第24話 月蝕事件 ①
冷たい風が頬を刺す季節になり、1人馬車から降りた身体を思わず縮こませてしまいました。
寒さから少しでも逃れるようにと、すっかり慣れた足取りで足速に魔法局の建物へと向かいます。
「……アル兄様と勤務時間合わないなぁ、最近……それに、なかなか逢えないし……」
木枯らしに私の呟きが攫われていくのを感じながら、心の中に覚えた寒さを温めるように、きゅっと両手を握りしめました。
持っていた
(う〜〜〜ん……)
今日は何故か朝から、ソワソワと落ち着かない変な感じがしていて、魔力も微妙に安定しないような気がしていました。
皆がそんな状態なのか、魔法局だけでなく王城全体もどこかピリピリとした空気が漂っていました。
「ルーナリアちゃん、今日はもう早めに上がっていいよ?」
少し疲れたような顔をしたミハイ先輩が、手を止めたままの私に声をかけてくれました。
「ミハイ先輩……! あの、ごめんなさい……今日の私ダメでしたよね? いつもより全然効率悪くて……」
「いやいや、大丈夫。特に急ぎの仕事もないしね。ルーナリアちゃんが来てくれてから、
落ち込んでいる私を元気付けようとするかのように、明るい笑顔を向けてくれました。
その優しさと気遣いがとても嬉しくて、ホッと息を吐いてしまいます。
「……ありがとうございます。では、お言葉に甘えて、お先に失礼させていただきますね」
「うんうん、また明日、よろしくね」
にこにこしているミハイ先輩に丁寧にお辞儀をすると、手早く仕事の片付けをしていきます。
馬車へと向かう小道を歩いていると、やはり皆どこか息の詰まるような雰囲気をしているのが分かりました。
さっきミハイ先輩から近衛隊の話を聞いて、今日はまだ一度も見ていないお兄様を想い、少しだけ胸がきゅっとなってしまった事を思い出します。
(アル兄様……大丈夫かな……)
帰りの馬車の中でも、彼の事が頭から離れませんでした。
♢
「ただ今戻りました」
「ルーナリア! 大丈夫? 今日は朝から何だか変な感じがしたでしょう? お父様もアルフレートも、今日は遅くなるってさっき風便で連絡があったわ。でも、いつもならすぐ届くはずの風便が、今日はどうも魔力が安定していないみたいで、昼間出したっぽいのに今届いたのよ」
帰宅した私を、心配そうな顔をしながら駆け寄って抱きしめてくれたお母様は、その手を離すと焦った様子で2人からの風便を見せてくれました。
わざわざ風便を使い、そして早い時間で連絡をするのは結構よっぽどのことです。
お母様の不安を和らげようとその腕をとって絡ませ、憂いを払うように明るい笑顔を向けました。
「じゃあ、今日の夕食は私とお母様だけですね」
「そうね。久しぶりに女同士、仲良く色々話しましょう」
「はい! お母様!」
色々な事をお喋りしつつ夕食を食べていると、お母様もだいぶ落ち着いてきたのか、いつもの優しい表情に戻りました。
「魔法局の仕事にはもう慣れた? あそこは魔法具の開発とかもするから、結構大変でしょ」
「私はまだまだそんな開発までは携われませんよ、お母様」
「あら、そう? 開発は要は発想力だから、日頃から色々と周りを観察しておくのが大切よ。あぁ、そうそう。あそこって魔法一筋が多いから、書類とかすごく不備が多くて適当なのよ昔から。ルーナリアは書類仕事得意だから、率先してやったらいいわよ」
「アドバイスありがとうございます! それなら私でも出来そうです」
一緒に楽しく食事を続けていくのですが、何故だか胸騒ぎが落ち着くことはありませんでした。
夕食を終え部屋に戻って就寝の準備を終えても、ずっと穏やかではない胸の内が
(……今日は、結局アル兄様の顔、見れなかった……何だか、心配……大丈夫かな……)
少しでも自分を落ち着けようと、せめて彼を感じようと、バルコニーに出て夜空を見上げます。
「……っ!!!」
──すると、そこには、まるで血のような色をした満月が浮かんでいました。
見た瞬間、ぞくりと言いようのない不安が全身を疾り抜け、凄く凄く嫌な予感で背筋が冷えていきました。
(……アル兄様……!)
急いで夜着から暖かなワンピースに着替え、その上に紫紺のローブを羽織ると部屋を出ます。
なるべく音を立てないようにしながら階段を降りていたのですが、上がってきていたお母様と目が合ってしまいました。
「あら、ルーナリア? どうしたの?」
お母様は不思議そうに何度か目を瞬くと、首を少し傾げます。
焦りそうになる自分を必死で抑えると、何でもない風を装ってにこりと笑顔を浮かべました。
「あ、お母様! 実は私、魔法局に忘れ物をしてしまって……あれがないと困るので、ちょっと取りに行ってきます」
「そうなの? でももう遅いから、すぐに帰ってくるのよ? 寒いから、出るなら暖かくしなさいね」
「はい、分かりました」
少しだけ怪訝そうにするお母様を横目にするりと階段を駆け降りると、御者を半ば急かすようにしながら馬車を出してもらいました。
(……私が王城へ行っても、何も出来ないけど……アル兄様に逢えるとも限らないし……でも……)
はやる心を抑えるように、両手をぎゅっと握りしめました。
「……大丈夫……別に、何でもないはず……」
窓の外にある、変わらずに浮かんでいる赤銅色をした満月の姿を瞳に映します。
重く黒ずんだモノが胸の奥でじっと淀んでいるのを感じながら、固くなった己の身を馬車の揺れにただただ委ねました。
♢
「……何だろう……何か、あったのかな……」
馬車から降りると、城にいる騎士たちが目の前を走り抜けていくのが視界に飛び込んできました。
あちこちが騒めいている様子を目にし、胸がドキドキと脈打ちます。
文官のお父様と違って、近衛隊であるお兄様は有事の際には1番に動くはずです。ただ、近衛隊の中でも更に分業しているらしく、先兵として赴く任と王族の護衛の任に分かれているようなのです。
副隊長であるお兄様が実際どう動くのかは、警備の関係上家族ですら知らないので分からないのですが、どの道危険に身を
「……とりあえず……魔法局に行ってみよう……」
一度大きく深呼吸すると、意を決するように固く手を握り締めて足を踏み出します。
ふと確認するように見上げた夜空を目にし、衝撃で思わず歩みを止めてしまいました。
「……えっ!」
丸かったはずのお月様が、欠けていたのです。
(……これって、初めて見るけど……もしかして、月蝕……!? )
どんどんと姿を失っていく様子に、酷く恐ろしいものを感じてしまい、呆然と立ち尽くしてしまいます。
その異常さに気がついた周囲の人々も、夜空に浮かぶ月を指さして騒ぎ始めました。
ーーユラァァ……
「っおい! どうした!?」
「何なんだ……!? これじゃあ視界がっ……!」
「何が起こっているだ……!? 見えなくなるぞ!!」
不吉な予感がした私は、混乱状態に陥っている人々を横目に小道を駆け出します。
(
いつも勤務している部屋の扉を思いっきり開けると、ポカンとしているミハイ先輩と目が合いました。
「……る、ルーナリアちゃん!? どうしたの!? 帰ったはずじゃ!??」
「ミハイ先輩!
ーーッフ……
「っ!?」
「きゃっ!?」
部屋の中に入った途端灯が消えてしまい、驚きのあまり飛び上がってしまいました。
暗闇に包まれてしまい、何も見えません。
「ルーナリアちゃん、大丈夫…?」
「あ、はい……ミハイ先輩、これって?」
「多分
「そ、そうなんですね……どうしよう……」
「とりあえず、部屋から出よう……気をつけて、ゆっくりと進んで。ぶつからないように注意して」
「わ、分かりました」
手探りで何とか廊下へ出て窓の外を見ると、月はほとんど姿を隠していました。
闇に呑まれた人の飛び交う声だけが、一帯に響き渡っています。
「とりあえず、このままだと非常に不味い。ルーナリアちゃんは、外に
「はい、分かりました」
廊下の灯りも大部分が消えていて、ミハイ先輩の表情もほとんど見えません。ですがその声の硬さから、これがどれだけ重大で異常な事態なのかが分かりました。
「
そう言うや否や、開発部のある2階へと走り去っていくミハイ先輩の気配を感じて、私も建物の外へと向かっていきます。
(まだ、ほんの少しでも、灯りが残っている内に……! 急がないと、全く見えなくなっちゃう……!)
押しつぶされそうになる心を奮い立たせ、魔法局を飛び出しました──
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