第21話 重なる想い

もう、心を抑えなくてもいい──



目を細めながら、髪を梳かしてもらう柔らかな手つきに身を委ねます。


「さぁ、これでお終いですね」

「ありがとう、マーラ」


鏡越しのマーラと視線を合わせ、にこりと微笑みました。


「まだ起きていられるんですか?」

「うん、もうすぐ魔法局に働きに出るし、勉強しておきたくて」

「まぁ、真面目ですこと! あまり無理なさらずに。では、おやすみなさいませ、ルーナリア様」

「おやすみなさい、マーラ」


慈しむような笑みを浮かべたマーラは、そのままお辞儀をすると部屋を出ていきました。


「さて……頑張らないと……」


机に移動すると本を広げて読み進めていき、理論展開について書き写していきます。

ふと、行き詰まってしまい視線を上げてしまいました。


「……アル兄様に、今度教えてもらおうかな……」


溢した言葉を耳にして、じわじわと喜びが胸に広がっていきました。

お兄様にわざと冷たい態度を取らなくてもいい。

それに、彼も私のことを愛してくれていて、結婚まで出来る。

この事実に、まだどこか現実だと思えずふわふわとしたような感覚になることがあります。


「……そういえば……私、ねや教育がまだ終わっていないよね……」


閨教育は、だいたい16歳のデビュタントを迎え一人前になった頃に家族から、主に母親から娘に行われます。

その頃ちょうどお兄様の急な結婚話が持ち上がり、予定を繰り上げて早く学園に入学した関係で、閨教育を終えないまま今現在に至っています。


「……誰とも結婚するつもりもなかったから、ちゃんと聞いてなかったかも……お母様に相談しないと……」


あの月夜の晩にお兄様と交わした口付けを思い出し、ドキンと跳ね上がった鼓動を感じながら唇に手を触れます。


「……結婚したら……」


赤くなってしまった顔を冷ますように軽く首を振ると、再び本へと目を落としました。



ーーコンコン



「ルゥナ? まだ起きてる?」

「アル兄様! おかえりなさい!


パッと顔を上げると、思わず逢える喜びで扉の元へ駆け寄りました。

広げた彼の腕の中へ飛び込んでいくような形になった私を、優しく受け入れてくれます。


「ルゥナ、ただいま」

「今日は遅くなるって言ってたのに、早かったですね」


あれから、朝と夜寝る前に逢えた時は、こうしていつも抱きしめてもらっています。

心を押し殺して自分から距離を置く前に戻ったような気がして、今までの分を取り戻すかのように腕に力を込めました。


「……ルゥナ、夜着の上に何か羽織らないと風邪引くよ?」

「まだそこまで寒くないので大丈夫です」


お兄様は優しく温めるように私の肩を撫でてくれました。

その気遣いが嬉しくてにこりと笑って見上げながら、私も彼を温めようとぎゅっとしました。


「……随分と薄い夜着だけど……」

「? そうですか?」


くっついたまま不思議に思って見つめたお兄様の眦が、何故か少し朱色に色付いていました。


「……うん。分かった。ルゥナ、ちょっとこっちにおいで」

「はい」


手を引かれながら移動すると、2人でベッドの縁に腰を下ろします。

お兄様は何かを躊躇ためらっているように、暫く握った手を優しく撫でていました。


「……ルゥナ、閨教育をどこまで受けた?」

「っ! アル兄様、凄いです!」


ついさっきまで考えていた事を言われ、目を開いてついつい大きな声を上げてしまいました。


「……すごい?」

「あ、いいえ、何でもないです……あの実は、お母様がバタバタされていて……その………アル兄様の、結婚で……」


小さくなってしまった私の最後の言葉を耳にした途端、顔を歪ませたお兄様を見て酷く動揺してしまいます。


「あ、あの、ごめんなさい……」

「っ! ごめん、ルゥナ! ……ルゥナのせいじゃないから、続けて」


慌てた様子のお兄様は、少しだけ憂いを残したままの笑顔で、頭を撫でてくれました。


「あ、はい……それで、私もすぐ学園に行ったので、実は閨教育がまだ済んでなくて……」


言葉を失ったように動きを止めたお兄様は、そのまま私の顔をじっと見つめています。


(……やっぱりこの歳でまだ終わってないのは、ちょっと非常識かな……)


何だか自分が恐ろしく無知である気がして、堪らずに少し顔を伏せてしまいました。


「……あぁ、ごめんね、ルゥナ。ちょっと驚いてしまって……とりあえず、どこまで知ってるの?」

「あ、あの……女性の中に男性のものを入れて、それで、なんか……子どもが出来る?」


宙を見つめながら自分の記憶を探っていくのですが、そのぐらいしか思い出せませんでした。


「……はぁ。ヤバい。これはやばい……ルゥナ、学園では大丈夫だったの?」

「……え…? 何がですか? 何か大丈夫じゃない事があるんですか?」


頭を抱えるようにしたお兄様を、キョトンとしたまま見つめました。

そのまま何かを思案しているのか、顎に手をあてたまま暫く目を伏せている様子のお兄様の返事を待ちます。


「……あぁ……うん……いや、まぁいいや…うん、分かった。──じゃあ、今日からルゥナの閨教育は僕がするね」

「え!? アル兄様がですか!?」

「そう、僕がするよ。そもそも、閨教育は家族がするもので、おまけに僕は夫になるわけでしょ? 閨事っていうのは夫婦の事なわけで、じゃあ僕がするのって1番いい方法だと思うから」


満面の笑みを浮かべたお兄様は、私の頬をそっと撫でながらそう言うと、言葉の最後にぎゅっと抱きしめてくれました。


(閨事は、夫婦の事……アル兄様は、今も結婚しても家族……)


少し混乱しながらも、頭の中でさっきの言葉を整理していきます。


「確かに、そうですね! でしたら、ぜひよろしくお願いします」

「うん、じゃあこっちに座って」


腕の中で小さくお辞儀をした後、導かれるまま彼のお膝の上へと座りました。

お兄様の笑顔をとても間近で目にして、胸が鼓動が早くなってしまいました。

ふと、幼い頃の記憶と重なったのですが、次の瞬間には今を意識してしまい、真っ赤に染まった顔を隠すように伏せます。


「ふふふ。ルゥナ、可愛い……じゃあ、まずはキスの練習からだね」


頬に優しく触れられたその手にいざなわれるように、顔を上げます。

僅かに揺れる瞳のまま間近で見つめ合うと、心臓が早鐘のように鳴り響きました。

あの時と違って自ら進んで行うキスにドキドキしながら、目を閉じてその顔へとそっと近づいていきます。


2人の唇が重なり、柔らかさを少しの時間感じていると、ゆっくりと離れていきました。


「どう?」 

「……あ、あの……気持ちいいです、アル兄様の唇」


赤く色付いた顔のまま、人差し指をそっとお兄様の唇にあててその形をなぞっていきます。

紅くて柔らかい唇はとても気持ちがよくて、少しばかり見入ってしまいました。


「っ! ……ルゥナ、それ、分かっててしてる?」


お兄様の頬が朱く染まり、大好きな空色の瞳が僅かに揺れました。


「え? あの、アル兄様の唇が、ふにふにしてるなぁって……」

「……まずい……予定が……」


天井を見上げたお兄様は、固く目を瞑って大きく息を吐きました。

スッと目を開けたと思った瞬間、突然頭を掻き抱かれた私は、息つく間も無く激しい勢いで唇を塞がれます。


「んっ……んんっ……!」


さっきまでの柔らかさを微かに残したまま、何度も何度も奪うようなキスをされます。

溺れるようなキスにどこで息を吸えばいいのか分からなくて、ただただ唇から伝わる熱を享受します。


「…っん……ぁっ! …にぃ、さ……」


軽い酸欠状態になってしまい、少しだけ抗議するように身を捩ったのですが、彼は私の頭をしっかりと抱き込んだまま離してくれませんでした。


「んはぁっ……! ……はぁ…はぁ……ぁ……」

「……あぁ、ごめんね、ルゥナ。大丈夫? ちょっと激しかったよね……」


呼吸を整えていく私を見たお兄様は、心底申し訳なさそうな様子で頭を撫でてくれました。


「はぁ……大丈夫、です。アル兄様。……私こそ、ごめんなさい。息を吸うタイミングが、分からなくって……こんなんで、この先……」


火照った顔のままお兄様を見上げると、自分の情けなさに肩を落としてしまいました。


「大丈夫。これからちゃんと僕が教えていくから。そもそも、鼻で呼吸したら大丈夫だから。後はほら、口を少し開ければ……」

「あ、そっか。鼻で呼吸すればいいんだ……ごめんなさい……私、慣れなさすぎて……」


思わず項垂れてしまった私の背中を、お兄様が優しくさすってくれます。


「大丈夫。徐々に慣れればいいからね。……はぁ。ルゥナが可愛すぎる……じゃあ、もう一度」

「……はい」


空色の瞳の中に私の姿が映っているのを目にすると、再び瞼を閉じてそっと唇を重ね合わせます。

教えてもらった事を意識しながらキスをすると、お兄様と私の吐息が交わるような息遣いが漏れていきました。


「……ん……」


私の唇を時折喰むようにするお兄様の動きを真似て、その柔らかい唇を優しく喰んでいきます。


「……! ルゥ、ナ……!」

「んんっ……っん……!」


途端に、再び強く頭を掻き抱きながら、奪うような口付けをされます。

まだ動きについていけない私は、呼吸が難しくて頭がくらくらしてきました。

スッと、お兄様の顔が離れていきます。


「……はぁ……はぁ……」

「ごめんね、ルゥナ。ちょっと、いきなりだったよね」

「はぁ……いいえ、ごめんなさい、アル兄様。慣れていなくて……」


熱を帯びた頬のまま、項垂れてしまいます。


「いいよ、気にしないで。それより、びっくりさせてごめんね」


優しく頭を撫でてくれるお兄様を見上げると、彼の頬も微かに赤く染まっていました。

それを目にし、どこかふわふわとしたものに包まれているような気がしたさっきの時間を思い出します。


(アル兄様も、同じような気持ちになってくれてるのかな……)


何だか心がとても満ち足りた想いのまま、お兄様の服をきゅっと掴みました。


「じゃあ、今日はここまでだね。もう遅くなるから、寝ようか?」

「うん……あの、アル兄様、理論展開で分からないところがあるので、今度教えてもらってもいいですか?」

「もちろん! ルゥナのお願いは何でも聞くからね」


ふわりと笑いながら大きく頷いたお兄様は、おでこにキスをしてくれました。

その言葉を耳にして、じんわりと胸の奥に温かさが広がってきます。気が付けば、込み上げてくる涙でじんわりと視界が滲んでいました。


「さ、ベッドに横になろうか」

「はい……!」


綺麗なシーツからは、お日様のほかほかした香りがしました。

隣で一緒に寝転がっているお兄様を目にすると、読み聞かせをしてくれていた子どもの頃が思い出されます。


「ふふふ。何だか、懐かしいですね」

「うん、そうだね……」


僅かに目を細めたお兄様が、啄むようなキスを落としました。


「でも、あの頃はこんな事してないでしょ?」

「……う、うん……」


すぐそこに在る空色の瞳を見つめながら、火照った顔のまま子どものように小さく頷きました。

そのまま、お兄様はおでこをくっつけてきます。


「あ、アル兄さま……」

「ルゥナ……僕たちは2年後夫婦になるし、2人きりの時は名前で呼んで」

「……アル、さま……」

「いいよ、『様』なんてつけなくて」


お兄様の吐息がすぐそこに感じられ、さっきから鼓動が大きく脈打ってます。

ゆっくりと、ふたりの唇が重なり合います。


「……んっ……アル……」


キスの合間に、呟くようにお兄様の名前を呼んでみました。

思わず甘さを含んでしまった自分の声を聞いて、あまりにもの恥ずかしさに一気に顔が熱を帯びます。


「あぁ……! ルゥナ…ルゥナ……」


一瞬離れていったお兄様は、とてもとても嬉しそうでした。

私の名前を愛おしそうに呼ぶと、身体を掻き抱きながら激しく深いキスをしていきます。

私も彼の背中に腕を回し、その熱に応えていきます。


「はぁ……」

「ありがとう、ルゥナ……」


柔らかな唇の感触が失われた事に寂しさを覚えていると、優しく優しく頭を撫でてくれます。

その温もりから、子どもの頃私が眠るまで、いつもこうしてくれていたのを思い出しました。


愛おしい記憶に口元をほころばせていると、すぐに訪れた眠気で重くなる瞼が徐々に閉じられていきます。


「おやすみ、ルゥナ」

「アルにいさま……おやすみ、なさい……」


抗えない睡魔にいざなわれ、落ちゆく意識の中、言えなかった言葉を心の中で溢します。


(……また、名前で呼ぶの忘れちゃった……ごめんなさい、アル……)



♢♢♢



翌日、お母様とのお茶会の時間でカップを手にした時です。

ふと何かを閃いたような顔をしたお母様が、軽く手を叩きました。


「そうそう。ルーナリアの閨教育、進んでいなかったわよね」


にっこりと微笑むお母様の顔を、マジマジと見てしまいました。

本当にお兄様とお母様はそっくりな親子だと強く実感してしまい、つい深く頷いてしまった私は、ハッとして慌てて首を振ります。


「あ、それでしたらお母様、アル兄様から受けているんです。夫婦になるための教育だから一緒にしようと……閨は、夫婦の事で、アル兄様は夫になって……えっと…?」

「え……?」


なんとか上手く説明しようとするのですが、昨日のお兄様のようにスラスラと言えなくて、何度も首を傾げながら頭を整理します。

お母様は目を見開いたまま、何故かそのまま固まっていました。


「え……? あの、お母様どうかされましたか?」

「……アルフレートぉぉお……!」


急にこめかみをピクピクさせながら凍てつくような雰囲気を纏わせると、お兄様の部屋の方をキッと睨みつけました。

お母様の持っているカップのお茶がみるみると凍りついていきます。


「大体あの子っ! いっつもそうだったのよ!! 私がルーナリアに新しい本を読んであげようと思ったら『あ、母上、それでしたらもう僕が読んでいますから』ってサラッと答えて!!! あぁ! 腹立つ!! 本っっ当可愛くない!! 本当、一体誰に似たの!??」


お母様の怒りにビックリした私は、慌ててカップを置くと側へと駆け寄ります。

そしてその背中を撫でたり、優しく手を握ったりしてなんとか落ち着いてもらおうとします。


お母様に慰めの言葉をかけながら、この場で決して言ってはならない言葉を心の中でそっと呟いてしまいました。


(アル兄様は、間違いなくお母様の血をひいています……)

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