第12話 卒業

「とうとう、今日で卒業かぁ……」


夏の終わりを迎えるように少し肌寒くなった朝の空気を、窓を大きく開けて胸いっぱいに吸い込んでいきます。


あれから『結婚』という名の『就職』について何もいってこないオリエルの事がずっと気になったまま、結局答えを出せず今日の日を迎えてしまいました。


卒業した生徒たちは一先ず実家へと戻り、進路希望の結果を春頃に受け取ることになります。

学園で提出した自分の希望が全て叶うわけでは無く、なかなか決まらずに何度も出し続ける人もいるそうです。

卒業前に近衛隊への配属が決まっていたお兄様はとても稀なケースであり、それだけ彼が優秀だったといえます。


結界に守られているとはいえ、常に魔物の脅威にさらされているこの世界において、魔法が行使出来る貴族はそこに立ち向かう義務があります。

『カーティスの惨劇』で国中の貴族が駆り出されたのも、この王国を守るためだからです。

ですから、希望が通らなくても、結界を守るという重要な役目を担う騎士隊には必ず所属できる形になります。


「……魔法局に、入れるといいなぁ……」


朝から元気な鳥たちのさえずりを耳にしながら、祈るように呟いてしまいました。


女性も学園を卒業し、実地で大きな経験をつめる就職をする事は例外なく推奨されています。

ただ、結婚したらほとんどの女性が家庭に入りますし、騎士隊への配属は難色を示す女性も多いため、卒業と同時に結婚して嫁いだり、実家の領地へと戻って結婚までそこで暮らす人もかなりいます。 

実際同級生の女子生徒の内、進路希望を提出しているのは半数もいないぐらいになっています。


体力も無く勉強もそこまで出来る方でもなく、魔力量ぐらいしか取り柄がないため、希望調査の結果はとても気になってしまっています。


(お母様みたいに騎士隊は絶対無理だし……というか、元近衛隊だったなんて……)


小さくため息を吐くと、忘れることの出来ない衝撃の事実を思い出しながら窓を閉めました。


その話を聞いた時は、普段は穏やかで優しいお母様が通りで怒った時は物凄い迫力だと、深く納得したのです。

かなり幼くて覚えていないのですが、その昔お父様と大喧嘩をしたお母様が大変な事をしたと、チラリと聞いたことがありました。

一度だけマーラに尋ねてみた事があるのですが、黙って首を振るだけだったので、聞いてはいけない事なのだと幼心に思ったのを覚えています。


(せめて、お父様と同じ文官職には配属になりますように……)


国王陛下の側近として活躍されているお父様のようには絶対に無理だとしても、どこかの局で文官として働ければと切実に願いながら、今日の確認をしていきます。



ーーコンコンッ!



「ルーナリア〜! どう〜! 準備出来た〜!? もう皆来てるよ〜!」

「フェリシア! ごめんね! すぐ行くね!」


扉の外から少しだけ落ち着かない声色で催促するフェリシアの言葉を聞いて、慌てて荷物を手に取りました。


「お待たせっ!」

「いいよ〜まだ時間はあるから〜。でも、やっぱドキドキしちゃうね! 楽しみ!」

「本当……!」


部屋を出ると、興奮した様子の女子生徒たちが廊下を行き交っていました。

自分たちの進路が決まっていない中、生徒は卒業を迎えるのですが、その前に学園最大のイベント、卒業パーティーがあるのです──


学園では『身分は関係なく、皆平等である事』が大原則の1つです。

この卒業パーティーでは、全員綺麗に着飾って社交界のようにダンスを踊り、誰しもが自由に楽しむのです。


「はぁ〜、うちの代に王子様がいたら、すんごく盛り上がっただろうね〜。王子様とのダンスなんて、すっごくいい思い出だろうしね〜」

「ふふふ、でもそれはそれで大変そうだよね。この間先生、伝説の年って言ってたけど……」

「第二王子様がいた5年前の代よね〜? 先生遠い目してたわ〜。あははは」

「……そう、だったね……」


その代にお兄様もいたのだと思うと、切なさで苦しくなってしまい一瞬顔がかげってしまいました。

思いを振り払うように軽く目を閉じると、にこりと微笑みを浮かべます。


「とにかく、今日は楽しまなきゃね。フェリシア、よろしくね」

「任せておいて〜! 学園原則その2、『自分の身の回りの事は、全て自分で行う事』だもんね〜。ふふふ、今日はすごぉく綺麗にしちゃおうね〜」

「ふふふ、ありがとう、フェリシア」


くすくすと笑い合うと、同級生が待っているフェリシアの部屋へと足速に進んでいきました。



「ごめんー。誰か後ろ手伝ってー!」

「ねぇねぇ、私の髪飾り知らない?」

「あ! どうしよう! 忘れ物してきた!!」


扉を開けると、そこはもうある種の戦場のような状況になっていました。

出遅れてしまったことに少しだけ焦りながら、私もドレスを広げて準備をしていきます。


「ルーナリア、どう〜? 着れた〜?」

「……待ってねフェリシア……ちょっと……」


コルセットがどうも上手くいかない感じがしている胸元に、視線を落とします。


「どれどれ〜、見てあげるよルーナリア〜。あ〜……これはね、こうやってちゃんと持ち上げて入れて、中にキチンと収めるようにして……ふふふ、ルーナリアってばちょっと大きくなったかもね〜。胸も柔らかくて気持ちいいね〜。さ、これでよし、と」

「あ、ありがとう……でも、フェリシアの方が大きいと思う……」


大きな目を細めながらニマニマと笑うフェリシアを、頬を少しだけ染めながら見つめます。

髪色に合わせた濃紅色のスレンダーなドレスを身にまとっていて、谷間が出来ている大きな胸についつい目がいってしまいました。


「フェリシアのそのドレス、すっごく似合ってる! スタイルの良さが際立って見えててとってもいいね」

「ありがとう〜。ルーナリアのドレスもすっごく可愛い〜! 後ろの大きなリボンとふわふわしたスカートがお姫様みたいで、似合うよね〜本当〜。陽が沈む前の空の色みたいで、この色にして正解だったね〜」

「……ありがとう……そういってもらえて、良かった」


フェリシアと今日のドレスを選ぶ時に、ついつい彼の瞳の色と似たような色合いばかりを目で追ってしまった自分を思い出してしまいました。


(……今日だけは……こうして包まれるのも、いい、よね……)


軽く目を瞑ると、屈託のない笑顔を浮かべている友人に微笑みを向けました。


「さてさて〜、ルーナリアの髪をいじっちゃうぞ〜! ほら、鏡の前に座って座って〜」

「ありがとう、フェリシア」

「フェリシア! 私も後でお願い!!」

「いいよ〜」


フェリシアは、にこにこしながら頼もしく手を上げて返事をすると、早速私の髪を櫛でかしていきます。

すっかり当たり前になってしまったその優しい手つきに身を委ねます。

真剣な眼差しで結っていくフェリシアを見ていると、こうしてもらうのも今日が本当に最後なんだな、と改めて認識してしまいました。


「フェリシア……毎日毎日、髪を結ってくれてありがとう。私、フェリシアに結んでもらうの、凄く好きだった」

「ルーナリア……」

「なんか、明日からもうフェリシアにこうして貰えないなんて、信じられないよ……」


はしゃぐ同級生の友人たちと、そして大きな目を更に見開いているフェリシアの姿が滲んで見えなくなってきます。


「もう〜ちょっとやめてよルーナリア〜。そんな事言われたら、涙出ちゃうじゃん〜。今からパーティーなのに泣いたら酷い顔になっちゃうよ〜」

「ごめんね、フェリシア……」

「あ、フェリシアもルーナリアももう泣いてる!」

「まだ早いよ2人ともー!」


鏡越しで視線を重ねた私とフェリシアは、こぼれ落ちそうになっていた涙をそっと拭いながら笑い合いました。




卒業パーティーの会場は、すでにもの凄い熱気で溢れかえっていました。

男子生徒からのエスコートを受けて会場へと向かう女子生徒。

色鮮やかなドレスに身を包み、頬を上気させて集まっている女の子たち。

そんな女子生徒の集団に、チラリと視線を配っている男子生徒。


「……すごいね……この人だかり……」


圧倒されて思わず息を呑んでしまいながら、フェリシアに少しだけ寄り添うようにして会場の中へと足を運んでいきます。

そんな私の様子を見たフェリシアが、少しだけ前に出て人よけをしてくれているような形で歩いてくれました。


「……もしかして、ルーナリア社交界に行ってなかったりする〜?」

「……うん……私、社交界が苦手で、実はこうした場はデビュタント以来で……今もありがとう、フェリシア……」

「やばいやばい、しっかり見張っておかないと」


一瞬その眼差しを鋭くさせたフェリシアは、私にピッタリと身体を寄せると辺りをうかがうように見回しました。


「よ! ちゃんと綺麗に出来てんじゃん」


手を上げながら前方からやってきたオリエルを見て、驚きで目を見張ってしまいました。

キチンと正装しているその姿は何だか別人のようで、周囲にいる何人もの女子生徒が熱い視線を彼に送っているのが分かりました。

整った顔立ちをしているオリエルと、『結婚就職』の話の時に言っていた事が結びついていきます。


(だから、『女避け』って言ってたんだ……アル兄様に見慣れ過ぎていて、私の価値基準ってちょっとおかしくなってるのかしら……)


改めて自分の世界に、いかにお兄様しかいなかったのかを実感しました。


「オリエルもなかなか様になってんじゃん。──ルーナリア全然慣れてなさそうだから今日は要注意よ」

「マジか。おけ、分かった、ありがとな」


2人がコソコソと何かを話しているのですが、会場のざわめきと鳴り響く音楽でよく聞こえませんでした。


「? フェリシアもオリエルも、どうしたの?」

「ん〜ルーナリアは気にしないでいいのよ〜。ちょっとした話だから〜。それより、オリエルと踊ってきたら〜?」

「よし、じゃあ行くかルーナリア」

「うん」


オリエルは口元に笑みを刻むと、まるでこれから課外授業に行くかのような、いつもの調子で手を差し伸べました。

笑顔でその手を取ると、多くの生徒たちが盛り上がっているフロアへと躍り出ました。

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