第23話 魔法局 ②

窓から差し込む光が橙色へと変わっていき、人の出入りから、廊下の火魔法具ルーチェの灯りがついたのだとぼんやりと認識しました。


「ルーナリアちゃん、今日はもういいよ。お疲れ様」

「あ、はい! ありがとうございます! ……もうそんなに経ってた?」


優しく声をかけてくれたミハイ先輩の声で、ハッと顔を上げました。

どうやら集中し過ぎていたようで、慣れない場所の時計をキョロキョロと探します。


「ルーナリアちゃん、これからどうするの?」

「あ、はい。今日はアル兄様と待ち合わせをしているので……」


確認した時刻がお兄様との待ち合わせの予定時間をとっくに過ぎている事に驚き、急く気持ちを抑えながら手早く仕事の後片付けをしていきます。


「ルーナリアちゃんお兄様がいるんだ……社交界には出ていないの?」

「あ、はい……えっと、私あまり身体が丈夫な方ではないので、夜にある社交界がちょっと難しくって……」


片付け終えた机を確認しながら、ミハイ先輩の方を向きます。

ミハイ先輩は顔を真っ赤にさせながら、少しソワソワと落ち着かない様子で私を見つめていました。


魔法局や王城で働いている貴族にとって、こうした勤め先もまた出会いの場になります。

貴族にとって色々な意味を持つ社交界ですが、昼間職場で気になる女性を見つけ夜の社交界のお誘いをする、というのは結婚までの主流なパターンだったりします。


一応私は、表向きはダネシュティ公爵家の令嬢です。

元々結婚する気のなかった私は、社交界が苦手だと言って参加していなかったので声をかけられることはなかったのですが、魔法局で働くということはそうした機会が増えるという事になります。


まだ結婚の話を公に出来ないせいもあるのか、お兄様はしばらくの間難色を示されていました。

そんなに声をかけられるとも思わないと言った私に、彼は何故か物凄く怒っていました。


そして家族会議をした結果、『身体があまり丈夫ではない』という設定にしよう、という事になったのです。

これなら社交界に出席していない理由にもなりますし、お断りする理由にもなります。

更には、『身体があまり丈夫でない』私なんかを妻に望む人も少ないはずです。


「えっ! そうなの!? 確かにすごく儚そうだもんね……じゃあさ、今度──」

「ルゥナ!?」


凄い勢いで扉が開いたため、驚きで身体が僅かに飛び上がってしまいました。


「アル兄様……!」


お兄様は僅かに顔色を悪くさせ、固い顔つきのまま立っていましたが、私の声を聞くと安堵したように息を吐きました。


「ルゥナ……良かった……約束の時間にいないし待っても来ないし、本当にビックリした」

「ごめんなさい、アル兄様……ちょっと仕事に夢中になり過ぎて、時間を確認していなくて……」


固い表情を緩めたお兄様があたふたする私の元へ駆け寄ると、そのまま抱きしめてきます。


「……ルーナリアちゃんの、お兄様?……あれ、ダネシュティ家ってそう言えば?」


ミハイ先輩のさっきまで真っ赤だった顔色が、どんどんと青ざめていくのを見て、ついついお兄様の腕を押し退けてしまいました。


(……こ、こんな職場で……ミハイ先輩も見てるのに……は、恥ずかしい……)


思わずお兄様と少しだけ距離を取ろうとするのですが、彼は私の腰を持ったまま離そうとしてくれません。

少しだけ咎めるような目線を送ってしまいますが、お兄様は全く気にしない様子で、更に腕の力を強め私を引き寄せました。


「初めまして、ルゥナの兄のアルフレートです。と言っても、ルゥナは遠縁の子だから、本当の『妹』ではないのですが」


お兄様は、凍てつくような眼差しでミハイ先輩を睥睨へいげいしました。

僅かに空気がひんやりとしてきます。


2年後の結婚に向けて私が『遠縁の子』であると公言しようと、これも家族会議で決まった事でした。


ミハイ先輩はすっかり顔色を悪くさせ、茫然自失の様子でお兄様を見つめています。


「ケントニス侯爵家三男のミハイさんですよね? 優秀だとお伺いしておりますが、今日配属の新人の労務管理が出来ていないようで、それでは部下の育成面を考慮してもあまり感心しませんね。では、明日からもどうぞルゥナの事を、よろしくお願いします」


お兄様は凍てつくような雰囲気をまとわりつかせたまま、綺麗な笑顔を向けました。


「あ…あ…… 『晦冥(かいめい)の騎士』の『氷壁の冷徹』……」


ミハイ先輩は俯きながら、絞り出すように呟きました。


(……『晦冥(かいめい)の騎士』は分かるけど、『氷壁の冷徹』って……?)


ミハイ先輩のただならぬ様子に狼狽うろたえながらも、よく分からない言葉に内心首を傾げてしまいます。


「じゃあルゥナ、帰ろうか」


お兄様はさっきまでの雰囲気を霧散させると、にっこり私に微笑みました。


「は、はい、アル兄様……あ、あの、ミハイ先輩、今日はありがとうございました。明日もよろしくお願いします」


ミハイ先輩に慌てながらも深々とお辞儀をすると、私を促すお兄様に続いて部屋を出ていきます。

ミハイ先輩が遠い目をしながら『終わった……』と呟くのが聞こえて、少しだけ心配になりました。


(アル兄様、ミハイ先輩の名前知ってた……凄い……)





帰りの馬車で、今日一日の話をお兄様に報告します。にこにこと話を聞いてくれて、何だか本当に昔に戻ったみたいで嬉しくて堪らない私は、溢れる笑顔を抑える事が出来ませんでした。


ふと、先程のミハイ先輩の言葉が頭に浮かんできました。


「アル兄様、あの、『氷壁の冷徹』って何ですか?」

「うん? さぁ。僕も知らないけど、気にしなくていいよ。それよりも、今日は本当よく頑張ったね。疲れたでしょ? 屋敷に戻ったらゆっくりしようね。夕食はルゥナの好きなもの準備するようにお願いしといたから」


お兄様はふわりと笑うと、私を労う言葉をたくさんかけてくれました。

夕食までも気遣って準備してくれる優しさに胸を打たれ、笑顔に癒されていく気持ちになります。


「アル兄様、本当ありがとうございます! 今日の夕食、凄く楽しみだな〜。アル兄様も、いつもお仕事こんなに大変だったんですね。私、今日働いてみて改めてそう思いました……でも、こんな風に労ってもらって、今日の疲れがなんだか無くなりました!」

「ははは、どういたしまして。そんなに大変じゃないけどね。ルゥナは他の卒業生よりいち早く働いてるし、一生懸命にしてるよ」


お兄様に微笑むと、彼は更に笑顔を深めて愛おしそうな眼差しで見つめてきました。


その空色の瞳を見て、彼が私の事を愛しく想ってくれているのだと、心の底から感じることが出来ました。

いつも『妹』だから優しくしてくれていたとばかり思っていたけど、本当は違っていた。

私の事を愛してくれているからこその、優しさだった。

それは本当に本当に、泣きたくなるぐらい嬉しい事で……


その想いがあれば、新たな世界へと飛び出し変わりゆく環境の中でも、何だって出来る。

お兄様が傍にいてくれれば、安心していられるし、強くあれる。


そう思いながら、目の前に座る大好きな人を愛おしく見つめ、まだまだ続くお喋りを心ゆくまで楽しみます──

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