第7話 月夜の思い出

まだまだ夜の灯火で賑わっている王都の街並みを、ぼんやりと瞳に映していきます。


「ルゥナ、初めての社交界はどうだった?」

「……そう、ですね……とても、華やかで……驚きました……」


あんなに楽しかった行きの馬車とは違って、沈む心のままなんとか笑みを浮かべました。


「ちょっと疲れたかな?」

「……はい……慣れない場所だったし、ダンス大変でした」


私の様子をうかがっているようなお兄様を目にし、心配かけまいとにこりと微笑みを向けます。

ですが、どうしてもさっきの令嬢たちの事が頭から離れなくて、会話にもいまいち身が入りません。

彼に見惚れる様子の女性達を初めて目の当たりにして、漏れ出てきそうになる心を抑えるのに必死でした。


(あのぐらいでこんな気持ちになるのに、アル兄様の結婚を、本当に祝福できるのだろうか……)


馬車の窓から移りゆく景色を半ば呆然と眺めながら、頭の中で己自身に何度も問いかけ続けます。

ふと揺れが止まり見慣れた屋敷の庭が見えた事で、帰宅した事に気が付きました。


(……一生に一度の社交界だったのに……こんな形で終わっちゃうなんて……)


白いドレスの裾が頼りなく揺れているのを見つめながら、ゆっくりと馬車から降りていきます。

地面へと降り立った途端、優しく腕が引っ張られる感触で慌てて顔を上げると、ふわりとした笑みを湛えたお兄様と視線が交差しました。


「……アル兄様? どうされたのですか?」

「おいで、ルゥナ」


腰をしっかりと抱え込まれた次の瞬間、身体がふわっと軽くなるのを感じました。

久しぶりにこんなに密着してしまった事に酷く動揺していると、お互いの身体が宙に浮いた状態になるのが分かりました。


(これって、風魔法の応用の浮遊魔法……!?)


目を大きく見開いていると、半分飛ぶような状態で風を切りながら何処かへと向かっていきます。

その飛行はとても安定していて、私を抱えながらこうした浮遊魔法を行使できる魔法の才に、尊敬の念を抱く事しか出来ませんでした。


(難なくあっさりと行っているけど、ここまでの行使が出来る人ってそんなにいないよね……それに、アル兄様が、近い……)


お兄様の温もりを感じ、さっきから心臓がバクバクと音が聞こえるぐらい鳴り響いています。

この高鳴りが彼に聞こえていませんように、と必死に祈りながら、おずおずとお兄様を見上げます。


「あ、アル兄様……あの、どこへ?」

「ふふふ。せっかくのルゥナのデビュタントだからね」


私の瞳をじっと見つめながらそう答えたお兄様は、腰に回した腕の力を強めました。

恋しい人とこんな風に一緒にいて。その存在を間近に感じて──

泣きそうな程に嬉しさに、胸が張り裂けそうになりました。


(……このまま、時間ときが止まればいいのに……)


頬にあたる風を受けながら、ほんの少しだけ、彼の身体へと身を寄せました。




屋敷の光もすっかり見えなくなり、暗闇を照らすようにお兄様が火魔法で明かりを灯します。

屋敷から少し離れた場所にある森林地帯の奥へと進んでいくと、ぽっかりと開けた場所が見えてきました。

草木で覆われたその場所にふわりと降り立つと、そっとその腕の力を緩めたお兄様が私の顔を覗き込みます。


「到着だ。大丈夫だった、ルゥナ?」

「は、はい……あの、ここってもしかして……」

「そう。ここは、『天満月あまみつつきの森』だよ」

「……我が家の領地にひっそりとあって、あまり知られていない森ですよね……初めて、来ました……」


お兄様が照らしてる火魔法の明かりを頼りに、周囲を見渡します。

よくよく耳を澄ますと、どこからかフクロウの鳴き声や木々のざわめきが聞こえてきました。


「アル兄様…… 『天満月あまみつつきの森』って確か、満月の晩にだけ咲いて、月の光を映し出す『天満月草あまみつつきそう』という不思議な花が咲いている場所があるって……聞いたことあります」

「ふふふ。そうだよ。──良かった。さっきまでちょっと雲が多かったから」


チラリと空を見上げたお兄様が火魔法の行使を止めると、辺りが真っ暗闇になりました。


瞬間、隠れていた月の光が差し込むのと同時に、辺り一面がぱあっと明るく輝きだします。

目の前には、淡くてもはっきりと光っている『天満月草あまみつつきそう』が咲き誇っていました。


夜空を見上げるとそこには空いっぱいに煌めく綺麗な満月が浮かんでいて、その光を反射して輝く情景のあまりにもの美しさに、暫く声もなく立ち尽くしていました。


「……ルゥナ、どう?」

「……っ! 凄いですっ、凄いです、アル兄様!」


心奪われていた私はお兄様の声を耳にしてハッと我に返ると、童心にかえった笑顔を向けました。

辺りに咲く天満月草あまみつつきそうをもっとよく見ようと、ドレスの裾を持って駆け寄ります。

その花弁が月の光を映し出すのか、小さな花びらが淡く優しく輝いていました。

そっと手を伸ばし壊さないように触れると、月の明かりが移ったかの様に、指先もホワっと柔らかく輝きました。少しだけ月夜のお裾分けをもらった気がして、嬉しさのあまり笑顔が溢れました。


こんなに穏やかで無邪気な気持ちになったのは本当に久しぶりで、軽やかにドレスをなびかせながら、その光ひとつひとつを眺め廻ります。


「ふふふ。ルゥナが喜んでくれてて良かった。……月の光で輝くルゥナは、本当月から舞い降りた天使みたいだね」


熱い眼差しで見つめられながらそう言われ、何だかソワソワと落ち着かない気持ちになりました。

すると、お兄様が私の元へ近寄って片膝をつき手を差し出しました。


「ルゥナ、僕と踊ってくれるかい?」


まるで御伽噺おとぎばなしの一場面のようなその姿に、胸が一際大きく高鳴ります。


「はい、アル兄様」


愛する想いを抑える事なく、満面の笑みを浮かべると、差し出されたその手をそっと取りました。


(……今日だけは。今日だけは、アル兄様の『ルゥナ』でいたいから……)


2人で身体を寄せ合って、月夜に輝く光の中で。

風に吹かれた天満月草あまみつつきそうの、さわさわと優しく響く音色を音楽にして。


私とお兄様しかいないこの瞬間の全てが、大切で愛おしくて──


たったひと時でもこうして一緒にいられる幸せに涙ぐんでしまいそうになり、慌てて少し顔を伏せました。


「ルゥナ? どうしたの?」


鋭いお兄様は私の感情の変化にすぐに気が付いたようで、心配そうに顔を覗き込んできます。

その空色の瞳と視線が交差すると、切ない思いが込み上げてきました。


(『妹』の私に、いつもいつも優しい『お兄様』…………でも、今日は……今日だけは……もう、2度とないから……)


揺れる瞳を自覚しながら、抑えこんでいた自分の気持ちの蓋をそっと開けました。


「……アル兄様……大好き……」


寄せ合っていた身体のまま、そっとお兄様を抱きしめます。

その瞬間驚いたのか、彼の身体が僅かばかり硬直したのを感じました。


「……ルゥナ……」


お兄様は優しく、まるで壊物を扱うかのようにそっと抱き込んでくれました。

こんな風に彼の鼓動を聞くのは本当に久しぶりで、すっぽりと私を包み込む身体がすっかり精悍な男性のものになっている事を全身で感じます。


(いつまでも、ずっとずっと…こうしていたい……一緒に、いたい……)


その逞しい胸に顔をうずめながら。

心も身体も、自分の全てが彼を求めていて……


泣きそうなぐらい、心がとても苦しくなりました。


(……幸せな時間は、いつもいつも、あっという間に終わってしまう……もう……)


いつまでもこうしている訳にはいかないと思いながら、一度ぎゅっと目を瞑りました。

抱きしめていた腕を離しパッと距離を取ると、にっこり笑いながら見上げます。

そして自分の気持ちの蓋をしっかりと閉めると、無邪気で明るいまだまだ子どもの『妹』の顔をします。


「アル兄様! こんな素敵な場所に連れて来てくれてありがとうございます! 本当に私の自慢の『お兄様』です! 私はアル兄様の『妹』で本当に幸せです!」

「……ルゥナが、喜んでくれて良かった。……僕は、ルゥナの良い『お兄ちゃん』かな?」

「ええ! アル兄様は、私の大切な『お兄様』です」

「……そっか……良かった……」


透き通るような青空の色をした瞳が一瞬かげった事も、心を切り離していた私には何も感じることが出来ませんでした。

ゆらゆらと揺れそうになる自分の感情をしっかりと抑え込むと、再びはしゃぎながら淡く輝く天満月草あまみつつきそうの元へと駆け寄ります。


(……本当は、お兄ちゃんなんかじゃない……誰よりも愛しい、愛しい人……でも……ひっそりとあるこの『天満月あまみつつきの森』のように、心の内に秘めた想いは、絶対に知られてはいけないから……)


これから『妹』として生きていく中で、今日この日の思い出が糧となれば──

そんな想いを後押ししてくれるような指先に分けられた光を、そっと胸に抱きました。

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