第25話 月蝕事件 ②

僅かに残る灯りを頼りに、小道の端に格納ルーツしてあるコアを取り出すと、そこに魔力を注いでいきます。


(……ダメだ……注いでも、ちゃんと作動しない……)


注いだ瞬間、魔力が安定しなくなるようで、輝くはずのコアはゆらゆらとその光を揺らしていました。

とうとう全ての火魔法具ルーチェが機能を停止したようで、月明かりもない真っ暗な闇夜に、どよめく声だけが耳へと入ってきました。


「……どうしよう……」


微かに光るコアの明かりを元に再び格納ルーツすると、途方に暮れるように立ち上がって何も見えない周囲に目を向けます。

人の気配だけが、感じることが出来ました。



「ぎゃっっーーーー!!!!」


突然どこからか聞こえてきた悲鳴に、身体がビクリと大きく反応しました。


「え!? な、なに……??」


なんとか確認しようと必死で目をこらしながら、キョロキョロと辺りを見渡します。


「魔物だっ! 魔物が出たぞ!!」

「何だって!? どこに出た!?」

「こっちだっ! ぎゃっ……!」


辺りが一気に大騒ぎになりました。

どこからか巻き起こる喧騒に血の気が引き、身体が小刻みに震えるのを感じます。


(落ち着け……落ち着くんだ……魔物は、学園の実習でも対峙した……)


必死に、学園で学んだ魔物との向き合い方を思い出し、何とか平常心を保とうと心がけます。

この暗闇の中魔物の姿が見えず皆パニックになっているようで、あちこちから上がる怒号や悲鳴を耳にすると、どうしても動揺せざるを得ませんでした。


「どうしよう……どうしたら…………姿が見えたら……っあっ!」


閃きと共に、真っ黒に塗り潰された夜空を見上げます。


(……今ある、最大限の魔力を込めて……唯一使える、火魔法なら……)


空に向かって両手をかざすと、そこにめいっぱいの魔力を込めていきます。


「……これならっ!」



ーーーゴォォォォォォオオッッッッ!!!



明るさが視界に飛び込んできて、その眩さに目を細めてしまいました。


「火だ! 空に火が燃え盛ってる! 王城中が明るくなったぞ!」

「これなら、見えるっ! すごいな、ここまで全てを照らすことができるなんて、誰なんだ一体!?」

「とにかく、この明るさなら……! 魔物だぞ! そっちに行ったぞ!」

「こっちだっ……!」


ゆるりと揺れ動く火の帯を、王城中隈無く包み込むようにイメージして夜空に浮かべていきます。

魔力量はあるので、魔物を退治する間なら保たせることも出来るはずです。

一気に優勢へと傾むく気配を感じながら、両手をかざして集中し続けました。


周囲から悲鳴の声が聞こえなくなってホッとしていたのも束の間、ふと何かの視線を感じ、チラリとその方向を見ました。

そこには私の方をじっと見つめる魔物が立っており、目があった瞬間、ニタァっと笑うような顔をしました。


「……っ!!!」


今魔法の行使を止めて辺りが真っ暗になってしまうと、再び大変な事になるのは目に見えています。ですが、その魔物の顔を見て、思わず手を下ろして逃げ出しそうになってしまいました。

ガクガクと脚が震え始めたのを、どこか少し他人事のように感じます。


(魔法を解くわけにはいかない……でも、でも……)


私に向かって走ってくる魔物を、恐怖で顔を引きつらせたまま呆然と見つめます。何故か魔物もその周りの喧騒も、何もかもがゆっくりに見えました。


(……アル兄様……)




「ルゥナっ!!!」



ーーーザシュッッッッッ!!!



魔物が、風と共にやってきた漆黒の剣に貫かれたと思った瞬間、凍りついてそのまま粉々に砕け散っていきます。

目を見開いていると、その冷たい氷のカケラは溶けて消えていきました。


「ルゥナ!!!」

「……アル兄様!?」


酷く表情をこわばらせたお兄様が、まだ両手を掲げたままの私の元へ駆け寄ると、優しく片手で抱き寄せてきました。


「ルゥナ、何でこんなところにいる!?」

「ご、ごめんなさい……火魔法具ルーチェが作動しなくて……それで……」


お兄様は抱きしめていた腕を離すと、端正な顔を歪めたまま顔を覗き込みました。

その顔を見ながらも、集中力を途切れさせる訳にはいかないため、上手く答える事が出来ません。

酷く心配させてしまった事も分かっているのですが、空とお兄様を交互に見ながら火魔法の行使を続けました。


「無茶をっ!」


悲痛そうな顔をしたお兄様の姿がチラリと見え、胸がきゅっと苦しくなりました。


「──まぁまぁ、落ち着いてアルフレート。ルーナリア嬢のお陰で、すごく助かったよ」

「ステファン殿下……」


スッと佇まいを整えたお兄様が、真剣な眼差しで向こうから歩いてくる人物を見つめました。

宥めるように穏やかな口調で私たちの会話に割って入ったのは、お兄様が今仕えているステファン第一王子でした。

こがね色の髪に金色の瞳と紺碧の瞳のオッドアイは、噂通り不思議な雰囲気を醸し出していて、一目でこのお方がステファン様だと分かりました。


「にしても、アルフレート。『氷壁の冷徹』の君がそんな顔するなんてビックリだ。いいもの見れたね。それに、ルーナリア嬢の火魔法は凄いよ……ふふふ。本当、見れたし、今日は最悪だけど最高だね」


にこやかに微笑むステファン様を、お兄様は苦々しい顔をしながら僅かに睨みつけました。


(……アル兄様、護衛対象の方をそんな目で見ていいのですか?)


ステファン様との関係性が分からない私は、お兄様のピリピリした様子にハラハラしながら、2人を交互に見ます。


「ルーナリア嬢、悪いけどもう暫くそのまま明かりを頼む。アルフレート、君はルーナリア嬢の護衛だ。僕はこのまま結界の維持に走る」

「御意。イオネルを護衛にお付けください」

「分かった。ではルーナリア嬢、よろしく頼むよ」

「あ……は、はい!」


一瞬で仕事の顔に戻ったお兄様は、後から走ってきたイオネル様と思われる人に何やら指示を出し、ステファン様とイオネル様は走り去りました。


「……ルゥナ、本当に大丈夫?」

「はい……まだいけそうですから……」


小声でこわごわと尋ねるお兄様を安心させるようにと、にこりと笑って答えます。

そのままもっと集中し火の魔法を継続させるのですが、そんな私から離れようとせず傍にいてくれました。




「──ルゥナ、もういいよ。大丈夫だ。月も戻った」

「……そ、そうですか……わ、分かりました」


耳元で優しく囁かれたお兄様からの言葉でハッとすると、自分の中の魔力を弱めていき火魔法の行使を終了します。

手を下ろし見上げた空には、すっかり元通りの姿になった満月が煌々と輝いていました。


「ルゥナ……本当に、良くやった。屋敷まで送るから、行こう」

「アル兄様、大丈夫です。ちゃんと1人で帰れますから。アル兄様は、今からもまだ忙しくされますよね? 屋敷まで往復することになりますし」


生まれて初めて最大出力で魔法を行使して、少しだけ頭がクラクラしてきたのですが、お兄様にこれ以上心配をかけてはいけないと思って全力で平気なふりをすると明るく笑いました。


「ダメだ。絶対に送り届ける。1人でなんて帰さない。ステファン王子からもルゥナのの任を受けているから、屋敷に無事送り届けるまでが職務だ」


お兄様は私の腰に手を回してぐっと引き寄せると、揺るがない眼差しで見つめてきました。

その表情から絶対に意見を変えないと分かり、少しだけ目を伏せて暫く考えました。


「……じゃあ、申し訳ないのですが、甘えちゃいますね……」


微笑みながら見上げたお兄様の大好きな空色の瞳が、僅かに揺れていました。


「……アル兄様。さっきは、助けてくれてありがとうございました」


さらに揺れたその空色を見ると、胸が苦しくなってしまいました。

今までお兄様のあんな表情を見たことがなくて、本当に心配をかけてしまったのだと悲しくなるぐらい分かりました。


(私だって、アル兄様が心配で堪らなくて、ここに来てしまったから………)


同じ想いを分け合うようにお兄様の手をそっと握り締めると、大きくて硬いその手が強く握り返してくれました。

お兄様は一度固く目を瞑ると、スッと瞳を開きました。


「本当に、死ぬ程肝が冷えたから、絶対に今後はこんな無茶しないでね」

「……はい…ごめんなさい……」


ふわりと笑うお兄様に頭を撫でてもらうと、瞳が少しだけ滲んでしまいました。

彼の手の温もりを感じ、今日初めて逢えたのだと今更ながらに気が付きます。


「……アル兄様……大好き」


頬が赤く染まるのを自覚しながらも、視線を重ねるとそっと溢すように囁きました。


「ルゥナ……ここでそれは反則……抱きしめられない……」

「ふふふ。大勢の人がいますもんね」


肩を落としながら私を恨めしそうに見つめるお兄様の姿がおかしくて、つい笑ってしまいました。

周りはまだ大騒ぎをしているから気が付かないかも、とは思いましたが、こんな人前ではやっぱり恥ずかしい私は口をつぐみました。

ただ、握りしめた手はそのままにしておきます。


優しい月明かりの中、馬車の停めてある場所に向かって一緒に歩いていきます。

チラリと見上げると、お兄様の横顔を形造るくっきりとした顎のラインを、月の光が美しく照らしていました。


「ん? どうしたの?」

「……なんでもないです」


私の視線に気が付いたお兄様に、僅かに顔を赤く染めながら首を振りました。


(……お仕事モードのアル兄様も、すごくカッコ良かった……)


繋いだ先にいる愛しい人の存在を大切に思い、温かなその手の指の中に自分の指を絡ませました。

いつもと変わらぬ満月を瞳に映しながら……

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