第6話 一夜限りの社交界 ②

お兄様と2人きりの揺れる馬車の中、たくさんの事をお話します。

近衛隊について、もうすぐ入学予定の学園について、話題が尽きることはありません。

にこにこしている彼を瞳に映しながら、時間が幼い頃に巻き戻ったような感覚になりました。

いつもいつも、お兄様とのお喋りは、本当に楽しくて仕方がなかった──

そう思いながらふと窓の外を眺めると、初めて見る立派な王城が姿を現しました。


「デビュタントでは、国王陛下に挨拶を行うのですよね? ……緊張します……」

「挨拶をしたら、一人前の大人になるってことだね。大丈夫だよ、ルゥナ。そんなに怖がらなくても。他の令嬢たちもたくさんいるから、挨拶も一瞬で終わるよ」


お兄様が私の気をほぐすようににっこりと微笑みかけてくれます。


「……アル兄様は毎日陛下にもお会いしていますし、王城の事にも詳しいですよね。色々教えてもらってもいいですか?」

「勿論!……何でも言って欲しいな、ルゥナ。──僕は、ルゥナの事なら何でも聞くから」


澄み渡る青空のような瞳が溢した言葉は、昔々熱を出して寝込んだ時に言ってくれたものでした。


(……あの頃から変わらず、大切にしてくれている……それは、『妹』だから……)


その言葉を聞いて、無性に泣きたくなった気持ちを必死に抑えながら笑顔を浮かべます。


「はい、アル兄様。ありがとうございます」


揺れる心を決して彼に悟られないようにと、眩さを増した外の世界を瞳に映していきます。





馬車を降りた会場の入り口には、すでに大勢の人が集まっていました。

白を基調としたドレスに身を包んでいる令嬢たちは、同じように今日デビュタントを迎える方々です。

『白』といっても色や形が様々あって、こんなにも違って見えるんだと驚きで息を呑んでしまいました。

興奮や喜びや不安。そうした様々なものを顔に浮かび上がらせた女の子たち。

ある種の熱気が立ち込めている光景を目にし、少しだけ臆してしまいそうになります。


「ルゥナ、大丈夫?」

「……は、はい……大丈夫です」


気遣うように私に視線を送ってくれたお兄様へ、引きった笑顔を向けます。

生まれて初めてこんなにたくさんの人がいる場所に来たせいなのか、指先が僅かに震えます。


「ルゥナ、リラックスして。もっと僕に寄ってもいいからね」

「……はい。ありがとうございます……」


ふわりと微笑みながらそう言ったお兄様が、彼の左腕を持っている私の手をそっと撫でてくれました。

その温もりから支えようとしてくれている心強さを感じ、身体の力が自然と抜けていきました。一度にこりと微笑むと、ゆったりとした足並みで初めての世界へと飛び込んで行きます。


(……アル兄様がいてくれるから、大丈夫……)




美しく着飾り色とりどりの華やかさを演出する貴婦人方と、エスコートする紳士方。

ゆったりとした優雅な音色で鳴り響く音楽。あちこちに飾られている美しい花々。魔法具の灯りで煌めく光の嵐──


(これが、社交界……)


圧倒的なものを感じさせるこの場の空気に少しだけ気後れしたものの、隣にいるお兄様の存在を心の拠り所にしながら足を進めていきます。

給仕する人からワインをもらった紳士が、流れるような仕草でご婦人方へと渡すとそのまま談笑しています。

その中を白の衣装を身に纏った少女たちが動く様はまるで雲の上にいるようで、魅入ってしまいます。


少しだけ彼の身体に身を寄せながら一緒にホールを歩いていると、ここが『大人の場所』なんだと周囲を見渡すぐらいの余裕が出てきました。

そんな私の様子をチラリと確認したお兄様が、顔を近づけてきます。


「ここの雰囲気にも、ちょっと慣れたかな?」

「……は、はい、アル兄様のお陰で!……あっちは、何があるのですか?」


耳元から聞こえる息遣いにドキリとしつつも、その優しい声色に口元をほころばせながら彼へと囁き返しました。


「ん、あっちは男性たちが集まるサロンがあるんだよ。父上も後で顔を出すと思うよ。さぁ、ルゥナ。今から国王陛下の謁見に行くけど、ご挨拶大丈夫?」

「はい、緊張しますが大丈夫です」


始終心臓がバクバクと鳴り響いている中、名前を呼ばれて陛下の御前へと向かい謁見を行います。

とても優しそうな国王陛下だと思いながらお辞儀をすると、その一瞬で挨拶は終わりました。


「ルゥナ、おめでとう。大丈夫だった?」


部屋から出ると、気遣わしげな顔をしたお兄様が私の元へ来てくれました。


「アル兄様! ありがとうございます。……何だか大きな試練を乗り越えた気がして、大人の仲間入りしたんだなぁって思っちゃいました」

「ふふふ。そうだね、こっちの世界へようこそ」


顔を見た途端、気の緩んだ私に微笑みを浮かべたお兄様が流れるような仕草で腕を取って身を寄せました。


「じゃあ、次はダンスタイムだね。──僕と踊ってくれるかい?」

「はい、よろしくお願いします」


差し出されたお兄様の手をとって、社交界という場で初めてダンスを踊ります。煌びやかな世界で見るお兄様はこの場にいる誰よりも素敵で、他の御令嬢方も見惚れているようでした。一緒にダンスを踊る幸せなひと時を、ずっとずっと心に焼き付けておこうと、向かい合う愛しい人の動きの一つ一つを隅々まで記憶していきます。


あっという間に終わってしまった彼とのダンスを、名残惜しく感じながら寄せていた身を離しました。

ホールの端で私たちをにこにこと見つめていたお父様の側までエスコートされると、私と踊るのを楽しみにしてくれていたその手を取ります。


「……ルーナリア、踊ろうか」

「はい、お父様! よろしくお願いします」


優しい眼差しを受けて、一緒に踊るのも最初で最後だという思いに切なさで胸が苦しくなってしまいました。


「ルーナリア……美しくなったなぁ……」


不意に呟かれた言葉に少し驚いて顔を見上げると、その目に僅かに光るものがありました。


「まぁ、お父様ったら、そんな泣きそうな顔をされてどうされたのですか?」

「いやいや、娘が大きくなると、父親は嬉しい反面寂しくなるものだよ。アナベラもこれでお前がようやく一人前になったと喜んでたぞ」


涙を必死で堪えている様子のお父様は、お日様のような笑顔を浮かべていて、柔らかな目元から私を本当に慈しんでくれている事が分かりました。


「お父様、大好き」


滲む瞳のまま見上げます。

一瞬、ぐっと泣くのを我慢した様子のお父様を見て、思わず私も涙をこぼしそうになりました。

奏でられる音楽に合わせるように、一緒に微笑みます。


(血が繋がっていないのに、こんなにも優しい私のお父様とお母様……本当に、自慢の両親……でも…ごめんなさい……こんな娘で。アル兄様を愛しているような、こんな娘で……)


ダンスがぎこちなくなってしまわないように気を付けながら、揺れる心を抑えて笑顔を浮かべ続けます。



「ありがとうルーナリア……さぁ、楽しんでおいで」

「はい、ありがとうございますお父様」


心遣いを嬉しく思いながらその手を離した瞬間、どこからか男性が近づいてきました。お互いに挨拶をすると、手を取って再びフロアに躍り出ます。

家族以外の男性とこんな風に接するのが初めてで、自分でも酷く緊張しているのが判るぐらいでした。相手に不愉快な思いをさせてはいけないと、にこやかな笑みを貼り付けてダンスを踊ります。


「どうもありがとうございました」


何故か長く感じた時間を終えると、不自然な笑顔にならないように注意しながら男性にお辞儀をします。


「あ、あの──」

「ルゥナ、お疲れ様。さ、こっちにおいで、飲み物がある所に行こう」


どこからか現れたお兄様が先ほどの男性の言葉を遮るようにそう言うと、私の腰に手を回して何処かへと連れて行きます。

給仕の人からもらった炭酸水を口にしていると、また別の男性が近づいて来ました。


「あ、あの、ご一緒に踊っていただけますか?」

「はい、よろしくお願いします」


お互いに挨拶をし、その手を取ってフロアへと繰り出そうとするのですが、隣にいるお兄様から何故かずっと冷ややかな雰囲気が感じられました。

お兄様の様子が気掛かりで、ダンスを踊りながらも少しぼんやりとしてしまいます。





今一緒に踊っている人が何人目の人かも、お相手の名前もほとんど記憶できていませんでした。

疲れ切った身体と強張ってしまう笑顔のまま、せめて足を踏んでしまわないようにと、全力でダンスを踊ることに集中します。

音楽が終わったのを耳にして、密かに安堵しながら目の前の伯爵様へと丁寧にお辞儀をしました。


すると、どこからかスッと現れたお兄様が軽く腰を持つと、耳元へと顔を寄せました。


「ルゥナ。そろそろ帰ろう。父上と母上には、先に屋敷に戻ることは伝えてある」

「もうそんなに時間が経っていたのですね……分かりました」


少しだけ驚きながら、帰宅を促すかのように腰に回した手に力を込めた様子のお兄様へそう返事をしました。

これまでダンスが終わるとすぐにやってきてくれていたお陰で、ほとんど会話をせずに終わっていたのですが、話までしていたら気疲れと気後れで大変な事になっていたと感謝の思いと共に軽く息を吐きます。


(アル兄様はきっと、社交界も初めてでおまけに初対面の人と話をする事が苦手な私を、気遣ってくれてるんだ……『妹』の事を考えて大切にしてくれる、本当に本当に完璧な『お兄様』だから……)


そう思うと胸がきゅっと締め付けられて苦しくなってしまいました。

気持ちを切り替えるように笑顔を浮かべると、今まで相手をしていただいた方へ視線を戻します。


「伯爵様。本当にありがとうございました。私はこれで失礼しますね」

「あ、あの、まだ早いのではないのですか? お飲み物をお持ちしましょうか?」


少し顔を赤くした伯爵様が、どこか焦ったような表情を浮かべ私の手を取ろうと伸ばした瞬間、お兄様が素早くその手を掴みます。


「──申し訳ありませんが、『妹』はそろそろ帰らなければなりませんので」


凍てつくような声と眼差しで睨みつけると、周囲からピリピリとした圧のようなものと、ひやりとした空気が漂い始めます。


「っひぃ! も、申し訳ありませんでした……!」


一気に顔を白くさせた伯爵様を見て、息を呑みます。


(……こんなに怖いアル兄様、初めて……凄い……これが、『殺気』ってやつなのかな?)


やっぱり近衛隊に所属しているお兄様は違うんだと、初めてその強さを体感した気持ちになりました。

この間お母様がもうすぐ史上最年少で副隊長に任命されると言っていた話を思い出し、彼の優秀さを改めて認識してしまいます。


威圧を受けた伯爵様は身体を震えさせながら、私たちから離れていきました。

お兄様は途端にさっきまでの雰囲気を霧散させると、ふわりとした笑みを私に向けてくれます。


「じゃあ、ルゥナ。帰ろうか」


世間知らずの『妹』を守ってくれた感謝の言葉と共に返事をする前に、会場から何処か騒然とする声が聞こえてきました。


「「きゃ〜っ!」」

「見た!? 今のアルフレート様の笑顔!」

「見た見た! やっぱり、素敵ね〜」


後方からそうした令嬢たちの色めき立つ声を耳にし、上手く言葉が出せなくなります。


(アル兄様の笑った顔は、見慣れている私でもドキドキするから……だから当然だ……でも……)


自分を納得させようとするのですが、どうしても湧き上がってくる醜い心を抑えきれませんでした。


(…………やっぱり、アル兄様を、誰にも取られたくない……)


美しく着飾った彼女たちをチラリと視界の端に映すと、ぎゅっと胸が締め付けられる苦しさで堪らなくなってしまいました。


「……ルゥナ? 大丈夫?」


昏い気持ちで俯いてしまった私の頬に優しく触れる温もりで、ハッと顔を上げます。

じっと覗き込むような空色の瞳と視線が重なり、彼との関係性を思い出しました。


「大丈夫です、アル兄様。ちょっと疲れてしまっただけです」


この蓋は、決して開けてはいけない──

自分の奥の奥に心をぎゅっと抑え込むと、にこりと笑ってお兄様の手を取り、まだまだ騒めく煌びやかな会場を後にしました。

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