第16話 僕の結婚 side アルフレート
「ルゥナは、今日も元気にしているだろうか……」
夜空に浮かぶ月を見上げながら、僕は僕の半身の事をいつも想う。
グラスに残った酒を一気に飲み干すと、あの時の自分の選択が誤りであったと何度も何度も後悔し、やり直せるならやり直したい
「っくそっ!」
愚かな自分に打ちひしがれて、震えが止まらなくなり、手に持つグラスを握りつぶしそうになる。
そんな己を諌めるように、随分と伸びてしまった前髪をぐしゃりとかきあげた。
優しく照らす月の光が、幸せに満ちていた『
これまでのルゥナの、一瞬一瞬の表情が浮かんでは消えていく。
あの時、なぜあの選択をしてしまったのか──
♢♢♢
『
僕にあんなに冷たかったルゥナが、あの日だけは以前のように無邪気に可愛く接してくれた。
白のデビュタントのドレスに身を包んだルゥナは本当に美しくて、皆に見せるのが嫌で嫌でしょうがなかった。
案の定、会場では何人もの男性に声をかけられ、その度にイライラとしてしまう自分を抑えきれなかった。
男たちが彼女の事を自分の妻にと欲する色目で見るのが嫌だったため、早めに会場を抜け出し2人きりの幸せな時間を過ごした。
その時僕の事を昔のように『好き』だと言ってくれ、狂気しそうなほどの喜びに心が満ち溢れた。
翌日からまた冷たい態度に戻ってしまったけれども、あの晩の出来事で本当は僕の事を好いてくれているのだと、すっかり舞い上がってしまっていた。
──だから、ルゥナから僕の結婚を祝福する言葉を聞かされた瞬間、まるで頭を鈍器で殴られたような衝撃で一瞬息が止まり、そして一気に奈落の底へ突き落とされた。
母上は、僕が情熱的な手紙でバサラブ公爵家の二女ウィルダ嬢に結婚を了承する旨の手紙を送ったと言った。勿論、
ウィルダ嬢とは、社交界で数回ほど会ってダンスを踊ったぐらいしか面識がなく、その後バサラブ家からも縁組の申し込みをもらってはいたが、他の家と同様にまだ結婚は早いから、と断りを入れていたはずだった。
詳細を聞いていく内に、
だが、母上と並んだルゥナは、僕の結婚を心から祝福すると言う。その顔は歓喜に満ち溢れ、あんなに無邪気に心の底から嬉しそうにしているルゥナを見たのは、本当に本当に久しぶりだった。
その時、思い知らされた。
彼女がこんなに喜んでいるのは、僕が『兄』だからだ、と……
ルゥナと僕は単なる兄妹でしかないという事実を嫌と言うほど思い知らされて、僕の心臓は凍てついた。
ルゥナが僕を祝福するたびに。ウィルダを嬉しそうに姉と呼ぶたびに。
ルゥナが求めているのは、僕ではない──
その事実に絶望の淵に立たされ、死にたくなった。
でも、優しいルゥナは僕が死んだら酷く悲しむだろうから、それだけは出来なかった。
ただ、結婚が決まった時から、ずっと笑顔を浮かべているルゥナを見て。
残されたのが、兄妹としての繋がりだけだったとしても、愛しい人の笑顔が見れるのならば。
彼女が笑ってくれる事が、僕の喜びでもあったから。
───それならば、ルゥナの『兄』として、ルゥナのために結婚をしようと決心したのだった。
ルゥナと結婚できないのなら誰としても同じだと思い、僕を嵌めたウィルダでもいいかと思った。
ルゥナが僕を『男』として見てくれないのなら、もう何だってよかった。
聞いても無意味なので、手紙の件についてウィルダに問いただすこともしなかった。
自暴自棄になっていたのだと今は理解しているが、あの時の僕にとっては、せめて彼女の喜ぶ顔が見たい、ただその一心だった。
だけど、ルゥナが早めに学園に行くからとこの屋敷から出て行き。
その笑顔を見る事もなくなり。
僕の腕の中から驚くほどあっさりと、羽ばたくようにいなくなってしまったルゥナを想い。
心にぽっかりと空いた穴を見つめて、痛いくらいに分かった。
例え彼女が僕の事を愛していなくても、僕には彼女しかいないという事を。
愛しているという言葉だけじゃ足りないほど、愛しているのだと。
ずっと、一緒にいたいんだと。
ルゥナがいないという現実を見て、やっと自分の選択が誤りだった事に気が付いた。
片割れがいないのに、どうやって1人で生きていけばいいのだろう……
ルゥナがいなくなった日から、僕の心は冷たく凍りついたかのように、何も感じなくなった──
それでも結婚当初は、表面上は上手くやろうとウィルダにも貼り付けた笑顔を見せていた。
夫としての務めぐらいは果たそう、そう思っていた。そもそも僕が選択を誤ってしまったのが悪いと思っていたからだ。
だが、仕事になるとそれすらも面倒くさくなってしまい、心と同じようにその顔もまた冷たく凍りついていった。
近衛隊に所属していたが、数週間屋敷に戻らないで済むのとストレス発散のため、魔物の侵入が増えている事に頭を悩ませていた国王陛下に許可を貰い、結界領域の砦にいる騎士隊に合流し魔物の
顔色ひとつ、表情ひとつ変えずに広範囲の攻撃魔法で次々と魔物を
そのうち魔物を殲滅し尽くしたのか、結界領域の魔物の増加が落ち着いてしまい、騎士隊に合流する任務も出来なくなっていった。だが、顔を合わせるとネチネチと嫌味を言ってくる母上や、愛想笑いをしながらウィルダを相手にするが億劫になってきた僕は、どんどんと自ら仕事を増やして行き、屋敷に遅くまで帰らないようにしていった。
冷たく凍りついたままの心も、ただ一つルゥナの事を想う時だけは、その氷が溶ける。
僕の愛する人……
ルゥナが、学園生活をどんな風に送っているのか。
元気にしているのか。
色々な男に言い寄られていないか。
特に、他の男が彼女に近づいている事を想像すると気が狂いそうな程の嫉妬に駆られ、眠れなくなる夜を乗り越えるために、酒を飲むようになった。
いつしか、酒を片手に夜空に浮かぶ月を眺めながら、ルゥナのことを想うのが日課になっていった──
♢♢♢
ルゥナのいない日常が、ルゥナのいない現実が、僕の心をジワジワと蝕んでいき、壊してきている。
今日もまた遅くまで仕事をこなし帰宅すると、皆寝ているであろう屋敷は静寂な暗闇に包まれていた。
ところが玄関に入ると、悲しみを湛えた眼差しをした母上が、僕を待っていたかのように静かに佇んでいた。
ここ暫くは深夜近くに帰宅していたため、こうして母上と顔を合わせるのが随分久しぶりな気がする。
「母上、どうしたのですか? こんな遅くまで」
「……アルフレート……ちょっといいかしら」
顔色のすぐれない母上と共に客間に入り、投げやりな気持ちで母上の向かいに座る。
全ての事がどうでも良かった。
今はまだ辛うじて職務は遂行しているけど、それもいつまで保つのか……
ルゥナのいる世界を守りたいという一心だけで、なんとか近衛隊としての任をこなしている。
「……話というのは、ウィルダの事よ……あの子、今日貴方と離縁したいって私に言ってきたの……」
「……そうですか」
表情をピクリともさせずに淡々と答えた。こんな夫嫌気がさして当然だと、心は冷静に分析する。
「っ! どういう事アルフレート!! ウィルダは泣いていたわ……このままでは後継も作る事が出来ないって。こんな嫁失格だって……」
震える手を握り締めながらウィルダがいるであろう部屋を見つめた母上からは、不憫な嫁への思いやりが感じられた。
その言葉から、こんな夫であるにも関わらず、ウィルダは僕ではなく自分の事を責めているのだと分かり、益々申し訳ない気持ちになった。
やはりあの時きちんと事を明るみにして、彼女とは結婚するべきではなかったのだ。
「……ウィルダに落ち度はありません……」
目を軽く瞑り、吐き出すように母上にそう伝えた。
ウィルダと迎えた初夜は、失敗であった。彼女を抱くことが出来なかったからだ。
僕の誤った選択に巻き込まれたウィルダは、可哀想だった。
──結局、僕達の結婚は、失敗以外の何者でもなかった。
「アルフレート、貴方……」
僕を呆然とした顔で見つめがら呟いた母上は、唇を戦慄かせ、そのまま顔を覆うと静かに泣き始めた。
「申し訳ありません母上……やはり、この結婚をやめておけばよかった……」
部屋の窓から月明かりを感じ、ぼんやりとしたまま見上げた夜空には三日月が浮かんでいた。
今学園にいるルゥナも、同じ月を見ているのだろうか……
そんな愚かな想いを抱きながらも、愛しい人の顔が見たくて堪らなくなった──
それからすぐにウィルダとの離縁は成立し、バサラブ家には相応の慰謝料を払う事で双方手打ちにした。当然こちらに落ち度があるから、ウィルダの父であるバサラブ公爵に謝罪をしに行った。しかし、予想外にバサラブ公爵の僕に対するあたりはさほどキツくはなかった。
きっと優しいウィルダが僕を庇ってくれたのだと思いながら、最後に彼女と2人きりで会って話をする事となった。
「ウィルダ……すまない……」
「アルフレート様……貴方は、最後までお優しいのですね……その、優しさが、ずっとずっと、苦しかった……それに……怖かった………私、本当は分かっておりました。アルフレート様のお心に、別のどなたかがいらっしゃる事は。ですが、どうしても貴方を諦められなかったのです。ですから、貴方から結婚を了承する手紙を頂いた、と騙すような事をしてしまったのです……これは、嘘をついた私自身への罰なのです……」
小刻みに震えながら自分の罪を告白したウィルダを目にし、あの時の選択をした自分を呪いたくなった。
「……やはり、僕が最初から断っておけばよかった……」
ウィルダと向き合おうともせず、かといって早々に僕から離縁したらあんなに喜んでいたルゥナを悲しませる事になると思ってここまでずるずるときてしまい、本当に中途半端だ。
こんな自分自身が嫌で嫌で堪らなくなり、両手を強く握りしめた。
「……本当に、お優しいアルフレート様……ありがとうございました。……さようなら」
ウィルダは涙を溢しながら、少しやつれたその顔に笑顔を浮かべると、別れの言葉を残して去って行った。
こうして、僕とウィルダの結婚生活は、わずか1年半でその幕を下ろすこととなった。
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