第26話 思惑 side アルフレート

机上で走らせていたペンを止めると、警護案についてもう一度練り直しながら窓の外に視線を向けた。

木々の間からルゥナが勤めている魔法局の建物が小さく見え、同じ敷地内で働いているにも関わらずなかなか逢えない愛しい人に想いを馳せる。


『月蝕事件』以来、ルゥナは『燎火(りょうか)の天使』と綽名あだなされるようになった。

容姿も含めて注目されるようになってしまったのだが、本人はそんなことに気付きもせず、おまけにあまり自分の美しさを自覚していない風があるので、心配で堪らない日々を過ごしている。


少しだけ憂鬱な面持ちを浮かべると、ペン先を揺らしながら再び紙面へと視線を落とし、警護のパターンが露見しないように注意を払いながら名を綴っていく。


山積みになっている書面を目の端で捉えると、誰にも気付かれないように小さく息を吐いた。

その多くは、ウィルダとの結婚生活から逃げるために職務を遂行しすぎた結果、増えてしまった余計な仕事だった。


「……はぁ……」


ついつい声に出てしまった己を諌めるように一度軽く首を振ると、ルゥナと帰るためにも最速で終わらせるべく書類の山に手を伸ばす。



ーーコンコン



「……失礼します……」

「ルゥナ!」


声ですぐにルゥナだと分かったため、急ぎ扉の方へ向かった。


「え? 早くね副隊長?」

「てか、副隊長じゃない……誰なんだあれ? 」


後ろで囁き交わす部下たちは全て無視して、入ってきた愛しいルゥナに満面の笑みを向けた。


「ルゥナ、どうした?」

「あ、アル兄様! …じゃない、アルフレート近衛副隊長、発注の回復薬の納品について書類にサインをお願いします」


可愛くて真面目なルゥナは、僕の顔を見た瞬間はいつもの無邪気な笑顔を浮かべたけど、すぐに仕事モードへと切り替えた。

だけど、そんな一所懸命な姿もすごく可愛くて、ますます笑みが溢れてしまった。


「……笑ってる……」

「『氷壁の冷徹』、だよね……?」

「マジで、だれ、あれ……?」


ルゥナは騒めく部下たちを見て、少し不思議そうな顔をしながら、その美しい瞳を瞬かせた。


「ルゥナ、今日はいつも通り?」

「あ、はい! アル兄様はどうですか?」

「今日は一緒に帰れそうだから、いつもの場所で」

「分かりました! では、これで失礼します」


ルゥナは丁寧にお辞儀をすると、部屋から出て行った。

その背中を見送ると、待ち合わせの時間に間に合わせるべく、書類の束に次々目を通していく。


「も、戻った……」

「てか、あれもしかして『燎火(りょうか)の天使』じゃね?」


部下たちが興味津々といった様子で、ルゥナの出ていった後の扉を見つめている。何人かが見惚れていたのを、見逃していない。

まだ僕たちの結婚を公表するわけにはいかないため、絶対にルゥナにちょっかいを出すような輩が出ないようにしっかりと初手で釘を刺しておかなければならないと、手に持つペンを僅かに握りしめた。


「ルゥナは僕の妹だ。ただし、遠縁の子を引き取って育てたから本当の『妹』ではない。ルゥナに手を出したら、凍らす」


凍てつく雰囲気をまといながら射抜くような目線で、まだ騒いでいる部下たちを睥睨へいげいした。


「……ひぃっ!」

「す、すんませんっ!」


部屋の温度が少し下がったことは気にせずに震え上がる部下たちを一瞥いちべつすると、また職務へと戻る。


「あ、アルフレート副隊長、ちょっといいですか? ……って、お前ら何震えてんだ?」


部屋に入ってきたイオネルは、震え上がったままの部下たちを不思議そうな顔をしながら見渡した。このぐらいではここまで打ち震えたりはしないであろうイオネルの姿を目にし、もう少し鍛え直した方がいいのかと、滑らせていたペンをぴたりと止め、今後の訓練について軽く思案していった。


「……あ、そうだそうだ。副隊長、ステファン殿下がお呼びです」

「……分かった。こっちは頼んだぞ、イオネル」

「了解です! ……てか、マジで何があった?」


僕から目を逸らしている部下を見て首を捻っているイオネルを横目に、急ぎ部屋を出た。


近衛隊の者があれだけ怯えたのだから、噂が広まりルゥナに手を出そうとするバカはいないはず──牽制が上手くいったことに満足するかのように口の端を上げると、足速にステファン様の元へ向かう。

だが歩みを進める内に、ルゥナとの約束の時間に間に合うかどうかが気にかかり、軽く眉を寄せてしまった。


「優秀すぎるせいか、昔からは、笑顔で結構とんでもない事を言ってくるから、な……」


思わず溢れ出たため息を飲み込むと、歩く速度をさらに速めた。





「失礼します、ステファン殿下。お呼びとの事ですが、どのようなご用件でしょうか?」


入ってきた僕を目にするなり、ステファン様が人払をした。

2人きりになったのを確認すると、にっこり笑いながら座るよう促す。


「ごめんね、急に呼び出しして」

「いいえ。お気になされず」


本来なら護衛役の僕は立っているべきなのだろうが、こうして2人きりになったということは昔馴染みとして接するという事だろうと判断し、ソファに腰を下ろした。


紺碧の瞳と金色の瞳のオッドアイのステファン様は、一見優しげなその風貌からは見えない何かを持っている。柔らかな物言いではあるが、さすが王族と言うべき威厳を昔から備えた人だ。


その不思議な魅力を持つ瞳によるものだけではないカリスマ性、判断力、決断力そして統率力を持ち合わせる第一王子は、この王国の王太子として何の不足もない優秀な方だ。

僕もこの人を尊敬しているものの、何か全てを見透かされている気がしてどうにも落ち着かない気分になる部分もある。

優秀なこの人の事だから、人払いしたのも何か意図があるはずだった。


「そうそう、君の噂の妹ルーナリア。『燎火(りょうか)の天使』だったよね。ふふふ。昔から全然君が会わせてくれなかったけど、本当すごく綺麗な子だった。元気にしてる?」


オッドアイの瞳を僅かに細めると、爽やかな笑顔を浮かべた。

昔から、なんとなく自分に似ているこのステファン様が油断ならなくて、いつもルゥナに会わせろとうるさいこの人には絶対に会わせなかった。

今もどういう意味でルゥナの事を聞いてきたのか、内心警戒する。

この国を守るためには、王族の力は絶対に必要だ。だからこそ僕は王族に仕え近衛隊の任務にもついている。


あの事件でルゥナはステファン様と接触してしまったが、彼女のあの魔力量を見て王族側が取り込もうとしているのか、それとも排除しようとしているのか。

その不思議な瞳からは表情が全く読めなかった。


「おかげさまで、元気にしています」


溢れる警戒心を抑える事が出来ず、いつもよりも淡々と返事をしてしまった。


「まぁ、あの時は助かったよ。あの子の魔力量はだと言わざるを得ないね。魔力量だけで言えば、僕にも並ぶかもしれない。本当、あの時会えて良かったよ」


にこにこと微笑みながら、どこか揶揄からかうような、面白がっているような口調で僕を見つめてくる。

やはりステファン様もルゥナの出自の事は承知しているのだと認識しながら、言葉の内容に僕の沸点は自然低くなる。

もし彼女をどうにかしようとしているなら、例え王族でも容赦しない。

僕がこの世界を守るのは、ルゥナがこの世界にいるからだ。


「…っちょ、ちょっとアルフレート。君一応僕の近衛でしょ。護衛対象に殺気を放たないでよ。僕は君の妹に興味はないから。僕には愛しい奥方がいるのは知ってるでしょ? ──それに、僕は父上とは少しが違うからね」


その最後の発言を聞いた僕は、殺気を緩めて目の前にいる柔らかい物腰のステファン様をジッと見つめた。

相変わらずその不思議なオッドアイの瞳からは、真意を図る事が出来ない。

ただ正直な所、現在の国王陛下よりこのステファン様の方が優秀だと認識している。

それに昔からの幼馴染なので、その言葉は信用するには値するものだとは思って、暫くは様子を見ようと決心した。


「すみません、ステファン殿下。つい……」


気を緩めながら目を伏せると、頭を軽く下げた。


「あ〜いいよ、いいよ。僕もちょっと無神経だったしね。それにしても、相変わらず真面目だね〜。僕と君との仲なんだから、そんなに畏まらなくてもいいのに。まぁ、いずれ僕の側近としてよろしくね」

「ありがとうございます」


にこにこしているステファン様に笑いかけながら、内心これでも結構フランクに接しているつもりではあるのだが、と思ってしまった。

結果、僕とルゥナはこの人に抱え込まれる形になる。

その手腕は、相変わらず見事の一言だ。


「そうそう、急な呼び出しは優秀な君を見込んでのお願い。そろそろ新卒が騎士隊に配属されるけど、その実地訓練をして欲しいんだ。アルフレートはちょっと前までよく結界周辺の魔物退治していたんでしょ? そんな君なら全然軽くこなせる任務だよ。早速明日にでも出発して、ちょっと東部の結界領域の砦まで行ってきてね」

「……御意」

「あ、戻ってきたらちゃんと休暇は用意するからね」


予想通り笑顔でとんでもない事をさらっと依頼してくるこの人に、臣下として接しながらもその無茶振りに軽く顔を伏せながら息を吐いた。

相手がルシアンだったら、恐らくこの無茶振りに突っ込んでいただろう。


東部に行くという事は、今日はルゥナと一緒に帰れるものの、明日から暫く逢えなくなるという事だ。

その事実にどうしても憂いを含んだ眼差しで、にこにこしているステファン様を見つめてしまう。

たがしかし、近衛隊の僕を派遣するという事は、絶対に何かしらの意図があるのは間違いなかった。


「本当に、読めない人だ……」


部屋を辞し人気のない廊下で、そっと呟いてしまった。



♢♢♢



穏やかな日差しの元、整列している騎士隊の面々を確認しながら前に立った。


東部の結界領域に来て3日が経つ今日もまた、新たな中隊に訓練をつけていくことになっている。

そんなに長く屋敷を開けていたくないため、1週間近くはかかる砦まで風魔法を合間で行使ししながら馬を飛ばし3日で来たし、この実地訓練も手短に終わらせられるように予定を組んでいた。


「今日は実際に魔物を殲滅せんめつするから、よく見ておくように」


前に居並ぶ新兵の中隊を見据えると、まだ実地の怖さを経験していないせいかかなり浮き足立っている様子だった。


「漆黒の隊服って、『晦冥(かいめい)の騎士』だよな!?」

「すげー! 本物の『晦冥(かいめい)の騎士』だ! ……てか、あの人って、噂の『氷壁の冷徹』様じゃね?」

「オレ、近衛隊に入りたいんだよ!」


どうしてもまだお遊び感覚が抜けないのか、呑気な様子で囁き交わしている声がこっちまで漏れ聞こえていた。

昨日の新卒と重なって見える姿を目にし、思わずため息を溢しそうになった。

同じことを繰り返す回数を計算して多少憂鬱な気持ちになったが、魔法の行使方法を絡ませた訓練は大人数だと収拾がつかなくなると思考を切り替え、結界へと視線を向ける。


「皆もう目にしていると思うが、あれが結界だ。今はその内側にいるからいいのだが、一歩外を出るとそこはだ。──では、今から始める」



……とぷん…



ゆらゆらと輝きながら揺らめく結界を1人で抜け出ると、剣を片手に静かに佇む。

結界の内側領域では、新卒たちが騒めきながらもジッと僕を見つめていた。


目を僅かに伏せ、神経を研ぎ澄ませる。



「……来たか」



ッドォォン  ッドォォン



足音から4メートル級程度の魔物だと推測し、魔力展開を開始していく。


「なんか来た……」

「うわっ! でかっ!」

「キャッ! いや、私、無理!」


魔物の姿を確認したあちら側からの声が、一際大きくなった。

ただ喋るだけで全然使い物になりそうにない事を知り、思わず眉をひそめる。

最近の学園の教育について口を出したくなってしまった己を抑えるように、剣を握りしめた。



ーーッッガァァァグァァァァア゛ア゛ッッ!!!



僕を見つけた魔物が、またたく間に距離を詰めてくる。

展開していた魔力を解き放ち、一気に魔法行使をしていく。


土魔法によって足場を固められて僅かに動きを止めた魔物の上に、風魔法で身体を浮かせ大きく跳躍すると頭上へと躍り出た。



ーーッバシュュッッッッ!!



魔力を込めて僅かに凍らせた剣で、頭からバッサリと斬り落としていく。



ドォォォッンッ……



「おぉぉぉ〜〜」


斬り口が凍りついたまま、真っ二つに切られた魔物が地面に転がったのを一瞥いちべつすると、結界の内側へと戻っていく。

魔力の調整が上手くいったことに、口の端を少しだけ上げてしまった。


本来のやり方だと、剣で貫いた瞬間に魔力を流し込まれた魔物は、一気に凍りついて粉々に砕け散ってしまう。

訓練のため色々と手を抜かないといけないのも案外考えものだと思いながら、まだ緊張している様子の新卒たちを見据えた。


「今のは見やすいように魔力展開を行った。皆確認したと思うが、今回は土と風と水…僕は氷になるのだが…を使用している。以上のような流れで効率よく魔力展開と魔法行使を行えば、このように大柄の魔物でも手こずることはない。ちなみに、氷魔法は得意なのもあるが、魔物の殲滅せんめつにおいて素晴らしい利点があるため、僕は全て凍らせるようにしている。血飛沫は上がらないし、粉々に砕け散ったら溶けてなくなるし、魔物特有の匂いも出ないからだ」


転がっている魔物に剣を向けながら、更に詳しく魔法行使の内容を講義し、魔物の急所等も説明していく。


「すげぇ……」

「いや、てか、そんな3重に魔法行使とか、ありえねぇし……」

「こえぇ……こえぇぇ」

「……俺、全然強くねぇわ……」


このように大きい魔物と対峙したことはあまり無いのか、顔色の悪い者が多々いた。


「……大丈夫か?」


青白い顔をした女性の騎士隊に声をかけてみると、俯いたまま嘔吐し出した。

その背中を撫でながら、居並ぶ大半の者の顔色がまだ青い状態なのを、静かに見渡し確認していく。

こんな様子ではすぐに命を落としかねないと、心配のあまり眉をひそめると、軽く息を吐いた。


18年前の『カーティスの惨劇』で多くの貴族が命を落とした。結果、貴族全体の人数が減ってしまい、結界領域を守備する事になる騎士隊もその数を減らしている。

次世代の人数もかなり減っているため、各々の質の向上は非常に重要な事だ。

年々質が落ちている事に危機感を覚え、死なせないためにも幾分厳しい訓練をしなければと、変更を余儀なくされた今後の予定を頭の中で思案していく。


それに、結界領域のすぐ側でここまで大きい魔物が出ることにも少し嫌なものを感じ、苦い顔をしてしまった。

新卒の質の低下と結界領域でのこの魔物の様子。


───これがステファン様が、僕を派遣した理由か。


全く、本当に読めない人だと思いながら、目を瞑ると大きく息を吐いた。




引き続き行った夜間訓練の途中見上げた夜空には、上弦の月が浮かんでいた。

その月を見ながら、遠く離れているルゥナの事を想う。


だけど、今はもう知っている。

きっとルゥナも同じ月を見ているだろうと。

そして、僕のことを想ってくれているのだと。


離れた場所にいても、月を通していつも一緒にいることが出来る……


それは、遠い昔に交わした、僕たちだけの約束だから──

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