第28話 おでかけ

部屋の窓を大きく開けると、視界いっぱいに広がるお日様の眩さに目を細めてしまいました。


「良かった〜! いいお天気!」


どうしてもはしゃぐ心を抑えきれずに、足取りも軽やかに支度をしていきます。


「ルーナリア様、おはようございます。あらまぁ、今日はもうお着替えも済ませておいでですね。ふふふ、昨晩も随分と楽しみにしていらっしゃいましたものね」

「マーラ! おはよう! 楽しみ過ぎて、なかなか夜も寝付けれなかったんだけどね……」


照れ隠しをするようにはにかむと、鏡台の前に腰を下ろします。


「今日は、ざっくりと大きく三つ編みをしましょうね。あまり邪魔になってはいけませんし、だいぶ暑い時期に入ってきましたからね」

「ありがとう、マーラ」


器用に編み込んでいくマーラの手先を感じながら、目を閉じました。


お兄様もお父様も最近忙しくなってきているようで、お休みを合わせるのがどうしても難しい状況でした。

私よりも随分と休みも少なく遅くまで勤務している2人の状態に、体調が心配で仕方がなくて、いつもいつも顔を合わせると様子を見てしまいます。


まだ毎週キチンと休みを頂けているものの、いつかお兄様たちのような勤務になるのだろうかと思い目を開くと、鏡に映る自分と視線が重なります。



ーーコンコン



「ルゥナ、おはよう。準備はいい?」

「アル兄様! おはようございます!」

「はい、ルーナリア様。ちょうど準備も終わりましたよ。気をつけていってきてくださいね」

「ありがとう、マーラ」


私の背中を優しく後押ししてくれたマーラの動きに合わせ、椅子から半分跳ねるように立ち上がると、お兄様の元へと駆け寄りました。


「ルゥナ、可愛い……」


私を包み込みながら、三つ編みの髪を弄るお兄様を見上げます。


「今日はよろしくお願いします!」

「うん。昼食の準備も終わってるみたいだから、それを持って行こうか」

「はい!」


抑えきれない笑みを浮かべながら、手を繋いで玄関へと向かいます。


「いってきます〜!」

「お気をつけて」


扉を開けてくれたメートルに挨拶をして外に出ると、荷物を抱え込む私をお兄様が横抱きにしてくれます。

風魔法によって、軽くなる身体を感じました。壊れ物を扱うように大事に抱えられ、ざわめく鼓動でいっぱいになります。


「さ、『天満月あまみつつきの森』へ出発だ」

「はい!」


すっかり暖かくなった風にゆらゆらと揺れる三つ編みを前に持っていくと、私をチラリと見たお兄様と微笑み合いました。

このお出かけに弾む胸を抱えたまま、始終溢れ出てしまう笑顔で移りゆく穏やかな景色を目に映していきます。



天満月草あまみつつきそうの咲き誇る場所を通り過ぎると、そのまま森にある少し小高い丘へと飛行していきます。

丘の中心にある、とても大きなイチョウの木は明るい緑色で色付いていて、春に芽吹いたと思われる小さな葉も大きさを増しているようでした。


「さ、到着だ」

「ありがとうございました、アル兄様」


そびえたつイチョウの木陰に向かって降り立つと、柔らかな土と草の感触が足から伝わってきました。

さっそく荷物の中から敷物を出すと一緒に広げていき、昼食の入ったバスケットはそっと端に置きました。


「今日のお昼ご飯は、アル兄様の大好きな卵がたっぷり入ったふわふわのサンドイッチです。昨日の夜に料理長にお願いしていたんです」

「そうだったんだ。ありがとう、ルゥナ。料理長が、メニューはお楽しみだって教えてくれなかったから、気になってたんだよね」

「ふふふ、良かったです。喜んでくれて。ピクニック日和のいいお天気で、良かったですね。アル兄様」

「うん、木陰がちょうど気持ちいいね」


お互いに笑みを浮かべると、敷物の上に腰を下ろしました。


木陰から漏れる陽射しに目を細め、木々の心地よいざわめきに耳をすまします。

森全体から、初夏の爽やかな香りが漂っていました。


「本当、気持ちいいですね〜」

「そうだね。森の匂いで溢れかえってる。ルゥナ、こっちにおいで」


呼ばれた私は、お兄様のお膝の間に座りました。

何だか幼い頃に戻ったみたいで、くすぐったい気持ちから、くすくすとした笑みをこぼしてしまいます。


「ふふふ。昔はよくこうしていましたね。今はもう大きくなったので、お膝の上にずっと座っているのは難しいですけど」

「うん。懐かしい……また、ルゥナをこんな風に出来て幸せ……」


後ろからぎゅっと抱きしめられ、心臓がドキンと一際大きく跳ね上がります。


(……この胸の鼓動の速さが、知られていませんように……)


頬が赤く染まっているのが見つからないように、僅かに顔を伏せながら目を閉じると、温もりの心地よさに身を委ねます。


「本当は、今王都で流行りの劇場にでも連れて行きたかったけど……ごめんね、ルゥナ」


包み込んでいるお兄様は、とても申し訳なさそうな口調で呟きました。

優しい彼が、どこにも行った事がない私の事を想ってくれているのだとすぐに分かりました。


(まだ、アル兄様が離縁されてから1年ちょっとしか経っていない……それなのに、2人で王都の劇場に足を運んだりしたら、変な噂が立ってしまうかもしれない……)


お兄様が周囲から私を守ろうとしてくれているのも、容易に想像できました。


「いえ! アル兄様と2人きりでのんびり出来て本当嬉しいです」

「結婚したら、色々な所に一緒にいこう」

「ふふふ。アル兄様ってば、まだ1年以上あるのに気が早いですよ」


耳元で囁くお兄様の吐息を感じて、なんだか少し落ち着かない気持ちになります。

私自身はこうして一緒にいられるだけで本当に幸せで、そうした想いを少しでも伝えたくて、身体に回されているお兄様の腕をぎゅっと握りしめました。

そこから愛しい人の体温をもっと感じて、心が温かいもので満たされていくのが分かりました。


「小さい頃もよくこうして、アル兄様やお母様達とお庭でピクニックをしていましたね」


昔を懐かしく思い出し、あの頃のように後ろにいるお兄様に少し寄りかかるようにもたれます。


「……昔から、いつもルゥナをずっと家に閉じ込めておいてばかりで……結局、今もそうだ……」


耳元から聞こえるお兄様の声色は、とても心苦しそうでした。

屋敷から出た事がなく、接する人間も限られていた私の環境がちょっと特殊なものだと学園で知りましたが、無事卒業出来て今や魔法局でキチンと働いています。全てはカーティス家の娘である私を守るためだったのだと、ちゃんと理解しています。


「私は、アル兄様やお父様、お母様の家族でいられて、これ以上ないぐらい幸せです」


本当に暖かな家族に守られて過ごしてきた──そんな今を改めて実感しながら、遠くで揺れる樹々を瞳を映します。


頬にあたる穏やかな風と温もりを感じ、まだお兄様への愛を無邪気に語っていたあの頃を思い出すように目を瞑りました。


(……いつもいつも……みんな、私に惜しみない愛情を注いでくれていたんだ……)


お兄様への愛で想い悩み苦しみに囚われていた時に、暖かな手を差し伸べてくれ笑顔を握らせてくれた。

何も無かったはずの私に、些細な日常こそが幸せな事だと教えてくれた。

こんな胸の膨れるような心地よさをくれた。

──それは、決して当たり前ではないということに、気付くことができた。


閉じた瞼の奥から、お兄様との結婚を喜んでくれて、こんな私を本当の家族として受け入れてくれたお父様とお母様の顔が浮かび上がりました。


(……ありきたりな言葉でしか表現できないのが、もどかしいけど……『ありがとう』としか、いえないけど……この想いでいっぱい……)


こうした幸せを与えてくれた人たちに、今度は私がこの気持ちのお返しをしたいと思いながら、彼の手をそっと撫でました。


「あ、そうだ! 今日は私がアル兄様を膝枕しますね」


パッと目を開けると、自分のこの案に大満足で弾むような声を上げてしまいました。

にっこり笑ってお兄様の方を振り向くと、すぐ近くに大好きな空色の瞳がありました。


「ルゥナが……?」

「はい、昔よくして下さってましたよね。今日は私がしますね」


お兄様の腕から抜け出して向き合うと、自分の膝に寝れるようにとスカートを整えます。


「どうぞ、アル兄様」

「じゃあ、お願いするね……」


お兄様が顔を少し赤くしながら、私の膝に頭を乗せます。

膝の上に愛しい人の重さを感じながら、その頭を優しく優しく撫でます。


(……昔よく、アル兄様にしていただいた……)


幼い頃を懐かしむように、そして、今くれている想いを返すように、少しでも私の想いが伝わるようにとお兄様の頭を撫でます。

彼は気持ちがいいのか、その感触を楽しむように目を閉じました。



優しい風が吹いて、イチョウの葉擦はずれの音が音楽のように鳴り渡ります。


幼い頃と変わらぬ想いのまま、でも幼い頃と決定的に違うお兄様との関係性。

心から愛する人を、愛していいのだという想い。

──そうした事実が、胸に響いてきます。


「アル兄様の髪の毛、サラサラでとても気持ちがいいですね……」


お兄様の頭を優しく撫でながら呟いた言葉は、風と共に溶けていきました。

金色の髪は、木漏れ日によってますます透ける様な色合いになっていて、その美しさに心奪われます。

閉じた瞼を縁取る長いまつ毛も、髪と同じように透けていて、目を閉じていてもその端正な顔立ちがハッキリと判る造形を彩っています。


「綺麗……」


造り物のように綺麗なお兄様を見つめていると、ついつい言葉が口をついて出ていました。

ぱちり、とお兄様の目が開いて、今日の青空のような瞳と目が合います。


「ルゥナも、綺麗だ」


ふわりと微笑んだお兄様に言われた言葉で、顔が赤くなっていくのが自分でも分かりました。


「見ちゃ、だめ……」


笑顔のままジッと見つめ続けるので、恥ずかしくて堪らない私はお兄様の目を手で塞ぎます。

手のひらから感じる温もりを愛おしく感じ、思わず頬が緩んでしまいました。


「これじゃあ、ルゥナの顔が見えないよ」

「いいんです」


口元をほころばせているお兄様を目隠ししたまま、空いている方の手で彼の頭を再び撫でます。


(愛しい愛しい、アル兄様……)


時折吹く風が、優しく私たちの髪を揺らします。

膝の上から感じる温もり、重さ、そして息遣い。一緒に過ごせるこの時間を想うと、心が満ち溢れていきました。


視線を落とすと、呼吸の度に僅かに上下する胸元から、彼の存在を強く感じる事が出来ました。

ふと、手元から覗くお兄様の紅い唇に目が奪われ、悪戯心が湧き上がりました。ゆっくりと手を外すと、まだ瞼は閉じられたままでした。

綺麗な寝顔にハッとしながらその顔に近づくと、そっと唇にキスをします。


唇を離すと、開いていた澄んだ瞳と視線が交差しました。


(……あ……)


気が付くと、お兄様は私の上に覆い被さっていました。

彼はとてもとても美しい笑みを浮かべています。

今度は私がお兄様を見上げる形になり、心臓が大きく高鳴ります。


「アル兄様……」

「可愛いルゥナ」


お兄様はとろけるような笑顔で私の頬を柔らかく撫でながら、愛おしそうに優しく名前を呼びました。

そのまま、そっと私の唇に触れると、啄むように何度も口付けをします。


「ん……アル兄様、こんな外で……」

「大丈夫、誰もいないから。あと、2人きりなんだから、名前で呼んで……」


熱を帯びた眼差しで見つめながら囁かれ、私の胸はドクドクと激しく鼓動します。

お兄様はまた、何度もキスを落とします。


「んん……アル……」

「あぁ、ルゥナ……愛してる……」


キスの合間で囁くようにお兄様の名前を呼ぶと、それだけで顔が真っ赤になってしまいます。

愛を囁きながらキスをされ、頭や頬を優しく掻き抱かれると、彼の事が愛おしくて堪らない気持ちが溢れてきました。

覆い被さるお兄様を、ぎゅっと抱きしめます。


「……っん……愛してる……アル」

「っルゥナ!」


私を掻き抱く力が強くなったと思ったら、唇を貪るような激しいキスをしてきます。

その動きに応えるように、私もお兄様の唇を求めていきます。


「……はぁ……んん……んっ…」

「……っ……! …… っこれ以上は、っまずい!」


唇を離したと思ったら、急に半身を起こしたお兄様は、そのままゴロンと私の横に寝そべりました。

そっと差し伸べてきた彼の手を握りしめ、2人共寝転んだまま手を繋ぎます。


「……はぁ……」

「アル兄様? 大丈夫ですか?」

「ん。大丈夫……やばかったけど……」


どこか気落ちしたような複雑そうな表情をしたお兄様の横顔を見つめると、そのまま空へと視線を向けました。

木の葉の隙間からキラキラと陽の光が漏れ出ていて、その情景に思わず目を細めてしまいます。


「……あ。アル兄様、見てください! あそこに、月が……」


木の間から昼の月が浮かんでいるのが見えて、繋いでいない方の手で指差します。

相変わらず、青空に浮かぶ昼の月は白く薄く透けていて、控えめに存在していました。

繋いだ先から温もりを感じ、今はこうして愛しい人といるという事を、強く実感することが出来ました。


(もう、この手を離さなくてもいい……ずっと、ずっと一緒にいたい……)


思わず、繋いだ手をぎゅっと握りしめます。


「あ! 本当だ。……透けている昼間の月も、とても綺麗だ……一緒にいても、離れていても、お月様を通してずっと一緒だね。ふふふ、今僕たちを見ているのは、お月様だけだ。──ルゥナ、おいで」


重ねた手の先にいる愛しい人を見ると、ふわりとした笑顔を向けてくれていました。

呼ばれた嬉しさで笑みを浮かべながらその腕の中に潜り込むと、そっと優しく抱きしめられます。

彼の存在を身体中で感じ、ずっとずっと一緒にいられるように願って、私もお兄様を抱きしめ返しました。


清らかさを感じさせる白き月だけが、じゃれあう私たちを見下ろしているのを感じながら……

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