第10話 初めての友だち

窓の外の景色からその日差しが随分と柔らかくなっている様子を目にし、そろそろ入学の時期になるのだと感じ取りました。


(あれから、もう3ヶ月近くも経ったんだなぁ……)


逃げるように屋敷を去った日を、昨日の事のように鮮明に思い出しながら、包み込んでくれるような大きな青空を見上げます。


「……もう一度、入学の案内書に目を通しておこうっと……」


机の方に向かうと、すっかり手に馴染んだ書物をめくっていきます。


学園では、1番基本となる原則があります。

それは、『自分の身の回りの事は、全て自分で行う事』と、『身分は関係なく、皆平等である事』です。

この原則の元、基本的には自由にこの学園生活を楽しむように、とされています。


また、子どもの自立性を育むため、そして『平等』の精神から親の介入を極力避けるため、緊急事態以外は親元とは連絡をしてはいけない事になっています。

親からの連絡は学園への申請を経て許可されたものだけが、書簡として届けられます。


その事実を知った時、真っ先に思い出したのはお兄様のことでした。

学園に行かれていた時、定期的に手紙を送ってくれていたからです。


私のために、無理してくれていた──


彼から向けられていたその想いに触れ、泣きそうなほどの喜びに包まれたのですが、瞬時に現実に押しつぶされそうになり、押し寄せてくる涙を堪えました。


苦しくなる心に蓋をし、時折無性に泣きたくなる気持ちを抑え、ゆっくりと流れ行く時間ときを今日まで1人ただただ過ごしていました。


軽く息を吐いて目を瞑ると、案内書をそっと閉じます。


「……今日は、本を借りに図書館でも行こうかなぁ……」


入学前なので制服ではなくて簡素なワンピースに身を包むと、学園の桜並木の小道を歩いていきます。


(あ、咲き始めた……!)


屋敷の庭にあるものと違ってここは秋に咲く桜のようで、薄桃色に色付く可憐な花弁に心奪われて、知らず知らずの内に顔がほころびました。

王都の南側に位置し国中の貴族の子女が集まるためとても広大な敷地を有している学園ですが、今は上級生の授業中なので人影もありません。

薄桃色を瞳に映しながら穏やかな気持ちのまま、誰もいない道をゆっくりと散歩します。




「あの〜。貴方、新入生、だよね?」


振り返ると、そこには赤色の髪をした目の大きな可愛い女の子が、荷物を片手に佇んでいました。


「……はい、そうです。……貴方も、ですか?」

「あぁ〜やっぱりぁ〜。良かった〜。寮がどこにあるのか分からなくって、めちゃくちゃ困ってたの〜。何か同じ所ぐるぐる回ってる感じもしてて〜。お願い、案内してくれない?」


目をくりくりとさせながら、本当に途方に暮れていたのだと分かる表情に、思わず笑みが溢れてしまいました。


「ええ、いいですよ」

「ありがと〜。てか、同級生なんだし敬語やめてよ〜」

「あ、ごめんなさ……ごめんね」


侍女のマーラ以外いつも敬語で過ごしていたため、慣れない状況にどうしても戸惑いを含んだ返事になってしまいました。


「えへへ〜めちゃ可愛いね〜! あなた、名前は? あ、私フェリシアって言うの!」

「私はルーナリアで……よ」

「よろしくね〜ルーナリア」

「よろしくね……フェリシア」


フェリシアは大きい目を輝かせながら、にっこりとした笑顔を向けてくれます。

彼女の真っ直ぐな眼差しから元気をもらった気がして、身体の緊張が少しほぐれていくのを感じました。

寮までの道のりをフェリシアと会話をしながら歩いていると、何だかずっと沈んでいた心が少しだけ軽くなっていく気がしていきます。


(ここには誰も、私の事を知っている人はいない……)


屋敷しか知らない私にとって、フェリシアとのこうした時間はまるで自分が生まれ変わったようでした。


「あ! フェリシア! お前こんな所にいたのか!」

「オリエル!?」


向こうから、鮮やかな金色の髪をサラサラとなびかせながら、少し活発そうな顔をした男の子が駆け寄って来ます。


「お前、方向音痴なんだから、しっかりついてこいよ」

「うっさいなぁ。いいのよ。お陰様でルーナリアと出会えたもんね〜」


フェリシアが私の腕に縋りながら、相槌を求めるように笑顔を向けてきました。この運命の出会いに心から感謝をするぐらい、私はもう彼女を好きになっています。私もフェリシアににっこり笑いながら大きく頷きました。


「うん。そうね、フェリシア」

「ってか、ルーナリア?」


オリエルと呼ばれた男の子が、じっと私の方を見てきます。何だかサラサラの金色の髪がお兄様を少しだけ彷彿ほうふつとさせて、胸が苦しくなりました。

ですが、彼はもっともっと薄い金色でオリエルの濃い色味はお兄様とは違うものだ、と自分に言いきかせます。


「あ、そうそうルーナリア、紹介するね〜。は幼馴染のオリエルっていうの〜。こんなんでも一応侯爵令息してんのよ〜」

「一応ってなんだよ一応って!」

「もう、やかましいなぁ。ふふふ、ここでは身分なんて関係ないんだからね」


私とオリエルで少しだけ口調の違うフェリシアのニンマリとした表情に、思わず小さく笑みをこぼしてしまいました。


「ったく、何だよその紹介は。で、そっちは? えっと?」

「あ、ルーナリアです。初めまして。さっきフェリシアと仲良くなりました。よろしくお願いします」

「もう〜ルーナリアってば丁寧すぎ〜。敬語じゃなくていいんだよこんなやつ」

「あ……そ、そう、です……だよね……」


笑いながら私の腕を軽く叩いているフェリシアを横目に、自分の情けなさに思わず項垂れてしまいました。


(……ダメだ……いつも敬語だったし……本当、人と接するのに、慣れていないにも程がある……)


「あはは〜ルーナリア可愛い〜。真面目すぎ〜。ま、喋り方はおいおい変わっていくから大丈夫〜」

「そうです……かな……? ありがとう、フェリシア」

「───お前、笑った方がいいと思うぞ?」

「え? 私、笑っていませんか?」


唐突に指摘されたオリエルの言葉を聞いて、初対面にも関わらずつい尋ねてしまいました。

さっきから笑顔でいるはずだと思っているので、キョトンとしながらその顔を見返します。


「うーーーん」


腕を組んで暫く私を見つめていたオリエルが、スッと手を伸ばして来たかと思うと、両手で私の頬を摘みました。


……むにゅ


何が起こったのか分からず、私のほっぺたを持ったままのオリエルを目を瞬きながら見上げました。


……むにゅむにゅ


「ほら、こうした方がもっと自然な笑い方だと思うぞ?」


とても得意げな顔をしているオリエルが、そのまま手を縦や横に動かして引っ張ったりしています。

そこまで強い力じゃないので痛くは無いのですが、初めての経験にただただ目を丸くして固まってしまいました。


「あーー!! オリエルあんた何やってんの! ルーナリアにセクハラすんな!」



ーーッバシィィッッ!!!!



フェリシアがもの凄い勢いでオリエルの頭を引っ叩きました。


「っって〜〜」


その流れるような動作に目をぱちくりさせてしまいながら、痛そうにさすっているオリエルを見つめてしまいます。

咎めるような視線をフェリシアに送ってはいるのですが、その口元は笑っていました。


「何すんだよ急に!」

「あんたこそ何してんのよ! 失礼でしょうが!」

「だからといって、叩くことはないだろ! しかも頭だぞ!」


2人はそのまま遠慮のない言葉を投げ合っているのですが、お互い楽しそうにしています。

そうしたやり取りを目にし、可笑しくてたまらない気持ちが込み上げてきました。


「ふふふ……あはははは」


自分の笑い声を聞いて、それが随分と久しぶりであることに気が付きました。


「あ! ほらほら! そっちの笑顔の方が絶対いいって!」

「も〜。ルーナリア、こんなやつに乗っちゃダメだからね〜」

「あはははは」


得意げに笑うオリエルと、そんな幼馴染を呆れたような眼差しで見つめるフェリシア。

生まれて初めての経験に胸を熱くさせると共に、何だか心が軽くなったような気になりました。


「よし、じゃあ寮まで行くか。あ、フェリシア、荷物持ってやるよ。今度は迷子になんなよ。俺は女子寮は入れないからな」

「……ありがと。そんな迷子になんてなんないわよ! 男子寮と女子寮なんて、すぐそこじゃない! 大丈夫…に決まって……ん……」

「ふふふ。大丈夫、女子寮は私が案内できるから。部屋まで一緒に行こうね」

「ありがとう〜ルーナリア〜! 優しい〜!」


気が付いたら、いつの間にかすんなりと敬語で話さなくなっていました。

久しぶりに心が満たされるような感覚のまま、3人で楽しく寮までの道のりを歩いていきます。


(学園に来て、本当に良かった……)


桜小道の薄桃色が、さっきよりも色鮮やかに映りました。



♢♢



制服に着替え鏡の前に立つと、膝下まである臙脂えんじ色のフレアスカートを整えます。

掃除と洗濯はしてもらえることに感謝しながら、皺一つないブラウスに目を通しました。

スカートと同色の上着を念のため羽織ると、そこには薄い金色の髪をした少女が穏やかな笑みをたたえていました。


その髪色が目に入って、ふと臙脂えんじ色のズボン姿のお兄様が頭に浮かんできます。


(きっと、アル兄様の制服姿はすっごく素敵でモテてたんだろうなぁ! ……そうだった……もう……アル兄様は、結婚されている……)


一瞬湧き立った心も、すぐに現実を思い出すと途端に胸がぎゅっと苦しくなってしまい、涙が溢れそうになりました。


「泣きたくない……泣きたくないの……」


宙を見つめ、大きく大きく息を吐くと、揺れる心を抑え込んでいきます。

扉を出る前に黄金色の瞳が揺れていないのを確認し、寮を出て教室へと向かいました。



同年代の子どもばかりいる教室は、朝から活気に満ち溢れていました。


「おはよ〜ルーナリア〜」

「おはよう、フェリシア」


フェリシアの明るい笑顔を目にすると、どこか救われた気持ちになり軽く息を吐いてしまいました。

微笑みを返しながら、フェリシアの隣の席へと腰を下ろします。


入学前に出会った私たちはあの日以来すっかり仲良くなり、今ではいつも3人一緒に行動するようになっています。

クラスが同じになっただけでなく、机が隣同士だったことが分かった時は、フェリシアと手と手を取って喜び合いました。

屋敷を早めに出たおかげで、こんな素晴らしい友人たちに巡り会うことができた縁に思いを馳せると、どこか不思議な気持ちにもなります。



スッと立ち上がって私の後ろへ来たフェリシアが、櫛とリボンを取り出して準備をし始めます。


「今日も髪結んであげるね〜。今日はどんな髪型にしよっかな〜」

「ありがとう、フェリシア。凄い助かる……本当は、自分でやらないといけないのに……私、自分の髪の毛結ぶのが本当に苦手で……なんか毎朝の習慣になっててごめんね……」

「ぜ〜んぜん! 気にしてないよ〜! だって、ルーナリアの髪って、本当にふわふわして柔らかくって、気持ちいいいもん〜」


不器用な事を言い訳にして、ついついフェリシアに甘えてしまっているのを自覚しながら、目を瞑ります。


「ありがとう……私も、フェリシアの手が気持ちいいよ」


柔らかくて暖かいフェリシアの手で髪を結われていくと、今朝方酷く苦しくなっていた気分が洗い流されていき、心が落ち着いていくのを感じました。

優しい手つきで私の髪を、すくったり編み込んでいるような、滑らかで無駄のない動きに身を委ねます。


「ふぅん。ルーナリアの髪って、そんなに気持ちいいのか?」


パチリと目を開くと、じっと私を見つめるオリエルがいました。


「うん、なんかこぅ、ふわふわしてる小動物、みたいな?」

「へぇ〜、どれどれ」


興味津々といった表情を浮かべたオリエルが、髪を弄ったり頭を撫でたりしてきます。


(……なんだか、恥ずかしい……)


お兄様以外の異性にこうして触れられた事がなくて、胸の鼓動が少しだけ早くなり顔が赤くなってしまいました。


「うわぁ〜、本当だ! すっげぇ気持ちいい!」

「あ! ちょっと! そこ結んだ所なんだから、触らないでよ!」

「別にいいだろ! ちょっとぐらい!」

「いやいや! せっかく綺麗に編み込んでるのに、ぐしゃぐしゃになるでしょーが! なんでわざわざそこ触るのよ!」


頭の上で繰り広げられる毎日の攻防戦に、笑みがこぼれ落ちてしまいます。


「ふふふ。まぁまぁ、2人とも落ち着いて。本当、楽しいなぁ。この空気感、すっごくいいよね。フェリシア、今日の髪型楽しみだなぁ。オリエル、今日の授業の課題もうした?」

「うふふふ。今日は編み込んだのを、ここでこーして……ほら!」

「ウゲ。課題って何だっけ……いや、大丈夫だ! したはずだ!」


胸の苦しさをひと時でも忘れる事が出来るのは、本当に2人のおかげだと心底思いながら、大切な友人たちを目を細めながら見つめました。




一日の日程が終わると、今日もまたいつも通り3人で喋ったり課題を解いたりしながら、日が暮れるまで一緒にいました。

寮にある食堂に集まって女子だけの夕食を満喫すると、ここで皆ともお別れになります。


「さぁて、そろそろ戻ろうか〜。じゃあルーナリア、また明日ね〜。おやすみ〜」

「うん。また明日、フェリシア。おやすみなさい」


誰もいない部屋に戻り入浴を済ませ、就寝の準備をしていきます。

シンと静まり返った中で1人佇むと、ふと自分の胸の奥にポッカリと空いている空洞に気が付きました。

いつも見ないようにしている、ずっとずっと埋まることのないから……


すっかり毎晩の習慣になってしまっている自分に苦笑しながら、上着を羽織るとバルコニーに面している扉をそっと開けました。

形は変えてもいつも変わらぬ美しさを湛えるお月様が、優しく私を迎えてくれます。

その柔らかな光を浴びると、あの時の彼が傍にいてくれるようで、少しだけ満たされるような気持ちになりました。


「……今日は、あの日と同じ、満月なのね……」


夜空に大きく大きく輝くその光を目にし、あの夢のようだった出来事が呼び起こされて、泣きそうになってしまいました。


「……アル兄様……月を通して、いつも一緒にいる……やっぱり、私の想いは変わらないから……」


ただただ、彼を想いながら。そして、あの人の幸せを願いながら──

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