第29話 懐かしさ

食欲を刺激するいい匂いが漂い、お腹がきゅっと反応してしまいました。


「メートル、もういいよ。後は大丈夫だから」

「かしこまりました、アルフレート様」


執事として誇れるような仕草でお辞儀をしたメートルが、静かに晩餐室を立ち去りました。

隣に座っているお兄様へと、満面の笑みを向けます。


「今日は一緒に食べられるので嬉しいです、アル兄様。でも、お仕事大丈夫だったんですか?」

「あぁ、大丈夫だよ。今日は父上も母上も社交界に参加していて夜いないから、早く帰って来ようと思ってたんだ。ルゥナを1人きりにするわけにはいかないからね」

「そうだったんですね! ありがとうございます」


優しく笑ってくれるお兄様に、はにかむような笑顔を返しました。


(いつも、私のために……嬉しい……でも、なんか2人きりの夕食って……)


私とお兄様の存在しかない部屋の空気を感じ、少しだけ頬を染めてしまいました。

不思議そうに目を瞬いたお兄様へ誤魔化すように笑うと、食べてくれるのを待っている料理へと視線を戻しました。


さっそくそら豆のスープを一口飲んで、その美味しさに頬を緩ませてしまいます。


「はぁ〜。本当、我が家のご飯って、美味しい……」

「ふふふ。父上も母上もないから、料理長が気遣ってくれたのかもね。豪華な夕食だ」

「きっと、そうですね」


子牛のローストのズッキーニ添えに目を向けると、同意するように小さく頷きました。

次はローストへ手を伸ばしその柔らかさに感動していると、ふと疑問が頭をよぎります。


「……そういえば、アル兄様は社交界に行かれなくていいのですか? 私が学園から戻ってきてから、一度も行かれてない、ですよね?」


一度ナイフとフォークと置くと、僅かに首を傾げながらお兄様の方へ身体を向けました。

気が付けば秋に学園から戻ってきたのも随分と昔のことで、季節はこれから本格的な夏へと向かっていきます。

貴族にとって重要な役目を担っているともいえる社交に、今晩参加している両親の顔を思い出しました。


(……あ、そっか。お父様とお母様だから、近衛隊で活躍しているアル兄様は問題ないって判断しているのかも)


1人で密かに納得してしまい、深く頷きます。


「お父様もお母様も社交をそこまで重視していない方ですもんね。私も、社交界に出席しなかった事を煩く言われたことは一度もないし」

「父上も母上も、基本的に人に迷惑をかけないのであれば、ある程度自由にしていいっていう柔軟な考え方をされているからね。僕たち子どもの意思を尊重してくれる教育方針は本当ありがたいよ」

「ふふふ。そうですね。とっても素敵な両親で、本当良かった」


肩を少しだけすくめたお兄様と、くすくすと笑い合いました。


「というわけで、父上と母上の方針に甘えて、殿下の護衛としては参加したりはしてるけど、基本的に行かないようにしているんだ。……行ってまた、余計な面倒を起こしたくないからね」


お兄様は最後の言葉で少し眉をひそめると、思いを断ち切るように子牛のローストをパクリと食べました。

僅かにかげったその顔を目にし、窺うようにじっと見つめてしまいます。


「あぁ、ルゥナが気にしなくてもいいんだよ。僕が行きたくないっていうだけだからね。……でも、さすがに来月にある陛下の祝賀会は、僕もルゥナも参加しないといけないな」


心配させまいとにこりと微笑みかけてくれたお兄様は、水を含むと少しだけ目を伏せて憂鬱そうな顔をしました。


毎年夏の初めに行われる国王陛下の生誕祝賀会は、社交への参加を許された年齢の貴族のほとんどが主席するという、王国内における1番大きな舞踏会となっています。

家ごとに陛下への祝辞を述べるのですが、その特性上完全に『公の行事』といえる規模のものなのです。


「祝賀会には勿論、参加するつもりでした。私とアル兄様の結婚の件もありますし、参加しない事で王家へ叛意はんいがあると思われてもいけませんし……」

「そうだね。しょうがないか……挨拶だけして、すぐに帰ろう」


お兄様は綺麗な笑顔を浮かべると、ローストに添えられたズッキーニへとフォークを刺しました。

それを見て、ついつい私もお兄様と同じ動作をしてしまいます。


(ダネシュティ家の子ども達は、すっかり社交界に姿を現さない、と思われているだろうなぁ……)


甘くて僅かにしょっぱいズッキーニの食感を楽しみながら、そんな事に思いを馳せました。


「あぁ、そう言えば、ルゥナにお願いがあるんだ」

「なんですか? アル兄様のお願いでしたら、私にできる事ならなんでもしますから」


数えるほどしかないお兄様からのお願いと聞いて、彼の方へと少し身を乗り出すようにしてしまいました。


「学園の制服姿を見てみたいんだ。ルゥナの」

「制服? そんな簡単なことでいいんですか? そんなお願いだったら、いくらでも出来ます、アル兄様。夕食後部屋に来てくださいね」

「ありがとう、ルゥナ」


大きな笑顔を浮かべた私を、彼は目を細めながらふわりと微笑んで見つめてきました。





マーラに夜の支度は自分で行う事を伝えると、部屋の中のクローゼットから制服を取り出しました。


(ブラウスに、スカートに……後は靴下を履いて、上着も着て…よしっ)


鏡の前に立っている懐かしい学園の制服姿をした女性を、覗き込むように見つめます。


「ふふふ。まだ卒業から1年も立ってないのに、なんだかおかしい〜」


そこに映る自分の姿に違和感を感じて、溢れる笑みを抑えることが出来ませんでした。



ーーコンコン



「あ、アル兄様どうぞ!」

「入るよ、ルゥナ」


部屋へと入ってきたお兄様の前に駆け寄ると、フレアスカートの端を摘んでちょこんと挨拶をしました。


「どうですか? アル兄様は、とても懐かしいかもしれませんね。ふふふ、私ももう、なんか昔の出来事になっています」

「……うん。すごく懐かしいね……やっぱり、めちゃくちゃ可愛いね、ルゥナ……はぁ。ルゥナと一緒に学園に通いたかったよ」


暫く熱い眼差しで私を見つめていたお兄様でしたが、我に返ったように目を瞬くと、手をぎゅっと握りしめました。

そのままソファへと赴き一緒に腰を下ろすと、私の姿を瞳に映したまま頬へと手を伸ばしました。

一度指先をそっと這わせた後、髪へと指を絡ませていくのですが、繋いだ手の温もりとその動きで僅かに頬を染めてしまいます。


「……アル兄様の制服姿も、見てみたかったです。……多分、すごいモテたのでしょう? アル兄様の代の卒業パーティーは伝説だって、先生がおっしゃってました」

「さすがに卒業から8年近く経つ僕は、制服はちょっと着れないな……まぁ、僕の代はルシアンもいたからね」


揺れる髪の毛を弄っていたお兄様が、その頃を思い出すように少し遠くを見つめました。


「ルシアン様って……」

「あぁ、ステファン殿下の弟だよ。ルシアンは王子の割にはざっくばらんな性格をしてて、女子生徒からも凄く人気があってね。毎日毎日とっかえ………あぁ、ルシアンには申し訳ないけど、僕的には女避けにちょうどよかったかな……? まぁ、ルシアンもちょうどよかった部分もあっただろうし……」


気安く名前を呼んでいたお兄様は少しだけ苦笑しながらも、懐かしさで目を細めていました。

その様子と言葉から2人の関係性を少し垣間見た気分になって、改めて彼の凄さを実感してしまいます。


「……アル兄様の代の学園って、何だかとっても大変そうですね……」

「そうかな? そんなことはないと思うけど……それより、もっと良く見せてよルゥナ」

「……はい」


その瞳に再び熱が孕むのを目にし、少しだけ落ち着かない気持ちになりながら、彼の手から逃れソファの前へと立ちます。

お兄様からの視線を受けて、僅かに速くなった鼓動に気付かないフリをするかのように、その場でゆっくりと回ってみました。


「あ、あの……アル兄様、どうですか?」

「うん、後ろ向いて?」

「……? はい!」


にっこりと微笑むお兄様の顔を横目で見ながら、後ろを向いて立ちました。

彼の顔が見れない寂しさに、少しだけ肩を落としてしまいます。


「アル兄様……あの、後ろ姿に、何かありますか……?」

「──ルゥナ……可愛い……」

「……っ!!」


耳元から熱い吐息を感じ、すっぽりと私の身体を包み込んだ腕から僅かな圧を感じ、驚きとは違う意味で心臓が激しく波打ちます。


「あ、アル兄様……?」

「2人きりだから、アルって呼んで。あと、敬語もなしで」

「……アル、あの、どうしたの?」


彼の息遣いを受け、顔が真っ赤になっているのが自分でも分かりました。


「あー。ヤバい……本当にルゥナと一緒に学園にいるみたい……」


悟られないようにと僅かに伏せていた顔のままその言葉を耳にした私も、何だか彼と同級生になったような錯覚に陥りました。


(アル兄様の……アルの、姿が見えないから……何だか、変な感じ……)


熱を帯びた頬のまま、私の身体に回された彼の手を握りしめます。


「……私も……」

「……っ! ルゥナ……」


そのままくるりと身体の向きを変えられると、頬を微かに染めたお兄様と視線が重なります。


「目を閉じて……」

「はい……」


唇に、柔らかなものが触れるのが分かりました。

ふるふると自分のまつ毛が震えているのを感じながら、お兄様とのキスをします。


「……あ、アルにぃ、さま……」

「ん……名前で呼んで……」

「あ、アル……」


キスの合間に、溢れる吐息と共に、ふたりの会話が続けられます。


「……なんだか……変な、かんじ……いけない事を…してる、みたい……」

「大丈夫……ルゥナは…学園で……」


そこで言葉を切ったお兄様は、少しだけ激しく唇を押し付けてきます。


「……んんっ……!」

「ルゥナ……」


しっかりと抱きしめられ、深く奪うような口付けをされ、与えられる熱に徐々に頭がくらくらしてきます。

ふわふわと力が抜け、立っているのが難しくなってきた頃、すっとお兄様が離れていきます。


「はぁ……」

「ふふふ、ルゥナ、可愛い……おいで」


そのまま優しく私を抱き抱えると、ソファに腰を下ろし頭や背中を愛しむように撫でてくれます。

まだ力の入らない身体でお兄様の首筋に顔を埋めると、その温もりに身を寄せました。


「はぁ……ごめんね。制服姿のルゥナが可愛すぎて……これ、一緒に学園に通ってたら毎日襲ってた」

「………そう言えば、アル兄様さっき……もしかして学園でこんな事、してたのですか?」


ふと言葉の続きが気になって、まだ火照りで赤く色付いたままの顔を上げてお兄様を見つめます。


「っしてない! してないから、絶対に!」


お兄様は空色の瞳を大きく見開くと、とても慌てた様子で私を見つめました。


……」

「……あぁ……ルゥナに変な事教えてしまった………」


目を伏せ大きく息を吐いたお兄様の姿を目に映すと、学園で親友になった2人の顔が浮かんできました。

学園にいる間、一度もそんな事を見た事も聞いた事もなかったのは、きっとあの優しい親友たちが守ってくれていたからなんだと、まだボンヤリとする頭で思いを巡らせます。


(……今度フェリシアに、それとなく聞いてみようかな……)


再び彼の首筋に顔を埋め、ゆっくりと目を閉じます。

卒業してから知ってしまった学園の裏話に、自分の幼さを改めて知った気分になりました。

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