第35話 巡る季節 ②

「あれ、ルーナリアちゃんまだ残ってたの?」

「あ、ミハイ先輩、お久しぶりです。後はここにあるコアに魔力を注いだらお終いです。先輩も遅いですね。大丈夫ですか?」


少し前に開発部に引き抜かれたミハイ先輩が、大きなあくびをしながら部屋の書類を漁っていました。

ミハイ先輩にたまにお会いする度に目の下の隈が大きくなっていっているので、かなりの激務ではないかといつも心配になります。


「あー大丈夫だよー。ありがとうー。後この書類確認して調整したら、今日は帰る予定だから。……今、ルーナリアちゃんの上ってラウターテ嬢だよね……大丈夫?」

「大丈夫です。ありがとうございます」


少しだけ心配そうな顔をしているミハイ先輩に、にっこりと微笑みます。

ラウターテ先輩は栗色の髪をした少し派手な方で、今日も社交界へ行くために早々と帰宅されました。

社交界に命をかけているのか、だいたい定時に帰られています。


私がいつもその残った仕事を片付けているのですが、なかなかどうしていいか分からずに、毎日仕事に追われるままズルズルときているのが現状です。

とにかく今はお兄様と帰るために全力で魔力を注ごうと、机にある輝きのないコアの山を見つめました。





「アル兄様! お待たせしました!」


魔法局の前で待つお兄様を目にした途端、足早に駆け寄っていきました。


「──書類、ありがとうございました! 本当に助かりました」

「……なんでルゥナがあんな仕事しているの? 書類を配るくらいなら風便使ったらいいでしょ?」


若干不機嫌そうな顔をした瞳は、僅かに凍てついていました。

そんな話は聞いたことがなかったため、耳にした私はぴたりと固まってしまいます。


「え? あの……でも、いつも他の部署の人から、直接持ってくるように、何度も言われていて……」

「あ、大丈夫。それなら今日話を通しておいたから。……ルゥナ見たさのやつらには、よく言っておいたから」


王城の方を睨みつけるようにしながら、凍るような冷たさで最後の言葉を呟きました。


「……ありがとう、ございます」


一緒に馬車までの道のりを歩きながらも、どうしても肩を落としてしまいます。


(結局また、アル兄様に守られてる……働くのって、なかなか大変……)


隣を歩くお兄様がそんな私の様子に時々視線を送っているのが分かったので、微笑みを向けました。

一瞬その手が私の方へと伸ばされたのですが、周囲を行き来する人々の存在を思い出した彼は、少しだけ面白くなさそうな顔をすると前に向き直りました。



「ルゥナ、元気出して。遅くまで頑張ったね。ほら、こっちにおいで」


馬車へと乗り込んだ途端、ふわりと笑ったお兄様が私の手を優しく引っ張りました。

その笑顔を見て、久しぶりに逢えたこの時間がとても大切で大事なものだと改めて気付かされます。


「うん……」


隣に座り、甘えるように彼の身体へと擦り寄ってしまいました。

優しく私の頭を撫でてくれる温もりを感じ、目を瞑って微かに息を吐きます。

揺れる馬車の中、少しだけ身体を離して背筋を伸ばすと彼を見上げました。


「……アル兄様、いつもありがとうございます。とっても、助かりました……それに、さっきは言いつけを守らなくて、心配かけてしまって、本当にごめんなさい」

「ルゥナ……本当に心配になるから、もう絶対近道を通ったらダメだよ。後、無理のし過ぎは良くないよ? 僕をもっと頼ってくれていいから。ルゥナのお願いは、何でも聞くからね」


私の手を取ったお兄様が、愛おしそうにその手を撫でてくれます。

柔らかな空色の瞳を見て、そして心底私を心配してくれているのが分かって、思わず彼へと飛びつきそうになった自分を抑えます。


(今はまだ助けて貰っているばかりの私だけど、もっと頑張っていつかこの人を支えてあげられるようになりたい……)


少しだけ揺れる瞳のまま、お兄様に微笑みを向けました。


「うん。ありがとう、アル兄様……」

「ルゥナ……おいで」


少しだけ苦笑いを浮かべたお兄様が、私の身体を抱きしめてくれました。

包む込むように回された腕の中で、目を閉じて彼の胸の鼓動を感じます。

すると、逢えなかった時間が埋まっていくかのような満足感で、心がいっぱいになりました。


「……アル兄様……いつか、私も……」


彼の背中に回した腕に、きゅっと力を込めました。




「……ルゥナ、着いたよ……」


耳元で優しく響く声で、ぱちりと目を開けます。


「アルにいさま……ごめんなさい、ちょっとウトウトしていました」

「ふふふ、お疲れ様」


お兄様を抱きしめながら寝ていたのだと気が付いて、頬を赤く染めながら慌てて身体を起こしました。

彼の温もりが無くなってしまった事を寂しく感じながらも、馬車を降りなければと急いで腰を浮かせます。


「ルゥナ。ちょっと行きたい所があるんだ。今日はもう遅くなってしまったから、夕食もついでにそこで取ろう。マーラにお願いして準備してもらっているから大丈夫だよ」

「アル兄様?」


笑顔で私の手を優しく掴んだお兄様を、首を傾げながら見つめます。

一緒に馬車を降りると、そこには大事そうにバスケットを抱えたマーラが立っていました。


「お帰りなさいませ、アルフレート様、ルーナリア様。ささ、準備は出来ていますので、どうぞ」

「ありがとうマーラ。さすが仕事が早いね。じゃあ、ルゥナ行くよ」

「は、はい……マーラ、ありがとう!」

「お気をつけて」


お兄様に素早く抱き抱えられた私は、バスケットを持ちながらにっこりと微笑むマーラに手を振りました。

自分の体重がふわりと軽くなるのを感じた瞬間、秋風が優しく頬を撫でていきます。

空に浮かぶ大きな大きな満月の優しい光が、周囲を明るく照らしていました。


(もしかして……)


思った通り、着いたのは天満月草あまみつつきそうの優しい光が溢れかえっている『天満月あまみつつきの森』でした。

ここはいつも変わらず、柔らかくて穏やかな月明かりで私たちを歓迎してくれています。

丁寧に降ろされたままその幻想的な景色に見入っていると、お兄様が優しく抱き寄せてくれました。


「丁度去年の満月、ここでルゥナと想いを通わせた……」

「アル兄様……もう一年も経つなんて……懐かしいですね」


胸をいっぱいにしながらお兄様を見上げると、ふわりと微笑んだ彼が私のおでこにキスを落としました。


「さ、もう遅いからまずは夕食にしよう。夜のピクニックだ」

「はい!」


一緒にバスケットから敷物と夕食を取り出して準備を整えていくのですが、ずっとずっと笑みが溢れていました。


「いただきます〜」

「いただきます」

「アル兄様! パンとスープがまだ温かいです! わぁ〜凄く美味しそう〜」


まだ湯気の出ているふわふわの白いパンと南瓜のスープを目にし、ついついはしゃいだ声をあげてしまいました。

きのこと野菜の入ったパイを切り分けてくれたお兄様が、私の口へと運び入れてくれます。


「ルゥナ、これ美味しいよ」

「んん…………美味しい〜。パイ生地がサクってしてて、中はまだ温かい〜。幸せ〜……アル兄様、この薄切りのローストビーフ絶対に美味しいですよ」

「ルゥナは、昔から凄く美味しそうに食べるよね。可愛い」

「……だって、美味しいご飯って嬉しくなるんだもん……あ、このローストビーフやっぱり美味しい」


お兄様にじっと見つめられて恥ずかしくなった私は、ついつい子どもっぽい喋り方をしながらローストビーフを一切れ食べました。


「ふふふ。本当ルゥナは可愛いなぁ。ルゥナが美味しそうに食べる姿を見るの、大好き」


愛おしそうな眼差しで見つめられた私の頬が、熱を帯びました。

お兄様は赤く染まったその場所を確認するかのように軽く触れると、そのまま唇にそっと指を這わせます。

天満月草あまみつつきそうの柔かな光りに照らし出された彼の流れるような動きは、何とも言えない美しさを秘めていました。


「アル……」


触れていた指を置いたお兄様とひと時見つめ合うと、どちらともなくそっと口付けを交わしました。

凛とした静けさの中、天満月草あまみつつきそうの囁くような葉擦はずれがさわさわと耳元へ流れてきます。

柔らかな唇の熱を残したままゆっくり離れると、優しい空色の瞳と視線が重なります。

思わず、2人で微笑み合いました。


「食事しないとだね。ほらルゥナ、もっと食べて」

「アル兄様も、しっかり食べてくださいね。ローストビーフ本当に美味しかったです。どうぞ」

「ん。ありがとう」

「……また、結界領域に行かれるのですか?」


天満月草あまみつつきそうの光が輝く中、お兄様の口へ運び入れながら、揺れる自分の心を抑え尋ねました。

だんだんと結界領域に行く時間が増えていて、これから先のことを考えると胸がざわざわしてしまいます。


「……そうだね。一応次の予定は、5日後のはずだけど……また休みがあったら森に出かけようか」

「はい! 寒くなる前に森へお出かけしたいです」

「また、卵サンドがいいなぁ」

「ふふふ。アル兄様、大好きですもんね卵サンド。私も大好きです」


元気そうな笑顔を目にし、密かに安堵した私の身体の力が抜けました。


(私は何も出来ないけど……でも、こうして2人きりで過ごせる時間は、かけがえの無いない程、本当に大切なもの……)


再び口元へと運び入れたご飯を美味しそうに食べていく彼の姿を、目を細めて見つめます。



楽しい食事の時間もあっという間に終わって、全て完食した夕食をゆっくりと片付けながらふと視線を周囲へ移します。

天満月草あまみつつきそうの優しい輝きが、1年前のあの時の景色と重なりました。


(……あの時は、考えもしなかった、こんな未来………なんて、奇跡のような事なんだろう……)


今、この瞬間ときの全てが、とてもとても愛おしい──

込み上げてくる想いのまま、バスケットに食器を仕舞い終わったお兄様の身体へ腕を回しました。

彼の温もりが、私の胸を大きく打ちます。


「アル……愛しています……」

「っ! ルゥナっ……愛してる、愛してるルーナリア……」


一瞬息を呑んだ様なお兄様は、強く強く抱きしめ返してくれました。

見つめ合った彼の頬が、少しだけ赤く染まっているのを目にしながら、ゆっくりと瞼を閉じます。


光が降り注ぐような柔らかなキスを、愛しい人と何度も交わすのを見守ってくれているのは、変わらない満月でした──

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