第27話 偶発と再会

「月を通して、いつも一緒……アル兄様、どうかご無事で……」


単なる実地訓練でも、いくらお兄様が強いとはいっても、やはり危険を伴う職務には変わりありません。

結界領域の任のため東部へと赴いたお兄様のこと想いながら、毎晩のように月を見上げていました。

例え曇りや雨でその姿を見ることは叶わなくても、向こう側にはいつも変わらずそこに在ることに想いを馳せて。


気持ちを通わせあった今、お兄様もこの月を見上げて想ってくれているのが分かり、どれだけ離れていてもその存在を近くに感じることが出来ました。


それは、遠い昔に交わした、私とお兄様の約束だから──





「おかえりなさい! アル兄様!」

「ただいま、ルゥナ」


手を広げてくれたお兄様の腕の中に、飛び込んでしまいました。

朝の支度の時にメートルから連絡を受け、玄関でソワソワしながら彼の戻りを待っていたのを知っているマーラは、そんな私を微笑ましそうに見つめていました。


「全く、ルーナリアってば大袈裟ね。アルフレート、東部への出張お疲れ様」

「ありがとうございます、母上」


やれやれといった様子のお母様の姿を彼の腕の中で見て、恥ずかしさに頬を赤くしてしまいました。

少しだけ慌ててお兄様から身を離すと、火照りを冷ますように顔に手を当てながら見上げます。


「あ、あの、アル兄様、朝食はもう食べられましたか?」

「まだだから、一緒に食べようか。さ、行こうルゥナ」

「ふふふ、久しぶりに家族揃ってご飯が食べられるわね」



朝食を美味しそうに食べているお兄様の様子を見て、無事に帰ってきてくれたことに胸を撫で下ろします。

隣に座るお兄様が向けてくれた、晴れ渡るような笑顔を目にし、胸がきゅっと苦しくなりました。


それは、以前彼が『兄』だからと自分の気持ちに蓋をしていたのとは違うモノで、本当にこの人の事が愛しくて堪らない、溢れ出る愛しさからでした。



朝食を終えお茶を飲んでいると、メートルから馬車の準備が出来たことを知らされました。

席を立つ私の手を、お兄様がやんわりと握りしめます。


「じゃあルゥナ、一緒に王城へ行こうか」

「えっ!? 帰ってきたばかりなのに、また行かれるのですか? 体調は、大丈夫ですか……?」


驚きで目を見開くと、ジッとお兄様の顔色を窺うように見つめました。


「大丈夫、大丈夫。ふふふ、心配してくれてありがとう、ルゥナ。今日は帰りも一緒になれるから、いつもの所で待ち合わせしよう」

「……うん……」


ついつい子どものように頷くと、手を取り合って馬車に乗り込みます。


「東部は、大丈夫でしたか? 騎士隊に配属されたばかりの新卒の訓練に行かれたんですよね?」

「うん、全然大丈夫だったよ。ただ……はぁ、まぁ、しょうがないけどね……あれぐらいしないと、魔物と対峙出来ないし……」


少しばかり憂いを含んだその表情に、私まで顔にかげりが出てしまいました。


「あぁ! ルゥナ、そんな大したことじゃないから! 気にしなくていいからね。ルゥナも働き始めの頃は慣れていなくて大変だったでしょ。あれと一緒。もう半年は経ったけど、魔法局の仕事は今どう?」

「そうだったんですね。最初は、大変ですもんね……私は、お陰様でかなり慣れてきました! 書類仕事を率先してこなすように心がけてます。自分に出来ることをしっかりと行うことが大切ですもんね」

「ふふふ。ルゥナは、真面目だね……可愛い」


少しだけ熱を帯びた目で見つめられると、ドキドキと胸の鼓動が速くなってしまいます。


「あ……騎士隊に配属があったって事は、そろそろ魔法局にも来るのでしょうか……」

「そうだね。そういえば、今年の配属はルゥナの同級生かぁ……」

「誰が来るのかな……知り合い、かな……」


馬車の窓から外を見ると、終わりかけの桜から薄紅色の花弁がゆらりと舞っていました。





魔法局の建物を出ると、手持ちの書類にざっと目を通していきます。


(ここの部署にサインを貰えれば、終わりだ……)


顔を上げると、大きな大きな王城の姿が目に飛び込んできました。

王族の警備の関係もあるのか、やや複雑な造りをしているその建物の中で、何度も迷子になりそうになった事が思い出されました。


「……今は、誰も、いない……よね?」


周囲をよくよく確認すると、花壇の沿っている小道を外れ人気のない方へと進んでいきます。


王城とは少し距離がある魔法局は、小道に沿って進んでしまうとちょっと大回りになってしまうのです。

何度も行き来していると体力がない私はどうしてもバテてしまうので、人通りの少ない近道を度々利用しています。

人気のない所には絶対に行かないようにと言っているお兄様には内緒なので、いつもこっそりと誰にも見られないようにしていました。


(……よし、大丈夫だ……アル兄様に、バレませんように……)


持っていた書類の束をしっかり持つと、貴族令嬢として走ったりはせずになるべく優雅に歩きます。




ーーーま……ぁ……



「っ……!!」


いきなりどこからか声のようなものが聞こえてきて、その場で飛び上がりました。

キョロキョロと辺りを見回しますが、誰もいません。

以前ミハイ先輩から聞いた、王城で死んでしまった悲劇の侍女の話がフッと頭をよぎりました。


(え……? 何で……? え、これってもしかして、?)


生々しく語ったミハイ先輩のあの怖い顔が蘇り、背筋に冷や汗が流れました。


(と、とにかく、ここは、知らないふりだ……!)


必死に何でもない風を装った顔をしながら、さっきよりもやや足速に歩き始めます。


「……ま……ま……」

「っきゃっ!! ………………ん?」


驚きのあまりその場で大きく飛び上がってしまったのですが、次の瞬間ハッキリとした声が聞こえたのでその方向を見てみます。

すると、壁の隙間に何か小さい人のようなものがいるのを発見しました。


「え? え?」


よくよく覗き込んでみると、まだ小さい子どもが上手に壁の隙間に挟まっていました。


「大丈夫!? 聞こえる!?? ………っ!?」


子どもに触れてみようと手を伸ばした瞬間、何かに弾かれてしまいます。


(あ、これ、防壁魔法だ!)


よく見ると、子どもの近くにこじんまりとした魔法具が転がっていました。

子どものお守りとして持たせる防壁魔法具シルターは、防御に特化した防壁魔法を転用していて、それに覆われてる今こちらからは手も出せません。


(解除スイッチも、押せないし……後は魔力切れを、待つ……? でも……)


誤って起動スイッチを押したと思われるこの子は、身動きが取れなくなって相当時間が経っているのか、かなりぐったりとした様子でした。


(どうしよう、どうしよう……)


辺りをキョロキョロしても、人気のないここは閑散と静まり返っています。

ぴくりとも動かない子どもをジッと見つめると、一度固く目を瞑り大きく息を吐きました。


「……誰かを呼んだら時間がかかるし……そもそも、防壁魔法で覆われているのに、誰も解除できない、よね………しょうがない、よね…………命がかかってるもん……」


目を開き周囲を何度も見渡すと、自分の中にある魔力を練り防壁魔法へと右手を差し出しました。



……とぷんっ……



闇魔法を使用し、防壁魔法を展開している属性にして、その防壁に穴を開けます。

防壁内に差し入れた右手で、転がっている防壁魔法具シルターの解除スイッチを押しました。



ブゥン……



防壁魔法に覆われていないことを確認すると、急いで子どもを隙間から引っ張り出します。


「大丈夫? ねぇ、大丈夫?」

「ま…ぁ……」


ぐったりしている子どもを膝に乗せ、頬を撫でたり背中を撫でたりするのですが、目は閉じられたままです。

火魔法だけしか取り柄がないので、治癒魔法を行使してこの場で回復することが出来ません。せめて水魔法だけでも使えたらお水でも飲ませてあげられるのにと思うと、そんな自分が悔しくて情けなくなってきました。


「んっ……しょっ……!」


恐らく3歳くらいだと思われるこの子を抱き上げました。

腕にズンとくる重さを感じながら、置いていた書類の束も持つと人が多そうな場所へと移動していきます。


(大丈夫かな……どうしよう……死なないよね……?)


時々覗き込み意識がない姿を確認する度に、心臓がドキドキと早鐘のように鳴り響きます。

体力の無い私の腕がふるふると震える中、必死にこの子を抱っこし続けました。


「はぁ……はぁ……だ、誰か……」

「っ!!! オーレル!!!!!」


向こうから貴婦人がドレスを捲し上げて走ってきます。腕の中の子どもを見て血相を変えていたので、この子の母親に違いないと思いホッと息を吐きました。


「オーレルッ!! あなた一体どこにっ!」

「はぁ……はぁ……あ、あの……何か飲ませた方が、いいかも、です…」


涙を流しながら必死に駆け寄ってきた貴婦人に、オーレルと呼ばれた子をそっと渡しました。


「ありがとう……ありがとうございます」


貴婦人は、サッと水魔法でお水を子どもに飲ませると、そのまま治癒魔法を使いました。弱々しく目を開いたオーレルは、母親にしがみつくと泣き始めました。


「よ、よかったぁ……」


一安心して書類の束を持ち直すと、抱きしめ合う親子にお辞儀をしてその場を離れました。

歩き始めた足元が若干ふらふらとおぼつかない状態のまま、最後の部署を目指します。


(もっと、体力つけないと……)





「はぁ……やっと仕事終わった〜。今日はいつもより、疲れた……さて! 帰ろうっと」


仕事の後片付けをして魔法局を出ると、外の眩しさに少しだけ目を細めました。

まだ働いている人も多い時間帯で王城内を大勢の人が行き交う中、自然と軽やかになる足取りで待ち合わせの場所へと向かいます。


「…ルーナリア!」


通りを歩いていると急に声をかけられ、ビックリしながら呼ばれた方を見るとそこにはフェリシアがいました。


「……フェリシア〜!!!!」


予想もしなかったこの再会に飛び上がって喜び、スタイルとセンスの良さを生かした可愛いドレスを着たフェリシアに、疲れも忘れて駆け寄ります。

フェリシアも私に向かって走ってくると、お互いに手と手を取り合って大はしゃぎしました。


「久しぶり〜、ちょっとルーナリア、学園の時より益々綺麗になっててビックリしたわよ〜!」

「フェリシアも大人っぽくなったね!」

「魔法局はどう〜? ルーナリアは早めに配属になったんでしょ〜? もう慣れたよねきっと〜。こっちはなかなか実地が大変でね〜」

「もう配属されたの? 危なくない? 大丈夫?」


危険が付き物の騎士隊にいるフェリシアが心配で、少しだけ声のトーンを落としてその手をぎゅっと握りしめます。

学園時代と変わらない友人は大きな目を細めると、ニマニマと懐かしい笑みを浮かべました。


「大丈夫よ〜! オリエルのお守り出来んのは、私ぐらいだし〜」

「ふふふ。オリエルも元気そう?」

「元気元気! 相変わらずよ〜! てか、ルーナリア良かった……すごく元気そうで……学園の時、何だか辛そうにしてる時も多かったしさ」


ファリシアの慈愛に満ちた眼差しに、涙が出そうになりました。

その優しさに触れて、私の心は温かい気持ちでいっぱいになります。

想いを返すように、繋いだその手に力を入れました。


「……フェリシア……ありがとう。心配かけてたんだね……私、フェリシアとオリエルがいたから、生きていられたと思う……本当に2人には救われたの……ありがとう……」


感謝の気持ちをたくさん乗せて、滲む瞳のままにっこりと笑みを浮かべました。

ひとりじゃないと思えたあの時のおかげで、今があるのだから……


「本当、ルーナリアってば可愛いんだから〜!」


とびきりの笑顔を浮かべたフェリシアにぎゅうぎゅうと抱きしめられ、学園の頃の懐かしい温もりに胸を熱くさせてしまいました。


「ルゥナ?」

「アル兄様!」

「兄様?」


抱き合ったまま声をかけられた方を振り向くと、少し不思議そうな目で私たちを見つめているお兄様がいました。フェリシアは、チラリと窺うような視線を送ります。

ひとまず大切な友人に大事なお兄様を紹介しようと、フェリシアから離れました。


「フェリシア、私のお兄様のアルフレート様です。アル兄様、以前から何度か話をしています、学園の時に仲良くなった親友の、フェリシア・ブラショフ伯爵令嬢です」

「フェリシアです、初めまして。ルーナリアの『お兄様』?」

「あぁ、学園ではルゥナがお世話になったようでありがとう。これからも仲良くしてね。あ、あとルゥナは遠縁の子だから、僕は『お兄様』だけど、本当の意味では『兄』ではないんだよ」


お兄様はフェリシアににっこりと笑いかけました。いつもとてつもない威力を発揮する彼の笑顔を見ても、フェリシアは何かを思案するような顔をして僅かに目を伏せました。


「フェリシアは騎士隊に所属しているんです、アル兄様。もしかしたらこれからお会いすることもあるかもですね」

「……その隊服、その顔……げ。もしかして『氷壁の冷徹』?」 


ハッと顔を上げてお兄様をジッと見つめたフェリシアが、何故か顔色を悪くして呟きました。


「『氷壁の冷徹』って?」


どこか戸惑うような視線をお兄様に向けたままのフェリシアを、キョトンとした目で見つめてしまいます。


(それって、前も確かアル兄様の部下の人たちが言っていたような?) 


何度か首を傾げながら、少しだけ固まったままの2人を交互に見ました。


「フェリシア嬢、それは……ルゥナ、そろそろ帰らないと、今日は母上が久しぶりに4人で揃う夕食を楽しみにしていたはずだ。フェリシア嬢、申し訳ない。また今後ともよろしくね」


一瞬咎めるような顔をフェリシアに向けたお兄様はにこりとすると、素早くかつ優しく私の腰を持って待たせてある馬車まで促します。


「……はぁ。こんなんオリエル勝てるわけないでしょ……」

「……? フェリシア?」


おでこに手を当てて、うんうん唸るように何かをぶつぶつと言っているフェリシアが心配になり、その場から立ち去ることが出来ずにいました。


「ううん〜! またねルーナリア〜! 今度ゆっくりしようね〜!」


にこやかな笑みを浮かべながら手を振ってくれるフェリシアにホッとして、笑顔で手を振り返します。


「うん! また今度、オリエルと一緒に我が家に遊びに来てね!」

「……いやいや、オリエルは……隣のお兄様……」


別れ際にフェリシアが何か呟いたような言葉は、小さ過ぎて聞き取れませんでした。




帰りの馬車の中で、近道の事は内緒にしつつ今日の迷子の話を、早速お兄様に報告しました。


「──という事があったんです。やっぱり私、本当に体力ないなぁって思いました……もっと、体力つけないといけないですね。これじゃあ、お母様みたいにちゃんと子ども育てられないですから!」


私の話をいつものように笑顔で聞いてくれるお兄様に向けて、夢を語るように両手をぐっと握りしめました。


(お母様みたいなお母さんに、なりたい! ……でも、まぁ、元近衛隊のお母様みたいには、どうやってもなれないと思うけど……)


「大丈夫。僕と結婚したら、体力つくようになるから」

「え? どうしてですか、アル兄様?」


脚を組んでにこにこと笑顔を浮かべているお兄様に、首を傾げながら尋ねました。


「夫婦関係って体力が必須だからね。僕と結婚したら、そのうち体力ついてくるから安心していいよ」

「そうだったんですね!」


お兄様の隣に行くと、その手を取って意気込むように握りしめます。


「……ルゥナは本当に素直で純粋で、可愛いよね」


お兄様はふわりとした笑みを浮かべると、私の身体を包む込むように抱きしめて頭を撫でてくれました。


(夫婦関係と体力って、何が関係するんだろう……ま、でも、とにかく頑張らないと!)


愛しい人の温もりを感じながら目を瞑ると、自然と笑顔が溢れ出ていました。


愛する人と結婚出来るだけでなく、彼との子どもをいつか産んで育ててもいい──そんな胸を揺さぶるような事実に、じんわりとした想いが込み上げてきました。


(夫婦になるってどういうモノかハッキリと想像出来ないけど……でも、アル兄様と一緒だったら、絶対楽しい毎日のはず……)


彼の胸元に頬を擦り寄せ、全てが満たされていく心地の中、ぐっと涙を堪えました。

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