉を聞いても、顔色ひとつ変えずにあっけらかんとした様子のルシアン様を目にし、握り込んでいた手の力が緩まりました。


「『遠縁の子』ってやつなんだろ? なんか、すげぇ噂だけど」

「……そうだ……」


さっきからお兄様は咎めるような視線を第二王子に向けています。

ですが、ルシアン様はずっとあっさりとした笑顔のままで、2人の距離感が分からず少しだけ戸惑ってしまいます。


「いやいや。にしてもお前ら兄妹ちょっと、気持ち悪いぞ」


笑みを浮かべたまま、揶揄からかうようにそう言ったのを耳にした途端、心臓がぎゅっと掴まれたような感覚になりました。


(……気持ち、悪い……アル兄様は、私と血が繋がっていない事を知っていた……でも、私は15歳になるまで………きもちわるい……よね……)


必死に曖昧な笑顔を貼り付けながらも、頭の中でその言葉が繰り返し再生されていきます。


「……ルシアン、お前に僕達の何が分かる。──ルゥナ、気にするな。こいつは所詮情などない人間だからな」

「あ! ひでぇ言い方だな!」

「いつもいつも女を取っ替え引っ換えしてるし、そんな品のない喋り方でも、そう思うなという方が無理な話だろ。はぁ、全く……」


呆れたように小さくため息を吐いたお兄様は、私にふわりと微笑んでくれました。


「いやいやいやぁ、女にモテるのはしょうがないんだって。それこそ、俺に情があるからでしょ!」

「……情があったら、あんなに激しく変わらないと思うが……というか、痛いぞ、ルシアン……」


ルシアン様に笑いながら肩を叩かれているお兄様は、じとっとした目を向けながらも口元は少しだけ上がっていました。


(……もしかして、かなり仲がいいの、かな? じゃあ、さっきのも、気安い会話の延長……?)


ルシアン様からのちょっかいから距離を取ったお兄様が、安心させるかのように一瞬だけ頭にそっと手を置いてくれます。


「ふふふ。……アル兄様、ありがとうございます」


久しぶりにその温もりを感じて、そして彼の想いを感じて、さっきまでの言葉は頭の中から無くなって笑顔が溢れてきました。


「ふぅ〜ん。ルーナリアは、そんな風に笑うんだ……」


お兄様に気を取られていた私は、少し離れていたルシアン様がそう呟かれるのを聞いていませんでした。



♢♢



(今日は、すっごく久しぶりに朝からアル兄様と一緒だった〜)


少しだけ入り組んだ王城の廊下を、書類を片手に弾む足取りで進んでいきます。

ふと廊下の窓から外を見ると、まだまだ暑さの厳しい日中を練り歩く人々は、皆仕事に追われるように忙しない顔をしていました。


(結婚式の準備でこのひと月は今までよりも屋敷にいるって言ってたけど……戻ってきたばかりなのに今朝もお仕事……アル兄様、大丈夫なのかな……それに、王国も……)


なんとも言えない複雑な気持ちを打ち払うかのように一度軽く首を振ると、次の休みの予定へと気持ちを向けていきます。


(アル兄様も、ドレスの仕上がり一緒に見れるといいな……!)


書類を一度抱え直し大きく息を吐くと、しっかりと前を向いて歩き始めました。




「ねぇねぇ、ルーナリアちゃん」

「……っ!」


突然廊下の角からひょっこりとルシアン様が現れて、一瞬その場で飛び上がってしまいました。

昨日と変わらず砕けた感じでにこにこしているのですが、目の前にいる方は王族だと自分に強く言い聞かせます。


「……ルシアン殿下、どうされましたか?」

「あー、そんなに畏まらなくてもいいよ。俺のことはルシアンでいいから。敬称なんていいよ。……ちょっといい?」

「……は、はい……」


手前きをしてくるルシアン様に小さく頷くと、導かれるようにその後についていきます。

一度立ち止まってしまったのですが、私の方を振り返り再び手招きをする姿を見て、覚悟を決めます。


(……仕方がない……! 第二王子のお誘いを断るわけにはいかないし……!)


書類を胸に強く抱えながら、お兄様と同じくらいの身長をしたルシアン様の背中を見つめ続けます。

引き離されないようにと早足でついて行くのですが、奥へ奥へと進む廊下がある時を境に、とても煌びやかなものに変わりました。


(……ここって、ま、まさか……王族専用エリアじゃ……!!?)


チラリと漆黒の隊服の人が廊下の先に消えて行くのを視界に映し、確信した私はますます書類を強く握りしめてしまいました。

ごくりと唾を飲み込むと、複雑に入り組んだこの場所で迷子にならないようにと、さらに必死になりながらルシアン様を追いかけます。


「とうちゃーく! 入って、入って」

「あ……は…はい……」


扉を開けてくれたルシアン様に小さくお辞儀をすると、呼吸を整えながら部屋へと足を踏み入れます。

王族の小部屋だと思われるここは、ふわふわした絨毯が敷き詰められていて、上質な調度品で囲まれた品の良い場所でした。


「だ、誰もいない………い、いいのかな……どうしよう……」

「遠慮しなくていいよ。さ、そこに座ってゆっくりして。ほらほら、早く早く」


思考が半分ほど停止した状態で、ひたすらに狼狽えながら促されるままにソファへと腰を下ろします。

ルシアン様は手ずからお茶を淹れて下さるようで、向こうでテキパキと茶器を整えているようでした。


「ルシアン様、そのような事わざわざ……」

「いいからいいから。ま、気を楽にしていいよ」


腰を浮かした私を制するかのように手を振ったルシアン様は、慣れた手つきで準備を進めていきます。


「……ありがとう、ございます」


再びふかふかのソファへ座り込むと、ぼんやりとしたままお茶が注がれていく様子を瞳に映しました。


「……いただきます」

「どーぞどーぞ」


一口含んだお茶はとても香り高く、知らずホッと小さく息を吐いてしまいました。

カップの中でゆらゆらと揺らめく自分の姿を、じっと見つめてしまいます。


「ルーナリアちゃんってさぁ、アルフレートの事好きなんでしょ?」


どこか甘ったるしい響きを含んだ声色を耳にし、ハッと顔を上げます。

にこやかな笑みを浮かべているルシアン様と視線が重なり、カップを持つ手が微かに震えてしまいました。


(……ルシアン様は王族だから、私とアル兄様の結婚の話は、知っている…はず?)


その笑顔から何を考えているのか、どこまで知っているのか分からなくて、安易に返事をする事が出来ず固まってしまいます。


「ねぇねぇ、それってさぁ。『いつ』から好きなの?」

「……いつ、とは……」


私の心臓が、ドッドッと早鐘のように脈打ちました。

ルシアン様の綺麗な笑顔を目にすると、何故か言いようのないものが胸の奥を支配してきます。


「いやいや、『いつ』って言ったらそのままでしょ。……ふぅん、その顔。それってもしかして………実の兄だと思っていた時から好きって事かな?」


自分の顔が青ざめていくのが分かりました。

手の震えが気になり視線を落とすと、揺れる琥珀色の液体には表情の抜け落ちた女の顔がぼんやりと映っていました。


「やっぱり。自分のお兄さんが好きだなんて、ルーナリアちゃんって頭大丈夫? 自分の兄を男として見ていたってことでしょ? で、ずっと同じ屋敷で過ごしていたんでしょ? あ、もうやっちゃたの? 実のお兄さんだと思っていた相手に、股開いて喜んでるんだ? 凄いねぇ」


一瞬、呼吸をするのを忘れてしまいました。

もはやお茶を持つことも出来ずに、カチャンと大きな音を立ててカップを置いてしまいます。

視線を落とすと、琥珀色の液体が白いソーサーにじんわりと濁りを広げていました。


「ふふふ、顔が真っ白だ。図星だったみたいだね。さすがカーティス家の娘だよ。呪われた血筋だ。知ってる? カーティス家はね、皆頭がおかしいんだよ。君みたいにさぁ。やっぱ、血は争えないよねぇ。君の頭がおかしいことでもよく分かるよね。本当、君は穢らわしくて汚い女だ。そんな呪われた血筋の君が、ダネシュティ家に入ってもいいと思うの? 君みたいな呪われた血筋が続いてもいいと本気で思っているの? だとしたら、本当おめでたい子だよね。──君が生きていると、皆が不幸になっちゃうね」


更なる衝撃が脳裏を突き抜け、もう何も考える事なんてできませんでした。


お兄様の事を愛しても良いという喜び、そして結婚できるという幸せに、呑気に浸っていた。自分がどれ程呪われた血筋であるのか、正しく理解しようともせずに。

まさしく指摘通り、本当に何も分かっていない浅はかな人間だった──ルシアン様の言葉が、繰り返し頭にこだまし続けます。



(……私には、間違いなく闇を抱えるカーティスの血が、流れている……こんな女と一緒にいて、アル兄様が幸せになれるわけない…………私が、生きていたら、皆が不幸になる……)


汚れ一つなかったはずの真っ白のソーサーが、今はもう濁りきっていました。





……さく……


誰も通ったことのない柔らかな土の感触がしました。

光の群れが微かに風に吹かれているのを目にし、ふっと意識が戻ります。


天満月草あまみつつきそう……」


見上げた夜空には、とても美しく光り輝く大きな満月が浮かんでいました。

全てを赦してくれるような優しい月明かりを感じながら、目を瞑ります。


お父様、お母様の顔が浮かんできます。

そして、最愛の人の顔が浮かんできます。


「…… こんな呪われた血筋の女が、あんな綺麗な人たちの…アル兄様の傍にいて、いいはずがない……」


スッと目を開き、もう一度、自分と同じ色を持つお月様を瞳に映します。


「きっと、私のこの呪われた血筋が、いつか皆を不幸にしてしまう……ただ、アル兄様が幸せなら、それでいい……それだけで、いい…………私なんて、消えてなくなればいい……」


ぽつりと落とされた最後の呟きは、静かな『天満月(あまみつつき)の森』の中に漂っていきました。


(出来ることなら、あの満月に溶け込んで……いつまでも、アル兄様を遠くから、見守れたらいいのに……)


強く強く願うように、空に煌々と佇む黄金色を見つめ続けます。


何処にいても変わらぬ姿を見ることができる月のように。

いつも優しく光り輝く、そんな存在で在れば。


そうすれば、お兄様とずっとずっと一緒にいる事はできるから……

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