第30話 オリエルの真意 ① sideアルフレート
すっかり暑くなった日差しに僅かに目を細めると、はやる気持ちを抑えてルゥナとの待ち合わせの場所へと向かう。
今日こそは一緒に帰れると思うと、ついつい歩く速度も上がり、刻む足音も軽やかなものに感じてしまう。
陽に透けキラキラと輝く金色を目にし一瞬沸きたった心も、隣にいる人物と親しそうに話していることが分かりすぐに落ちていった。
彼女の屈託のない笑顔から、学園関係の友人だとすぐにピンときた。
ルゥナはその出自が少し特殊であるため、ほぼ隠されるように育てられた。幼少期の事件もあって、僕たち家族と古参の侍女マーラを筆頭とした最低限の侍女ぐらいしか接してきていない。一応貴族令嬢として、7歳になった時に他の令嬢達との接触をさせたが、その機会もかなり少ないし屋敷に招くものばかりで屋敷から出た事はなかった。
カーティス家の容姿に特徴があるわけではないが、ルゥナの実母であるイントゥネリー夫人は非常に美しい方だったそうだ。その記憶がまだ残っている貴族たちの間に、ルゥナを出すわけにはいかなかった。
16年も経てば皆の記憶も風化しているだろうと思ってデビュタントでデビューはさせたが、その後社交界に行こうとしたがらないルゥナを僕たち家族が無理に連れて行かなかったのも、用心した所もあったためだ。
今もあまり目立たせる訳にはいかないので、『身体が少し丈夫ではない』という事にして、社交界への参加をしないでいる。
そうした事情をもつルゥナは、そもそも大勢の人がいる場所や他人との接触に慣れておらず、最初はかなり緊張してしまう。
学園に行く前に徐々に慣らしていこうと思っていた矢先に一足早く行ってしまい、母上もかなり心配していた。
だがそれも杞憂だったようで、こんなに仲の良い友人を作るとは皆思っておらず、僕自身もかなり驚いた。
以前会ったフェリシア嬢は、おそらくルゥナの事を学園でも色々助けてくれていたのだろうとすぐに分かった。
だが、今話をしている
彼がルゥナを見る目は、友人としてのものでは無い。
「オリエル、騎士隊の方はどんな感じ? 身体は大丈夫?」
「あぁ。俺、結構優秀なんだよ」
「ふふふ。自分で言ってる」
楽しそうに会話をするルゥナに心が動揺し、話しかけるタイミングを逸してしまった僕は、行き交う人々に混じってその場に立ち尽くした。
とても仲の良さそうな2人に、通る人々もチラリと目線をやっていた。
「そうそう、例の『結婚就職』の件だけど……」
言葉が耳に入った瞬間、僕の心は凍てついた。
「あ……あの、ごめんなさい……本当、オリエルの提案は凄く嬉しかったの。でも、家を出なくても良くなって……本当にありがとう」
「ん、そっか。まぁ、ルーナリアがいいなら良かったよ! あ、そう言えば明後日の祝賀会には出るんだろ?」
心底申し訳なさそうにするルゥナに、あっけらかんと答えるオリエル。だが、そのオリエルの目が真剣なのが僕には分かる。
「うん、出る予定。でも、社交界は久々だし、多分陛下にご挨拶したらすぐに帰るかな?」
「じゃあ、俺と踊ってから帰れよ。せっかく参加するなら、一回ぐらいいいだろ? 卒業パーティーからどれだけ上手くなったか確かめてやるよ」
「えー! あれから踊ってないのに、上手くなってるわけないよ!」
ルゥナが目の前の男とダンスを踊ったという事実に、嫉妬に満ちた感情が全身を支配していく。
これ以上は話をさせるわけにはいかないと思い、足を踏み出し2人に近づいた。
「ルゥナ」
「アル兄様! あ、あのこちら……」
「オリエル・ドラゴシュ侯爵子息だろう」
「どーも」
新卒の中では少しは使えると認識していた人物の顔と、目の前にいる顔が一致し、記憶していた名前を浮上させる。
オリエルは僕の方を、僅かに挑むような目で見た。
ルゥナがたまに話を出す友人の名前を記憶していた僕は、新卒で配属されたその人物を注視していた。
そしてドラゴシュ家と言えば、ルゥナに結婚の申し込みをしてきていた家のはずだ。
オリエル・ドラゴシュ。
僕の中で全てが繋がる。
「あれ? 2人とも知り合い、なの?」
「あー。この間の実施訓練で指導してもらったんだよ。──その節はどうも」
「あぁ。なかなか筋はいい」
「良かったね! オリエル!! アル兄様、オリエルは近衛隊希望なんです」
自分の事のように喜ぶルゥナを見て、僕の心は益々さざ波が立つ。
オリエルは僕の方をまだジッと見つめていた。
「そうか。まぁ励むことだ」
「……ありがとうございます」
僕の雰囲気がいつもと違う事を察したルゥナが、少しばかりオロオロしている。
おそらくオリエルの雰囲気もいつもとは異なるのだろう、窺うような視線を彼に向けていた。
「あ……じゃあ、オリエル。また明後日会おうね」
「おう! またな。……じゃ、失礼します」
ルゥナににこやかな笑みを浮かべ、そして僕に軽く会釈をして去って行ったオリエルの背中を見つめた。
「アル兄様……?」
「ルゥナ、帰ろうか」
ヒリヒリとしたものを感じた様子のルゥナは、酷く困ったような顔をしながら僕の腕にそっと手を差し伸べてきた。
綺麗な笑みを浮かべながら、差し出されたその手を一度優しく握りしめると、馬車の停留所まで歩いていく。
一緒に馬車に乗り込んでも、どうしてもさっきの言葉が頭から離れなくて、いつもと違った雰囲気を
「……あの、アル兄様、大丈夫ですか……?」
「ルゥナ、『結婚就職』って何?」
ルゥナはとても驚いた顔をして、言葉を忘れたかのように僕をだた見つめた。
僕が聞いていたとは夢にも思わなかったのだろう。
「あ……それは、あの……学園にいる時に、オリエルが私が家を出て働くつもりだって言ったら、じゃあ『就職』すると思って、『結婚』しないかって……あの、私を気遣ってくれて……」
ルゥナは酷く狼狽えながらも、僕の方を気遣わしげに見つめた。その黄金色の瞳が、ゆらゆらと揺らめいている。
だけど、彼女が屋敷を出て働くつもりだったと知り、胸を突かれる思いで暫く何も言えなかった。
──それは、間違いなく僕の結婚のせいだった。
自分の誤った選択がこんなにもルゥナを苦しめていたという事実に、憂鬱な影が顔に漂うのを止めれなかった。
「ご、ごめんなさい……アル兄様……私…」
酷く動揺して今にも泣きそうな顔をしているその満月のような色の瞳が、ますます揺らめいた。
「……ごめん。ルゥナのせいじゃないのに……謝らせてしまって、本当にごめんね」
ルゥナの隣に座ると黄金色の瞳をじっと見つめながら、小さくて柔らかい頭を優しく撫でる。
愛しい人の強張った表情が緩んでいくのが見てとれ、安堵の息を吐いた。
「……ごめんね、ルゥナ」
その柔らかで華奢な身体を引き寄せそっと抱きしめると、僕の事を強く強く抱き返してくれた。
「アル兄様……大好き…です……」
「ルゥナ……愛してる……」
彼女と身体を寄せ合っていると、さっきまでの気持ちが落ち着いてきて心が満たされていく。
僕のせいなのに、責めもせずにこうして寄り添おうとしてくれる。
結局いつも、ルゥナの優しさに甘えてしまっているのは僕の方だ。
腕の中にいる本当に大切で愛しい人を、2度と決して離さない。
改めて心に誓った──
♢♢♢
「アル兄様、どうですか?」
微笑みを湛えながらも、少しだけ緊張を浮かべているルゥナを目にし、一瞬呼吸をするのを忘れてしまった。
濃いものと薄いものの2色の青で彩られたドレスを身に纏うルゥナは、夏に流れる小川の様な瑞々しさと清らかさを体現しており、魅き込まれる程の美しさだった。
デビュタントの時はまだ少女特有のあどけなさを残していたが、今日はすっかり大人の女性になっていて、誰もが息を呑むほどの姿に心奪われた。
白くほっそりとした首筋から肩のラインが顕れ出ていて、思わず吸い寄せられるように見つめてしまう。
こんな彼女を社交界に長時間いさせて数多くの縁談が来たらと思うと、湧き上がる気持ちを抑えきれなくなり、僅かに魔力が漏れ出てしまった。
「うん、凄く凄く綺麗だ……絶対に僕の傍から離れちゃダメだよ。後、挨拶したらすぐに帰ろう」
「何言ってるのよアルフレート」
少しばかり凍てついた眼差しをした母上が、僕とルゥナの間に割り込んできた。
「ルーナリア。貴方、お父様と踊ってあげて。ちょっと寂しそうなのよ……」
母上が悲しそうな顔をしながらその手を取ると、ハッとしたような顔をしたルゥナがキョロキョロと父上の姿を探し出した。
屋敷にいる時は僕がずっとルゥナを独占している事の弊害が、まさかこんな所に出るとは思わず、言葉を失ってしまった。
だがルゥナを可愛がっている父上の気持ちを考えると、それも致し方がない事だと諦め息を吐く。
ただ、どうしても僅かばかり顔を
「分かりました、お母様。──アル兄様も、その後踊りましょうね」
「あぁ。僕とたくさん踊ろう、ルゥナ」
笑顔で誘われた途端さっきまでの表情は霧散して、満面の笑みを愛しい人に返した。
「『たくさん』ってアルフレート、あなた……独占欲が強すぎるのも考えものよね……」
「僕は一途なんですよ」
呆れたような顔をした母上に、さっきまでとは違う綺麗な笑顔を向けた。
母上のこうした態度についつい噛みついてしまうのは、10歳のあの時の事を、そして条件を出された事を、案外根に持っているのかもしれない。
「じゃあ皆、そろそろ行こうかね」
「お父様、今日は一緒に踊りましょうね」
ルゥナの隣にさりげなくやってきて、スッと腕を出した父上はそのまま腕を組んで行ってしまった。
エスコート役をあっさりと持っていった父上の後ろ姿を、若干ムッとした目で見てしまった。
しょうがないので綺麗な笑みを浮かべると、母上に優しく手を差し出す。
「では母上。行きましょうか」
「アルフレート、その笑顔止めなさい。……全く、誰に似たのかしら」
最後ぼやくように呟いた母上は、屋敷から出た途端、綺麗な笑顔を浮かべた。
──外面がいいのも、間違いなく母上です。
思わず出かかった言葉を飲み込むと、母上を優しくエスコートしながら馬車へと乗り込んだ。
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