第18話 帰宅と戸惑い

揺れる馬車の中その身を固くさせ、膝の上にある両手を強く強く握りしめます。

学園から屋敷へ戻る間も、お兄様のことしか頭にありませんでした。

少しでも早く進んで欲しいとの祈りを眼差しに込めながら、ひたすらじっと前を見つめ続けます。


(……アル兄様は、何故、ウィルダ様と離縁されたの……)


窓の外から我が家を視界に捉えた途端、思わず僅かに腰を浮かせてしまいます。

今にも飛び出しそうになる自分を必死に抑えながら、姿形は変わっていない我が家を目に映しました。



「ただいま戻りました……っ!」


慌ただしい挨拶は淑女としてはマナー違反だと理解しているものの、焦る気持ちで玄関に駆け込んでしまいました。


「お帰りなさい、ルーナリア!」


今日帰宅することを知っていたお母様は待機してくれていたのか、すぐに出迎えてくれました。

笑顔を浮かべながら私の身体をしっかり抱きしめてきて、その懐かしい香りに包まれた私は、心が緩んでなんだか無性に泣きたい気持ちになりました。


「……ただ今戻りました……」


お母様からの優しい抱擁で、ちょっと大人になったと思った自分も、まだまだ子どもなんだと感じてしまいます。


「お父様はお仕事なのよ。夕食には戻って来られるから。……顔をよく見せて」


抱きしめていた腕を緩めると、慈しむようにじっくりと見つめてきました。愛を湛えたその瞳に、胸がいっぱいになってしまいます。


「……ルーナリア、本当に大きくなって……貴方、更に美しくなったわね」

「ふふふ。お母様ったら。娘だからって、大袈裟に言い過ぎです」

「そんな事ないわよ。これは学園でも相当モテたんじゃない?」

「? いいえ。全然そんな事ありませんでした。誰からも一度も声をかけられた事はありませんでした」


私の頬を優しく撫でていたお母様に、少しだけ目を瞬かせながら微笑みかけました。


「……そうなの……まぁいいわ。とりあえず今日はゆっくりしなさいね」


一瞬怪訝そうな顔をしたお母様でしたが、にっこりと笑顔を見せると私に手を伸ばしてきました。


(……っ! お母様からお茶のお誘いを受ける前に、アル兄様のことを聞いておかないと……!)


手を取られてはいけないと、慌てながら胸の前で指を組みます。


「あ、あのっ! お母様……アル兄様はどちらにいらっしゃるのですか?」

「……あぁ。アルフレートね。今日は休みじゃなかったかしら。多分自室にでもいるんじゃない?」


お兄様の名前を出した途端、お母様の雰囲気が一変しました。

凍てつくような眼差しをしながら、お兄様の部屋の方を見据えています。


(え? お母様、めちゃくちゃ怒ってる……? ……今は聞いてはダメよ……ここはすぐにアル兄様の部屋に行ってみよう……)


尋常ではない様子に不安に駆られてしまう心を抑え込むと、にっこりと笑顔を浮かべます。


「……では、お母様。また夕食の時にでも、ゆっくりお話ししましょうね」

「そうね、色々学園の話を聞かせてちょうだいね。また沢山お話ししましょうね」


その言葉に何故か少しだけ威圧を感じながらも、お母様の気分を逆撫でしないようにゆっくりと自室へ戻ります。

お母様の姿が見えなくなったのを確認すると、足早にお兄様の部屋へ向かいました。




「アル兄様? いらっしゃいますか?」


ノックしても返事もなく出ても来ないので、意を決した私はそっと部屋へと入りました。

キョロキョロしながら奥へと足を進めて行くのですが、お兄様の姿が見当たりません。ふと見ると、バルコニーに人影がありました。


「……アル兄様?」

「……っルゥナ!??」


やはりそこにいたのはお兄様で、椅子に腰掛けてグラスを片手に空を眺めていたようでしたが、私の姿を見るなり勢いよく立ち上がりました。

私の帰宅が寝耳に水だったのか、驚きでぽかんと口を開けています。


「あ、アル兄様! 大丈夫なのですか? お身体は……」


あまりにも痛ましいその姿を目にして、心配で堪らなくて自分の想いのまま駆け寄ります。

2年ぶりのお兄様は、頬がこけて何だか全体的にやつれているような状態で、記憶にある彼とは随分と印象が変わっていたからです。


(もしかしたら、私の精神干渉のせいで、アル兄様に何か影響が……)


押しつぶされそうになった胸が、きゅっと締め付けられました。


「ルゥナっ! 本当にルゥナだ……!」


私の方へ駆け寄ってきたお兄様が、そのまま凄い勢いで抱き締めてきました。

彼に包み込まれたのはあの月夜のダンス以来で、動揺のあまりそのまま固まってしまいました。


「あぁ、ルゥナ。顔をよく見せて……こんなに、綺麗になって……」


お兄様は私の頬を撫でながら、うっとりとした顔で見つめてきます。

大好きな人のその空色の瞳に見つめられて、顔がカァッと熱くなるのを感じました。

お酒混じりの熱い吐息から今まで感じたことのない艶かしさを感じて、心臓の鼓動が一気に跳ね上がります。

飲んでいたせいなのか判らないのですが、なんだか濃密な色香がお兄様から漂っている気がしました。


「あ、あの、アル兄様、体調は……?」

「ルゥナが戻ってきたから、僕はすごく元気になった」


ずっと頬を撫でながらとろけるような顔で見つめられ、そっちの方に頭がいっぱいになってしまった私は、お兄様の不思議な発言が頭に入ってきませんでした。

さっきから心臓が壊れそうなぐらいドキドキと鼓動していて、このままではどうにかなってしまいそうでした。


「あ、あ、あの……アルにぃ、さま……」


ずっと抱きしめたまま離してくれないお兄様に、頭が真っ白で言葉が出てきませんでした。

温かい体温を感じて、どうしていいのか分からなくて泣きそうになってきます。


「本当ビックリするぐらい綺麗になってて……学園でもモテたでしょ……」


最後の言葉から、何故かとても冷ややかな圧を感じました。

それはさっきの、冷然としたお母様の態度を彷彿ほうふつとさせるものでした。


「え、あの、お母様にも言われたのですが、その、全然声をかけられませんでした」


何だかお兄様の様子が今までと違う上に、さっきからずっと抱きしめたまま離してくれないので、パニックになった私はついつい冷たい態度を取る事も忘れ、素直に返事をしてしまいます。


「……ふぅん、そう。というかルゥナ、いつ帰ってきたの?」

「え? あの、さっき帰宅しましたが?」

「……母上め……僕に黙っていたな」


お兄様は舌打ちをしそうな勢いで文句を言うと、先ほどの見たのと同じ凍てつく様な眼差しで、お母様がいるであろう方向を見据えました。

さっきからずっと、2人の間で似たような威圧が行き来するのを感じ、お兄様の腕の中でただただ戸惑うばかりでした。


(久しぶりに帰宅した我が家は、一体どうなっているの……?)





懐かしい自分のベッドに転がりながら、ぼんやりと宙を見つめます。


「やっと、アル兄様は離してくれたけど……何で……もしかして、これも私の精神干渉のせい……?」


学園に行く前と何かがおかしい程違う事に恐れ慄き、ふるりと身体を震わせてしまいました。


「──ルーナリア様、夕食の準備が出来たそうですよ。今日は久しぶりにご家族が揃われたから、料理長も張り切っていましたよ」

「マーラ……ありがとう」

「ふふふ、とてもお美しくなって帰ってこられて、マーラも嬉しいです」

「……ありがとう」


そっと扉を開けて知らせてくれたマーラに、しぼんだ気持ちのまま返事をすると、重くなる足取りで部屋を出ます。


晩餐室に入ると、すでに家族全員が席についていました。

ですが、ここに本来いるはずの人の姿は、どこにもありません。


(……アル兄様の隣には、ウィルダ様がいらしたはずなのに、私のせいで……)


どうしても心が昏く沈んでいき自分の内に入りそうになったのですが、せっかく久しぶりに家族が揃う食事なのだからと感情を抑え込みます。


「ごめんなさい、お待たせしました」

「ルゥナ、こっちにおいで。全然大丈夫だから」


優しく微笑むお兄様の言葉を聞いたお母様が、一瞬ぴたりと動きを止めました。


「いいのよ、気にしないでルーナリア。さ、食事にしましょう。ふふふ。2年も顔を見ない内に、ルーナリアってばすごく綺麗になっちゃって。そうそう、結婚したい同級生とかいた?」


とても上機嫌な様子のお母様は、言い終わるとワインを一口飲みました。


「……母上」

「何よ、アルフレート」


お兄様がお母様に対して冷たく睨みました。対するお母様も、凍てつく射るような眼差しを返します。


「あ、あの……」


その迫力に、ついフォークを持ったまま2人を交互に見ました。


「大体、アルフレート。貴方昼間からお酒なんか飲んでていいご身分ね。今、ルーナリアの帰宅祝いって事ですからね。というか、こうして一緒に夕食を食べるのも、随分と久しぶりじゃない?」

「今日は仕事が休みでしたので。それに、ルゥナが帰宅したのですから、一緒に夕食を取るのは当たり前でしょう」

「あらぁ、そうなの。じゃあ仕事がある明日以降は、貴方抜きでルーナリアと食べるわね。そもそもいっつも帰宅するのが遅かったわけだし」

「ルゥナがいるなら早く帰るに決まっているじゃないですか。僕も夕食を一緒に取ります」


綺麗な笑顔を浮かべているお母様に、お兄様もとても綺麗な笑顔を向けています。


(アル兄様、そんなに忙しかったの……!? それに、お母様の刺々とげとげしい態度……こんなの初めて……)


持っていたフォークを置くと、2人のやり取りをハラハラしながら見つめました。

2人ともさっきから笑顔を浮かべているはずなのに、何だか圧のようなものを感じました。

空気がどんどんと不穏な感じになってきて、ヒリヒリとした冷気が漂い始めます。


「……ふぅん。そうなの。───早く帰ろうと思ったら帰れるんじゃない」

「ルゥナがいないと意味がないですから」

「……全く、この子一体誰に似たのかしらっ……!」


とうとう笑顔ではなく、互いに冷たい目線を交わすお兄様とお母様の間に、見えない火花のような何かが散っているのを見た気がしました。

尋常ではない様子に、ひたすらにオロオロとしながら2人の顔を交互に窺います。


「……アルフレートは、間違いなくアナベラの子だよ……」


まだ睨み合いの状態が続く中、そうぽつりと聞こえた声の方を見ると、そこには存在を薄くさせたお父様がいました。


(あ、お父様、いらしてたんだった……お母様がお怒りになると、いつも………うん、私が、2人を止めないと……!)


椅子から立ち上がると、2人を交互に見つめながら宥めるように両手を広げます。


「あ、あの! ……お母様、アル兄様、ごめんなさい……私のせいで、喧嘩をしないで下さい……」


きっとお母様は、お兄様とウィルダ様が離縁した事に腹を立てているはずです。

あんなに喜んでいたお母様を、見たことなかったからです。

その離縁が私の魔法のせいかもしれないという事は、つまり、2人の喧嘩の原因は私ということになります。


申し訳なくて堪らなくて、涙で滲みそうになる瞳を必死に抑えました。


「「えっ!?」」


驚きで目を見開いたお母様とお兄様が、勢いよく私の方を向いてきました。


「……えっと、ルーナリナのせいじゃない……のよ?」

「ルゥナ……? おかしい。ルゥナは条件なんて知らないのに、何で自分のせいだと……?」


さっきまでの冷たい雰囲気が霧散したのを目にして、弱々しくまた椅子に座りました。

ですが、歯切れの悪い2人の様子を見て益々心を痛めまてしまいます。


(……私のせいで、皆の仲が……)


俯きそうになる顔を、なんとか堪えました。


「ルゥナ、ほらせっかく帰ってきたんだから、暗い顔をしないで。僕にその顔をよく見せてごらん」


隣に座っているお兄様が、とろけるような笑顔を向けながら私の手を握りました。

咄嗟の事でその手を払う事も出来なかった私は、ハッとしながら慌ててお兄様を見ます。

空色の瞳と視線が重なった瞬間、頬が一気に火照り、心が大きく揺れ動きました。


「……アルフレート……」

「別に条件には反していないでしょう?」


再びお母様とお兄様の間の空気が悪くなりますが、お兄様に手を握られたままの私の頭は何も考える事が出来ません。


「まぁ、とにかく。皆ご飯が冷めてしまうから、食べることにしよう。ほら、アナベラ。今日はお祝いだろう? このワインとても美味しいよね。気に入ったようだったらまた買ってくるからね。ルーナリアも、久しぶりの我が家のご飯だ。たくさん食べなさい。今日はデザートも用意しているからね」


「……そうね。このワインとっても良いものだったわ。また買ってきて欲しいわ」

「お父様、ありがとうございます。今日のデザート何だろう……」

「ふふふ。ルゥナの好きなデザートのはずだよ。それに、今日の夕食はルゥナの好きなチーズを使ったものがいっぱいあるから。あ、これも食べてみる?」

「ありがとうございます、アル兄様」


お父様の掛け声で、以前のような楽しい食事の時間になりました。

隣に座るお兄様がいつも以上に私に話しかけてきてくれるのを、頭の中の疑問のせいでついつい冷たくせずに応えてしまいます。


(……さっき言ってた、条件って何のことだろう……?)


首を傾げながら、お兄様からもらった椎茸のチーズ焼きを頬張ります。

肉厚でチーズとの相性バッチリで、凄く凄く美味しくて、幸せな気持ちになりました。

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