第34話 巡る季節 ①

お昼の時間になったので、いつものようにお弁当を机に広げていきます。

魔法局に配属された同級生のマリアージュが、どこか浮かれたような足取りで部屋へと入ってきました。


「ルーナリア、お待たせ! 久しぶりね! 部が違うとなかなか会えないね」

「マリアージュ! いらっしゃい。ここに座ってくださいね」

「相変わらず、敬語出ちゃうねー。結局、フェリシアとオリエルぐらいだったね」

「ご、ごめんなさい……」

「いいっていいって! 全然気にしてないから! むしろ、なんか可愛いし」


くすくすと笑ってくれるマリアージュの言葉を聞いて、ホッと息を吐きました。

私の隣に腰を下ろすと、鼻歌を歌いながらお弁当を広げていきます。


「マリアージュ、何か良いことでもあったんですか?」

「うふふふふ……ルーナリア、私ね、実は今度結婚することになったの」

「えっ! おめでと〜! わぁ、本当、良かったです!」


花のような笑顔を咲かせた同級生に、拍手を送って結婚を寿ぐ言葉を並べていきます。 

お昼を食べながら、喜ばしい話題で盛り上がりました。


「いやー。卒業から1年経っちゃったもんねー。正直いい人見つかるか焦ってた時期もあったんだけどね」

「そっか。本当、良かったです。……もしかして、結婚したら、魔法局辞めちゃいますか?」


少しだけおずおずと尋ねると、マリアージュはちょっと困ったような顔をしました。


「多分、ね……ごめんね、この春魔法局に配属されたのって3人だけなのに、私辞めちゃったら大変になるよね。王城って結構人手不足だよね、実は。女性も少ないしさぁ。」


憂いを含んだ眼差しで私を見たマリアージュに、大きく首を振りました。


魔法が行使できる貴族はこの王国を支えていると言っても過言ではないのですが、その人数も19年前の『カーティスの惨劇』によって大きく減らしてしまっています。

領地を治める貴族や結界を守護する騎士隊へ配属される貴族も多くいるため、実のところ王城で働く貴族はそこまで多くないと言えます。


「しょうがないですから! もうすぐ花嫁さんになるのに、そんな顔しないでくださいね」

「あははは、ありがと!」


幸せそうな笑顔を浮かべると、今度は学園での話で盛り上がり始めました。



♢♢♢



(……急げ……早くしないと……)


書類を片手に、優雅に見えるギリギリの範囲で足速に夜道を歩きます。


「はぁ……やっぱり、人手不足だよね……仕事、終わらなかった……しょうが、ない……よね?」


辺りを見渡して誰もいないことを確認すると、小道を外れて人気の全くない近道へと進んでいきます。


(せっかくアル兄様と一緒に帰る約束してたのに、間に合わなかった……やっと、逢えると思ったのに……せめて、夕食だけでも一緒にとりたい……!)


吐き出される息がすでに荒くなっているのを情けなく感じながらも、人がいないのをいいことに歩く速度をさらに早めました。


昨年あった月蝕以降、お兄様は結界領域への任務が少しずつ増え、今では月の半分は屋敷を空けるようになりました。

魔法局も治癒薬や魔法具の作成やメンテナンスに追われ出して、かなり業務量が増えてきた感じがしています。

来月で働き出して1年が経つ私も、すっかり新人ではなくなり職務も増え、こうして遅くなってしまう日も時々あるのです。


静寂に包まれた夜道を、満月の色が優しく照らしていました。


(……綺麗……)


いつも月を見上げる習慣から、ついつい立ち止まってお月様を見上げてしまいました。

呼吸を整えながら、うっとりとその美しさに魅入ります。



「……っっ!!!」


突然腕を引っ張られ、身体がぎゅっと硬直します。


「あ……アル兄様……?」


掴まれた腕の先にいたのは、僅かに瞳を凍つかせたお兄様でした。

心臓の鼓動がまだバクバクと脈打つ中、呆気に取られたままお兄様を見上げます。

そのままふわりと回転した私は、トンっと建物の壁に背中をつきました。


「ルゥナ、こんな誰もいない夜道を1人で歩いちゃダメでしょ」


無表情のままの彼は、私の顔の横の壁にドンと手を突きます。

凍てついた瞳と視線が重なったと思った瞬間、啄むようなキスをされました。


「あ……アルにぃ様、い、今……」

「ん? なぁに?」


目を大きく見開きながらも、一瞬の出来事でパニックになった私の顔が真っ赤に染まりました。

そんな私を、お兄様はとてもとても綺麗な笑顔で僅かに首を傾げながら見つめています。


(こ、この笑顔は怒ったお母様と同じ……)


その顔を見てかなり怒っているのだと気が付いて、息を呑むと項垂れてしまいます。

いつも優しいお兄様がこんな風に怒る時は、本当にしてはいけない事をした時です。

人気のない近道を通っていた事がバレてしまい、心配をかけてしまったと心の底から反省しました。


「ご、ごめんなさい、アル兄様……言い付けを守らず近道してしまいました」

「……まだ、終わりそうにないの?」


お兄様は壁に手を突いたまま、更に顔を近づけて覗き込んできます。

その瞳はまだ少しだけ凍てついたものでしたが、幾分さっきよりも和らいでいました。


「後はこの書類を配って、明日納品する火魔法具ルーチェに魔力を注いだら終わりです……ごめんなさい。先に帰ってもらってよかったのですが……」


雰囲気が若干戻ったことにホッとしながら、片手に持っていた書類をお兄様に見せます。


「ふぅん……じゃあ、この書類は僕が配っておくから、後は魔力を注ぐだけだね」

「そ、そんな! アル兄様に手伝ってもらう訳には……!」


お兄様は私の手から書類を手早く奪い去ると、風魔法を行使してその辺りに浮遊させました。

心配をかけてただけでなく仕事まで手伝って貰う事になって、自分が情けなくて堪らなくなり、しょんぼりと肩を落として俯きます。


優しく頬に触れる温もりで、伏せていた顔を上げます。

気が付いたら、壁を背にした私はすっぽりとお兄様に囲われていました。


大好きな空色の中にもう怒りがない事が分かって、近づいてくるその色をじっと見つめていると、再び唇に触れた柔らかな感触でハッとしました。


「……っ! アル兄様っ! こ、こんな場所で……」

「誰もいないから大丈夫」


おでこをくっつけながら囁かれた私の顔が、ますます熱を帯びていきます。

こんな誰に見られているか分からない場所でキスをするわけにはいかないので、お兄様から逃れようと両手を上げて振り解こうとした瞬間、その手を掴まれて頭の横に固定されてしまいました。


身動きが全く取れなくなり、慌ててお兄様を見上げます。

彼はにっこりと笑うと、覆い被さってくるのと同時に深い深いキスをしてきました。


「……んっ! ……んん…!」


唇全部を喰むようにしたと思ったら、上側を喰まれ、そして角度を変えながら何度も何度もキスをします。

すっかり頭の中は真っ白で、何も考える事が出来ずに固く目を瞑ったまま、貪られていく唇を感じていきます。


時折吐息の微かに交わる音が、静まり返る夜道の中小さく響きます。

背中の壁から伝わるひんやりとした冷たさと、覆い被さるお兄様の身体から感じる温もりと触れ合う唇の熱で、頭がぼぅっとしてきました。


「…っん……にぃ、さ…ま……ぁ……だ、めっ…」

「…っは……ルゥナ……」


キスの合間に囁く声も、どこか甘さを帯びてしまっているのが自分でも分かってしまい、恥ずかしさに顔がまた赤くなります。

何とか腕を動かそうとしますが、私なんかがお兄様の力に敵うわけもなくピクリともしません。


(だ、ダメ……力が……抜けちゃう……)


フッと腕が自由になったかと思うと、お兄様の唇がゆっくりと離れていきました。


「にぃ、さま…はぁ……こ、こ、こんな場所で……」

「ルゥナが僕の言いつけを守らなかったお仕置きだよ」


耳まで真っ赤にしながら揺れる瞳でお兄様を見上げると、彼は唇をぺろりと舐めとり、妖艶な笑みを浮かべました。

その姿にぞくりとしながら見惚れていると、お兄様は風魔法の行使を解いて、浮遊させていた書類を手に取ります。


「とりあえず魔法局まで送るね。ルゥナと一緒に帰りたいから、手分けした方が早く済むでしょ?」

「…ありがとう、ございます……」


まだ火照ったままの顔を冷ますように、手で扇いで夜風を送ります。

隣で並んで歩く愛しい人を見上げると、さっきまでの熱を思い出した私の胸がドキドキと鼓動を早めました。

気が付くと、あっという間に魔法局の前まで来てしまっていました。


「じゃあルゥナ。配り終わったら、魔法局の前で待ってるから」

「ありがとうございます。アル兄様……」


小道の向こう側へと消えていった彼の背中を目に映すと、少しだけ切なくなってしまった胸を抱えたまま、くるりと踵を返して入りました。

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